鏡の中のヒロイン
ダンスのレッスンが終わって数日後。
学院内の廊下を歩いていると、私の前を通り過ぎる生徒達が口々に囁いているのが耳に入った。
「最近のサフィー嬢、本当に素敵ね」
「グルナ様の隣にいると、ますます輝いて見える」
胸の奥に小さな満足感が膨らんでいく。
かつてはアプリルの方が注目されていたのに、今は私が光のなかにいるーーそんな錯覚さえしてしまう。
上機嫌のまま寮に戻る。
部屋の机にはドレスが広げられていた。これは明日に控えた舞踏会のために用意されたもの。
胸元には繊細なレース、裾には銀糸の刺繍が施されていて、光を受ければきっと煌めくはず。
けれど私は鏡の前で立ち尽くし、手を伸ばすことができずにいた。
(これで本当に大丈夫……? 殿下と並んで恥をかかせない……?)
そんな迷いを振り払えずにいると、扉が控えめに叩かれた。
「……サフィー、入ってもよろしいかしら?」
聞き慣れた澄んだ声に、私は慌てて立ち上がる。
扉を開けると、月光をまとったような白銀の髪が目に飛び込んできた。
「グルナ様……!」
「準備が進んでいるか気になって。……そのドレスを、着てみてくださらない?」
促されるままに袖を通すと、背後からグルナ様が近づき、手早く紐を結び、余分な布を整えてくれた。
指先が首筋や肩に触れるたび、全身が熱くなる。
「殿下は、こうした髪型をお好みですのよ」
彼女の手が櫛を取り、私の髪をゆるやかに編み上げていく。
結われていく髪の重みが、まるでヒロインとしての証のように感じられて、胸が高鳴った。
鏡の前には、見慣れた自分でありながら、どこか別人のように気品を帯びた少女が映っていた。
「……グルナ様、本当にありがとうございます」」
思わず呟いた私に、彼女は背後から抱き寄せるように囁いた。
「大丈夫。殿下に選ばれるのは、必ず貴女です」
その言葉が心臓に深く染みこみ、不安は霧のように溶けていく。
私の視線は藤色の瞳の未来に釘付けで、他のものは映らなかった。
……けれど、そのとき。
扉の隙間の影に、一瞬だけ赤い瞳が覗いた気がした。
けれど私は振り返らなかった。
見てしまえば、胸の痛みが再び疼くから。
(今は見ない……大切なのは、グルナ様の言葉だけ)
そう自分に言い聞かせながら、鏡の前の姿に深く息をついた。
こえが、舞踏家へ向かう私の『本当の姿』なのだと。




