ヒロインと悪役令嬢
「……どうして、私なんかを庇ったんですか?」
思わず口をついて出た言葉に、アプリルは手を止めてこちらを見た。
「”なんか”ではありませんわ。誰であれ、理不尽に笑われる筋合いはありませんので」
「でも……私はヒロインだから、試練に耐えるのが当然で……」
アプリルは使っていた掃除用の布をポケットに入れて、静かに首を振った。
「ヒロインという言葉にどういう意味を持つか知りませんし、試練を美化するのは勝手ですけれど、それを理由に人の尊厳を踏みにじって良い道理はありませんわ」
その声音には棘があった。
胸の奥がざわつく。
(……やっぱり、私達は相容れない。だって私はヒロインで、貴女は破滅したとはいえ悪役令嬢……)
言葉を飲み込み、私は笑って誤魔化すしかなかった。
でもその日を境に、彼女の存在が心のどこかで引っかかり続けた。
混乱と驚きでいっぱいだった。
ゲームと違っている事が、次々と目の前に現れる。
同じストーリーを描いている、そう思っていたのに……
でも、その日から少しずつ、アプリルとの距離が近づいていった。
掃除の時、彼女が重そうにバケツを持っているのを見て、私は思わず声をかけた。
「アプリル、持ちますね」
「結構ですわ。これは私の仕事ですから」
きっぱりと言いながらも、手を滑らせて少し水が零れていた。
やっぱり重そうなんだ。
「……あら、少し手を貸してくださる?」
「はい!」
ほんのわずかな頼みに、胸が弾んだ。
別の日には、休憩室で彼女と向かい合ってお茶を飲んだ。
質素な茶器でも、アプリルは背筋を伸ばし、優雅にカップを持っていた。
「庶民のお茶も、悪くはありませんわね」
皮肉めいた口調の裏に、どこか柔らかさがあった。
「……ありがとうございます」
「何がですの?」
「こうして一緒に……」
「ふふ、奇妙なお方」
アプリルは笑い、窓辺の光を受けて赤い瞳がわずかに揺れた。
そんなやり取りを重ねるうち、私は確かに彼女との距離が縮まっているのを感じた。
けれど、どこかで思ってしまう。
(……でも、釣り合っていない。だってヒロインは私で、アプリルは破滅済みの悪役令嬢。これは友情じゃない、ただの気まぐれ……)
お茶の温もりに心をほぐされながらも、心の奥でそんな言い訳を繰り返していた。
ああ、早く王子と出会わないかな。
私はヒロインなんだから。




