踊りと囁き
数日後、結果が戻ってきた。
「こんなに取れているなんて……!」
結果は前回よりも大幅に上がっている。科目によっては満点を取っていて、佐奈だった時のテストよりも取れているかも。
もしかしたら、学院で一番かもしれない。
「……すごいわね、サフィー」
掃除中のアプリルが答案を覗き込み、小さく呟いた。
けれどその声音は、どこか寂しげ。
私は視線を逸らしながら笑顔を作る。
「ふふ……全部、グルナ様に教えていただいたから」
アプリルの唇がかすかに震えたのを、見なかったことにした。
「サフィー、どうでしたか?」
アプリルに見せた後、グルナ様と会う。
そこでグルナ様は早速、私の試験結果を訊いてきた。
色々と教えてもらったから、グルナ様だって気になっているんだと思う。私だって同じ立場だったら気になるし。
「満点もありますし、そうじゃなくても高い点数を取れました! 教えていただきありがとうございます!」
「ふふっ、それは良かったですわ。そうですね、わたしが教えたかいがありますが……大部分は貴女の実力ですわよ」
微笑みながら私をねぎらってくれた。
頭を撫でてくれて、心が躍ってくる。
「そんな……私だけだったら……」
「大丈夫ですわ、貴女は誇って良いですのよ」
「は、はい……!」
グルナ様は、自信を持たせてくれた。こんなにお優しいなんて。
「ねえ、サフィー。今度また、舞踏会が開かれるのだけれども、踊りは大丈夫かしら?」
そうだった。また舞踏会が行われる。今度は学院じゃなくて、王宮で。
私達が主役みたく踊るのよ。
流石異世界というのかな、そこそこの頻度で行うんだよね。私達が出られるような舞踏会を。
「勿論です! と言いたいんですが、ちょっと不安でして……」
前回は無事に踊れたけれども、もし王子と踊っている時にミスをしたら私だけじゃなくて、王子にも恥をかかせてしまう。
そんなことは避けないといけない。
「まあ……それは、もしよろしければ個人的にレッスンしましょうか?」
「ぐ、グルナ様が……!?」
わざわざ私のために教えてくれるなんて。
嬉しいけれども、時間を割いて大丈夫なのかな。
「でも、忙しいんじゃ……」
「大丈夫ですわ。選ばれたヒロインのためだったら、わたしは協力いたしますから」
「ありがとうございます……!」
私はグルナ様の提案に乗っかって、レッスンを受けることにした。
「ここは、もう少し腕を伸ばして……そう、背筋を意識して」
グルナ様が私の腰に手を添え、そっと押し出す。
その距離の近さに心臓が跳ね上がった。
すぐそばに漂う香りは、花壇の薔薇のように甘やかで、鼻先が熱を帯びる。
「違いますわ、肩が力んでいます。……わたしを信じて、もう少し身を預けなさい」
囁く声が耳元に落ちる。息がかかるほど近くて、頭が真っ白になった。
言われるままに体を預けると、自然と足の運びが軽くなり、ステップが綺麗に流れていく。
「その調子です。サフィー、次はもう少し強くわたしの手を取って。……そう、相手を信じて預けるように」
差し伸べられた手に自分の手を重ねると、胸がどくんと跳ねる。
藤色の瞳に導かれるまま、私は一歩、また一歩と舞う。
「そうですわ……まるで夢のように優雅に」
腰に回されたグルナ様の手が、軽く支えてくれる。
その温もりに身を委ねた瞬間、ふわりと身体が浮いたように軽くなり、舞踏会の煌めく光景が脳裏に広がっていった。
(殿下と……踊っている……)
想像の中、王子の金色の瞳が私を見つめている。
けれど現実に手を握り、腰を支え、頬に吐息をかけているのはグルナ様。
頭ではわかっているのに、どちらも同じ幸福感を与えてくるから、境目が曖昧になっていく。
「素敵ですわ、サフィー……まるで本当に、王子の隣に立つお姫様のよう」
「わ、私が……?」
「ええ。殿下は必ず、あなたを選びます」
囁きが耳元に落ちる。
音楽も無いのに、心臓の鼓動が旋律のように響き、全身を駆け抜ける。
想像の中の王子が微笑んだ瞬間、現実のグルナ様の手が私の背をそっと引き寄せ、さらに距離を縮めた。
呼吸が絡まり合い、視界いっぱいに藤色の瞳が映り込む。
(……分からない。今私を抱いているのは、殿下? それとも……)
答えを出す前に、グルナ様の声が私の迷いをさらっていく。
「もう大丈夫ですわ。あなたは誰よりも美しく舞える。殿下に恥をかかせることなど決してありません」
その断言は、胸の奥に深く突き刺さり、すべての不安を溶かした。
王子と踊る未来ははっきりと見えている。
私は頬を紅潮させながら、ただ彼女の導きに身を委ねるしかなかった。
やがてレッスンが終わる頃には、私のステップは最初と別人のように滑らかになっていた。 レッスンが終わり、私はグルナ様に支えられるようにして椅子へ腰を下ろした。
胸は高鳴り、頬は熱く、頭の中は幸福感でいっぱい。
その時だった。
ふと背筋をかすめるような感覚があった。
廊下の方から、誰かがこちらを見ている気配。
(……アプリル?)
一瞬だけ脳裏に浮かぶ。
でも、私は首を振ってその考えを追い払った。
もし本当に彼女がそこにいたとしても……今、私は見たくない。
見てしまえば、胸の奥の痛みや、過去の思い出が蘇ってしまうから。
代わりに、目の前のグルナ様へと視線を戻す。
藤色の瞳がやさしく細められ、柔らかな声が耳をくすぐった。
「大丈夫。貴女は本当、上手に踊れていましたわ」
その言葉に胸が震える。
背後の気配はもう忘れた。
私に必要なのは、この光だけ。
そう思いながら熱い汗が流れるのを感じる。
額にかいた汗をぬぐいながら、私は感極まってグルナ様に頭を下げた。
「ありがとうございました……! グルナ様のおかげで自信が持てました」
「ふふ……よく頑張りましたね。わたしの指導についてこられる生徒はそう多くありませんわ」
柔らかな声に胸が高鳴る。けれど、ふと私は考えた。
ここまで付き合ってくれたグルナ様も、きっとお疲れのはずだ。
だからこう訊ねた。
「グルナ様、よろしかったら私がマッサージをしてあげます」
「まあ……そんなことまでしていただけるの?」
少し驚いたように目を丸くしたが、断る様子はなかった。
私は慌てて手を振りながら笑顔を浮かべる。
「前から得意なんです、私! 友達にもよくしてあげてて」
「そう……では、お言葉に甘えましょうか」
グルナ様が椅子に腰掛ける。白銀の髪が背に流れ落ち、蝋燭の光に淡く輝いた。
私はそっと両手を肩に起き、優しく揉みほぐしていく
最初は恐る恐るだったけれど、指先に伝わる張りを確かめながら力を込めていくと、固くなっていた筋肉が少しずつほぐれていくのが分かった。
「……ああ、気持ちいいですね……お上手です」
「ほ、本当ですか? よかった……!」
胸がじんわり熱くなる。
肩から首筋へと指を移し、ついでに白銀の髪を指でかき分けながら頭の地肌も軽く揉む。
さらさらとした髪が手の間を流れていき、月光に濡れたようにきらめいた。
「ふふ、本当に……癒やされますね」
目を細めているグルナ様の横顔は、どこまでも優しく見えて、私は胸がいっぱいになった。 触れているのは私なのに、まるで自分の方が癒やされているみたいに。
(やっぱり……グルナ様こそ、私の導き手なんだわ)
そう確信するように、私はさらに指に力を込めてしまった。
「ありがとう、サフィー。疲れが取れましたわ」
「これからもお疲れでしたら、ぜひマッサージをいたします!」
「それは頼もしいですね」
マッサージを終えて、椅子に腰をかけようとすると、また背後から視線が。
廊下の影の奥に、誰かが立っているような気配がする。
(……またアプリルなの?)
心臓がひとつ大きく跳ねる。
さっきも見ていたから確かめたい衝動が胸をかすめたけれど、私は振り返らなかった。
見てしまえば、また胸の奥が棘のように疼いてしまう。
(今は……考えないでおこう)
私はそっと紅茶に口をつけた。
冷めかけていたけれど、甘い香りが喉を通っていく。
それだけで少し落ち着いた気がして、意識的に口角を上げる。
「今日も、本当にありがとうございました、グルナ様」
わざと明るく、笑顔を作る。
背後の気配なんて最初からなかったみたいに。
大切なのは、藤色の瞳の輝き。
私を見つめて『選ばれるのはあなた』と告げてくれる、その声だけ。
そう自分に言い聞かせて、私は光の方だけを心に向けた。




