月影の告白
その夜。
寮に戻った私は試験勉強を行っていたけれど、ページの文字がもう頭に入らなくなっていた。ペンを置くと、窓から差し込む月明かりが机の上を淡く照らしている。
静寂の中、アプリルはぽつりと口を開いた。
「……サフィー、今日のお茶会はどうだったかしら?」
その声は穏やかだったけれど、微かにかすれていた。
私は顔を上げ、思わず胸を張って答えた。
「とても楽しかったわ。あんなに殿下と一緒にいられるなんて」
アプリルの赤い瞳が揺れるのを、月明かりが淡く照らす。
確かにアプリルも給仕として来ていたから、気になったのかもしれない。
かつては彼女こそ王子の隣に座っていた。婚約者として、当たり前のように。
その姿を思い出すと、胸の奥が少しざらつく。
「そう……楽しかったのでしたら、良かったです」
アプリルは静かに微笑んだ。けれど、その笑みはまるで紙で作られた仮面のように脆く見えた。
私は、彼女が本当に聞きたいことに気づいてしまう。
「何を聞きたいの?」
「いえ……わたくしは、ただ気になっただけですから」
アプリルは視線を下げ、言葉を尻すぼみにした。
月明かりがその横顔を縁取って、影を濃くする。
(訊かないんだ……殿下のことも、グルナ様のことも)
その沈黙に、私の胸の奥で小さな棘が疼く。
でも私は、口に出してしまった。
「アプリル、私はヒロインだから、殿下と結ばれたいのよ。……いいえ、結ばれなきゃいけないの」
言いながら、声が震えた。
言わなければ、信じられなくなりそうで。
必死に、ヒロインという言葉に縋っている自分がいた。
(そうじゃないと、私はヒロインじゃいられない。ただの”ヒドイン”に……そんなのはイヤ……)
ヒロインは私だから。
アプリルは驚いたように私を見つめ、それから目を伏せた。
唇がかすかに動き、しばらくして静かな声が返ってきた。
「……サフィーがそこまでの思いがございましたら。是非とも自力で掴んでください。サフィーにはそれが出来ますから」
その声は優しいのに、奥にひそやかな寂しさが滲んでいた。
月光の下で、赤い瞳が一瞬だけ揺れた気がした。
「……ありがとう」
私も微笑んでみせたけれど、胸の奥では別の声が囁いていた。
(今だって、自力よ。グルナ様を利用して、殿下との距離を縮めている……これが最短のルートなの。ヒロインに選ばれるための、正しい道筋……)
窓の外の月は冷たく輝き、二人の間に長い影を落としていた。
その影は、これまでよりもはっきりと、境界線のように二人を分かっていた。




