遠ざかる背中
【アプリル視点】
試験が終わった日の夕暮れ、わたくしは廊下の片隅でモップを動かしていた。
窓の外は茜色に染まり、嬉しそうな声が響く。サフィーのものだ。
ふと振り返ると、彼女はグルナの隣に立ち、嬉しそうに微笑んでいた。
(……やっぱり、ああなるのね)
胸の奥に針を刺されたような痛みが走る。
わたくしが庇った時、誰も耳を傾けなかった。
でにグルナの一言で、空気はすぐに変わった。
あの奇跡のような光景に、サフィーの瞳はもうわたくしを映してはいなかった。
「アプリル、何をしているのかしら」
「いえ、わたくしは掃除をしているだけです」
この光景を見続けていたら、グルナに気づかれてしまった。
咄嗟に誤魔化しながら返答をする。
「話をしているから、この場所は後ですればいいから」
「……分かりました」
わたくしは彼女に追い払われてしまう。
仕方ないのでグルナの居ない場所で掃除をしていく。
「アプリル、あっちはもう終わったの?」
ワインレッドの髪に眼鏡を掛けた同僚の侍女、ロータス・ティソが声をかけてきた。
「……ええ。すぐに終わるわ」
微笑んで返したけれど、頬は引きつっていた。
雑巾を絞ると、水滴がぽたりと床に落ちる。
音がやけに大きく響き、胸にまで沁みた。
(また……置いていかれるのかしら)
わたくしはかつて、信じていた人に『信じたかったけれど』と突き放された。
それが破滅の合図だった。
だからこそサフィーには同じ思いをしてほしくない。
その一心で庇ったのにーー今度は彼女自身が、わたくしから遠ざかろうとしている。
掃除の手を止め、赤い瞳が閉じる。
蝋燭の灯りが揺れ、影が壁に伸びた。
(でも……いいのよ。わたくしは、破滅した令嬢。どのみち、最後は……)
そう思えば、胸の痛みも少しは和らぐ。
ただ、サフィーの笑顔だけがどうしても焼きついて離れなかった。
あの日以来、サフィーの視線が自分から遠ざかっているのを、わたくしは痛いほど感じていた。
以前なら、夜に蝋燭の下で「ここが分からない」と机を覗き込み、わたくしの指導に対して必死に食らいついていたのに。
今は、銀の髪の聖女と称えられる少女の影を追っている。わたくしをーーした少女に。
(……やはり、そうなるのね。庇っても、わたくしには誰も信を置かない)
胸の奥がひやりと冷たくなり、手にした雑巾を強く握りしめる。
床を磨いても、すぐに光沢が失われていく。
それは、どれほど尽くしても報われない自分の姿と重なって見えた。
ある日の夕刻。
廊下の奥で、サフィーがグルナとまた談笑しているのが見えた。
サフィーの頬は赤く、まるで夢を追う少女そのもの。
その笑顔は、わたくしに向けられたことのない種類のものだった。
「…………」
思わず歩みを止めてしまう。
声をかければ振り向くかもしれない。けれど、もうその資格はないのだと直感していた。近づけばグルナに冷たく追い払われるのは目に見えている。
そうすれば、よりわたくしはサフィーと遠ざかってしまう。
わたくしは踵を返し、静かに物置へ向かった。
窓越しに見える夕陽は眩しく、焼けつくように胸を焦がす。
(わたくしは罪深き令嬢。しかも破滅している。信じてもらえるはずがない。彼女にとっての『正しい未来』には、わたくしは必要とされない……)
雑巾を絞る水音が、虚しく響いた。




