光と影の選択
試験が終わってから二週間、私は自然と、アプリルと距離を置くようになっていた。
寮の部屋で同じ空間にいるはずなのに、お互いの間に薄い壁ができているような感覚。
彼女が掃除している時も、以前なら「ありがとう」と声をかけられたのに、今はただ横目で見ているだけ。
(……ごめん。でも、信じられなくなっちゃった)
胸の奥で小さな棘が疼く。
アプリルは私を庇ってくれた。必死に声を上げてくれた。
でも、それでもみんなは信じなかった。
けれどーーグルナ様の言葉は、一瞬で空気を変えた。
あの聖女のような存在感。誰からも疑われない清らかさ。
それを目の当たりにしてしまったら……どうしても、比べてしまう。
「……やっぱり、グルナ様こそが本物なんだわ」
自分に言い聞かせるように呟いて、視線を落とす。
その時、ふと横を見ると、アプリルがこちらを見ていた。
けれどその瞳はすぐに逸らされ、寂しげに伏せられてしまう。
「…………」
胸の奥がちくりと痛む。
声をかければよかったのに、唇は動かなかった。
(ごめんね……アプリル。だけど、私はヒロインだから。間違った人を信じるわけにはいかないの……)
そう自分に言い聞かせながらも、痛みだけは消えてくれなかった。
むしろ心の奥底に、アプリルの影が淡く残り続け、振り払おうとしても視界の端にちらついて離れなかった。
アプリルを嫌いになれない、なりたくない。でもアプリルは悪役令嬢で私がヒロイン。悪役令嬢の言うことを信じてはいけないし、悪役令嬢の言うことは間違っている。
そう思い込もうとすればするほど、胸の奥では『それでもアプリルは優しかった』という記憶が疼いて、私を苦しめた。
信じたい心と、否定しなければならない立場。二つの声が葛藤し、頭の中でぶつかり合い、静かに私を蝕んでいく。
(もう、考えたくない……)
ジレンマから逃げたい。
そんな気持ちが、無意識に少しずつアプリルと距離をとるようになっていた。
やがて私は、アプリルと完全に距離を置くようになった。
「サフィー……少し、話があるの」
呼び止める声は、どこか寂しげに震えていた。
赤い瞳が、何かを言いかけてはのみ込み、沈黙だけを残す。
「ごめんなさい。あとにして。今はグルナ様と一緒だから」
私は気づかないふりをして、背を向けた。
その瞬間、アプリルの表情がわずかに翳ったのを、見なかったことにした。
(アプリルは……私を庇ってくれた。でも、やっぱり元は悪役令嬢。殿下に優しくされるんだから、私を庇う事すらも全部演技かもしれない。だって本当に正しいなら、誰かが信じてくれたはずじゃない……?)
私は自分にそう言い聞かせながら、グルナ様の影を追い続けた。
正しいのはグルナ様。
彼女の言葉は、花の蜜のように甘く、耳から心臓へと染みこんでいく。理屈ではなく、本能が『この人こそ信じるべきだ』と囁いていた。
「グルナ様、本当にお美しいですね」
アプリルがどこかへ行ったら、私はグルナ様に話しかける。
少し安心できたので。
「そんな事ないですわ。貴女こそ、お綺麗ですのに」
「ほ、本当ですか……?」
頬が熱くなって、胸が高鳴る。
「それこそ、貴女が本当の物語の中心に立つ人みたいに……」
淡い藤色の瞳が、やさしく細められる。
その言葉は甘美で、まるで魔法のように私を酔わせていった。
(ええそうよ、私がヒロイン……アプリルに邪魔される筋合いなんてないの)
机の影に沈む赤い瞳と、光に包まれた藤色の瞳。
どちらを信じるべきかなんて、もう答えは明らかだった。




