聖女の登場
昼下がりの講堂。
授業が終わって、ちょっと後ろの方に行った時ーー。
「これ、あなたのじゃないの?」
後ろから声が響き振り返ると、机の中から宝石細工の髪飾りが出てきた。取り巻きの一人が手に取っている。
豪奢な金の細工、王家の紋章まで刻まれている。
ざわめきが一層強くなる。
「……なっ、こんなの知らない!」
私は慌てて首を振る。
でも、モニカたちは厳しくサフィーをにらみつける。
「まさか平民のくせに盗んだんじゃ?」
誰かが冷ややかに呟き、より多くの視線が集まった。
モニカが口元を吊り上げ、声を張り上げた。
「ほらご覧なさい! 平民様がもう”醜い本性”を現したわ!」
胸が締め付けられる。
王族のものを盗んだら、ヒドインになってしまうかもしれない。断罪は免れない。
私の視線は自然と同室のアプリルを探していた。
でも彼女は廊下の奥で雑務に追われ、こちらに駆け寄ることはできない。
孤独が押し寄せ、私は震えそうになる。
もう絶体絶命。
ーーその時。
講堂の扉口から、澄んだ声が響いた。
それは鐘の音のように澄み切っていて、ざわついていた空気を一瞬で凍らせた。
「待ってください」
振り返ると、白銀の髪を持つ少女が静かに歩み出ていた。
高い窓から差し込む光を受け、彼女の髪は雪解けの水面のように輝き、藤色の瞳は淡く光を宿している。
揺れる裾からのぞく純白の靴が、大理石の床を踏むたびに小さな音を立て、まるで聖堂に響く祈りのように重なっていた。
「その髪飾り……わたしが落としたものです」
透き通る声が再び場を満たした。
少女は柔らかな笑みを浮かべ、髪に挿していた留め具を外してみせる。
細工も刻印も、机の上に置いてある髪飾りと対になっている。
「両方とも、わたしが殿下からいただいたもので、サフィーさんは無関係です」
清らかな言葉が落ちるたび、ざわつきは波紋のように消えていき、安堵と憧憬に変わっていく。
「さすがグルナ様……」
「やっぱり聖女だわ……」
生徒達の囁きが広がる中、私は呆然とその少女ーーグルナ・フストを見つめていた。
(……これが、本物の聖女)
助かった、という胸に押し寄せる安堵と同時に、強烈なまぶしさ。
まるで自分が『物語の主役』ではなくなってしまったかのような、説明できないざわめきが胸の奥に広がっていた。
「わ、私……」
お礼の言葉が上手く出てこない。ピンチを救ってくれたのに……
「大丈夫ですか、サフィーさん」
それでもグルナさんがそっと肩に触れ、優しく囁く。
「あなたは何も悪くありません。わたしが証人です」
その微笑みに、私の胸は熱くなった。そして胸の奥にたまっていたものがすっと消えていった気がした。
(……守ってくれる。信じてくれる。まるで、ゲームの”聖女ポジション”みたい……)
私はグルナさんに惹かれていった。
講堂を出た私は、胸に残る温もりを抱いたまま、隣を歩くグルナさんを見上げた。
白銀の髪が夕陽に透けていて、風に揺れている。淡い藤色の瞳は穏やかに細められ、まるで人を裁くことを知らぬ天使のようだった。
「グルナさん……さっきは本当に、ありがとうございました」
頭を下げると、グルナさんは柔らかに微笑む。
「気にしないで。あなたが困っているのを見て、放っておけなかっただけ。わたしにできることがあってよかった」
その声音は曇りひとつ無く、純粋そのものだった。
まるで『助けること』が当然であるかのように。
「でも……どうしてあんなにとっさに庇えたんですか?」
私はつい問いかけてしまう。
返答なのかグルナさんは少し首を傾げ、微笑を深める。
「どうしてって……人が困っている時に、手を差し伸べる理由なんて要りますか?」
その言葉に、私の心臓がどくりと跳ねた。
「……っ」
私には足りないものを持っている。
「無実の罪を着せられようとしている善良な少女を助けられるなら、わたしはいくらでも手を差し伸べるから」
(こんなに、迷いなく人を救える人がいるんだ……)
元の世界でもこんな人は、そうそう居ないと思う。
と、背後から足音が近づく。アプリルだった。
赤い瞳がじっとグルナさんを射抜き、その瞳が何かを言いかける。
でも、グルナさんの柔らかな笑顔を前にした瞬間、アプリルは言葉を飲み込み、苦々しく視線を逸らした。
「……先に戻っているから」
そうだけ告げ、足早に去っていく。
私は振り返って声をかけようとしたが、グルナさんが静かに首を振った。
「いいのです。アプリルさんもきっと、辛い思いをしてきたのでしょう」
その声音には責めも、冷笑もなかった。
ただ哀れみと、慈しみ。
(……やっぱり、グルナさんは”聖女”だ)
私は強くそう思い込み、曇りなきその姿を心に刻んだ。
だけど心に刻むと同時に、渦が生まれる。
「では、頑張ってくださいね。わたしは期待していますから」
「はい……!」
グルナさんの背中が夕陽に溶けるのを見送りながら、私は唇を噛んだ。
(あの人は、あんなに輝いているのに。アプリルだって、私を何度も助けてくれたのに。私だけが、何も出来ていない)
胸の奥に渦巻く焦りと苛立ちが、いつしか小さな棘になって心に刺さっていく。
どちらにも手を伸ばせない自分が、まるで宙ぶらりんの”偽物ヒロイン”みたいに感じられた。
でも目の前には試験が迫っていた。落第するわけにはいかない。
私は寮の部屋に戻り、教科書を抱きしめる。
(……大丈夫。ここで挽回する。だって私は、ヒロインだから……!)




