感謝と嫉妬
モニカの嫌がらせは、日ごとに巧妙さを増していった。
その日の朝。
授業が始まる直前、机の中に入れていたはずの羽根ペンが見つからなかった。
「えっ……ない……?」
インク壺まで忽然と消えている。どうして、こんな……
焦る私の背後で、わざとらしい声が響いた。
「まあ、サフィーさんったら。道具の管理もできないの?」
モニカが、取り巻きと一緒に笑っている。
「庶民は粗末なものばかりだから、大切にする習慣もないのかしらね」
顔が熱くなる。何も言い返せない。
物を無くしているから……
「……ここにありましたわよ」
その声と共に、机の端に羽根ペンとインク壺が置かれた。
振り向けば、アプリルが冷ややかな視線をモニカに向けていた。
「愉快な遊びですわね。けれど、授業の妨げになるのは”下品”ですこと」
モニカは一瞬言葉に詰まり、取り巻きと舌打ちして去っていった。
「……ありがとう」
思わず呟くと、アプリルはそっけなく答えた。
「もう授業が始まりますわよ」
その冷淡な声音に、胸がちくりと痛む。
けれど同時に、助けられた安心感で胸が熱くなった。
(でも……これじゃ、私よりアプリルの方が”ヒロイン”みたい……)
菜園での授業後、靴箱を開けると、中に入れていた革靴が泥にまみれていた。
「ひっ……!」
泥水が滴り落ち、裾を汚す。周囲から忍び笑いが聞こえた。
「まあまあ、またおっちょこちょいですわね」
モニカが扇で口元を隠して笑う。取り巻きの声が重なった。
悔しくて、涙がこみ上げる。
ーーそのとき、黒い影が差し込んだ。
「……貸しなさい」
アプリルが黙って布を取り出し、靴の泥を拭き始めた。
手際よく泥を落とす姿は、まるで何事もなかったかのように冷静だった。
「……ありがとう」
小さく声を掛けても、アプリルは何も答えない。
ただ淡々と拭き取り、靴を差し出した。
(優しい……でも、”元悪役令嬢”に救われている姿を誰かに見られたら……私が情けなく見える……!)
胸の奥に安堵と羞恥がせめぎ合い、視界が揺れた。
試験直前。
徹夜でまとめたはずの勉強ノートが、机から忽然と消えていた。
「どこにも……ない……!」
教室中を探す私の背中に、あざ笑う声が投げかけられる。
「庶民は物をなくしてばかりね」
「勉強したところで、どうせ点は取れないのに」
モニカの取り巻きが嘲る。
胸がぎゅっと痛み、喉が塞がるように言葉が出なかった。
「……ここにあったわよ」
ふいに差し出されたノート。
アプリルが教室の隅から歩み寄り、埃を払って机に置いた。
「不思議とすぐに見つかりましたわ。……隠していた人にとっては、不都合でしょうけれど」
モニカの顔がひきつる。
周囲にざわめきが走り、彼女は取り巻きを引き連れて足早に出て行った。
「……ありがとう」
また口にしてしまった。
でもアプリルは冷ややかに目を伏せただけだった。
「勘違いしないことね。助けたわけじゃない。ただ、見過ごすのが嫌いなだけよ」
そう言い残して去っていく背中を見送りながら、胸の奥に熱と痛みが同時に広がった。
(嬉しいけれども……これじゃ私がヒロインじゃなくて、アプリルの方が……!)
アプリルが助けてくれる。確かに救いだった。
でも、私は彼女の手をまっすぐに取ることができなかった。
(だって……アプリルは元・悪役令嬢。彼女に守られてばかりじゃ、まるで私が”ヒロイン失格”みたいじゃない……)
感謝と嫉妬、安堵と不安。
相反する感情が胸の中で絡まり合って、呼吸が苦しくなる。
そんな時だった。
「あっ……」
悩みながら廊下を歩いていると、アプリルは殿下と話していた。
何の話をしているかは分からない。
無理に聞こうとすれば、殿下に嫌われるだろうし、スパイだと思われるかもしれない。
「……どうして」
私は遠くから見るしか出来なかった。
生徒達に平等に話しているって言っても、アプリルはもうメイドになっているから……
(破滅しているのに何で話しているの……?)
胸がちくちくと痛む。
しばらくして、殿下との会話を終えてアプリルはこっちへやってくる。
「あら、サフィー。どうしたの?」
「い、いえ……」
はにかみながら誤魔化していく。
嘘は苦手だな。
「明日は舞踏会ですから、色々と準備をしませんと」
でも気にしていないみたいで良かった。
アプリルはそのままどこかへ。




