信じたかった一言
その夜。
寮の部屋はしんと静まり、外からは虫の声と夜風の音だけが届いていた。
蝋燭の灯りが揺れ、机の上に影を落とす。
私は寝台に腰を下ろし、アプリルに向き直った。
どうしても言いたくてたまらなかった事を。
「……今日のこと、本当にありがとう。あのままじゃ、私……どうなっていたか……」
アプリルは日誌に記入しながら、私の話を聞いていた。
少しして静かに息を吐く。
「……礼などいらないわ。わたくしは、かつて同じように”疑い”を受け、それを晴らせなかった」
「……え?」
私が小さく声を上げると、アプリルは振り返った。
赤い瞳が蝋燭の炎に照らされ、深い影を宿している。
「大広間で開かれた裁定の場で、わたくしは皆の前に立たされた。取り巻きだった者達が次々と証言し、机の上には”証拠”と呼ばれるものが並べられた。必死に訴えたわたくしの言葉は、誰の耳にも届かなかった」
その声には怒りよりも、深い疲労と哀しみが滲んでいた。
彼女が言っているシーン、ゲームにおいてもアプリルが破滅するシーンに似ていた。
まるで彼女の断罪だけが先に起きたみたいな感じ。
彼女の目には、今も耳の奥に焼き付いているであろう観衆のざわめきだった。
押し殺した笑い声、うなづく音、冷たい視線の重みーー
彼女はその全てを、ひとりで受け止めたのだ。
「でも……それでもわたくしは最後まで信じていたの。誰か一人でも、『アプリルを信じる』と言ってくれると……」
彼女は唇を噛み締め、瞳を細める。
「……けれど聞こえてきたのは、こうだった。ーー”わたしは信じたかったけれど”」
私は息を呑んだ。
その言葉は慈悲のようでありながら、背中を突き落とす最後の一押しに聞こえたから。
「その一言で、すべてが決まったの。誰もがわたくしのことを黒と決めつけた。群衆はうなづき、わたくしは断罪された。勘当されて、婚約も破棄され、いまや学籍だけ残されてーーメイドとしてここに立たされている」
私は胸が締め付けられ、言葉を失った。
アプリルは視線を落とし、かすかに笑う。
「だから覚えておくといいわ。”信じたいと思った誰かに”、その言葉を告げられたら……あなたも破滅する」
一瞬だけ想像してしまったのだーーもし私が同じ場に立たされたら?
皆の前で嘲られ、群衆のうなづきに押し潰されたら?
(そんな事……でも、アプリルは悪役令嬢だからそうなったのだと思う。私はヒロインだからそこまでならない……はず)
震えをかき消すように、強引に自分を言い聞かせる。
けれど胸の奥には、針のような不安が刺さったままだった。
翌日の昼下がり。
私は一人で中庭のベンチに腰を下ろし、ノートを開いていた。
けれど、文字はほとんど頭に入ってこなかった。
(……アプリルは本当に全部見てたんだ。あの時も、昨日も。いつも私を助けてくれるのは彼女……)
胸の奥がざわつく。
ーーその時だった。
「サフィー嬢、勉学は順調か?」
聞き慣れた声に顔を上げると、王子が花壇の前で数人の女生徒と談笑していた。
女生徒達は顔を赤らめ、嬉しそうに彼の言葉を耳に傾けている。
廊下は誰にでも優しいのだと分かっていても、胸の奥に冷たい影が落ちた。
(……どうして。殿下は、私だけを見てくださらないの? 私はヒロインなのに……)
強く唇を噛んだ瞬間、別の声が背後から降ってきた。
「何を難しい顔をしているの、サフィー」
振り向くと、アプリルが水差しを抱えて通りかかったところだった。
彼女は私の表情を一瞥し、足を止める。
「……大丈夫よ。いずれ慣れるわ」
「えっ……何に?」
「”見られる”ことに、ですわ」
彼女は淡々と言い残し、歩き去った。
その背中を見送る間、胸のざわめきはますます強くなっていった。
(……やっぱり、私の方こそヒロイン。証明しなきゃ。殿下と並んで舞踏会で踊れば、誰もが認めてくれる……!)




