守られるヒロイン
昼過ぎの演習室。
休憩で私も含めて全員が演習室を離れているうちに、机の上に置いてあった練習用の薬草の一部が紛失していた。
誰かが声を上げる。見てみるとモニカの取り巻きだった。
「……サフィー・プラハの鞄から、同じ薬草が!」
何故か私の鞄の中に、薬草が入れられていた。
ご丁寧に学院の備品袋と共に。
「ち、違う! 私はそんなの入れてません!」
でもモニカが口元を吊り上げる。
「だけど、誰も居なかったじゃない。居ないうちに練習用の材料を盗むなんて、卑しいわ」
「そうだ、貴族の誇りを知らないからだ」
取り巻きたちも嘲笑を重ねる。
私を叩く事が出来ているから。
「大方、市中で売りさばこうと思ったのでしょう」
私は無実を訴えるけれども、声はかき消されていく。
胸が苦しく、足元が崩れそうになる。
「ーーそれは彼女のものじゃない」
冷ややかな声が割って入った。
振り向くと、黒髪を結い上げたメイド服の少女ーーアプリルが立っていた。掃除道具を持っていて、掃除中のようだった。
アプリルの赤い瞳がモニカを射貫く。
「サフィーの鞄にその袋が忍ばせたのを、わたくしは見ていたわ。あなたの取り巻きの一人が、誰もいないうちにこっそりとね」
モニカの顔色が変わる。
「なっ……証拠はあるの!?」
「証拠? もちろんあるわよ」
アプリルはゆっくりと歩み寄り、サフィーの鞄から袋を取り出して机に置いた。
「袋の口だけれども、一重結びになっているでしょう? 学院の備品は二重が原則。さらに薬草の葉脈に油染みがある。演習室の扉の取っ手に最近塗られた艶出し油が付着した証拠。今、指先が光っている人がいるわ」
視線が一点を刺す。取り巻きの一人が青ざめ、油で濡れた指先をそっと背に隠した。
演習室は休憩時に扉が閉められていた。
戻ってきたタイミングで教師が開けていて、その間に開けた人物が居たら、付着しているという事になる。
「それに、薬草には指紋や泥の跡が残るわ。触ったのが誰かーーすぐにわかる」
教師が険しい顔で袋を確認し、取り巻きの一人を問い詰める。
彼女は怯えた様子で口を噤んでいた。
「……これでよろしいかしら?」
アプリルの冷ややかな声が室内に響く。
策略が失敗したことでモニカは歯を食いしばり、悔しそうに唇を噛んだ。
「……ありがとう」
アプリルは視線を逸らし、冷たく言い捨てる。
「勘違いしないことね。あなたを助けたわけじゃない。ただ、見て見ぬふりをするのが嫌だっただけ」
少しして教室に静けさが戻る。
私は胸を押さえながら、まだ震えが収まらない手を見つめていた。
「……ありがとう」
思わず口から漏れた言葉は、さっきアプリルに向けたもの。
けれど彼女は振り向かず、冷ややかに言い捨てて去っていった。
その背中を見送りながら、私は唇を噛む。
(嬉しいけれども、このまま続いたら私じゃなくて、アプリルが”ヒロイン”みたいになっちゃう……まるで私が、守られる側みたいじゃない……)
胸の奥がきゅっと痛んだ。
私こそが選ばれた存在で、私こそが救われる側じゃなくて、皆を救う側のはずなのに。
でも現実は、助けられてばかり。
机の上に残された薬草の袋を見て、私は小さく拳を握った。
握っている手が震えているのを、自分でも感じた。
(私がヒロインで、アプリルは破滅済みの悪役令嬢……そのはずなのに……)
ぐっと唇を噛む。
机の角が冷たくて、じんわりと指先が白くなるまで力が入った。
(証明しなきゃ。次こそは……次こそは私が正しいって……だって私は……ヒロインだから!)
そんな決意を胸の奥に押し込んで、私はそっと深呼吸した。
けれど、吐き出した息は妙に重たくて、指先の震えは止まらなかった。
夕暮れ。校舎の窓から差し込む橙色の光が、長い影を廊下に伸ばしている。
その光の中を私は一人、寮の方へ歩いていた。
背後で生徒達が囁き合う声がするけれども、全く耳に残らない。
頭の中にあるのは、ただアプリルの赤い瞳と、冷ややかな声だけだった。
そんな時……
「あっ……」
前方に王子の姿があった。
遠くからでも、すっと背筋を伸ばした気品のある立ち姿はすぐに分かる。
数歩進めば声をかけられる距離。
けれど私は、立ち止まってしまった。
(……だめ。今の私じゃ、殿下にふさわしい顔を見せられない)
胸がぎゅっと痛む。
その背中はやがて角を曲がり、視界から消えていった。
残された私はただ、冷え切った夕風に頬を撫でられて立ち尽くすしかなかった。
その背中を追いかけられなかった自分が、たまらなく悔しかった。
王子が去っていった廊下を見つめながら、時間だけが過ぎていく。
声をかけたかったのに、足は鉛のように重くて、一歩も動けなかった。
胸の奥で、なにか大切なものを取り逃したような焦燥が渦巻いている。
(……どうして。どうして、私じゃなくてアプリルに声をかけるの? 破滅した悪役令嬢なんかに……!)
悔しさで目頭が熱くなる。
けれど同時に、あのときアプリルが冷静にモニカを退け、私を守ってくれたことを思い出す。
その姿は、どうしても憎めなかった。
「……ありがとう」
誰もいない廊下で、小さく呟いた。
届くはずのない言葉。
それでも言わずにはいられなかった。
けれどすぐに首を振る。
(駄目……! 私がヒロインなのに、守られてばかりじゃ……!)
爪が掌に食い込むほど、拳を強くにぎりしめた。
私こそが選ばれる存在でなければならない。
アプリルに恩を感じるなんて、立場を逆転させるだけ。
焦燥と感謝。その相反する感情が胸の奥でせめぎ合い、答えのないまま夜を迎えようとしていた。




