第1話 全ての始まり
「皆様ありがとうございました。息子は多くの方に愛され、幸せな生涯を過ごしました」
葬儀が終わり、第74代皇帝・龍月星樹尭が丁寧に頭を下げて礼を述べた。彼の妻・鈴香も涙を目に浮かべ、側に控えている。
樹尭の孫娘、美桜は、自身の隣で叔母・帆稀に抱きしめられて泣いている母・紗和をじっと見ていた。
何者かに毒殺された父・笙彗は、検死後すぐに火葬された。結果、証拠になるようなものは何も得られず、父を殺した犯人はわからなかった。
生前、性格の不一致から仲の悪かった父の弟・氷櫂が疑われたが、明確な証拠がないために罰されなかった。
「樹尭さまの後を継ぐに相応しい人徳と品格の持ち主であられたのに…」
「誰かの恨みをかうようなお方ではなかったわよね」
端に控えていた官吏たちもまた、あちこちで惜しむ言葉を口にした。
礼装に身を包み、大人しくあたりを観察していた美桜は、ふと氷櫂の方を見やった。兄を亡くし心を痛める可哀想な弟を演じているのだろうか。その表情は暗く、とても喜んでいるようには見えなかった。
「氷櫂さまも、仲違いしたままで終わってしまったなんて不憫ね」
そんな彼を見たからだろうか。一部の女官がそんなことを呟いた。だが、父を毛嫌いする氷櫂をその目で見てきた美桜には、それを聞いた彼の口角が少し上がっているように見えてならなかった。
◆◇◆◇◆
笙彗が死に、彼の父である樹尭は、ショックからか床に伏せるようになってしまった。
笙彗の妻・紗和もまた精神を病み、枯れかけた植物のように動かなくなってしまった。魔術に精通し、いつも新たな術の研究に明け暮れていたというのに、今は侍女の支えなしには歩けないほど衰弱していた。それほどまでに、彼女は夫を愛していたのだろう。
紗和が嫁ぐ前から彼女と仲が良かった幼馴染で、今は紗和の侍女長を務めている小春は、病人の看護のように紗和につきっきりになり、今や食事や風呂まで世話していた。
そんな彼女は、大事な幼馴染の一人娘である美桜を、よく気にかけてくれていた。
「美桜さま、何か甘いものでもいかがですか?」
紗和が寝付けば、彼女は美桜の部屋に訪れ、よく菓子を作って差し入れしていた。美桜の毒味役の侍女は、小春が訪れるたびに喜んだ。彼女の作るお菓子は、そこらの店で売っているものとは比べ物にならないほどの絶品だったからだ。
「小春どの、いつもありがとうございます」
美桜も彼女には心を許しており、歳の離れた姉のように大切に思っていた。小春はいつものように作ってきた菓子を毒味役の侍女に手渡し、美桜の顔色を窺った。
「美桜さま、あまり無理はなさらないようにしてくださいませ。貴女さままで体を壊してしまわれては、紗和さまはきっと…」
「ご心配ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ」
彼女はにこやかな笑みを浮かべ、小春の手を取った。日に日にやつれていき、生気を失いかけている主人をずっと傍で見てきた彼女は、しっと不安に押しつぶされそうになっているに違いない。そんな彼女を激励するのは、巫女である美桜の仕事だろうか。
「龍神さまは、私たちを見放したりはしません。絶対に」
優しく小春の手を取った美桜は、天女のような笑みを向けた。彼女の明るさと温かさに、小春は思わず一筋の雫を零した。
「っ…申し訳ありません…」
ぽろぽろと、とめどなく流れてくる雫は、彼女の袖で隠されたが、その隙間からは抑えきれなかった嗚咽が漏れた。美桜は膝から崩れ落ちか彼女を幼い体でそっと支え、ただ傍に寄り添っていた。
◆◇◆◇◆
美桜の身に降り注いだ不幸は、これだけに収まらなかった。
数ヶ月後、年を越えてすぐに、彼女の祖父・樹尭が亡くなった。56歳__病死だった。戦死したわけではないことを考えれば、彼はまだ若い。しかも、後継者を指名していなかった。
次の日には、葬儀の準備が執り行われ、彼の孫娘であり、巫女でもある美桜が舞の奉納を任じられた。笙彗を殺した疑いがかかっている、氷櫂によって。
第二皇子である彼は、樹尭の葬式の喪主を務めていた。故に、美桜は大嫌いな彼からそれを任じられても、断ることができなかった。
「あの男のことは一旦忘れて、今まで可愛がってくれたお祖父様に素敵な舞を見せて差し上げよう」
美桜はそう気持ちを切り替え、告別式に臨むのであった。
◆◇◆◇◆
迎えた告別式の日___
裏世界の各国の王族やその重臣が集まる中、美桜は美しい舞を見せた。10歳の頃に彼女と契約を結んだ龍神・華龍もその場に現れ、生前樹尭が好きだった桜の花を咲かせた。
「まだ冬だというのに…とても綺麗ね」
「美桜さまは、やっぱり笙彗さまの血を継いでいらっしゃるわ」
告別式に参加していた者の間から、感嘆の声が漏れる。真冬の寒さにもかかわらず、彼女の舞は暖かな春を感じさせるほどに可憐であった。
「ほう…これは使えそうだな」
皆が彼女の舞に見惚れ、きっと樹尭さまも喜んでおられるに違いないと口々に言う中、まじまじとそれを見ていたある男は、一人的外れなことを口にするのであった。
◆◇◆◇◆
「美桜さま、お疲れ様でございました」
告別式の翌日、葬儀は無事に執り行われ、美桜は自身の部屋の布団に突っ伏した。
「ええ…お疲れ様。今日は疲れたからもう休みたいの。一人にしてもら…」
彼女が侍女にそう言いかけた時、こんこん、と扉をノックする音が聞こえた。そのリズムと音の強さに、彼女は聞き覚えがあった。
「小春どのね、お通ししてくださる?」
「は、はい…」
侍女は、主人が音だけで来訪者が誰だか言い当てたことに驚きつつも、戸の方へ向かった。疑心暗鬼のまま扉を開ければ、そこには本当に小春がいた。
「美桜さま、お疲れ様でございました。こちらは、婚約者の獅子崎伊織さまからのお便りと差し入れでございます」
「まぁ…伊織が?そんなに気にしなくてもいいのに…」
小春が手にしている手紙と小包を見た彼女は、ぶっきらぼうにそう言ったものの、その顔はどこか微笑んでいた。美桜の侍女がそれを受けとり、中身を確認したのちに彼女に手渡す。
『愛する美桜さま
短期間で2人も大切な家族を亡くされて、さぞお辛いことでしょう。私はいつでも貴女さまの味方でございます。力になれることがあれば何なりとお申し付けくださいませ。つまらないものですが、美桜さまのことを思い、懸命に選んだ菓子でございます。どうかお口に合いますように』
「もう…ただの政略結婚だというのに、律儀な方ね」
文を読み終えた彼女は、くすりと肩を竦め、大切そうにそれをしまった。そんな彼女の隣で小包を開けていた侍女は、中身を確認するなり声を上げた。
「美桜さま!梅天本舗のお饅頭でございます!」
梅天本舗は、裏世界で有名な和菓子屋だ。表世界で実際に修行した和菓子を、異能者向けに開発して販売している本格派高級菓子店である。
「まぁ、さては私が饅頭が好きだということを誰かバラしたわね?」
美桜がくすくすと微笑みながらそんなことを言えば、その部屋は和やかな雰囲気に包まれた。幸せな時間を噛み締めていた彼女の耳に、またもドアをノックする音が聞こえてきた。
「美桜どの、いるな?」
「っ…!」
途端、彼女は身構えた。声だけでわかる。氷櫂だ。
小春もまた、美桜を庇うように彼女の前に立ち、扉の前に立ちはだかった。侍女たちは、美桜の目線を合図に、ゆっくりとその扉を開ける。
「本日の舞、見事であった。礼を言おう」
「…いえ、お祖父様のためであれば当然でございます」
目線を合わせないよう、笑顔を貼り付けた彼女は深く頭を下げた。早く立ち去って欲しい。とっとといなくなって欲しいのに、その男__氷櫂は、自身の顎髭を軽く触ったまま、しばらく無言でいた。
「そんなお前に朗報がある」
不意に、彼はそう言い出した。じっと床を睨んでいた美桜は、ろくでもないことになるかもしれないとぎゅっと目を瞑る。
「御三家のうちの一つ、獅子崎家当主の嫡男、獅子崎伊織くんとの婚約が破棄になった」
「え…?」
「代わりに、次期皇帝となる我が息子、魁秀水と婚約してもらう」
思わず、美桜は顔を上げた。彼女と目が合った氷櫂は、その反応を楽しんでいるかのように笑みを浮かべる。
「そなたには、次期皇后となってもらう」
生まれてこの方、大人の事情に振り回されてばかりの不憫な少女・霜月美桜の波瀾万丈な生涯は、ここから始まった。