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Hello.10 -side.深琴-

『——と、まぁひとまずこんなものだろ』


「これは、もはや別曲ね…」


 ノートPCのスピーカーから流れる曲の再生を止めて隣を見ると、あぐらでアコースティックギターを抱えている氷上が渋そうなものを口の中で転がすように呟く。


 作曲を教えるといっても、ダラダラと音楽理論についての講義をしたところで仕方がないので、深琴は現在氷上が作曲している曲を基にして、自分だったらどんな理論的要素を含ませるかを3〜4時間ほど時間をかけて実践してみせた。時刻は16時を過ぎている。夏だからまだ外は昼間と変わらない明るさだが、もうしばらくしたら夕暮れだ。


 そうえいばV.SEKAIに旅立った命はどうなったのだろうか。メインPCは今モニターとスピーカーを消した状態にしているため、モニタリングができていない。命はあれでしっかりと状況判断ができるから、仮に今日の活動を終えていたとしても、部屋に氷上がいる間は大人しくしてくれるだろう。


 今使っているノートPCは父親から譲り受けたもので、スペック的にそこまで高いわけではないが、最低限作曲ができるだけのソフトはインストールしてある。気分転換として自室以外でも作業できるように用意していたものだが、今日は傍で自分の作曲した音楽をギターで奏でる氷上に見せながらの作業なので丁度よかった。


「それにしても、色々便利ね…私もPCで作曲できるようになろうかな」


 そう口にする氷上の手元には、五線譜の紙とペンが置いてある。氷上は今時珍しい完全なアナログな作曲方法で、ギターで旋律を紡いで、それを紙の上の五線譜に書いていくというものだ。


『曲のイメージをすぐに形になるからな。それに電子の音には揺らぎがないんだ。いいものだよな…』


「…あんた、なんかちょっと気持ち悪いわよ」


 一瞬開けかけた深琴の心がパタンと力なく閉じる。てっきり、この電子の音の美しさを共有できる同士が見つかったのかもしれないと思ったが、その期待の泡沫は儚く弾けてなくなった。鳩尾あたりに感じていた持ち上がるような感覚がため息と一緒に落ちる。


『さて…今日はこんなものでいいか?』


 とりあえず一区切りがつくまでは氷上の曲作りに手を貸した。彼女の求めていたものかどうかはわからないが、少なくとも深琴は自分の持っているものを差し出したつもりだ。


「うーん…まぁ、そうね」


『なんだよ。何か不満があるのか? 確かに元の曲からはかなり変わったけど』


 かなり根本から改変できそうなポイントを提案したつもりだ。コード進行、ベースライン、リズムに至るまで。全体の曲構成は原曲を尊重しつつ、適切な箇所に緊張を持たせ、それを心地よく解放させる。曲作りにおける理論的なアプローチの基本だ。


「それは別にいいんだけど、まだちょっとピンと来ないんだよね。なんかもっとこう、びびってくるものだと思ってたけど」


『随分と感覚的だな…まぁ、でも元の曲から改変はしたが、別に改善ってわけじゃないからな』


「だったらこの改変にはどういう意味があったのよ。もっとこう、感動の手応えとかあったりするものじゃないのあ」


 今更といえる疑問に深琴はノートPCの画面に視線を向けた。


『んなわけないだろ…音楽理論はそんな万能じゃない。結局こういうのが生み出すのは、感動や満足じゃなくて、納得にすぎないからな』


 奇跡的に生まれた感動を超えるような実感を得ることは、そもそもできやしない。深琴はノートPCのキーボードに軽く手を乗せて、指を動かす。カタカタとした音だけが指の腹を振動させた。目の前に氷上がいるせいか、いつぞやの日の渋谷での路上ライブの光景が浮かんでくる。


 あの光景はまさしく特別だった。音楽的に素晴らしいとか、魅力的だとか、そういう言葉にできるようなものではなく、ただ特別だとは確かにわかる感覚。結局のところ、氷上や深琴——全ての音楽に携わる人間が求める解は、その正体不明の特別な感動だ。


 一方で音楽理論というのは、生まれてきた音楽に対して、先人たちが意味をもたらしてきたものだ。それを使えば、心地よく感じたりだとか、逆にそれを使ってしまえば、不快になるといった、いわばルール付け。生まれた音楽に対して感じるものを言葉と法則にして、納得させるものでしかない。


 きっとそんなことは、先人達もわかっていたことだろう。それでも今日に至るまで音楽理論を積み上げてきたのは、そうすることの他に導となるものがなかったからだ。音楽とは形のない液体のようなもので、掴もうとしてもただ弾けるだけ。だからルールというグラスを作り、その中に丁寧に注ぐことで、価値を推し量ろうとした。


 突き詰めていけば、グラスの中を完全に満たすことはできるだろう。でも音楽理論が導けるのはそこまでだ。特別な感動は、いつだってその先にある。つまり満たしたグラスを溢れさせるような、間違えれば全てが台無しになる所業——それは無謀とか、冒涜とか、狂気的だとか言われることもあるだろうし、一方では挑戦的だと言われるかもしれない。あるいは後になってゴミにもなれば、奇跡にだってなる…どれにしたって、型の中だけに収まっていては到底至ることはできない先にある。


 じゃあ音楽理論とは無価値なのか。深琴はそうとも考えていない。いつの時代も、革新こそ尊ばれてきたが、同じ人間が想像したものなら、すべからく必然にすることができるはずだ。


 だからこそ、深琴は命というAIと出会い、希望を見出した。人智を超えた情報の塊である命がいれば、全てを理の中で金に変えることができるんじゃないか、そして唯一の解へと辿り着くこともできるんじゃないか、と。今となっては、随分甘い考えだとも思っているが。


 そんな抽象的な話を、氷上にしたところで理解は得られないだろう。深琴は眉根を顰める彼女を見ながら、口にする言葉を頭の中で組み立てていく。


『…つまり人の感性なんて、人それぞれってことだよ。それでも理論や法則といった形あるルールにすれば、なんとなく感覚を共有することができる。それが納得につながるんだ』


「なんだか釈然としないわね…でも少なくとも私は、まだ納得できてないんだけど?」


 氷上は両腕を組んで少し顎を上げた。自分の感覚こそが正しい。不服げな表情とは裏腹に、揺るぎない意志が宿る瞳。そこにあるエネルギーこそが、あるいはグラスを溢れさせる力があるのだと、そう思わせる。


『納得できないなら、それはそれで正しい感覚なんだろ。さっきも言った通り、改変はしたが改善されたわけじゃないからな。僕は僕の知っている知識でアプローチしてみただけだ。ここからどうするかはお前次第だろ』


 正解だとか間違いだとかそういう話ではない。極端な話、音楽なんて自分の中にある感覚こそが全てであり、それに従うべきなのだ。理論にそぐわないからといって、それが粗悪ということにはならない。むしろ、違うと訴えているその感覚こそ、求めているものの最大のヒントになり得るだろう。


「何よ…そんな突き放すことないじゃない。花音にはいつも気を遣ってて優しいくせに」


 ゆらゆらと身体を横に揺らしながら、氷上はわざとらしく口元を尖らせる。別に大して気にもしていないだろうに。


『どうせ僕が何かを言ったところで、右から左で聞く気なんてないだろ』


「ま、そうだけど。それに、良いか悪いかで言えば、間違いなく良くなっている気はするのよね…ただ、なんとなくしっくりきていないのよね〜…」


 氷上はすぐにけろっと態度を元に戻して、改めて自分が書いていた元の楽譜に視線を落とした。うーんと唸る声と連動して彼女の首はゆっくりと傾いていく。そろそろお開きを告げようとしていたところだが、どうやらもう少し時間がかかるようだ。


 とはいっても、深琴にできることはないので、思考に没頭している氷上の隣で黙って待っているしかない。


 しばらく待っていると、氷上はおもむろに自分のスマホを取り出して、深琴に一言の断りも入れずにどこかに電話をかけ始めた。そのあまりにも唐突で、こちらへの遠慮がまるでない行動に深琴は呆気を取られて止める間もなかった。


 スマホから小さく呼び出し音が聞こえてくる。文句の一つでもいってやりたいところだが、出かけた言葉は、呼び出し音が切れたのと同時に呑み込んでしまった。


「——もしもし? 久しぶり。うん、私は元気」


 応答があったようだ。ワントーン高くした声で電話口の向こうの相手と話している。その様子から、友達なのだろうが、どうして今このタイミングで唐突に電話をかけたのか。


「…それで、今夜の枠ってもう全部埋まってる? うん…でもどうしてもやりたくなったやってさ。お願い」


 氷上は何かを頼んでいた。その態度は深琴の時とは天と地ほどの差があった。


「本当にっ!? うんうん、私は全然問題ない。そもそもあまり気にしないし…いやぁ、いつもありがとう。やっぱり持つべきは、優秀な従姉ね! あはは…ごめんごめん。それじゃ、20時に」


 どうやら氷上の頼みは受け入れられたみたいだ。ほくほくとした上機嫌な表情で電話を切った。一瞬の静寂が部屋の中を満たす。


「運よく取れたわ」


『…なんのことかは知らないけど、よかったな』


「何他人事みたいに言ってるのよ…あんたも来るのよ。 紙やパソコンの前で唸ってるだけじゃ、見えてくるものも見えてこないでしょ? 結局音楽は人前で演奏してこそなんだから」


『すまん…その話の方こそ、何も見えてこないんだが』


 もうこれ以上深琴にできることは何もない。だからここでお開きにして、また日常へと戻れるはずだった。


 まるで正気を疑うような呆れた視線に刺された。理不尽と嫌な予感が肋骨の内側をぞわぞわと這いずる。この雰囲気、断ろうとすると絶対に面倒になる感じだ。つまり断れなさそうだ、という諦観が、早くも深琴を襲う。


「あんたも手を加えたんだから、確かめる義務があるでしょ。この曲が、本当に良いものになったのかどうか」


『初耳だ…そんな義務は。というか、人前でって…どこで何をする気だよ?』


「そんなのもちろん路上ライブに決まってる。その方が一番手っ取り早いでしょ。場所は新宿の歌舞伎町…そこにある路上ライブの聖地”ネオンタワー前広場”よ!」

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励みになってやる気が_(:3 」∠)_

ぐーんと伸びます!・:*+.\(( °ω° ))/.:+

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