Hello.09 -side.深琴-
「——皇深琴…あんたに頼みたいことがあって来た」
玄関の扉を開けて早々、人に物事を頼むという割にはあまりにも鋭い目つきを向けられ、深琴は咄嗟に扉を押していた手を引いた。
それで終わり。
「ちょっと、出てきなさいよ!」
というわけにはいかないようで、扉の向こう側から氷上色織の声がこちらを突き刺してくる。深琴は扉に背を向けるものの、その場でたっぷり数十秒かけて逡巡する。未だ氷上の声は聞こえてくる。
このまま無視して自室に戻る。それが最も平和的な選択であり、いつも通りの日常に戻ることができる。でも、このままずっと家の前で声を上げられるのも迷惑だ。
大きく、とても大きく深琴はため息を吐き、身体を180度回して扉に手をかけた。
『…な、何だよ。っていうか、なんで僕の家を知ってるんだ』
「花音に聞いたに決まってるでしょ」
深琴が扉を開けてようやく大声を出すのをやめた氷上が、しれっとそう答える。深琴は思わず天を見上げた。今日も夏の太陽の日差しが強烈だ…
現実逃避するものの、氷上が目の前にいるという純然たる現実は変わってくれない。そしてこんな事態にした花音は、想像の中でニヨニヨとした表情で笑っていた。こんちくしょう。
「花音は一緒じゃないのかよ…まさか一人でうちに来たのか?」
感情がふつふつと沸き立ち、深琴は視線を奥にやる。花音であれば、この光景を隠れて見ている可能性だってある。ゆらめくアスファルトを視界に感じつつ目を細め、深琴は鬱憤を脳内で言葉に変換させていく。
「いないわよ。あの子は今日バイトだし…」
『はぁ? 一人で来たってことか?』
「それ以外の何に見えるのよ…とりあえず、暑いし中に入れてもらえる?」
氷上は当たり前のようにずいっと前に一歩近づいた。
『いやいや、なんで?』
「だから…暑いから。何? あんた、暑さで頭やられたの?」
真夏だというのに背筋に冷水が伝うような視線を向けられる。実に釈然としない。特に交流があるわけでもない、友達の幼馴染という立場の、しかも男の家にいきなり押しかけて、しかも中に入れろなんて非常識極まりないことをしている人間の態度とは思えない。
「…花音のことはいつも部屋にあげてるんでしょ?」
不服を露わにした沈黙に、ほんの少しだけ戸惑いが含まれる。ここで嘘をつけば、とりあえずこの場をやり過ごすことはできるのかもしれないが、後々さらに面倒なことになることは目に見えている。
確かに家族ぐるみの付き合いのある花音は、半家族のような扱いで皇家の敷居をまたぐことができる。流石に合鍵を持っているとまではいかないが、花音は深琴母の電話番号を知っており、電話かメッセージで報告すれば、とりあえず歓迎される。
中学生の頃、深琴が長期休み中、作曲活動で完全に部屋に引きこもった時は、母が直々に花音に依頼して部屋に突撃させていたくらいだ。以来深琴は部屋に入られないように、引きこもる時は時々外に出るようにしたり、花音に連絡を入れたりとするようになった。
高校生になってから花音は一度も皇家には足を踏み入れていないが、息子が高校生という年頃になったからといって、花音の来客を拒むような母親ではないだろう。最悪なのは、ここで変に断ってしまうことで、花音や母親にその旨が伝わり、二人も加わって突撃に加担してくることだ。
特に母親に至っては、的外れな妄想で脳内を花畑にした挙句、おかしな行動に出る可能性だってある。
そこまで考えたところで、深琴は大きくため息を吐いた。
『急に来たんだ。気の利いたもてなしなんてしないからな…麦茶だけだ』
「別にそんなの求めてないわよ。それじゃ、お邪魔しまーす」
氷上は遠慮とか、恥じらいとか、そんなものは露ほどにも感じられない足取りで玄関の内側に入った。僕が部屋は2階であることを伝えると、もはや振り返ることもなくずんずんと階段を登って行った。
深琴はキッチンの方へ向かい、ひとまず来客用のグラスに冷えた麦茶を入れて、それをトレーに乗せる。
『何なんだよ…一体』
ため息を一つこぼし、深琴はトレーを持って、氷上が先に待っている自室へと向かった。
部屋に入ると、頬を床に擦り付けて、ベッドの下を覗く氷上姿が視界に映った。
『…おい』
「いやぁ〜、こういうのはお約束かなって。でも今の時代、わざわざ現物を隠すなんてリスクは冒さないわよね」
『そんなくだらないことをするために来たなら追い出すぞ』
深琴はローテーブルにトレーを置きながら、うんざりした視線を氷上に向けた。
「何よ。こんなの軽いジョークじゃない。ノリ悪いわね」
『お前に言われたくない』
春に初めて氷上と顔を合わせた時のことを思い出しながら言い返す。氷上はつまらなさそうに小さく唇を尖らせて、ベッドに背を向けて麦茶入りのグラスを両手で挟み込むようにして持ち上げる。ここまで無遠慮な氷上のことだから、その麦茶も無駄に躊躇うことなく飲むのだろうなと思っていたが、実際には麦茶が作る水面に映った自分の顔をじっと見つめている。
二人の間に沈黙が落ちた。てっきり氷上が一方的に捲し立ててくるのを覚悟していただけに、思わぬ気まずい空気に深琴は戸惑う。
麦茶を飲みつつ、氷上が持つグラスの方を見た。彼女はグラスの縁を親指でなぞっているだけで、話し出すような雰囲気にはない。一体何事だというのか。深琴がどうするべきか迷っていると、ふと氷上と目が合う。すると彼女は反射的に顔を背けた。
それだけ切り出し辛い内容ということなのだろうか。それ故に、躊躇っていると? もしかして、これまでの軽口は、その気まずさを紛らわせるためのものだったというのか。傍若無人という言葉に手足が生えたような、あの氷上色織が?
とにかくこのまま停滞していても時間の無駄だ。深琴は麦茶を飲み干し、グラスを置いた音でピンと張った沈黙の空気を揺らして口火を切った。
『…それで結局何なんだよ、僕に頼みたいことって』
「……私に作曲を教えて」
息を止めたたっぷりの溜めの後、なぜか氷上はどこか諦めのような感情を含めながらそう言った。相変わらず視線はグラスの中に向けられたまま。少なくとも人にものを頼むような態度ではない事は確かだが、そんなことを指摘したところで、冷水のような言葉が返ってくるだけだろう。いい加減深琴は話を進めたかった。
『唐突だな…というか、作曲は今までにもしていたんじゃないのか?』
花音を通じて氷上と知り合って、少しだけではあるが、彼女の行ってきた音楽活動について聞かされたこともあるし、自分で調べたこともあった。かつて中学生だけで活動しながら、動画配信サイトを中心に人気を集めた”ノイズフレーバー”の中でも、突出した実力を持つ象徴的存在であるギター、氷上色織。特筆されるのは大抵の場合、彼女の天才的なギターテクニックについてだが、中には勢いとセンスに満ちたオリジナル楽曲について好評されることもあった。
「もちろん作曲の経験がないわけじゃないわ…前のバンドでもやってたし。でも一人でやってたのはあくまで途中まで。完成までは他のメンバー…特にボーカルの三奈子に協力してもらってたわ。というか、良い曲に仕上げるセンスなら、バンド内では三奈子がピカイチだった。あの子はとても感受性が豊かだったから」
『へぇ…てっきり全部氷上がやっているものだと思ってた』
「今だから愚痴みたいに言うけど、あの時はいろんなところが私だけを持ち上げてきたのよ。曲だって、私だけの力でできたわけじゃないのに…」
ノイズフレーバー時代の確執についてはよく知らないし、興味もあまりない。とはいえ、他人から過大評価を受け、実力以上のイメージを勝手に抱かれることのむず痒さは理解できる。きっとそれも度が過ぎれば、不快になるのだろう。
『でも、だからって、どうしてわざわざ僕に?』
「あんたは、アイドルの織姫桜って知ってる?」
『…あ、あぁ。海外に行ってた有名なアイドルだろ。そういえば、最近もニュースで見たっけ』
全く構えていないタイミングで横腹を突くように、頭の隅にずっと滞留していた名前を告げられて、深琴は咄嗟に動揺を早口の言葉で覆い隠す。幸いなことに、深琴のその感情の乱れに氷上は気がついていない。今は自分のことで手一杯といった様子だ。
「なら知っているかもしれないけど、クリスマスに織姫桜が日本でライブをするのよ。しかもただのライブじゃない…オーディションで選ばれたアーティストをオープニングアクトとして出演できる。それでそのオーディションに、私たち”ネオン”も応募することになったわけ」
『そんな有名人の大掛かりなライブに出演するオーディションに、学生のバンドが応募できるのか?』
元々有名な氷上が在籍しているとはいえ”ネオン”はただの女子高生バンドであり、他のメンバーは芸能活動とは無縁な普通の高校生。ニュースにもなるような大きなライブの出演権となれば、それなりの応募資格が必要になってくるのではないだろうか。
「その点は平気よ。別に事務所所属のアーティストだけ、なんて縛りはない。むしろ噂では応募するのはアマチュアが中心になるみたい」
深琴は首を傾げる。
「私もあんまりそのあたりのことはよく分からないけど、あれじゃない? プロのアーティストがオーディションを受けてまでアイドルライブのオープニングアクトに出演するのって、色々と微妙でしょ」
氷上はサラッとした髪をくるりと指で巻きながら適当に呟く。ただ確かに納得できるものではあったので、深琴は特に話を広げることもなく呑み込んだ。
『…それで、オーディションに応募することになったからって、どうして僕のところに作曲を教えてなんて言いに来たんだよ』
「私…いや、私たちは今回のオーディションにはかなり本気で挑むつもり。もちろん新しい曲も作る必要もあるんだけど、正直今の私の実力じゃとてもオーディションを突破できるほどの高いクオリティの曲は作れない。オーディションを勝ち抜くには、もっとスキルアップする必要があるわ。でも…演奏技術なら練習でどうにかできるけど、作曲は独りだとどうしても行き詰まる。だから、あんたに頼むことにしたのよ」
神妙な表情を前に、深琴は浅くため息を吐いた。そして夏前に行われたヴァーチャルとリアルを掛け合わせたライブイベントV/Rに、深琴が創り上げた曲を歌うスミスと共演した氷上は、それからしばらくの間、何かと絡んでくるようになった。
花音はそれを氷上の、ある種の尊敬だと言っていたが、絡んでくる氷上の態度はいつもツンケンとしていて、とても尊敬されているとはとても思えなかった。だが、今こうして作曲について頼ってきたということは、花音の言葉もあながち間違いではなかったというわけか。それにしたって、もっとマシな先生はいそうなものだが…
『氷上ならもっとちゃんとした人の知り合いくらいいるんじゃないか?』
「それはもちろんそうよ」
なんとなしに聞いてみたらスッパリ切り捨てられてしまった。少し舞い上がった気持ちを返してほしい。いや、別に嬉しくなっていたわけでもないが。
「…でも、一番最初に思い浮かんだのがあんただったから、私はその直感を信じた。あんたの音楽は、私にとっては堅苦しくて苦手だけど、逆にその部分が今の私を成長させるんじゃないかってね」
自分にはないもの。感情的にそれが良いものにせよ、悪いものにせよ、自分の中にないものを補うことで成長する機会を得ることができる。
氷上の直感を刺激したその天啓と似たものを、深琴もつい最近感じた。唯一だと思っていた答えに、別の可能性が生まれたあの時。そう、あれは深琴の中にはなかった要素があったからこそ、もたらされたものだった。。
そして目の前にいる氷上もまた、深琴にはない可能性を持っている。
つまりその時点で、深琴が取る選択は決まったようなものだった。
カクヨムバージョンと統合。あとはエピソードも最新まで更新しました。
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