File No.6
「バンド? 私とあんたが? 普通に嫌だけど」
分かりやすいくらいの物語の始まり——さぞドラマティックな展開が待ち受けているのだろうと思っていると、開幕2秒で花音は撃沈された。
花音はしばらく表情を硬直させ、機械仕掛けの人形が如く、ギギギと音を立てながら教室の入り口で2人の様子を見ていた深琴へと顔を向けた。
生気のない瞳。しかしそれはすぐに潤み、助けを求めるような、あるいはどうすれば良いか分からないといった困惑に揺れる。
一方で氷上は既に花音のことを意識から消し、窓のある方をぼーっと見つめていた。
「み、深琴〜、どうしたらいい?」
花音がこっちにやってきて、深琴の裾を引っ張る。
『いや、僕に言われても…本人が嫌なんだったら、もう諦めるしかないんじゃないか?」
「そんな殺生なこと言わないでよ〜…そうだ、深琴が説得してみてよ」
花音は氷上にギリギリ聞こえない声量で、めちゃくちゃな提案を深琴に耳打ちする。
『はぁ? なんで僕がそんなことしないといけないんだよ』
深琴は何も関係ない。それに氷上というクラスメートとの面識もまるでない。いや、深琴は他のクラスメートともまともに会話をしたことはないのだが。
「だって深琴音楽好きじゃない。だったらきっと氷上さんとも話が合うでしょ? そこから何とか切り崩してよ」
『いやいや、意味がわからな——』
言い終える前に、花音が素早く身を回り込ませ、深琴の背中を押した。不意に押されたものだから、深琴は抵抗できずに、氷上の席の側に身を出してしまう。
「誰、あんた? あの子のカレシ?」
『いや、全く違う。僕はあいつの幼馴染だ』
氷上も深琴と花音が何かやり取りをしていたことには気が付いていたみたいで、深琴が寄ると、気だるげな声を投げかけてくる。
深琴が機械の声で応答すると、氷上の視線がわずかに下がり、深琴のチョーカーデバイスへと向いた。
その表情が僅かに強張る。
深琴にとってそれは懐かしい反応だった。このチョーカーデバイスと、電子の声を初めて前にした人の反応。学校には中学から上がってきた生徒がほとんどだったので、久しくなかったものだった。
「…あっそ。どうでもいいけど、私はもう音楽はやらないから」
どうやら氷上の意思は固いらしい。そもそも深琴としては、別に説得する気もないのだが、なんとなく彼女の言葉に引っ掛かりは感じた。
『バンド活動を、じゃなくて?』
「はぁ…知ってたの?」
氷上はため息を吐きながら、目を細めた。不機嫌で、こちらを訝しんでいるという態度をまるで隠そうともせず、周囲に針のような空気をばら撒いている。
『僕は知らなかったけど、結構噂になってるみたいだよ。なんだっけ、ノイズ…フレーズ?』
「…もう、私は関係ないから」
一瞬の沈黙に圧縮された憤怒が垣間見えたが、すぐに冷徹な無関心へと切り替わる。慌てた様子の花音が、深琴の耳元で氷上が所属していたバンド名を訂正する。
そうそう、ノイズフレーバーだった。
『まぁ、それもそうだね。でも、音楽を辞めたって割には、ギターは続けてるみたいだけど』
「だから何」
氷上はその苗字の如く、氷のような冷たさで言い放ちつつ、素早く右手の指を左手で覆い隠した。
『花音から、君がとてもギターが上手いって聞いたから、僕も少し興味があってさ。あぁ、別に花音のバンドに勧誘する気はないよ?』
「…それなら結局何が言いたいわけ?」
これでもかと氷上は苛立ちを解き放ちながら、鋭く深琴を睨みつける。深琴の背後で花音が小さく悲鳴を上げた。
ところが当の深琴はどこ吹く風であり、その頭の中では他人とのコミュニケーションの難しさを実感していた。
自分が何を言いたいのか。あるいは、聞きたいのか。
氷上が音楽を辞めた理由? それとも花音の勧誘を断った理由? どちらも大して興味がない。
では深琴は氷上の何に興味を持ったのか。それは言わずもがな、彼女が天才ギタリストであるということである。
いや、厳密には才能に対して興味を持ったのではない。彼女が幼い頃から音楽と向き合い続けていたという点だ。
つまり同族意識的なものを感じていたのだ。深琴もまた、幼い頃から音楽と向き合い続けていたから。
そしてもしかしたら彼女も、自分と同じ志を持っているかもしれないと期待した。それを確認してみたいと思った。
『…えぇとつまり、君は音楽に何を求めていたの?』
導き出された感情を、深琴はそのまま口にした。
瞬間、氷上のただでさえ大きな黒い瞳が、限界突破して見開かれ、光を呑み込むような漆黒の髪は逆立つ。
流石の深琴も、言ってはいけないことを言ってしまったと自覚する。
「…悪いけど、私はもう音楽なんてやらないし、あんたと会話する気もない。二度と私に関わらないで」
しばらくして氷上は感情に蓋をし、ついでに僅かの隙間もなく心を閉ざして、拒絶の意だけを向けてくる。
その様子を深琴は冷静に見つめ、やがて後ろにいる花音の方に向いて、
『…うん。花音、これは諦めた方が良さそうだ』
「深琴がデリカシーなさすぎだからでしょ!」
頭を叩かれてしまった。
◇====◇ ====◇ ====◇ ====◇
結局朝のやりとり以降、氷上はその日誰ともコミュニケーションをとることはなかった。
というより、誰も彼女に声をかけられなかったという方が正しいか。
友人も多く、コミュニケーション能力に長け、開口一番氷上をバンドに勧誘してみせた花音でさえ、その日は接するのを控えることにしたそうだ。
原因と責任は深琴にある。まさか明らかに何か事情があって音楽を辞めてそうな雰囲気を出していた氷上に対して”音楽に何を求めていたか”なんて、逆撫でにも程がある。
そういう内容の叱責を花音から延々と受けた深琴は、まるで長雨に晒された砂場のようなぐたぐたな気分で放課後を迎えることとなった。
放課後は花音に無理やり連れて行かれ、責任を取ってもらうという名目でカラオケに付き合わされた。
もちろん機械の声である深琴は歌えないので、延々と暗くなるまで花音のやけ歌を聞かされる羽目になった。
「はー…スッキリした!」
帰り道、花音は背筋を伸ばし、両腕を頭上で引っ張り上げながら、爽快な声を上げた。どうやら気分は直してくれたようだ。
『今日は、その…悪かったな』
流石の深琴も、今朝のことは自分の失言のせいで、ただでさえマイナスな印象を、余計に地の底へ叩きつけてしまった自覚はあり、反省の心はある。
特に花音には幼馴染として、これまで色々と気を遣わせていたこともあるため、今日は素直に反省の言葉を口にする。
すると花音は少し呆れ気味にため息を吐いた後、
「本当だよ〜と言いたいところだけど、深琴に頼んだのは私だしね。本当、女の子の扱い方がなってないよね」
『僕にそういうのは期待するな』
「分かってるよ。だから今日のことは、さっきのカラオケでチャラってことで!」
花音はパッと花を咲かせるように笑った。心の中にあった鬱憤やらなんやらは、さっき歌声にして全て消化してくれたようだ。
「でもこれからどうしようかな…ねぇ、深琴はどうやったら氷上さんが一緒にバンドしてくれると思う?」
『…まだ諦めてないのか』
しかも今日失言したばかりの深琴にアイデアを求めるあたり、さっきのカラオケでもしかして今日の失敗も洗い流してしまったのだろうか。
「だって、まだ深琴よりも可能性ありそうなんだもん」
『僕にはとてもそうは見えなかったけど』
「んー…何かきっかけがあればいいんでけどなぁ〜」
花音は足を伸ばし、つま先を上に向けるような歩き方をしながら、空を見上げている。
都会の夜空に星は見えない。ネオンの光奥側には、黒く塗りつぶされた闇しかない。
氷上の黒染めした漆黒の髪のように、その奥側にある何かに手を伸ばそうにも、とっかかりはなく、手は空を切るだけ。
「そういえば、深琴は氷上さんがまだギターを弾いてるって言ってたよね?」
深琴の少し先を歩いていた花音が、ピタリと立ち止まって振り返る。
『あぁ、右手の爪をかなり伸ばして、まだ手入れしている感じだったから』
「右手の爪?」
花音は小首を傾げる。
『アコースティックギターを指で演奏する時、右手の爪は伸ばしていた方が弾きやすいんだよ。ただ日常生活では邪魔になりがちだから、本当に辞めていたなら爪も切っていたはずだ』
「へぇー、ネイルチップじゃダメなの?」
『ダメというわけではないけど、傍から見るよりずっと強い力で弾いてるから、単純にすぐに剥がれるんだ』
花音は頷きながら、納得する。
「それなら、今もどこかで弾いてるのかな?」
『普通にギターを弾くなら、家かスタジオ借りてじゃないのか』
「そうだよねぇ…もう動画配信もしてないし、SNSの更新も止まってる。もし今も活動してたら、絶対ライブに行ってたのに。同級生が有名バンドのメンバーなんて、熱くない?」
取り出したスマホの画面を見つめながら、花音は嘆息する。
『同級生ってのが理由でライブに行くのはどうなんだとは思うが…というか、危ないぞ』
駅近のカラオケに行っていたため、夜になっても少し通りに出れば人が多い。そんな中で歩きスマホをするのは危険だ。
特に通りに出た後に待っている交差点付近は人がたまり、動き出した後はその流れに注意して歩かなければならない。
深琴は注意を促しつつ、花音の方へと少し駆け足でその側まで寄る。少し先には信号待ちの群衆が見える。
ざわざわとした複数の人の声や足音が溶けて一体になった灰色のマーブル模様のような音——しかしその中で、どの音にも混ざらず、まるで喧騒の上を走り抜けるように響き渡る銀色の音色があった。
「ねぇ、深琴…あれって——」
花音は、交差点の少し横の場所に視線と人差し指を向けている。そこには見覚えのある顔——氷上伊織が誰の目も意に介さないと言った様子で、アコースティクギターを掻き鳴らす姿があった。
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