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Hello.05 -side.スミス-

「オラオラ! この人質サマが目に入らねぇか!? 下がれ下がれいっ」


 アキラを腕の中で拘束している黒百合タトゥーの男が、頭の上でぶんぶんと銃を振り回しながら声を上げる。


 すると、それまで真っ直ぐ銃口を向けていた警察側のプレイヤーが、全員銃を下げた。


 スミスを拘束しているのは、背面に白百合がプリントされた迷彩柄のマウンテンパーカーの少女の方。ただ体格はスミスのアバターよりもさらに小柄で、正直その拘束はとても体を成していない。ただこめかみにはしっかりと銃が突きつけられている。


 スミスは隣を見る。アキラの方もしっかり拘束されているというよりは、形だけ、周りから見て拘束している風に見える程度で、実際にその場にいる身としてはあまり緊迫感を実感できない。


 だが周囲の警察側のプレイヤー達の顔は、全員動揺したような表情を作っている。


 演出された緊張感——これがV.SEKAIにおけるロールプレイというやつなのだろう。


 そして犯罪者が市民をを人質にとるという状況に置かれ、スミスは最初の部屋で渡されたチュートリアルシート(極秘版)の内容を思い出す。


 最初の部屋の中央カウンターでは、スタッフAIからいつでもチュートリアルの内容を思い出すことができるように、プレイヤー達には必ずチュートリアルシートが渡される。


 チュートリアルシートには、通常版と極秘版の2種類が存在した。通常版では、操作方法や世界観の設定など、視聴者側にも公開されているチュートリアル情報がまとめられている。


 一方で極秘版は、その名の通りV.SEKAIのプレイヤー以外には公開してはならない決まりになっており、そこにはV.SEKAIにおける演出上の暗黙ルールが記載されている。


 V.SEKAIは、電脳空間に創られた現実とは異なる新世界であり、そこに住む住人達の未来を映したドラマ。そして同時にリアルタイムエンターティメントである。


 つまり、住人達が繰り広げるドラマをよりわかりやすく盛り上げるための演出があるのだ。極秘のチュートリアルシートには、その演出を成り立たせるためのルールが記載されている。


 その中には人質に関する記載もあった。


 警察は犯罪を取り締まるための組織であるという特性上、車両や武器・防具という対人戦闘に必要なものが安定的かつ一定水準以上の性能で供給される。加えて人数もいるとなれば、犯罪者は常に圧倒的物量という面で不利を背負わされる。その不利を緩和させるためのものが、人質ルール。


「人質を今すぐ解放しろ!」


 警察の一人が声を上げる。


「タダで解放するわけねーだろ! 解放して欲しけりゃ、こちらの要求に応えてもらうぞオラァ!」


 黒百合タトゥーの男が、あきらのこめかみに当てた銃口を強く押し込む。


 人質ルールその1。一般犯罪に分類される犯罪行動において、犯罪者は市民を一時的に拘束し、人質とした上で警察と対峙することができます。この時、警察官は人質の安全確保のための行動を直ちにとらなければなりません。


「…分かった。そちらの要求を聞こう」


 人質ルールその2。犯罪者が人質の拘束に成功した場合、警察官は犯罪者との交渉を行わなければなりません。なお、最初に要求する権利は犯罪者の方にあるものとします。


「そうだな〜、1分間ここにいる警官全員動くことの禁止…ってのはどうだ?」


 黒百合タトゥーの男が周囲の警察官の顔を舐めるように見渡した後、要求する内容を明らかにした。


「…それはあまりにも度の過ぎた要求だ」


 最初に声を上げた警察官は、少し考え込んだ後、冷静にゆっくりと——少なくともそう周囲からは見えるような動作で銃口を黒百合タトゥーの男へと向けた。


 人質ルールその3。警察官は犯罪者の要求について不適当であると判断した場合、2回まで拒否することが可能です。2回拒否した後は、戦闘を開始しても良いとします。ただし、2回拒否し、戦闘を強行した場合、警察官としての評価点の減点が発生します。また区長により、交渉役の警察官の対応が不当であると判断した場合、職務執行法に抵触したものとみなされ、最悪の場合警察官を解雇される場合もあります。


 今、警察官はその拒否権を一度使用した。1分間、ここにいる警察官の全停止。もし、側で煙を出しているパトカーが動けば、1分もあればほぼ確実に逃げ切ることができる。そう判断しての拒否だろう。


「ぐっ…!」


 黒百合タトゥーの男が分かりやすく顔を歪ませる。あまりにも表情に思考が出過ぎである。これでは、彼の思惑は警察官に筒抜けだろう。


 とはいえ、警察官側も1回の拒否権を使ってしまった。あと残り1回——


「だったら30秒でどうだ?」


 黒百合タトゥーの男が、汗を滲ませながら再提案する。時間を半分にした。それでも逃げられる可能性がある、と。暗にそばにある車はまだ走れると言っているようなものだ。


 スミスは警察官と黒百合タトゥーの男のやり取りを聞きながら、二人の間に圧倒的な力量差を感じていた。このままでは黒百合タトゥーの男は丸裸にされるだろうと容易に想像がつく。


 次の要求に対して、交渉役の警察官は沈黙した。表情は微動だにせず、銃口もまるで内側に鉄線でも通っているかのように、確実に黒百合タトゥーの男を捉えている。


「…くそ、だったら20秒! これ以上は下げれねぇぞ!」


 うまい。スミスは思わずそう感心してしまった。


 今、警察官は了承もしていなければ、拒否もしていない。しかし沈黙の間を、黒百合タトゥーの男が勝手に想像を膨らませ、解釈し、さらに譲歩を引き出した。


 チュートリアルシートに記載されているルールが絶対ではないということだ。ルールの使い方は人それぞれ。それがドラマとして盛り上がるのであれば、穴を突いても許容されるのだろう。


 警察官の引結ばれた口の端が、ここで初めて持ち上がった。その表情を見て、黒百合タトゥーの男もしてやられたことに気がついたのか、目の下をぴくつかせている。V.SEKAIの細かな描写表現に、スミスはまたしても感心する。


「よし、それじゃ——」


「その代わりにっ! その間は目を瞑ってもらおうか」


 黒百合タトゥーの男も、どうやらこのまま一方的にやられるような展開を、ただ受け入れるつもりはないらしい。警官が頷くその寸前に、条件を一つ付け加えた。


 警察官は出かかった言葉を詰まらせた。絶妙なタイミングで差し込まれてしまったせいか、言葉を引っ込めて言い直せるような空気ではない。ここで引き下がってしまっては、ドラマ演出的に流れが悪くなる。それは今この場にいる演者プレイヤー全員の共通認識だった。


「わかった…その条件を呑もう。カウントは、そちらが始めてくれ」


 諦めたように交渉役の警察官が言うと、黒百合タトゥーの男の態度に余裕が戻ってくる。


「オーケー…じゃあ、3カウントから行くぜ…3、2、1」


 大きく「ゼロ」と叫ぶと同時に、全ての警察官が目を閉じ、シーンが動き始めた。


「ど、どうするっスか!?」


 スミスを背伸びしながら拘束していた白百合迷彩少女が、慌てた様子で黒百合タトゥーの男に支持を仰ぐ。その様子からして、人質をとってから一連の流れにあまり慣れていないことが分かる。


「とにかく、車だ!車に乗るぞ!早くっ、時間ねぇぞ!!」


「で、でもこいつらはどうするんスか?」


「あぁん!? そりゃお前…」


「ここで放したら、邪魔されるんじゃ…」


 そこで黒百合タトゥーの男は自分の犯した失態に気が付く。彼の提示した条件は、この場にいる警察官全員が、20秒間目を瞑ること。つまり人質であるスミスとアキラは対象外である。現にスミスもアキラも、バッチリ目を開けていた。


「くっ…とにかく急げ! 二人も乗せちまえ!!」


「ら、ラジャーっス!」


 いやいや、警察官は条件を呑んだのだから、人質は解放するのがルールではないのか。スミスはそう出かけた言葉を抑えた。これもまた、ドラマ的演出による強制力。ここでルールを引き合いに出せば、緊迫して盛り上がりつつあるこの空気に間違いなく水を差す。


 まるで水流に押されるような感覚。逆方向に行こうとしても、ジタバタと動かした手足に疲労が溜まるだけだろう。そしてその流れを生み出しているのは、交渉役の警察官と、黒百合タトゥーの男だ。


 つまりこの場の主導権はスミスにもアキラにもない。そもそもまだ新参者である身としては、この空気を壊さないための選択肢は、新しい水流を起こすのではなく、流れに身を任せる一択しかなかった。


 これがリアルタイムで創造されていくエンターテイメント——


 クリエイターの、クリエイターによる新世界。


 乱暴にパトカーの後部座席に押し込まれながら、スミスは新たなる世界の深層へと呑み込まれていくのだった。

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