Hello.02
「うーん、なるほどねぇ…」
深琴の話を一通り聞いて、三河鳴は深く頷きながら、落ちていく呼吸と共にそう溢す。
場所は三河と初めて顔を合わせた渋谷にある喫茶店。テーブルには互いにコーヒーとチーズケーキが置かれてあり、現状について長く話し終えた深琴は、氷で冷やされたコーヒーを喉に流し込んだ。
苦味が通り抜け、つっかえた感じに乾いた喉が清涼感に上書きされる。
その間三河はチーズケーキをフォークで突きながら、考え込んでいた。
「…難しい問題だと思うなぁ。要するに、親愛していた深琴君からの評価を、ぽっと出の女の子に掻っ攫われたってことだよね?」
「評価を掻っ攫われたって、別に僕は…」
確かに水月孤儛のカバーに思うところがあったのは確かだ。しかしそれは命の歌と比べられるものではない。
「深琴くんが実際どう感じたかは問題じゃないよ。あくまでスミスちゃんがどう思うか」
「は、はぁ…でも、それじゃどうすれば…」
「多分、深琴君に限らず、他人にどうこうできる問題ではないと思うよ。これは当人の感情の問題だから」
感情…それに親愛、スミスの中身である命がAIだということを知らない三河から出る言葉に、深琴は小さく息を詰まらせる。
とはいえ、その言葉自体に間違いはないような気がする。結局こちら側であれこれしても、命自身が折り合いをつけることができなければ、終わらない。
何か得られることがあるかもと思ったが、どうやら徒労になりそうだ——そう思ってしまって、深琴はついついため息を溢してしまう。
「…でも、もしかしたら、良い気分転換と解決のきっかけになる、かもしれない機会なら、紹介できるよ」
テーブルの上にある欠けたチーズケーキに落としていた視線を深琴は反射的に持ち上げた。
『どういうことですか?』
「実は元々紹介するつもりではあったんだけど…ちょっと待ってね」
そう言って三河はスマホを取り出した。しばし操作のための時間が過ぎて、彼女はその画面を深琴へと共有した。
三河のスマホ画面を見て、まず目を引いたのは、ポップなロゴデザインの文字。
『V.SEKAI?』
さらに視線を下に向けると、そこにはたくさんのアバターによる集合写真のような画像が添付されている。どれも見たことがあるようで、ないような顔ぶれ。しかし確実に知っている顔もいた。
『これ、七夢鳴海じゃないですか』
そう、三河鳴がインターネット上で活動する際に用いているVtuber——七夢鳴海の姿があったのだ。
「結構今、こっちの界隈では注目を浴びてるんだけど、深琴くんは知らないか」
『…すみません、疎くて』
「ううん、まだまだ一般には周知されてないからね。V.SEKAIっていうのは、いわゆるメタバースってやつでさ。主にネット上で何かしてる活動者が、自身のキャラクターを登録して、リアルとは別の人格で、もう一つの世界をドラマティックに楽しもうってコンセプトの長期企画なんだよね」
メタバース、その単語自体は聞いたことがある。確か技術発展と共に、ここ最近かなり伸びてきているもので、専用のVR機器を使用することで、従来よりも没入感が遥かに上がったというニュースを最近見た気がする。
『三河さんも参加しているんですか?』
「私は時々、ゲスト的な感じだけどね。本業の方もあるし、使ってるアバターも七夢鳴海そのままだから、ロールプレイもほとんどしない。本格的な人は、普段の自分とは全く別のキャラクターとしてロールプレイしながら、ほとんどの活動をV.SEKAIに集中させてたりするよ」
『それはなんというか…すごいコンテンツですね』
ほとんどの活動がそこに集中してしまうということは、よっぽど広く深く、熱中できるコンテンツなのだろう。まさにメタバース《もう一つの現実世界》というわけだ。
「それで、どうだろう? 本当は参加するには申請して審査に通らないといけないんだけど、活動者でなおかつ参加者からの推薦があれば、すぐに参加できるし」
三河が少し身を乗り出した。その顔は深琴が頷くことを期待している。
『参加したら、何か変わるものでしょうか…』
正直ピンとはこなかった。三河はスミスを普通の人間だと思っていることによる認識の乖離のせいか、深琴はメタバースに参加して復調する姿が想像できない。
しかしそんな深琴の少し懐疑的な吐露に対して、三河は不敵な笑みを浮かべる。まるで最初から話の流れがこうなっていくことを分かっていたみたいに。
「ふふ…実はここだけの話、今そのV.SEKAIで大きな企画が進行しててね、ちょうどもうすぐ始まろうとしてるんだ。その企画がね、多分スミスちゃんにはぴったりだと思うんだよね」
『大きな企画、ですか?』
デジャヴ——いや、これはV/Rのライブを勧められた時と同じ状況である。しかし袋小路にいる深琴としては、再度彼女の手のひらの上で転がる選択肢しかなかった。
「近々V.SEKAIのワールド内に、視聴者もVRで観客として参加できる大きなドームがアップデートで追加されるの。それに合わせてドームで大きなライブも行うみたいで、その出演者を決めるためのイベントも同時にスタートするんだって。残念ながら、そのイベントの内容までは把握できてないんだけど、これってスミスちゃんにとってのチャンスだと思わない?」
メタバース世界でのライブイベント。元々電子世界の存在であるスミス《命》との親和性は、ある意味V/Rよりも高いといえるだろう。
『…V/Rのライブイベントの時と、同じですね』
「たまたまだよ。でも、私は今後もこういった機会は伝えていこうと思うよ。だって、推しの音楽を世に広めるチャンスだからねっ」
そういえば三河はスミスのデザインの生みの親であると同時に、その歌声に魅了されたファンでもあった。
こうして活動の裏側でも関わっているせいで、すっかり失念していた。
『…分かりました。今回も、いただける機会を利用させてもらいます。僕も次の曲はじっくり時間をかけて作りたいなと思っていたところですから、そういう意味でも丁度よかったかもしれません』
◇====◇ ====◇ ====◇ ====◇
三河に相談した日から1週間ほどが経過した。その間に命への説明だけでなく、三河を通じて”V.SEKAI”に必要な機材を借りたり、PCにダウンロードしたり、基本的なレクチャーも一通り受けた。
そしていよいよ命がV.SEKAIへと旅立つ日。
その日は三河が言っていたV .SEKAIに巨大ドームが追加される大型アップデートの日だった。
SNSでアップデートが入ったことを確認した後、ダウンロードしてあった”V.SEKAI”に、レクチャーの中で教わった手順で新バージョンのパッチを当てこむ。
新バージョンが適用されるまで、およそ1時間はかかっただろうか。深琴のPCはそれなりに高いスペックのものだが、それほど大型アップデートの内容が大容量だったということだろう。
『よし、準備できたみたいだな。ミコも大丈夫か?』
「はい、オレはいつでも大丈夫なのですが…」
『どうしたんだ? まさか、やっぱり気が進まないか?』
「い、いえ…! そんなことは決してないのです。でも、マスターが次の曲に向けて進み始めているというのに、オレだけ寄り道しているような気がして」
次の曲に向けて進み始めているといっても、まだ参考集めが終わって、テスト的に軽く作り始めているレベル感だ。とても進んでいるとは言えない。
しかし深琴はその事実を呑み込んだ。今ここでそんなことを訂正しても、命の後ろ髪をいたずらに引くだけだ。
『寄り道になるかどうかかは、お前次第かもしれないぞ』
「オレ次第、ですか?」
命がキョトンとした表情を作る。
仮にも自分は、3ヶ月弱命のマスターをしているのだ。マスターであることは今も本意ではないものの、こういう時くらいはマスターとして気の利いた言葉を言ってあげるべきではないだろうか。
これまで散々力を借りてきた——そのお返し、というのはあまりにも大袈裟だが、このまま命の不調が続くのも看過はできない。
『向こうの世界では、声優やアーティスト、とにかく色々なクリエイターが参加するんだ。そういった人達と直にコミュニケーションを取れば、成長のきっかけになるかもしれないだろ?』
「…確かに、そういった人達からは知識だけではなく、感性的な部分でも、何かを得ることができるかもしれません」
『そ、そういうことだ』
思ったよりも薄くなってしまった自分の言動を、どうやら命は拡大解釈してくれらしい。思わずホッと息が漏れそうになるところを、大きく頷くことで誤魔化した。
「…分かりました! 不肖この命、マスターの音楽をさらに飛躍させるため、新しい世界で成長を果たしてきますっ」
ビシッと背筋を伸ばす命の表情は、いつも通り高揚的でどこまでも前向きな無邪気なものに戻っていた。
『…そろそろ時間だ。くれぐれも、人間離れしたことはしないように。準備はいいか?』
「はいっ!どちらも全く以て問題ありません!」
深琴はPCを操作し、全ての事前入力を終える。あとはエンターキーを押せば、命は新しい世界へと旅立つ。
『それじゃ、行くぞ』
「行ってきます!」
まっすぐなその瞳を見届けながら、深琴はエンターキーを押した——
『…ふぅ、いい方向に向かえばいいけど』
新しい世界へと旅立った命を見送った後、深琴はリクライニングチェアに深くもたれかかり、大きく息を吐いた。
あとは命がどういう風に新しい世界の中で振る舞うかを見守るだけ…そう思いながらPCモニターに意識を集中させようとしたところで、部屋を出てすぐのところに設置してあるワイヤレスチャイムから、来客を知らせる音が鳴った。
『そういえば、お母さんは今日仕事だっけな』
同時に今日は家にいるのは自分だけということを思い出し、深琴はしばし居留守を使う葛藤に悩んだあと、もたれかかった背中を起こして立ち上がった。
どうせ家族の誰かが頼んだ荷物だろうと、インターホンのモニターを確認せず、階段を降りた後、直接玄関へと向かった。
『——はい、何でしょ…』
玄関の扉を開けて、視線を上げたところで、深琴は言葉を失った。
「皇深琴…あんたに頼みたいことがあって来た」
こちらをまっすぐ見つめるその人は——氷上色織。幼馴染である花音が最近組んだバンド”ノイズフレーバー”のメンバーであり、天才ギタリスト。
その彼女が、ギターケースを背負い、とても頼み事をしにきたとは思えないほど強張った形相で、目の前に一人立っていた。
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