File No.5
オーケストラの指揮者を務める父を持つその少女は、父の趣味であるロックの方に心を惹かれ、クラシックではなく現代音楽の道を選んだ。
その少女は早くから圧倒的な才能を発揮し、父が演奏用に購入していたヴィンテージのギブソンのエレキギターとアコースティクギターは、いつの間にか少女の部屋の中に置かれることとなった。
毎日ギターに没入し、天才的なセンスと膨大な努力の末、彼女はいつの間にか大人すら圧倒するギターテクニックを、中学生になる頃には習得していた。
神童、ギターの申し子——あらゆる賞賛を浴びた彼女の躍進は、それからも止まることはなかった。
彼女は才能だけではなく、出会いの面でも恵まれていたからだ。
天才少女の周りには、同じく天才と称される少女達が自然と集い、あっという間に意気投合し、そしてバンドを結成した。
女子中学生のバンドでありながら、圧倒的な演奏技術を持つガールズバンドとして、動画配信を中心に一世を風靡した。
そのバンド——ノイズフレーバーでギターを演奏する少女の名前は、氷上色織。
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『そんな人が、うちの高校にねぇ…』
「本当だって!入学の時も一部の学生の間では、その噂で持ちきりだったんだから」
ちなみに深琴と花音は、幼馴染の因果というやつがあるのか、クラスは中学からほとんど一緒。唯一中学2年の時に離れたが、高校1年になってまた一緒になったのだ。
深琴は自分のクラスに実は超有名なガールズバンドのギターがいるという花音の話には半信半疑だった。
深琴のクラスには、まだ新学年が始まったばかりだというのに、ほとんど顔を見せない女子がいる。花音がいうには、その生徒こそガールズバンド、ノイズフレーバーのギターである氷上伊織らしい。
どうせ他人の空似なのではないだろうか。花音の話では、ノイズフレーバーは中学生女子だけのガールズバンドでありながら、動画配信を中心に若者にかなりの人気があって、ほとんど芸能人みたいなものらしい。
そんな人物なら普通、芸能科がある高校や、せめて音楽科がる高校に進むだろう。特になんの変哲もない奏桜学園に来る理由がない。
という話を教室に向かうまでの間に話してみたところ、
「それは確かに不思議だけど…もしかしたらノイズフレーバーが突然解散しちゃったことが原因かもしれない」
てっきり今も活動に忙しくて学校に来ていないのだと思っていたが、まさか既に解散済みだったとは。まぁ、そんな事情がなければ、そもそも花音が氷上とやらを自分の青春に巻き込もうとするはずもないか。
『でもそんな元有名人で天才が花音のわがままに付き合うとも思えないけど。僕よりもハードル高くないか?』
「だったら深琴も入ってよ」
『それは無理だ。僕は部活はやらない。ま、せいぜい勧誘頑張ってくれ』
どのみち深琴の結論は変わらない。氷上という天才ギタリストとやらには幾分か興味はあるものの、同じクラスだというのなら、いずれ顔も合わせるだろう。いや、もう既に顔は合わせているか。覚えていないだけで。
「ちょっと、どこ行くの」
『トイレだよ』
教室まで行く廊下を途中で曲がり、深琴は花音の不服な声に振り返ることもなくそう返した。さっきから主張してくるポケットの中のじゃじゃ馬に、そろそろ対応した方がいいかもしれない。
深琴は男子トイレの個室に入ると、ワイヤレスのイヤホンを耳につけ、音量をあげえいく。
「——ぃったい、誰なんですか、あの女の人は!?」
つい音量を上げすぎてしまって、イヤホンから大音量が鼓膜を直撃する。
『…誰って、昔からの腐れ縁の花音だよ』
「なんなのですか、幼馴染…腐れ縁で、下の名前で呼び合う可愛い女の子…しかもちゃっかり朝から一緒に登校なんて、いつの時代のライトノベルなのですか!」
猫科を思わせる顔を真っ赤にさせて、命はそう捲し立てる。
『なかなか造詣が深いツッコミだな…僕はそういうの全然読まないから分からないけど』
「マスターはあの女の子のこと好きなのですか? それとも好かれているのですかっ?」
『別に、そういうのではないけど…幼馴染以上でも以下でもないよ。というか、なぜにそこまで怒るんだ』
「それはもう、オレと全然態度が違うからなのですよ!」
腕をパタパタとさせながら命は、実に不満だという感情を表している。しかし深琴としては特に態度が違うような自覚はない。
『そこまで違うか?』
「違います。オレとは違って、なんだかんだで側にいることもも悪くないな…みたいな特別感が言葉尻に表れていたのです」
『それは気のせいか、お前の不具合だ』
つくづくよくできているのか、そうでないのか分からないAIだ。
『…とにかく、学校ではおとなしくしていろよ。表沙汰になるのは、お前も困るんだろう? それじゃ、僕は教室に戻るから』
「むぅ…あ、待って…!」
深琴は返事を待たずにイヤホンをとり、スマホを消音にしてポケットにしまう。
教室に戻りながら、深琴は自分の言動を振り返る。
花音については、もう何年も幼馴染として付き合いがあるために、側にいる場面を特別だと思ったことはない。
そして幼馴染以上へ発展したいという欲求も深琴は持っていない。花音だって、深琴がそういう人間であることは十分に理解しているのだから、今更異性的な感情を抱いているとも思えない。
ただ特別感、という命の言葉を聞いて、思い当たる節が全くないというわけでもなかった。
お互いの関係という意味ではやはり幼馴染以上でも以下でもないことは厳然たる事実だが、深琴は花音という存在に対してある一点においては特別視しているからだ。
——あいつはいつもこれくらい普通と言うけど。
脳裏に過ぎるのは、いつも付き合わされるカラオケでの、花音の歌。少しハスキーがかった地声をさらに磨くことで生まれる、透き通っているのに揺るがない芯を持つ、あの特別だと表現するしかない歌声だ。
無自覚の才能。生身の音が苦手で、学祭のライブで音酔いしてしまうくらい、音に過敏で拒絶的な深琴が、花音の歌声には心地良さすら感じる。
花音は氷上という天才少女をとんでもないと崇めるように言っていたが、深琴からすれば、すぐそばで圧倒的な才能を無自覚に振るう花音こそ、とんでもない。
花音のオリジナル曲を作ってほしいという要求を突っぱねたのも、彼女が歌って仕まえば、それはもう深琴の音楽ではなくなってしまうからだ。
もしも花音が言っていた通りに、氷上伊織が特別な才能を持つギタリストなのだとして、その2人が出会い、手を組んだのだとしたら——
命は花音と深琴の関係をライトノベルのようだと称していたが、それこそ花音と氷上が出会ったのだとしたら、新しい物語が始まる予感を感じるだろう。
まぁ、現実はそう都合良くはいかないだろうが——
「氷上さん、私とバンドやろうよ!」
教室に入った深琴の目の前で展開されていたのは、パーカーを着て、気だるげに座っている少女に詰め寄る花音の姿。
目を輝かせ、あまりにストレートにぶつかってくる花音に、パーカーの少女は半分意識を呑み込まれているようだった。
少しぼさっとした黒染めした長い髪、小さくてまるで彫刻された人形のようにくっきりとした輪郭の横顔に、大粒の瞳——あれが氷上伊織。
身だしなみにあまり気を遣っていないように見えるが、それでも鮮烈な雰囲気を隠しきれていない。
確かに一目で只者ではないと分かる。
同時に花音の正体を知る深琴は、見つめ合う2人の存在感に周囲が塗りつぶされていくような錯覚を感じた。
まるで今この瞬間、世界が目の前にいるあの2人の出会いのための舞台装置になったかのようだ。
特別な2人の、特別な出会い。
片や自分のことを普通だと思い、青春に憧れて特別を追い求める少女。片やかつては天才の名をほしいままにしていたが、バンド解散という非業の最後を迎えた少女。
まさにドラマというに相応しい登場人物過ぎて、運命というにはあまりにも出来すぎた、物語の序章のようだ。
これからきっと、音楽を介した2人の特別な物語が始まる——始まろうとしている。
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