Rec.19
写野から聞いた話によると、Vtuberのコアなファンによって形成されたコミュニティの中では、水月孤儛の素顔を暴こうとする動きがあると、実しやかに囁かれていたらしい。
とはいえ、裏も取れていない噂程度のものだったそうで、水月孤儛の中身と思われる人物の画像をアップロードした投稿者に心当たりはないという。
深琴は水月孤儛の中の人と直接面識はない。通話越しの声しから知らないが、アップロードされた画像の中にあった日々夜奏は、間違いなく本人だ。
それを考えると、アップロードされた画像の信憑性もある程度高いのかもしれない。
深琴はモニターに映し出されたウェブ記事やSNSに流れる情報から視線を外し、スマホを見る。わざわざこんなことをしなくても、アップロードされた画像が本物かどうかは、日々夜や水月本人に——そうでなくても、日々夜と面識があるであろうイラストレーター三河鳴にでも聞けば分かることだ。
そうしないのは、冷静なところにある自分がトラブルに巻き込まれることを避けようとしているからだ。それなのに、ネットから情報を掬っているのは、少しばかりの気まずさがあったからだ。
思い出すのは、日々夜との会話。無理をする水月を止めてほしいという頼みを断ってしまった。
因果関係があるわけではない。それでも、今回の件はきっと、水月孤儛をより孤独にするだろう。深琴が必要だと思った孤独とは、全く違う形となって。
それが気まずいから、自ら踏み入ろうとはしない。それでも後ろ髪を引かれるように、ネットの情報だけを集めてしまっている。
きっと音楽制作が上手くいっていないせいだ。集中できていないから、余計なことを考えてしまう。
あるいはその逆で、楽曲制作が思うようにいかない理由を探しているのかもしれない。そうすれば、安心を得ることができるから。
どちらにせよ、自分のやっていることに嫌悪感しかなかった。あくまで安全圏から、自分の言い訳のために、安心を得るために、どう転んだところで自分に都合良く言い聞かせることができるように。
ロクなもんじゃない。SNSで水月孤儛の素顔について面白半分で拡散している野次馬と、タチの悪さはきっとなんら変わらない。
一通りすぐに検索できそうなページを見回り、深琴は目頭を揉みながらため息を吐く。
ネット上では、まだ水月孤儛の素顔が本人かどうかについては半信半疑といった状態だ。ただ、それも今はまだといった感じである。
というのも、日々夜奏は昔アイドルをしていた経歴があるらしく、当時のディープなファンが次々と声を上げていて、目立つようになってきている。
このまま写っている画像の日々夜奏が本人であることが確定してしまえば、一緒に写っている水月が本人である信憑性も増すだろう。しかも日々夜奏と水月孤儛は、先輩後輩という間柄だけではなく、どこか師弟的な関係のようであることは、ファンの間では周知の事実。そのことも考えれば、今の状況が悪い方向に傾くことも時間の問題だ。
ただ、そんな今更確認するまでもない状況を認識したところで、どうというのか。
自分に言い訳できるように、あるいは少しでも気分が楽になるためにしていたことだが、結局余計にモヤモヤとしただけだった。それも初めからわかっていたようなものだが。
衝動的に動いてしまった結果がこれだ。何というか、自分らしくなかったと思う。
いくら後悔したところで、見つけてしまった情報は脳裏にこびりついてしまった。
せめて引き返すなら今だろう。まだここなら自分は関係ないと、素知らぬ顔で楽曲制作に戻ることができる。
普段なら絶対にそうしていたはずなのに。
『…なぁ、水月孤儛とのメッセージのやり取りってどうなってる?』
言った瞬間から、もし言葉というものが引っ込めることができたなら、なんて考えが過ぎる。
とはいえ、この心に差した影を払拭するには、どのみち踏み込むしかないのだろう。
「メッセージは送ったのですが、二度三度返信があってからは特に…」
『一応、連絡取れるか試してみてもらっていいか』
「了解なのですっ」
命は声を跳ね上げて、敬礼のポーズを取った
とりあえず変な自暴自棄にだけはなっていないことだけは確認する必要があった。
しばらく返ってきていないとなると、望み薄かもしれないが——
本人に確認できないなら、日々夜か三河か。もしくは財布の中に入れっぱなしの名刺を見れば、室谷に直接連絡もできる。
流石にそれは大袈裟過ぎるだろうか。
そんなことを考えながら、財布の中にしまっていた室谷の名刺を出したところで、命からの通知が入る。
「孤儛様からの返信なのですっ!」
命のその報告に、とりあえずほっと、力が抜けた。どうやら無自覚な緊張で、少し肩に力が入ってしまっていたらしい。
そんなわけがないと分かっていながらも、本当の意味での最低最悪な状況を、頭の片隅で想像していたのだろう。
『それで、内容は?』
「はい、最近の調子を聞いてみたのですが、”心配してくれてありがとうございます。私は大丈夫です。警察にも対応してもらっていますし、しばらくは家から出ないようにしています”とのことです」
『…ということは、あの画像は本物なのか』
とはいえ、警察が対応しているとなれば、ひとまず大丈夫だろう。メッセージの内容も、思ったより冷静に対応している様子が伺える。
自分の顔が、自分の認識していないところで、不特定多数の人間に知られているなんて、想像するだけでゾッとする。
『…まぁ、この様子だとひとまず大丈夫そうだな』
「はい…それにしても残念なのです」
『残念?』
「孤儛さん、ずっと歌を頑張っていたようなので。一人でカラオケ行って、オレに追いつきたいと」
命が少し寂しそうに呟く。日々夜も今の水月は頑張りなすぎなくらい頑張っていると言っていた。
命に追いつくため——あの命に似た歌声を持つVtuberが、命の歌を聴いて何を感じたのか。
そこまで心を燃やせるほどの何かが、自分の音楽にはあったのか。
自分の曲を誰がどんな気持ちで聴いているのかを気にしてしまうなんて初めてだ。
一度、命のライブ用に制作した楽曲の中で、フロアにいる人のリアクションを誘導するようなものはある。しかしあれとはまた違う。
あくまで曲を構成する一つの要素としてではなく、単純に自分の曲が他人に何をもたらすかという点を、よくよく考えたことはなかった。
周りなんてどうでも良かったからだ。自分の理想を求めることだけに没頭し、完全を創造することだけに執着していた。
むしろ人の感情なんてノイズでしかなかった。ただそれは自分が創り出す曲の中での価値観であり、その外側全てに当てはまることではない。
そんなの考えなくても当たり前だ。でもこれまで考えもしなかったから、気が付かなかった。
水月孤儛はきっと、命の歌によってもたらされた感情を、新しい何かに変えようとしていた。
願わくば、それが何なのか知りたかった。そうすれば、もしかすると今抱えている自分の曲への物足りなさの核心へと近づけたかもしれない。
それがまさか、どこの誰とも知れないくだらない悪意によって遮られてしまうなんて。
もし、逆の立場なら——
思考が収束していく感覚。深琴は俯いていた顔を弾かれるようにして上げた。そして命を見る。
『そうだ…僕だったら』
「ど、どうしたのですかマスター…」
命は困惑したような表情をこちらに向けている。
『さっきの水月のメールは嘘だ。僕だったら、こんなくだらないことで止まってなんてられない』
ずっと頑張ってきて、そして次の段階に進める光明が見えた。そんな状況で、止まるなんて選択肢はないはずだ。
自分を追い詰めるくらいストイックさを持つ水月なら、間違いなく。
つまり、水月はおそらく今もな、どこかで歌っている。誰にも悟られないようにあんなメールを送るくらいだ、誰にも行き先を告げず独りで、だろう。
…何か、とてつもなく嫌な予感がする。
深琴はふと背筋に走った寒気に、体をブルルと震わせた。
一瞬の静寂——その間に頭の中を、妄想めいた思考が駆け巡る。そして静けさを突き刺すような電子通知音がPCのスピーカーから聴こえた。
「…あれ、孤儛さんからなのです」
命が不思議そうな顔を見せながら、メッセージ画面を開いた。
“たすけて”
ひらがなたった四文字。でもそれだけで、深琴は妄想が現実になり、そしてこれまでの人生で経験したことのない、逼迫した選択肢に直面したのだと確信した。
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