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Rec.16

 日々夜からの着信の内容を要約すると、今から少し会って話したいというものだった。


 詳細はあまり話さなかったが、どうも水月孤儛についてのことらしい。


 スミスとの同一人物疑惑や、恋人疑惑については、以前収録した番組によって解消されたはずだ。深琴は確認してないが、もう配信だってされているはず。


 であれば、一流のVtuberが改めて、しかもわざわざ対面で話すとなると、何かよからぬ予感しかしない。


 正直断りのセリフが喉まで出かかっていた。今は、独りでじっくり音楽について考えたい気分で、誰かの言葉など耳に入れたくない。


 それでも応じたのは、日々夜から半ば食い下がるように頼まれたからだ。何かただならぬ気配がそこにはあった。


 …なおさら、足取りが重くなる。


 やがて待ち合わせの喫茶店に着くと、深琴は大きくため息を吐いた後、店内に足を運んだ。その頃にはようやく、それまでずっと後ろ髪を引いていた思考も切り替えることができていた。


 こうなったら、できるだけ早く済ませてもらえるように頑張るしかない。


 どうやら既に日々夜は店に来ているらしく、深琴は店員にその旨を伝えると、個室へと案内された。


「ごめんなさい。急に呼び出してしまって」


『…いえ。でも、どうしたんですか』


 日々夜の謝罪に、一瞬だけ言葉が詰まってしまうものの、どうやら深琴の心境までは悟られた様子はない。


 ともあれ、深琴は席につきながら、早々に本題に行くように促した。


「深琴君に相談事というか、ちょっとお願いしたいことがあって」


 そうだろうな、と思いつつ深琴はメニューに視線を落とす。そうでなければ、わざわざ直接呼び出したりはしないだろう。


 しかし日々夜はなかなか切り出そうとはしなかった。その表情は申し訳なさそうにしていて、ここに至ってもなお躊躇っているようだ。


 結局話が動き出したのは、注文したアイスコーヒーが届き、その一口目を深琴が口にした後だった。


「外部の人にこういうことを相談するのは、本当はあまり良くないことなんだけどね…」


 そう前置きをした後、日々夜は手元に置いていたスマホを軽く操作して、その画面をこちらに向けた。


 画面に映し出されていたのは、動画サイトのコメント欄を写したスクリーンショットの画像。


“歌を聴くなら、スミスの方だな”

“下位互換じゃん”

“歌枠はスミスに任せよう”“スミスの歌聞いてくる”


「これ、この前の孤儛ちゃんの配信でのコメント。もちろんほんの一部で、動画コメント以外にも、各種SNSでこういった発信がされているの」


 画像を見て、深琴は顔をしかめる。言われのない疑いから、今度は歌への批判。どうやら水月孤儛は相当面倒な奴らに目をつけられたらしい。


 それ自体は不憫だと思うが、深琴が顔をしかめたのは別の理由——


「先に言っておくけど、もちろんあなたやスミスちゃんの活動に対して何かを言うつもりはないから」


 出かかった深琴の言葉を先に制するように日々夜が言った。


『それじゃ、お願いっていうのは…?』


 深琴は僅かに浮かしていた背中を、背もたれに預けながら尋ねる。もう一度コーヒーに口をつけるか迷ったが、日々夜の言葉を先に待つ。


「深琴くんやスミスちゃんに、できれば今の孤儛ちゃんを止めて欲しいの…」


 水月孤儛を止めてほしい——その穏やかじゃない表現に、深琴は息を呑む。


『止めるって…何があったんですか』


「元々、少しやりすぎなところはあったんだけど、最近このコメントのこともあってか、より拍車をかけて無理をするようになって…」


『無理って、そこまで深刻なんですか』


「すぐにどうこうなるってことはないと思う。だからマネージャーも、本人に対してはそっとしとこうって方針。でも…」


 日々夜は視線を俯かせて、自分のミルク入りのアイスコーヒーをストローで混ぜる。


 最初の穏やかじゃない言い方にしては、切迫した状況みたいであることに、深琴は肩透かしをくらう。


 とはいえ差し迫った状況でないというなら、今すぐ面倒に巻き込まれることはなさそうだ。


 そうして深琴の脳裏は、家に帰った後の行動予定にシフトし始める。


『今すぐどうこうなるってわけじゃないのなら、とりあえず様子見でもいいのでは?』


「…私は、少なくともそうは思わない。それに、今回のことは私に責任があるから…」


『責任、ですか? いや、それはないと思いますけど』


「ううん、きっと私が番組で煽るようなことをし過ぎたせいもあるんだと思う。そのせいでアンチが余計にムキになったというか…」


 言葉尻が弱々しくなっていく日々夜の様子を見ながら、深琴は「いやいや」と肩をすくめながら首を軽く横に振る。


『それは考え過ぎでしょう』


 確かにあの番組で、日々夜は水月と命の同一疑惑について、ネタにするような発言をいくつもしている。そのネタを命や水月が反応することで、ちゃんとしたエンタメにも昇華していた。


 見ようによってはアンチの面目を潰したともいえるが、そんなものが大きな動機となるだろうか。


 だとしたら相手はティープロという事務所、あるいは水月孤儛個人に、憎悪ともいえる偏執的な感情を抱いていることになる。


 まだデビューしたてのVtuberが、そこまで厄介なファンに粘着されるものだろうか。


 それよりも、今は件の噂が解消したばかりで、その残火が嫌がらせのようなコメントになったという方が納得できる。


『確かに趣味の悪いコメントですが、一過性のものじゃないんですか?』


「孤儛ちゃんも同じことを言ってた。気にしてないって。でも、そんなのは嘘に決まってる。そうじゃなきゃ、あんな風に無理をして立ち向かおうとしないよ」


 深琴はそこで二度目の顰めっ面を作ってしまった。幸いなことに、それを日々夜に見られることはなかったが。


『…つまり止めるっていうのは、無理して努力する水月さんに、スミスから水を差せ、と?』


 そこで日々夜が焦ったように顔を上げた。そして深琴もまた、ざわつく心情を思わず吐露してしまったことを自覚する。


「別に、そういうわけじゃないよ…でも、悪意に唆されて自分を傷めつけるみたいにムキになっても、空回りするだけだから」


 やけに実感のこもった言葉に、深琴は反射的に出かかったものを、なんとかギリギリで堰き止める。


 深琴はVtuberや配信業、ましてや歌で高みを目指す人のことに詳しいわけではない。


 だからこれは自分が知った風に言うべきことではない——そう、分かっている。


『…ベテランの日々夜さんが言うなら、きっと間違いではないのでしょう。ただ、僕も今は放っておく方が良いかなと』


 少なくとも自分であれば、邪魔されたくはないと思う。


 人には孤独になって、無謀に間違うことだって必要だと深琴は思っている。結局自分が納得できなければ、正しくとも前に進むことはできないのだから。


「やっぱり、私がお節介過ぎ…なのよね」


『それは…まぁ否定はできないかもしれません。逆に疲れないですか? 失礼かもしれませんが、Vtuberってこの手の騒動は日常茶飯事でしょう』


 詳しくない深琴でさえ、時たまVtuberが炎上していることをSNSで見ることはある。


 それはきっとティープロという大手事務所であっても変わらない。むしろ知名度がある分、小さなことでも大騒ぎになりそうだ。


 その一つ一つを気にしてもキリがないし、それこそ心労が絶えなくなる。


「そうね…でも、毎回こんな感じではないよ。なんというか、今回は嫌な予感がしたというか…」


『何か気になることでもあるのですか?』


「いや、具体的に何かあるってわけじゃないんだけど…虫の知らせ? みたいな…うーん、上手く言えないな。多分、私自身が今の孤儛ちゃんと似たような経験をしたからかな」


 やっぱりさっきの言葉は自身の経験によるものだったのか。


 深琴は小さく息を吐く。


『…わざわざ止めることはしないですけど、スミスに水月さんと友達として交流してくれないかとは頼んでみますよ』


 未だうんうんと唸っていた日々夜に、深琴はそう提案した。


「本当!?」


 日々夜が笑顔をパッと咲かせる。


『あんまり期待はしないでくださいね。別に何かが解決するわけじゃないと思いますし。そもそも、スミスの連絡に応えるかどうかすら、分からないんですから』


 深琴は少し早口で言う。日々夜の全く憂いがなくなったと言わんばかりの晴れやかな表情に、戸惑いを感じずにはいられなかった。


「もちろん、分かってるよ。ありがとう」


 日々夜はそれでも表情を綻ばせた。まだ何もしていないし、事態が良くなるかどうかすら分からない——もしかすると、変に刺激して悪くなる可能性だってあるのに、と思うと感謝をされても複雑な気分だった。


 急に肩が重くなった気がする。彼女は大丈夫とは言うが、大丈夫じゃなかった時、目の前の彼女の笑顔がどうなるのかと思うと、早々に安請け合いしてしまったことを、深琴は後悔し始めるのだった。

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