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Rec.13

 色々あった番組収録を終え、日常に回帰した深琴に待っていたのは夏休みという合法的に引きこもることができる夢の期間だ。


「む、む、む…」


 深琴は読み込まれた1冊の本の適当なページの文字を目で追っていた。数学と音楽の関係について書かれた本だ。


 考え事をする時は、スマホで適当なニュースサイトを見たり、あるいは読んだことのある本をもう一度読み返したりもする。


 今日は夏休み初日。ゆったりと本の気分だった。とはいえ読んでいるというよりは、文字を追っているというのが正しい。頭の中は本の内容よりも、考え事の方に集中しているからだ。


 しかも今回は目だけではなく、耳も外界から断絶している。具体的にはヘッドホンをして、現在絶賛MV制作中の新曲を、ループで聴き直している。


「むぅ〜…」


 そうまでして何を考えているといえば、もちろん曲作りのことである。というより、深琴に音楽以外で本気で悩む頭はない。夏休み始めということもあって、たっぷりとある時間を惜しみなく使って、深琴はいつもよりも深く音楽について思考を巡らせていた。


 ——自分の中にある音楽の正解を生み出す。理想的て摂理的で、完璧といえる音楽。音という無数の可能性の中にあるたった一つの完成を、深琴はずっと追い求めてきた。


 文字にすると、あまりに大仰で大胆な目標と言えるだろうが、詰まるところ一点の曇りなく納得できるものを創り出したいだけだ。


 つまり、深琴は今回作成した新曲についても、まだ納得はしていなかった。


「うぬ、ぬ、ぬ…」


 別に妥協しているというわけでは、もちろんない。少なくとも、制作中は自分の中にあるもの全部を込めているし、完成したその時だって妥協したな、なんて感情は一片としてない。


 それでもどうしてか、不思議と時間を置くにつれて、どんどん褪せていくような感情がある。


 そんな話を、七夢鳴海ナナユメナルミこと三河鳴ともしたが、それはクリエイターとしてとてもよくあることだと話していた。


 クリエイターならきっと誰もがそうなる。制作している間とか、完成したその直後とかは「これ以上のものなんてない」と確信するものの、いざ完成した後に改めて振り返ってみると、納得のいかない部分がどんどん浮き彫りになっていくと。


 それはクリエイターの業みたいなものだと、三河は言った。


 でもその感情があるからこそ、クリエイターは次の創作に心を燃やすことができる——あるいはそれを成長ともいうのかもしれない。


「にゅ、にゅ、にゅぅ…」


 深琴は先ほどから感じる視線に、大きくため息を吐いた後、本を置いてヘッドホンも取り外す。


『なんだよ、さっきから…』


 PCのモニターから、ずっとこちらを凝視する命。その行動は彼女にしては珍しいものだった。深琴が何か考え込んでいる時は、大抵モニターに映らず引っ込んでいるくせに、今日はずっと渋い顔を現したままだ。


「少し、納得のいかないことがあるのです」


『納得のいかないこと?』


 もしかして命もまた、同じように楽曲について悩んでいたのだろうか…いやまさかそんなわけはないか。


 基本的に深琴マスターが創る曲は全肯定する命だ。大方SNSに投稿するポエムとかで悩んでいるとかだろう——いや、それも見たことないな。


「マスターが孤儛さんに楽曲音源を提供したことに、なのです」


『…ん? 別におかしなことではないだろ』


「だって、マスターは人間の歌声を、自分の曲には入れない主義だと言っていたじゃないですか」


『まぁ、楽曲制作の時はそうだけど…』


 既に出来上がった曲にまで、厳密にその思想を適用するつもりは、そもそも深琴にはなかった。あくまでも制作過程において、その時々で調子が変化する人の歌声を曲の構成に取り入れたくないというだけだ。


「うむむ…でもやっぱり少しらしくない気がしたのです」


『らしくない、か。まぁ、確かに今回に限っていえば、少し試験的な側面もあることは確かだけどな』


「ど、どういうことなのですかっ?」


 モニターから飛び出てくる勢いで、命の顔が接近してくる。


『そ、そんなに食いつく話か?』


「マスターのことでわからないことはなくしたいのですっ」


 よくわからない理由だ。より最適な応答をしていくために情報収集したいという、AI的な本能なのだろうか。


『そんな大した話でもないけどな…』


 水月孤儛が自身の配信枠で、スミスの楽曲を歌いたいから音源を欲していると、リアルタイムで命から聞かされた時、確かに全くなんの抵抗も感じなかったといえば嘘になるかもしれない。


 ただ、ここ最近色々な人と関わったり、目の前にいるスーパーAIとの珍妙な出会いをきっかけに、様々な変化を実感した。これまでみたいにただ1人で音楽と向き合っている時よりも、遥かに前に進んでいる気もしている。


 1人で創り続けることは停滞を生み出すと思っているわけではないが、変化の機会をあえて逃すのもまた勿体無いことであることを知った。


 だから今回の件も了承して、楽曲音源を渡したのだ。


 具体的に何かを期待しているというわけではない。ただ何もしないのでは、いつまでも進展はないから、そうしてみたというだけだ。


 例えば、それこそ今の悩みの種になっている、どんどん褪せていくような、自分の曲に対して納得できない問題についても、何か糸口が見つかるかもしれない。


「…もしかして、オレでは力不足ということなのでしょうか」


『そういうことじゃない。なんて言っていいのか…』


 シュンと萎れる命の姿に、思わず腕を組んだ。別に歌や歌詞に不満はない。とはいえ、自分でも明確に言語化できない感覚的なことは上手く伝えられない。


「歌や歌詞なら、何度でも創り直すこともできるのです! この前の楽曲だって、マスターの納得のいくまで…なんなら今からでも」


『違う、違う。落ち着け…確かにどこか納得のいかないって気持ちがあるのは確かだ。でもそれは別にお前のせいじゃないし、1人で制作している時だってずっと感じていたことだ。それに創り直してみるのだって、もう何度も試した。でも結局解消はしないんだ。これは、単に曲のクオリティの問題じゃない』


 そう、問題は曲そのものじゃない。原因はきっと別のところにある、と言うことだけは確信している。


『だから色々と試してみよう、って段階なんだよ、今は』


 特に命と声質が似ている水月孤儛だからこそ、見えてくるものもあるかもしれない。


「うむむ、分かったのです…」


 そう言って引き下がるものの、渋々といった表情は明らかに納得はしていない様子だった。


 一方で深琴は自分の中で渦巻いていた思考を言葉として吐露したことで、幾分か整理することはできた。相変わらず、具体的な方向性は見えてはいないが。


 少なくとも、今こんな思考に陥っている時点で、次の楽曲制作に集中できようもない。


 これまでも同じような感覚に陥ったことは何度もある。でもこれまでは、その思考を脇に置いて曲作りに没頭することができた。多分それよりも先に消化しなければ課題が目の前にあったから。


 即ち今ようやく、向き合う段階に至ったということだ。三河曰く、自分のクリエイターの業というものと。


 多くのクリエイターにとってそれは、単に次の作品へのモチベーションなのかもしれない。でも”正解”だけを求めている深琴にとって、後になって納得できなくなるというのは重大な問題だ。


 正解というのは不変だからこそ、正解足り得る。だから深琴にとっては、単にモチベーションの発火点と終わらせていい問題ではない。


 完成するその瞬間も、完成した後もずっと、色褪せることのない曲——それが次に目指す場所だ。


「深琴ー? 入っていい?」


 ノックと共に、部屋の扉の向こうから母親の声が聞こえてきて、鳩尾当たりがふわっと浮いたような感覚に一瞬息が詰まった。


 思わず扉の方に向いた視線を急いでモニターに戻すと、命の姿は既にない。こういう時の反応と行動速度はさすがプログラム的存在だ。


 あとは日頃防災訓練ばりに、部屋に誰かが来た時を想定して練習しておかげか。


 ひとまずバレる心配はないことに、ざわついた心を落ち着かせ、努めて何でもないような表情を、訓練通りに作る。


『大丈夫だけど』


「それじゃ失礼するけど、あれ…さっきまで誰かと話てなかった?」


『あ、あぁ…通話でちょっと。でも、ちょうど終わったところ』


「それならいいけど…」


 どうやらさっきの会話、内容は聞かれなかったものの、部屋の外に漏れていたらしい。今後はもう少し声量を抑えないと…


『それで、何か用?』


 わざわざ部屋にまで来るのは珍しい。何かよっぽどのことでもあったのだろうか。急ぎの用事、のようには見えないが。


「何よ、そっけないね」


『普通だろ…高校生の息子にどんな反応を期待しているんだ』


 自分で思春期だなんて思いたくはないけど、この年齢になると、母親との距離感って一気に難しくなるんだよ。


 眉を顰めながら母親を見据えると、揶揄うような笑みが返ってくる。深琴は思わず肩を落とした。


「まぁ、別にいいけど。それより、ほら」


 どうやら今ので親子のスキンシップとしては満足した様子の母、皇彩絵すめらぎさえは手に持っていた真新しい紙袋をこちらに差し出してくる。


 差し出されたのでとりあえず受け取って中を見ると、そこには包装紙に包まれたお菓子の箱だ。


『何これ? 差し入れ?』


「んなわけないでしょ。あんた、この前番組の収録の練習だなんだって、友達に無理させてたでしょ。夜遅くまで」


『あぁ、なるほど…』


 彩絵のその言葉で、渡された紙袋の意味を察する。そういえば、写野にはまだお礼も言っていない。


 彩絵のその言葉で、渡された紙袋の意味を察する。そういえば、写野にはまだお礼も言っていない。


 というより、そもそも写野には撮影などの詳しい話をしていない。一応、練習しないといけない事情があるというのはそれとなしに言っているが…


 お礼を言うにも、どんな体裁を取ればいいのだろう。


「こういうのは、早いうちに慣れときなさい。それに、礼もまともにできないと、友達もできないわよ」


 そういう事情を知らない彩絵にしてみれば、今後色々な大人と関わっていくことを見越して、予行練習させておきたいということなのだろう。


 だとしたら拒絶するわけにもいかない。写野への体裁を考える必要があるな。


 それにしても、わざわざ友達できないなんて言うのは余計ではなかろうか…

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