off.■■ -幕間-
自分は凡庸以下の人間だと思っていた。
多分、人生の最盛期は小学生の頃だろう。当時は足が速くて、勉強もそれなりにできたくらいの何の特別性もない子供だっただけだが。
それなのに、自分は他の人間とは違うと勘違いして、増長した結果、中高と失敗を続け、現役の大学受験にも失敗。
大学に入った後も留年を繰り返し、卒業後の就職先は大した実績もないのに、年齢だけけで威張る輩ばかりが務める最悪な会社。
結局長続きもせず、退職した後は、バイトで食い繋ぎながら家でゲームや動画を漁る日々。
凡庸以下の人間。それが世間からの評価だ。そこに疑問はない。自分だって、中高生くらいでそのことにはとっくに気が付いているし、とっくに諦めている。
たまにどうして自分が生きているんだと考えることもあった。目的もなく、何も生み出さず、惰性だけの価値のない、死ぬまでただ生きるだけの人生。
ただそんな人生であっても、生きがいは必要だ。それがないと、死ぬまで退屈で仕方がないから。
ゲームはすぐに飽きた。上手くならないし、味方にはイライラする。上手くなるには勉強が必要? それがしたくないからゲームをやっているのに、本末転倒にもほどがある。
他にもいろいろやってみては止めた。大抵の趣味は金がかかったり、労力がかかったりする。だからどれも長続きはしない。
そんな時出会ったのがVtuberだった。動画サイトは基本無料だし、ただ見ているだけで労力はかからない。
何よりVtuberは画面の向こうから、どうしようもないクズにさえ言葉をかけてくれる。生きているだけで偉いと、好きだと言ってくれる。
Vtuberの沼にハマるのに、そう時間はかからなかった。
バイトで稼いだ大半のお金は、動画サイトを通じて送ることができるスーパーチャットに費やした。
スーパーチャットをすれば、投稿したコメントが強調表示され、その他大勢のファンにではなく、自分に対して言葉を届けてくれる。
リアルでは誰からも拒絶されるような人間が、この瞬間だけは自分の存在が認められているような気がした。
Vtuberというのは大きく分けて二種類存在する。個人で活動しているか、事務所に所属して活動しているか、だ。
特に個人や事務所所属という括りで、推すVtuberを決めているわけではないが、自分の好みは大手事務所に所属している人気Vtuberよりも、デビューから少し経って活動に慣れてきた個人のVtuberや中堅事務所以下のVtuberに偏る傾向があった。
というのも、スーパーチャットを送って反応をもらいたいという気持ちが強い自分の性質上、人気Vtuberだとその欲求をうまく満たせないからだ。
人気Vtuberになれば、それだけスーパーチャットの量は増え、自分のコメントは他のコメントに埋もれてしまう。
それでも後から時間を取ったりして、コメントを読むVtuberもいたりするが、なんとなくリアルタイムでないと満たされないのだ。
やがて自分の動画サイトアカウントのお気に入りは、新人や中堅どころの個人Vtuberばかりになった。
その中でもとりわけ推していたのは、歌配信を中心とする”白名”だ。
活動初期の頃から注目してたVtuberで、癒し系の澄んだ声と、人懐っこい笑い方のギャップが好みで、メインの推しだった。
とにかく歌うことが好きなようで、活動初期から一貫して、歌が上手くなるための研鑽を続けていた。
時には心無いコメントもあったが、そんな時の彼女はつまらないコメントは目を瞑って見ないようにしていた。
そして努力の甲斐もあって、1年も経つと彼女の歌はすっかり上達していた。
変化は白名だけではない。彼女の活動をずっと追ってきた自分にも転機が訪れる。最初期から応援していたファンの代表として、白名の配信コメント欄を監視し、荒らしなどをBANできるモデレーター権限をもらえることになったのだ
白名はモデレーターに対して、特に強制的なことはせず、荒らし対策というよりも、信頼できるユーザー達が楽しめる環境を守りたいという意図で、何人かのユーザーに権限を渡していた。
推しに認知されるだけでも、これまで費やしてきた全てが報われる気持ちだった。その上、信頼の証まで渡してくれるなんて。
もちろんモデレーター権限を受け取り、コメントの監視と共に、これまで以上に白名を応援した。
それからまた1年が経過した。日々、白名を傷つけようとする馬鹿どもを監視していると、ご丁寧に動画リンクまで添えて、別の新人Vtuberと声が似ているなんてコメントをする奴がいた。
ここ最近、Vtuber関連のコミュニティで少し話題になっている新人だ。しかし実際に歌を聴いてみると、なんて事はない。
古参の自分から言わせれば、全くの別物。白名の歌の方がずっと生き生きとしている。
くだらないでっち上げだ。でもこんなコメントにだって、白名は傷つくかもしれない。コメントを見ないように目を瞑って、なんでもないように笑顔を浮かべるのだ。
——俺が守ってやるんだ。彼女と一緒に戦って、本当の笑顔でこれからもずっと配信ができるように…
その知らせは唐突だった。
白名の引退。2年以上の活動に、幕を下ろすと、彼女は丁寧な動画で発表した。
モデレーターなのに伝えられていなかった。どうして、なんの理由があって、Vtuberを辞めてしまうのか。
もしかして、彼女を傷つけようとしていた、馬鹿なコメントのせいだろうか。だったらそれは自分のせいでもある。取り締まる側である自分の監督不行き届きだ。
そう思うと食事も喉を通らない日々が続いた。どうして突然引退なんてしてしまったのか、しばらく調べてもみたが、引退当時は何も情報はなかった。突然彼女は電子の世界からいなくなってしまったのだ。
白名のいない日々は、あまりに空虚だった。Vtuberの引退なんて、これが初めてのことでもないのに。
自分はどうやら、白名というキャラクターとその魂に、心底惚れ込んでしまっていたようだ。
しかし奇跡は起きた。個人Vtuberだった白名は、あの大手Vtuber事務所であるティープロで、その魂を新しい身体に宿して復活したのだ。
水月孤儛が白名の転生先であるということはすぐに分かった。何せもう2年も推していたのだ。間違えるはずもない。
白名はもういない。彼女を見て、そんな寂しさはあったものの、それ以上にまだこの世界にその魂が残っていたのが嬉しかった。
それまで大手Vtuberを推すことはなかったが、水月孤儛だけは、自然と推すことができた。
もちろん前世のことにあえて触れるようなことはしない。そんなことをしても彼女は喜ばない。この小さな優越感は、心の中だけに留めておくべきだろう。
収益化が通った後は、すぐにスーパーチャットを送った。ちょっとした期待も込めて、白名の活動を応援していた時のアカウントのままで。
でもコメント自体が当たり障りのないものだったせいか、送ったスーパーチャットに対する反応は、他のユーザーと変わらなかった。
やはり大手事務所のVtuberの配信は競争率が高い。上限金額で投げるユーザーなんてザラだし、安い金額でも秀逸なコメントであれば長い時間触れてくれる。
量より質——そこから水月孤儛に気に入られるようなコメントを繰り返し投げるようになった。
でも彼女は応えてくれなかった。何を書いても、どう応援しても、その他有象無象と対応はなんら変わらない。
奴らの大抵は、ティープロ所属だからと群がってくるだけなのに。
自分は違う。彼女のことを誰よりも分かっている。好きなことも、苦手なものも、苦手なものを目の前にした時、目を閉じてしまう癖があることさえ——
何を言えばいい。何を言えば、彼女はこちらを向いてるれるのだろう。
そこで思い出したのは、以前微かに囁かれていた、白名と似ているVtuberの存在。確か、スミスといったか。
どうせポッと出の奴らは、こんな明らかな嘘すら見抜けない。それが証明されれば、あるいは彼女も振り向いてくれるかもしれない。
最初はそんな動機で、水月孤儛のコメント欄に例の噂を打ち込んだ。
するとどうだろう。自分が発信したコメントは瞬く間に広がった。ちょっとした炎上にまで発展したくらいだ。
やっぱり、他の奴らは何も理解していない。正しいのは自分だった。
ただそれを証明するために、自分は推しの心を傷つけてしまった。配信を見ていると、噂のコメントが流れる度に、孤儛は目を閉じていた。苦手なものを見ないようにする、白名の頃からの癖。
自分はてっきりそんな推しの姿を見て、自責の念に心痛めるものかと思っていた。
でもその時感じていたのは、仄暗い充足感。自分の奮った刃で、彼女の心に傷という証を刻み込んだ実感。
小学生の頃にあるような、好きな子をいじめたくなるアレだろうか。いや、そんなものよりずっと生々しい歓喜だった。
人として、あまりに禁忌的な感情。でも新しい自分の一面であり、それを彼女が引き出してくれた。
自分は特別な人間じゃない——その認識が多分この瞬間に失われたのだと思う。
次に恋人疑惑の噂を流してみた。スミスというVtuberが片思いのポエムみたいなものを投稿していたのを見て、兼任疑惑と合わせることができると考えたのだ。
これもまた面白いくらいに広まった。自分の言葉一つで、まるで世界が丸ごと動いてるとさえ錯覚しそうな全能感があった。
水月孤儛は今日も目を閉じている。その心に刻まれているのが分かる。そこにはたまらない背徳感もあった。
イヤホンを両耳に入れて、白名時代の配信を流しながら、孤儛の配信をモニターで見る。今と過去を同時に取り込んで、身体の中を全て彼女で満たしたかった。
全能感と、背徳感と、そして自分を刻んだ実感と、彼女で満たされた心。その全てには麻薬的な快楽があった。きっと脳内で何とかミンとか、何とかニンみたいな物質がドパドパ出ているに違いない。
でもその快楽は長くは続かなかった。ティープロの看板Vtuberの日々夜奏の番組で、孤儛と件のスミスが共演したのだ。
これには驚いた。まさかあの天下のティープロが、活動し始めて日の浅い個人Vtuberを公式番組に出すなんて。しかも、兼任疑惑や恋人疑惑を面白おかしくネタにしている。
こうなっては、燃え上がりかけていた火もすぐに鎮火するだろう。
しかしティープロのこの対応は、疑惑を晴らす代わりにもっと悍ましい獣達を呼び起こしてしまった。つまり、孤儛やティープロアンチがこの対応を一種の宣戦布告と捉えたのだ。
ネットの底にあるアングラな掲示板での話によると、その筋では有名な特定班が直々に孤儛の粗を探しているらしい。
気になるな…
全てを知りたい。もろく柔らかい神聖なその場所に、傷を刻みたい。その行為でしか得られない甘美を知ってしまった。それが毒だと分かっていても、止めることはできない。
それに既に次の策も頭の中には生まれていた。
虚実の刃が無意味なら、真実の刃で傷つければいいのだ。
きっとこれまでよりもずっと、深く刻まれる。想像するだけで、恍惚感に冒されていく。
大丈夫。もし深く、深く傷ついたとしても、最後には慰めてあげるから。
そうすれば、自分はきっと本物の特別になれる。
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