File No.4
皇深琴は16歳の高校1年生である。
つまり休日である日曜日が明け、月曜日になれば学生という本分を果たすために登校しなければならない。
土日をほとんど外出せずに過ごし、月曜日の朝になると深琴は常々思うことがある。
なぜ、未だ登校なんていう文化が残っているのか、と。
世界は日々前進を続けている。人は常に進化という老いを続け、誰かが生まれたその瞬間、地球は回っている。
文明もそうだ。今の世界では、AI技術を筆頭にさまざまな技術が発展し、今や家から動かなくても、人として過ごすことができる。
それなのに日本の学校文化というのは、昔からずっと変わらない。
よく大人たちは学校を社会の縮図に例えて、いずれ大人になり社会に出るための予行練習なんて言うが、インターネットが発展して、今やどこにいる誰とでも繋がるこの拡張した時代においては、もはや学校を社会に例えるのは無理がある話だ。
そういうと今度は、リモートワークではサボる人が出るだろうなんて言う。実際SNSでもよくリモート講義のサボる様子を嬉々として上げている人もいるくらいだ。
でもよくよく考えてみれば、サボるやつはたとえ教室内でも真面目に授業は受けないし、やる気がないなら講義内容が頭に残ることもなければ、他の生徒の邪魔にさえなるだろう。
結論、もはや登校なんて化石文明だ。
『眠い…』
それが眠い目をこすり、トボトボと登校する深琴の出した答え。
体を伸ばすと、まるでこの土日で溜まりに溜まった惰性という毒素が抜けて、陽光の下で溶かされていくようだ。
登校を嫌悪し、普段から出不精な深琴が、それでも引きこもりにならない理由——いや、なれない理由だ。
人はもう外に出なくてもいい。進化した果ての文明で、その理想の免罪符を人類はついに手に入れた。
でも中学生活を終えて、長い春休みに入った深琴が今日に至って気づいた真理——それは人が太陽の光を求めてしまうということだ。
実際春休みの間、深琴は限りなく家に引きこもっていたが、ずっとそのままでいると段々と不調になってくる。
ずっと家に引き篭もれるなんて最高じゃないかと考えていたが、創作を続ける深琴にとって、精神的な不調で創作の手が動かなくなるのは耐え難いものだった。
それを解決したのが太陽の光だ。気分転換には散歩が良いという古来からの言い伝えに従って、しばらく陽の下を歩いていたら、それまでの精神的不調がすっかりなくなった。
つまり人は太陽なしでは安定した心さえ保てない。溜まった毒素を太陽に焼き尽くしてもらわなければならないのだ。
だから皇深琴は、登校を嫌悪しつつも、外に出る理由の一つとして、陽の下を今歩いている。
「——やっほ、深琴」
そんな深琴の浄化ルーティーンに横槍のような挨拶をしてきたのは、肩まで伸びた髪を揺らして、人懐っこい笑みを浮かべる同じ私立奏桜学園の制服に身を包んだ女子生徒——同級生であり、幼馴染である志々目花音である。
奏桜学園は中高一貫であり、深琴も花音もエスカレータ組だ。しかし付き合い自体はさらに幼い頃からで、親同士が仲の良いご近所ということで、接点はもはや生まれる前からという関係である。
とはいえ、深琴は生まれつき声が出ないことで病院に通っていたこともあり、そこまで仲良くしていた記憶はない。それなのに今も、彼女は顔を合わせれば挨拶をするし、こうして一緒に登校することもある。
『…おはよう』
花音の挨拶に対して、深琴は姿勢を伸ばした状態から、降り注ぐ陽の光を受け止めるために両腕を空に向けて広げるポーズに移行したまま応じる。
「何してるの、朝から」
『休みの日に摂取できなかった太陽を全力で摂取している』
少し呆れを含んだ花音の言葉に、深琴は表情を動かさずに答えた。
「…相変わらず変なの。そんなことばかりしてると、不審者に間違われるよ?」
『僕は奏桜学園の制服をきているから、身元は明らかだ』
「そういう意味じゃ、ないんだけど」
ため息を吐く花音を尻目に、深琴はとっとと歩き出す。後ろから追いかけてくる花音の気配を感じながら。
少し歩いたところで、制服のポケットにしまっていたスマホが震えた。こんな朝から、どこかの会社のメルマガかと、ナチュラルに交友関係が浅い人間の思考に至りながらスマホを取り出すと、そこには画面いっぱいに猫科の動物を彷彿とさせるようなスーパーAI命の顔が映し出されていた。
ギザギザの歯を見せ、何か必死に語りかけているようだが、その声は届かない。そういえば、学校のある日スマホはずっとマナーモードにしているから、そのせいだろうか。
そうはいってもこのAIであれば、貫通してきそうなものだが、一応自分が逃亡中の身である自覚はあるということだろうか。
深琴はしばらくAIの命の声なき訴えを冷めた目で見つめた後、何も言わずにそっとポケットにしまった。
「どうかしたの?」
『いや、別になんでもないよ』
後ろから覗き込むように声をかけてきた花音を誤魔化しつつ、未だ震えるスマホを無視することに決めた。
「ていうか、相変わらず休みの日は音楽作りで引きこもってるの?」
花音もどうやらスマホの画面までは見えていなかったようで、特に興味を示すことなく、別の話題へと切り替えた。
『他にやりたいこともないから、必然的にそうなる』
「深琴の場合は、周りに興味がなさすぎと思うけどね。部活とかはやらないの? そんなに音楽が好きなら、吹奏楽部とか軽音楽部とか良さそうだけど。ほら、ザ・高校の青春って感じでさ」
『僕にそんな青春がお似合いとでも?』
「あー…そういえば、深琴って高校になって、友達はできた?」
なんだその質問は、と軽く睨みつけながらも、深琴は淡々と述べる。
『中高一貫なんだから、同級生の顔ぶれもそこまで変わってないだろ』
YesかNoかはあえて言わない。別に気にしているわけではない。深琴は友達が作れないのではなく、わざわざ作らない主義なのだというのに、花音はそれを理解してくれないのだ。
「うーん、でもうちらの代は、結構外からの入学者も多いみたいだよ。今年から結構外部入試者を募集してたみたいだし」
『そうか? そう変わったようには思えないけど』
「それは深琴が同級生の顔すらまともに覚えていないからでしょ…そういうところも直すためにも、やっぱり部活はすべきだよ!高校生らしく、たった一度の青春のために!」
『別に僕は直す必要もないと思っているが…それにそもそも音楽系の部活には最初から興味もない』
「え、どうして? あんなに音楽好きなのに…」
『人が演奏したり歌っているのは好きじゃないんだ。気分悪くなることもあるし…』
「あー…そういえば、深琴ってそうだったよねぇ。中学の頃、学園祭のステージの演奏に酔って吐いてたもんね」
『思い出させるな…』
深琴はデジタル音楽信奉者ではあるが、別に生演奏を否定しているわけではない。ただ、どうしても身体に合わない時があるのだ。
特に学生の演奏となると、楽器そのものもチューニングがあっていなかったり、音響でやたらぐわんぐわんと響かせたりするから、どうしても日頃音と繊細に向き合っている身としてはキツい場面が多い。
『そっちこそ、部活は決めたのか? 確か、仮入部は先週までだろ』
深琴は仮入部イベントすら参加はしていない。初めから部活に時間を割くつもりはないからだ。
「んー…正直かなり迷ってるなぁ。中学の頃は陸上部だったけど、あまり結果も出なかったし、高校からは別のことを始めてみてもアリかなって」
『ふーん』
「あのねぇ、自分で聞いといて、その興味のなさ具合、ちょっと酷くない?」
深琴としては、単になんと答えれば良いかわからなかっただけだが、どうやら花音には冷たい印象を与えてしまったらしい。
頬を膨らませる花音を横目で見ていると、花音は口から空気をぷっと吐き出して、いつもの調子に戻る。
彼女もまた、僕が冷たく当たっているわけではないことを理解しているのだ。
「私は高校では得意なことを伸ばしてみようかなって思ってるんだよね」
『得意なことって…』
深琴に1つの心当たりが過ぎる。花音の幼馴染であるが故に、何度も付き合わせられたことがある彼女の趣味に関係するもの——花音は自分の右手に円を作るように軽く握ると、それを自分の口元に持ってくる。
まるでそこには、深琴も見慣れてしまった銀色のマイクがあるようだ。
「もちろん、私といえばカラオケ! つまり歌だよ。実は軽音楽部に入ってみようかなって」
『軽音楽部…まさかとは思うけど、僕を巻き込むつもりだったのか?』
「だってぇ、深琴いろんな楽器できるでしょ? 音楽にだって詳しいし…なんならオリジナル曲制作とかどうっ? すごく青春って感じしない?」
花音の顔の距離が、先ほどよりもずっと近くに迫った。キラキラとした瞳には、これから起こる青春とやらの日々の想像、いや妄想が映し出されているのが、深琴にも見える気がする。
しかし深琴は断固として首を横に振る。
『思わないし、入る気はない。それに僕はボーカルのある曲は作らない。不安定な人の歌声は入れない主義なんだ』
「…それ言うと思った。はぁ〜、深琴がいれば百人力だったのになぁ」
花音はわざとらしく嘆息する。とはいえ勧誘自体はあっさり引き下がってくれた。初めから深琴が軽音部に入ることはないことは分かっていたのだろう。
彼女は深琴の曲作りにおけるこだわりも知っている。普遍的て、機械的な音に惹かれ、完成された音楽を追い求める深琴にとって、人の演奏はもちろん、人の声もノイズになり得る不確定要素なのだ。
故にボーカルのある曲は作らず、これまでの作曲したものは全てインストだ。
「ま、候補は他にもいるし? もし私がバンドをして、普通の女子高生から超人気者になっても、深琴にはサイン書いてあげないから!」
『別にそんなものはいらないよ…でも、他に候補っていうのは?』
なんとくなく、深琴の中に好奇心の芽が顔をだす。自分と同じ候補であるということは、その人もまた音楽に造詣がある生徒なのだろう。
奏桜学園はスポーツ推薦はあれど、芸術科目の推薦はない高校だ。だからピアノを弾けるというだけでもレアともいえる高校で、同じく音楽の道を歩む人には少なからず興味が出てしまうのだ。
深琴が尋ねると、待ってましたといわんばかりに花音は鼻を膨らませて言った。
「ふ、ふ、ふ…深琴は本当に、他人に興味がないんだから。うちのクラスに1人、とんでもない子がいるんだよ?」
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