表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/45

Rec.07

 一目見ただけで、特別な人間というのは多分存在する。生まれつきのものなのか、膨大な経験や努力が積み重なった結果なのかはそれは正直分からない。


 今日初めて出会ったのだから当然だ。生い立ちも、これまで超えてきたであろう修羅場も深琴は何も知らないのだから。


 服装か、姿勢か、瞳に宿る力強さなのか。それともその全てが揃っているからなのか。


 一つ確かなことは、今深琴は目の前でただ座っているだけの女性に気圧されているということだ。


 さっきからずっと日々夜奏の視線が、こちらを向いて固定されたかのように微動だにしてない。それが怖くて、緊張してしまっているが故の錯覚かもしれない。


 いや、そうだとしてもやっぱり彼女の全身から放たれている特別感は、確かにある。


 深琴はこれまでにも人の特別な瞬間というものを、人生で何度か体験している。例えば、最初のステージに立った志々目花音ししのめかのん、路上ライブでギターをかき鳴らしていた氷上伊織ひょうじょういおり。才ある者が、その最高を超えるような瞬間的な特別性。


 でも目の前の女性は、これまで見てきたものとは違う。何せ、今の彼女は何もしていない。ただ座って、こちらを見てくるだけだ。


 それなのに圧倒的な存在感があった。刹那的な輝きではなく、常に燃え続けているかのような気配に、深琴はすっかり呑み込まれていることを自覚する。


 日々夜奏——その名前は、Vtuberについてさほど詳しくない深琴でも、聞いたことがある言葉だ。


 SNSでよくトレンド入りするし、動画サイトだけではなく地上波のTVにも度々出演している、上澄のさらにTOPに君臨するVtuberだ。


 つまり今肌に感じる刺すような熱の気配は、彼女が正真正銘の、いわゆる化け物レベルだからだろうか。


 それは花音や氷上が紛いものだということを指しているわけではない。でも多分、彼女は一線を画す。才ある者でも超えることできない線の向こう側にいる人物なのだ。


「…って、自信満々で言っちゃったけど、活動名の方伝わらなかったらどうしよう…恥ずかしいかも」


 深琴が固まっていたのは全然違う理由なのだが、どうやら勘違いをした日々夜は、隣の室谷に小声で呟く。


 プロダクション統括という役職が、具体的にどの位置にあるものかを深琴は知らない。しかしその名称のイメージと室谷自身の雰囲気から、ティープロでも相当に上の立場であることは伺える。


 年齢も相当差があるというのに、日々夜のこの態度。ティープロの中でも彼女が特異な存在であることは十分に伝わった。


「恐れ入りますが、皇様は弊社のことをご存知でしょうか?」


 室谷といえば、日々夜の解けるような声音にも全く動じずに、軽くこちらに頭を下げた後、そう尋ねた。


『もちろん知っています。日々夜奏という名前も、何度かTVで聞いたことがあります』


「はぁ〜よかった…」


 日々夜が席の端で安堵のため息を吐いている。


「それで室谷さんのさらに隣の人は、私のVtuber業務でのマネージャーを担当してくれている佐々木さん」


「初めまして。三河のマネージャーを務めております、佐々木と申します」


 二人の紹介が終わると、今度は深琴の隣に座っていた三河が、スーツ姿の女性の方を紹介してくれる。


 すかさず差し出された名刺を佐々木から受け取り、深琴は2枚の名刺を自分の手前に並べて置いた。


「さて、3人には既に話しているけど、彼が皇深琴くんで、スミスの楽曲制作や全体の運営をしてくれています」


 深琴が顔をあげたタイミングで、三河がそう紹介してくれた。ひとまず、状況がまだ読めていない今は、様子を伺うしかない。


「そのスミスさんご本人は本日は…」


「あ、それはどうだろう…深琴くん?」


 黙っていようと思っていた矢先、室谷の疑問に乗る形で三河もこちらに視線を向ける。


 深琴は酷く自分の唇がカサついていることを自覚しつつも、再度口を開く。


『申し訳ないですが、本人の事情もあり、顔を出すのは控えさせていただく形になっています。ただ、本日も通話を繋げられるよう準備はさせています』


 何度もシュミレートしてきた言葉を無事吐き出せた安堵のせいか、胸の内が浮遊する感覚に見舞われる。


「左様でございますか。直接ご挨拶できないのは少し残念ですが、特に支障はございません。最近は、完全に覆面で活動している方も多くなってきていますから。むしろこちらこそ、大切なお話の場に無理を通して同席させていただくことになってしまい…改めて謝罪いたします」


 そう言うと、室谷は先ほどよりも深く頭を下げる。隣の日々夜も、その動作に合わせる形で頭を下げた。


『いえ、僕に謝っていただくことは…というか、そもそもどういう状況かも分かっていなくて』


 深琴は困惑しつつ、隣の三河の方に視線を向ける。


「そうだよね。ちゃんと説明しなきゃなんだけど、先に私たちの方の話を済ませちゃってもいいかな?」


 三河は申し訳なさそうにしながらも、深琴と向かい側に座る三人にも確認を取る。


「それはもちろん」


 すぐに室谷が返答したことで、全員の認識が統一される。当初予定されていた話というのは、スミスの次の楽曲と、MV制作における業務提携についてだろう。


『では、もうスミスとの通話も繋げますね』


 深琴はスマホを取り出し、通話画面を開く。すると間も無くして、命との通話が開始された。事前に命と示し合わせていた通りに、深琴はスマホをスピーカーモードにしてテーブルに置いた。


「お疲れ様ですっ マス…いえ、深琴様!」


「おぉー、本物だぁ…それに、ほんとに似てる…」


 日々夜がそう思わず溢した言葉で、深琴は何となく今の状況にピンときた。


 しかし日々夜が命の声をさらんよく聞こうと、身を乗り出そうとしたところを、室谷の控えめな、それでいて鋭い絶妙な咳払いによって止められる。


 同時に深琴の思考も立ち返った。今は、MVについての話に集中しなければならない。


「それでは、次回楽曲のMVについて、業務提携に関するお話をさせていただきます」


 端にいた佐々木がそう切り出したことで、次回MV制作に関する打ち合わせが始まった。


 結論からいうと、その打ち合わせは驚くほどスムーズに進んだ。深琴が危惧していた契約に関しても、深琴が代表として契約をするだけで済んだし、条件や報酬などの話にも疑問的なものは特になかった。


 強いて言えば、報酬に関して深琴側の比重がかなり高いという印象を受けたくらいか。


 それも理由を尋ねると、未来ある若者への投資という側面と、三河曰く「いずれグッズ展開とかさせていただければね…」という答えで何となく察しはついた。


「実際に契約を交わす際は、皇様の親御様にも同様の説明をさせていただいた後とさせていただきます。本日のところはこれらの資料を持ち帰って、親御様にお渡しいただいてもよろしいでしょうか?」


『はい。わかりました』


「合わせて、親御様のご都合の良い日程も、後日お知らせいただけると幸いです。親御様の方へは、私と法務担当の者でお伺いさせていただきます」


『すでに母親にはある程度伝えていて、日程も確認してもらっています。本日中にはメールで日程を送ります』


「ありがとうございます。それでは、MV制作についての話は以上となります」


 佐々木がそう締めくくり、場は一度ブレイクタイムへと突入した。


 それぞれ注文していた飲み物や食べ物を口にしながら談笑したり、深琴が三河に送った新曲について感想を交わす時間が過ぎていく。


 しばらくしたところで場の空気が再び引き締められ、室谷が切り出した。


「本日、私どもが無理を言って同席させていただいたのは、皇様に急遽ご依頼したいことがあったからです」


『依頼…ですか?』


「はい。まずは背景からご説明させていただきたいのですが、皇様は弊社所属タレントの水月孤儛ミヅキコロモをご存知でしょうか?」


 やっぱりか、と深琴は室谷の口から告げられた名前を聞いて、確信に至る。


 つまり室谷と日々夜がここに来たのは、ここ最近少し話題になっているスミスと水月孤儛というVtuberにかけられた同一人物疑惑と、恋人疑惑について話に来たというわけだ。


『はい、もちろん存じています。最近、ネット上で色々と噂になっているので』


「でも、今日本人と話してみたり、歌も聴いてみたけど…声質が少し似ているくらいで、全くの別人よ。どうしてあんなおかしな噂が広がるわけ?」


 日々夜が室谷の方に顔を向けて、少し責め立てるように言った。


 室谷には何の責任もないのでは、と思ったが、そういえばティープロは今回の件については特に公式で触れていない。


 もしかしたらそういった意味で、彼女は怒っているのだろうか。


「そうですね…弊社としても調査は行なっておりましたが、どうも一部の過激なユーザーが率先してSNSやWeb記事として発信しているようでして…」


 室谷は弱々しい声をテーブルに落とす。その額には冷や汗が浮かんでいた。


 写野も同じようなことを言っていた。今回の件は、アイドルVtuberによく見られる過激なアンチが率先して動いていると。


「それで…あの大変失礼なことをお尋ねするのですが、スミス様と皇様は、恋人関係でいらっしゃるのでしょうか?」


 全員の矛先が室谷に向く中、ふいに爆弾が投下された。


 それまでの視線が、赤色から桃色に色彩を変えて、深琴に向けられる。


「それは気になってた! どうなの、スミスちゃん!」


 特に反応したのは隣に座る三河だ。


「いやぁ〜、確かにオレはマスターのことをお慕いしてるのですけどぉ…」


『違いますよっ! それって、あのSNSでのつぶやきに関してですよね?』


 変なことを命が口走る前に、深琴は身を乗り出して声を上げて遮る。


「はい。念の為の事実確認として…いえ、プライベートなことですのでお答えしなくても良いのですが」


『別にやましいことはありませんよ。僕の楽曲の作詞はスミスがしているのですが、あの投稿内容はその練習みたいなもので…』


 言っていることは全くの事実なのだが、周囲の温かい目線で、こじつけているように思われているということが分かる。


『…とにかく、その件については噂を変に悪化させてしまい、申し訳ございません』


 深琴はもう自分が何言っても無駄だと感じつつ、投げやりに頭を下げた。


「いえ! 謝る必要なんて何一つございません。ただ、弊社としてもこのまま噂が一人歩きしてしまうと、タレントの活動にも支障をきたしてしまいそうなので、皇様とスミス様にこちらの企画にご協力いただけないかと、ご依頼にまいりました」


 室谷はそこで鞄からホッチキスで止められた資料を取り出し、深琴に差し出した。


『公式番組、日々夜奏のカナでましょうの、ゲスト出演…?』


 資料の表紙に書かれたタイトルを読み上げて、深琴はふと日々夜の方を見る。


 彼女は自信満々のいたずらっ子のような笑みを浮かべていた。

よろしければ★★★★★★を入れて応援お願いします。

励みになってやる気が_(:3 」∠)_

ぐーんと伸びます!・:*+.\(( °ω° ))/.:+

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ