Rec.04
今日も配信は、少なくとも表向きは盛況なまま幕を閉じることができた——
城川凪沙は、言い聞かせるような満足感と深い疲労感の中、倒れるようにしてベッドに沈み込んだ。
眠気はやってこない。配信直後だからか、目は冴えて、雑多な思考が頭の中をかき混ぜている。
「はぁー…今日も頑張った」
枕に顔を埋めながら、1人しかいない配信部屋で呟く。
今日は朝に食事を摂って以降、何も食べていない。空腹感はあるものの、それよりも身体の虚脱感の方が強くて、動く気になれない。
個人で活動していた頃は自炊をしていたが、事務所所属のVtuberになってからというものの、配信以外の時間が予想以上に忙しく、ここ最近はもっぱら宅配の食事ばかりだ。
今日も宅配にするか、それともこのまま眠ってしまうか…
考えながらスマホを起動する。しかしその指は食事の宅配サービスアプリではなく、SNSを開く。ほとんど無意識の手癖で開いてしまった。
良くないことは分かってる。それでも手は動いて、検索欄の履歴に残る自分の活動名を押してしまった。
今日の配信に関するファンのつぶやきがずらりと並ぶ。概ね評価は良いものばかりだった。次回の配信や、リクエストなどが並ぶ。
それらに目を通し、目立ったリクセストは頭に入れていく。
しかしふと、視界に残るつぶやきがあった。今日の配信でもちらほらと見えたコメントと同じような内容だ。
自分が現在個人で歌い手として活動している”スミス”というVtuberと同一人物であることを示唆するような内容のつぶやきだ。
直接言及していなくても、非難や落胆の声として、それらは目立った。いや、きっと普通の人なら気にするほどでもない僅かな数だが、凪沙にとってはその一つ一つが酷く心に引っかかってしまう。
歌を聴けば、声質は似ていても、根底から別人であることは、一度でも聴けば分かることなのに。
結局のところ真実なんてものはさほど重要じゃないのだ。ただ他人のセンシティブな部分を踏み荒らしながら、自分の主張を顕示することで鬱憤を晴らしたいだけなのだから。
そういうことも分かっている。だから必要以上に気にすることはないと、担当のマネージャーからも言われた。
数の少ない非難の言葉より、あなたを応援してくれているたくさんの言葉に耳を傾けるべきなのだ、とも。
それでも凪沙の目に留まるのは、数千の応援よりもたった一つの心無い非難の言葉だった。
視界に入るといつも、考えようにしなければという思いと、吐き出しそうになってしまうほどの不平不満が脳裏を過ぎる。
その度に凪沙は小さな嘘をついた。
周囲に心配をかけないよう、自分は心無い言葉なんて気にもしていないと、笑顔の仮面を張り付けて。
それは自分の心を静かに封じ込めるためだった。でも小さくても嘘を重ねていくと、徐々に、しかし確実にストレスが積もり溜まっていく。
心の片隅では気にしていることを、気にしていないフリをすることが、ここまで精神を削られて疲れるものだとは思わなかった。
心無い言葉を投げかけるなんて、個人として活動している時だってあった。ただ個人の時は、全てが自分の責任で、たとえ吐き出した言葉で何が起ころうとも、最終的に損するのは自分だけ。
でも今は違う。今の自分の後にはティープロという大きなブランドがあり、自分の一言でたくさんの演者やスポンサー企業に影響を及ぼしかねない。
事務所所属になれば、ある程度不自由な思いをすることは覚悟していた凪沙だが、実際に体験すると、自分の考えが如何に甘かったと思い知った。
「私、向いてないのかなぁ…」
スマホを投げ捨てて、思わずぽつりと呟いてしまったタイミングで、着信音が鳴り響いた。
今回の配信で何かまずいことでも合ったのか、それとも他に緊急の連絡か。
凪沙はばね仕掛けの人形の如く身体を跳ね起こし、捨てたスマホを慌てて手に取る。
「——あ、もしもし孤儛ちゃん? 配信お疲れさま」
「お疲れ様です…えっと、あのどうかされましたか? 日々夜センパイ」
スマホに映し出されていた文字で、誰からの着信かは分かっていた。
日々夜奏——ティープロに設立当時から所属している0期生のVtuberであり、凪沙が一番尊敬している人だった。
普段の愛くるしくも包容力がある性格と、マイクを手にした時のクールで圧倒的な歌唱で、今や歌うVtuberといえば、まず彼女の名前が挙がるだろう。
最高のVtuber。それが凪沙にとっての日々夜奏だった。
心臓がバクバクと、胸を内側から突き破る勢いで鼓動が強く早まる。
同じ事務所に入って、何度か日々夜奏と話す機会はあったが、未だ慣れることはない。憧れの推しとの会話…きっと後から嬉しさが湧いてくるのだろうが、今は緊張しか感じない。
「今日の配信見てたんだけどさ、ちょっと元気がないようだったから気になったの。最近、例の件で少し荒れてるでしょう? だから、その何というか…先輩らしいことしようかなって」
奏は少し気恥ずかしそうに言った。一方で凪沙は思わず息を呑んで、肩が持ち上がる。
憧れの推しが自分の配信を見てくれていたことと、心配して電話までしてくれたということに感激してしまった。
それに配信中の凪沙は、決して自分の中にある疲れや黒い感情を表に出さないように努めていた。自分で配信を見返しても、上手く自然に元気な態度を取れていたと自負するほどに。
しかし奏はそれを嘘だと見破っていた。ただ見ていただけではきっと気付かないだろう。それだけ奏が、自分のことを考え思ってくれていたということだ。
嬉しかった。思わず泣いて、飛び上がってしまうほどに。
だからだろうか。ずっと抑え込んできたものを、凪沙は自然と吐露することができた。
「本当に、ありがとうございます…体調の方は問題ないんですけど、正直どうすればいいか分からなくて」
「孤儛ちゃんは完全に被害者なんだから、むしろ怒ってもいいとは思うけどねっ ただ…事務所的にはわざわざ大事にする必要はないって方向性なのよね?情けないことに」
奏は呆れたように強く息を吐いた。設立当初から所属しているからなのか、事務所に対してもここまで強気な態度を取れてしまう彼女に凪沙は思わず苦笑いを浮かべてしまう。
ただ、凪沙としては事務所の方針には概ね納得しており、このまま奏の不満が事務所に向けられることは避けたい。
「私としても大事にわざわざするつもりはないので、それは良いんです。何か言うことで、他の人にも飛び火するかもしれないですし…」
「まぁ、ねぇ…今回は相手が難儀だものね…」
奏が歯切れが悪そうに呟いた。その声音が最大限こちらに気を遣っていることが伝わってくる。
難儀、奏のその相手にも気を遣った言葉の選び方に、凪沙は少しだけ気持ちが和んだ。
「そうですね。すっかり話のタネにされている感じです」
今回の問題、単に凪沙と件の相手——スミスの同一人物疑惑だけが騒がれているわけではない。むしろそっちはついでのようなもので、本質的な要因は別にある。
それは相手方のスミスというVtuberに恋人がいるという疑惑である。
実際に彼女のSNSを見る限り、凪沙は疑惑ではなく確定とすら思っている。スミスというVtuberは、作曲をするマスターに仕えるAIという設定で活動しており、日々SNSでそのマスターへの熱すら感じる思いを詩的に呟いている。
そこにアイドル売りをしているティープロのVtuberと同一人物疑惑が持ち上がれば、当然騒ぎになる。
アイドルに彼氏がいるかもしれない。
これまでにも幾度となく掘り返され、議論されてきた話題が、凪沙——水月孤儛とスミスを発端に再び再燃している、というのが現状なのだ。
「こんなの、孤儛ちゃんと、そのスミスって子が別人だと分かれば収まりそうなのに…」
「どうなんでしょう…もはや私がスミスと同一人物かどうかなんて、どうでもいいって感じもするんですよね。ただ、槍玉に上げてるっていうか…だからこそ、自然鎮火するのを待った方がいいって」
「でも、それじゃいつまでも孤儛ちゃんが辛いだけじゃない。まだデビューしたばかりのあなたに、責任なんてそれこそ何もないんだから。全く、大事になってないからって事務所はもっと演者を守るべきよ」
奏は憤慨していた。根も葉もない噂で好き勝手に発信する人々に、そして静観を決め込む事務所に。
きっとこれまでにも似たようなことがあったのだと思う。そして、今回の件で彼女の心に火がついてしまったのだ。
しばらく凪沙がどう宥めようか考えていると、ふいに「あっ」と何かを閃いたらしい奏の声が聞こえてくる。
「どうしたんですか?」
「…うん、そうだよ。はっきりさせればいいんだ…!ねぇ孤儛ちゃん、私良いこと思いついたの!あなたを助けられるとっておきの策よっ」
スマホを介しても分かるほど、奏は興奮していた。その天啓はきっと凪沙を救うためのもので、自分のために頭を悩ませてくれることは、心の底から嬉しいと思う。
でも、事務所の方針に逆らうという姿勢に、罪悪感に似た不安が一切なかったといえば嘘になる。
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