File No.28
次話で1章最終話になります。ここまで付き合ってくださった読者の皆様、どうか最後までお楽しみください!
氷上伊織にとって、皇深琴という同級生は、とにかく気に食わない存在だった。
本人と直接話したことはそこまで多くない。でも彼のことはそれなりに知っている。花音といると、大抵話題となるのは彼のことだからだ。
曰く、皇深琴は生まれつき声が出ない。
曰く、皇深琴は一日中DTMで楽曲制作をしている。
曰く、皇深琴は去年学校の文化祭のライブステージを聴いて吐いた。
曰く、皇深琴の部屋にはびっくりするくらい大きいPCがある。
曰く、皇深琴は炒飯が好き。
エトセトラ、エトセトラ。
花音と仲良くなってからというものの、彼女のことよりも皇深琴の事の方が詳しくなったくらいだ。
彼の音楽も聴いた。小さい頃からずっと楽曲制作していることもあって、クオリティは高い。とても高校生が作曲しているとは思えないほどに。
それこそ最初に聴いて、イメージしたのは長年作曲に携わったベテランのプロデューサーだった。かつてノイズフレーバーとして、それなりに業界の人とも関わってきたが、同じ印象を抱いたのは片手で数えるくらいだろうか。
まるで望んだ音が次々と流れてくるような、あるべきとことに、あるべき音を配置した、正解のような音楽。
どうしてそんな曲を創る人が埋もれていたのか。その理由もまた、花音から教えてもらった彼の動画チャンネルを見れば明らかだった。
皇深琴は別に自分の音楽を世に出そうとしていなかった。ただ自分の中にある音楽を形にすることだけを目的としているような、職人《Smith》とはよくいったものだ。
しかし花音が言うには、そんな彼がここ最近は変わってきているらしい。きっかけは言わずもがな、とあるVtuberの女の子の曲をプロデュースし始めたことだろう。
これまで表舞台に立つことのなかった彼の音楽が、今日V/Rというライブイベントの、しかも最後を飾る。
伊織は照らされるのを待つステージを見上げた。期待とは少し違う、そわそわとした気持ちで浮き足立つ感覚があった。一緒にフロアまで見にきていた花音も、隣で落ち着かない様子で、視線を泳がせている。
やっぱり気に食わない。
正解をただ提示してくるような彼の音楽も、花音の心の大部分を占拠していることも何もかも。
皇深琴は氷上伊織の敵である。
フロアの客は少しだけその数を減らしていた。きっと目的のバンドだけを見にきていた人達が、先に離脱したのだろう。何せ最後を飾るのは全くの無名のVtuber。どうしてそこに収まったのか、伊織にも疑問だった。
でも熱はまだ残っている。直前のバンドがかなり盛り上げ上手なバンドで、今も人がそれなりに残っているのも、熱さの余韻が残っているからだろう。
ここまで来たら、最後まで見るか——みたいな。
「さて、見せてもらおーじゃない」
伊織は口の端を上げた。今のフロアの状況は、とてもやりやすいとは言えない。まだ前回のバンドの印象が強く残っていいるし、中途半端な曲では何も残せない。
そんな状況で、初めての出演、それもトリでどんなパフォーマンスができるのか。
だんだんと胸の鼓動が大きくなっていく。
自分たちのパフォーマンスが終わって、今は何の憂いもなく、この後の音楽を聴くことができる。そう思うと、皇深琴が最後なのは、伊織にとっては良かったのかもしれない。
伊織はもう一度隣の花音を見た。自分を再びこのステージに引き戻してくれた、大切な親友を。
今日は本当に良い演奏ができた。自分たちの感情を、まっすぐ音色にして届けることができた実感がある。そしてその熱量を、フロアにも届けることができたという確信も。
それはきっと花音だけじゃない。もちろん他のメンバーもそうだし、何より三奈子たちの音楽からも、確かな刺激を受けていた。
最初はまたあの喫茶店での出来事を思い出して、複雑な心境になるかと思った。でも三奈子は誰よりも音楽に真摯で、そして野心的で、心底すごいなと思った。
そして過去の出来事にくよくよしている場合じゃないとも思った。過去にはどうしたって戻れない。それに伊織は自分が口下手であることは自覚している。だからこそ、今の音楽で応えたのだ。
今日は本当に満足のいく1日だった。だから、この後の皇深琴のライブを聴いて、自分がしたあの宣戦布告の行き先を見届けて締めくくろう。
ついでにライブが終わった後、皇深琴に勝利宣言でもできたら最高だ。
そんなことを考えているうちに、皇深琴——スミスのステージが眩く照らされた。
3Dホログラムプロジェクターによって、ステージ上に現れたのはキラキラと透き通った青色の輝きを持つ電脳的なデザインの衣装の女の子。
淡い水色の髪は前髪の一部分だけが濃い青で、翠と金のオッドアイ。そしてフロアを見下ろして、好戦的ともいえるような笑みを浮かべるその歯はギザギザとしている。
色々と渋滞しているキャラクターだ。でもその衣装の青さに、不思議と意識が吸い込まれていく。
誰もが彼女——スミスのその笑顔に意識を奪われた直後、スピーカーから音楽が響き始めた。
皇深琴が創る音楽ということは、何か複雑な構成で、珍しいスケールやコード進行を使った曲でも来るのかと思ったが、使われているスケールやコード進行に珍しい印象はない。
いや、むしろありふれた進行だ。まるで有名ヒット曲を真似したような——どうしてこんな曲を最初に持ってきたのだろうか。
印象が透けて抜けていく。皇深琴の音楽はこんなものなのだろうか。そんな落胆で、肩を落としそうになったその時。
軽快さと心地よさが身体に響く中で、ふと内側を這いずり回るような気持ちの悪い違和感に気がついた。
それが積み重なって、心地よさとか、それどころか前のバンドから続く熱もどんどんと削がれていく。疲れているのだろうか。
伊織は周囲を見る。いや、そう感じているのはどうやら自分だけではないらしい。他の観客も、スミスの音楽に苦い表情を浮かべている。
「…どういうこと?」
耳をよく澄ませる。目を閉じて、スミスの奏でる音楽に感覚を研ぎ澄ませた。
そして綺麗に並べられた音の重なりの中に、調和とは程遠い音が含められていることに気が付く。何の規則もなく、何の意味も込められていない——いや、それはもはやメロディでもハーモニーですらない。
まるで音楽の上で音が散乱しているようだ。バラバラで、不規則。それでいて不快さだけを表現している。
伊織はその音の並びに、微かに覚えがあった。音の並びというより、不規則に音を並べるという手法に、だ。
クラシックの指揮者を父に持つ伊織には、それなりに音楽についての歴史もある程度勉強している。
その中で、オーストラリアの作曲家、アーノルド・シューンベルクが考案した十二音技法というものがある。
12個ある全ての音列を、全て1回ずつ偏りなく使用するという技法だ。
音楽というのは調性が重要だ。クラシックでいえばドの音を主役としてメロディやハーモニーを組み立てていくのが主流だった。
でも時代が進むにつれて、音楽はより自由を求め、複雑化していく中で生まれたのが十二音技法。なまじ主役なんて決めてしまうから、音楽は窮屈のままなんだと考え、全ての音を平等に使い、主役なんていないメロディを作ろうとしたのだ。
そうして生まれてメロディは、どこか不安定で、記憶に残りづらく、不快に感じることもあるものが誕生した。
自由を求めたばかりに、調和という美しさを失ったのは皮肉以外の何物でもないが、皇深琴はその自由の不安定さを調和の中に入れてきた。
その矛盾によるギャップが、十二音技法のメロディ以上の不快さを生んでいる。
どうしてそうしたのだろう。伊織はいつの間にか皇深琴の音楽の意図を汲み取ろうと思考を働かせていた。
自分は今この音楽を聴いてどう感じたか——上がっていたテンションを、不快さによって叩き落とされたかのように感じた。
もしかするとそれが狙いなのだろうか。テンションのリセット。あるいは余韻を消すため。もう伊織の中にも、きっと周囲の観客の中にも前のバンドの熱が残っているものはいない。
あるいはそれ以上…今日一日で築き上げてきた、様々なバンドの音楽を、マイナスの感覚で消した。
次の瞬間、ふっと不快な感覚が消える。伊織はステージに意識を向ける。ドラムとベースによる完璧なグルーヴが、身体の中に溜まっていた毒素を抜いていくようにノリを形成していく。
やがてスミスの歌声が響き始めた。思わず脳が覚醒し、体が飛び跳ねてしまうような、完璧なタイミングで。
一度マイナスまで引き摺り下ろされたせいか、王道的なコード進行のメロディと、体が自然とリズムをとり、その周期に合わせてベースのアタック入るグルーヴ感のあまりの心地よさに、テンションが無理やり引っ張り上げられる。
あっという間に、フロアはスミスの音楽に支配されていた。
こんな、こんな音楽があるのか。
伊織は無意識に体でリズムをとりながらも、皇深琴の計算によって形成された盛り上がりを目の前にして戦慄する。
ライブでは感情やノリというのが重要だ。DTMしかやっていない皇深琴には、その辺りの意識は希薄だろうと思っていたが、その認識はこの一瞬でひっくり返る。
彼の音楽は、その性質が自分や他のバンドとは根本から違う。野望や、信念や感情を乗せて共鳴させる音楽ではない。
それは人が本能的に抗えない刺激で、感動を引き出すような——まるで人を支配するような音楽。
でもそれがあまりにも心地いい。ずっと聞き入っていたいと思う。曲の構成やリズムの付け方は王道的なのに、先ほどの衝撃が抜けず、テンションが引き上げられていく。
まるで理想的な答えを提示されたみたいだ。あるべくしてある音楽。でも今回は何かが違う。用いられているのはありふれたメロディやハーモニー。きっと音楽と向き合っていれば、誰もが行き着く可能性があった場所で、革新的なものは何もない。誰の側にもあって、誰でも生み出せたはずの音楽。
最初の十二音技法でさえ、単なる工夫の領域だ。
そう、伊織にだってこの音楽は生み出せたはずだ。でも生み出したのは皇深琴であり、伊織はそれを聴いて、答え合わせをさせられた。
悔しかった。どうして自分がその場所に至れなかったのか。
伊織は気付けば拳を強く握り締めていた。
悔しい。悔しい。悔しい。
この音楽に気がつく事ができなかったことも、それを目の当たりにして、心地よくリズムに乗ることしかできない自分の力のなさも。
これまで音楽と向き合ってきた全てを否定された気分なのに、伊織の体の中は、心地よいリズムの拍動に満たされていた。
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