File No.26
ヴァーチャルとリアルの音楽を融合させたライブイベント”V/R”は、持ち運びとコストパフォーマンスという点で優れ、小規模から中規模のライブハウスで利用できる3Dホログラムプロジェクターを採用した新しいライブフォーマットだ。
これまではヴァーチャルシンガーのリアルイベントといえば、大規模なライブ会場で行うことが主流だった。
新しい3Dホログラムプロジェクターと、パッケージ化されたライブシステムを使用すれば、ヴァーチャルシンガーのイベント市場に新しい風を呼ぶ混むことができる。
今回行われるV/Rは、新しい技術のお披露目と、ヴァーチャルのイベント市場の開拓、そしてリアルのライブハウスでの音楽文化を盛り上げることも同時に目的としている。
深琴が出演することになった渋谷で行われる第1回のライブでは、総勢10組のグループがリアルとヴァーチャルで交互にパフォーマンスをしていく。それを今回はインターネットでも配信するみたいだ。
ライブハウスの楽屋で聞いた話では、今回出演するヴァーチャル側のアーティストの中に、有名事務所から新しくデビューするVtuberバンドグループがいるらしい。そのため初回はネットでも配信して、多方面に宣伝を行うという狙いなのだろう。
ライブ開始までの時間が迫っている。深琴は既にリハーサルと必要な準備は整え、楽屋で待機していた。初回のライブハウスは、いわゆる中規模のライブハウスで、楽屋は複数のグループが出入りできる大部屋が離れた箇所に2つある。
今回はヴァーチャル側の関係者と、リアル側のバンドで分けられているようだ。だから今花音たちはこの場にいない。
楽屋の中は壁際にカウンタータイプのテーブルが続いており、深琴はその端っこに一人座ってスマホをいじっていた。
『あと1時間か…それにしても』
ふと手元に置いてあったスケジュール表を見つめる。今日までそれなりに準備とシミュレーションは命と共に行なってきたが、ここにきて唯一の誤算がそこにはあった。
「…まさかトリとは。ここのイベンターは分かっているのです。まさにマスターの音楽にふさわしいオーダーですね。ふふん、マスターとオレ以外は全て前座なのです」
スマホから小さな音量で命の声が聞こえてくる。今朝からこいつはずっとこの調子だ。AIのくせに変に上がっている。
とはいえまさかライブの順番が最後になるとは。てっきり今回の目玉といえる、有名事務所のVtuberバンド”ピクシークロック”がトリを飾ると思っていた。でも実際はピクシーロックは一番最初だ。最後を綺麗に締めくくるより、冒頭の掴みを大切にしたかったということだろうか。
三河の話では、今回のライブのイベンターは彼女の知り合いでもあるみたいだし、あるいは何かやりとりがあったのかもしれない。
『考えても仕方がないか…はぁ』
深琴は席を立ち上がり、楽屋を出た。別に自分が出演するわけではないが、なんとなく動かないと落ち着かないので、トイレに行くことにしたのだ。
もう片方の楽屋とは違って、こちらの楽屋の関係者の出入りは少ない。というのも、ヴァーチャル側の演者は別のスタジオ施設から遠隔で出演することになっており、今この楽屋に控えているのは演者ではなくマネージャーなどの裏方ばかりだからだ。部屋の中では忙しなく色々な人が通話していて、なんとなく居心地も悪い。
楽屋は地下の端に位置しており、トイレはすぐ隣にある階段とは逆方向の廊下をしばらく進んだ中央付近にある。中央付近には地上のステージに上がるための階段や、その少し離れた場所に喫煙所があることから、人が多かった。
その中を進みならが、目的地であるトイレに向かう途中、深琴は喫煙所でインターネットの記事で見た顔を見つける。花音たちのバンドをこのイベントに出演させた——川上優吾だ。誰かと通話している。
「——えぇ、先ほど挨拶も済ませたので、今からすぐに向かいます…こちらのライブですか? あぁ、ネット配信もされてますし、特に大丈夫かと。それにあくまで彼女たちはキープですので、最悪アーカイブで確認できれば。ええ、はい。まさか第一候補のバンドとダブルブッキングなんて…今からだとギリギリになりますが、やっぱりそちらは生で見たいので」
なんとなく喫煙所の方に体を寄せると、そんな会話が聞こえてきた。あまり聞きたくなかったロクでもない会話だ。
いや、今からあれこれと考えるのはよそう。やることは何も変わらない。
深琴はさっさとトイレを済ませ、楽屋に戻る。もうすぐライブも始まる。
帰るなら帰ればいい。そして後悔すればいいのだ。
◇====◇ ====◇ ====◇ ====◇
スミスの出番はずっと先なので、オープニングぐらいは会場で見ておこうと、深琴は足を運んでいた。
人も多いし、熱気と腹の底を叩くような音圧のせいできっと長居はできないだろうが、今日はこの場所で自分の音楽が流れるのだ。
流石に思うところがある。これまでは別に誰に聞かれても気にもしなかったが、今回ばかりは違う。これまでの道を外れて、この日のために生み出した音楽。
果たしてその選択が正しかったのか。理想の音楽に近づいているのか、それとも遠ざかってしまったのか。それが今日、ようやく分かるのだ。
ステージのスピーカーから流れていた、待機用BGMの音量が徐々に大きくなり、それに合わせてフロアの観客たちのボルテージが上がっていく。
そして一瞬の静寂——
次の瞬間、スタージに大量のスポットライトが降り注ぎ、大音響のメロディがフロア全てを呑み込んだ。
「ピクシークロック! いくよーっ!!」
ステージ真ん中に立っていた、ゴシック風の動きやすいライブ衣装に身を包み、花の柄をあしらった眼帯をつけたツインテールのキャラクターが、3Dモデルのテレキャスターを提げ、片手でマイクスタンドを傾けながら叫ぶ。
フロアの最前列あたりの観客たちが、ギターボーカルの掛け声に応じるように声を上げた。それを見ていた中列、後列あたりの客たちも、引き込まれるようにして熱を上げていく。
ライブイベント”V/R”の開幕だ。
確かピクシーロックというVtuberバンドは、つい最近デビューし、今日のライブは初めてのはずだ。
それなのにピクシークロックの演奏は、一瞬で会場の客を虜にした。圧倒的な場慣れ感。演奏にも緊張は感じられない。おそらくは元々ライブ経験豊富な人たちなのだろう。
リアルではないのに、圧巻のライブパフォーマンス。立体映像とはとても思えない質感。まるで本当にそこにキャラクターがいるみたいだ。
そしてサウンドも、そしてギターボーカルの声も、とても近い。もはやリアルのライブと、3Dのライブに、自由度の差はないとさえ思えてしまう。
突き抜けていくようなハイトーンの歌と、エッジの効いたテレキャスターの音が混ざり、まるでさまざまな色のペンキをぶちまけたかのような極彩色のサウンドが生まれている。
時折可憐さを見せ、時折美麗さを強調し、時折気だるげな陰が差し込む。
一曲の中だけでも、様々な表情が伺える歌だ。そして周りのサウンドは、それをさらに強調して色付いている。
「…みんな、今日は来てくれてありがとう。まだまだ、盛り上がっていくよ! 今日はたくさんのバンドがこの後も演奏してくれるけど、私の歌で今からみんなのことをぶっ倒させてやるからっ」
1曲目が終わり、すっかり熱くなった会場に向けて、ギターボーカルのキャラクターは中にいる本人の完璧に仕立てられた笑顔を再現して、そしてこの後控えているグループに向けていきなり宣戦布告をかました。
今回のライブは、目的としてはヴァーチャルの音楽と、リアルバンドの音楽、双方を混ぜることで相乗的に互いの文化を活性化させるところにある。とはいえ、外側から見たらヴァーチャルVSリアルバンドという構造になるだろう。
案の定、ピクシークロックのギターボーカルの宣戦布告で、会場は一気に沸いた。
「それじゃあ、早速次の曲いくよ! 今日のために準備した新曲だから、さらに盛り上げていくからねーっ」
ギターボーカルは点高く右腕をあげ、それを合図に身体の奥を震わせるようなベースとドラムの打音が会場をリズムに乗せていく。
そして次の曲が始まった瞬間、再び観客は全員が極彩色の景色へと呑み込まれていく。
多くの繰り返しと、その背景にある研鑽と経験が見えてくる。そしてその中にはきっと挫折や絶望もあって、それでも目の前の彼女は笑っている。
黒い感情を全て裏側に隠して、カラフルな感情だけを表現している。彼女も間違いなく、自分の音楽に誇りを抱いたプロということなのだろう。
歌が響き始める。それはまるで世界丸ごと虜にしたいという野望を抱く魔王のようだった。
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