File No.25
これからやることは、自分自身の理想を否定することなのかもしれない。
深琴はPCモニターに映し出されたノーツを見つめながら、ふとそう思った——
氷上から宣戦布告を受けた夜、深琴は未だに自分がどうするべきか、どうしたいのか定められずにいた。ただそれでも現実は進み続けている。このまま何もせずに過ごしていれば、花音たちのバンドはライブイベントに出演し、何かしらの結果を残すことになるだろう。
それでもやはり自分が介在するべきではないという客観的道理と、このまま何もせずに静観することにすっきりとしない主観的な感情がせめぎ合っている。思考では際限なく三河との会話や、氷上との会話がぐるぐると結論が出ることなく回り続け、それに耐えきれなくなった深琴が取ったのは、音楽を創ることだった。
音楽と向き合えば、このごちゃごちゃとした思考も抜け落ちて、音だけに集中できるはずだ。
しかし目の前のモニターの中に、新しいノーツは生まれてこない。頭の中に音楽は流れてこなかった。
代わりに脳裏に過ぎるのは、昔のこと。皇深琴が志々目花音と出会った日のことだった。
彼女と出会ったのは、深琴が機械の声を手に入れ、病院から退院した後。
深琴自身は自分が手に入れた新しい機械の声にいたく感動していたが、やはり周囲からは奇異の目で見られる。もちろんそれだけが理由ではないが、間違いなく深琴が孤立した原因の一つだっただろう。
ある日、同世代の子供を持つ親同士が近所の公園に集まり、雑談に花を咲かせていた。当時は母親も育児の方に比重を置いていたため、ご近所付き合いも兼ねて、その集まりに参加していた。
子供達は母親たちの雑談の邪魔にならないよう、公園内で遊ぶように言い渡され、それぞれ仲の良い者同士で遊びに興じる。
その中で深琴は一人砂場に座っていた。遊具は他の子供達に占拠されていたし、ベンチ周辺は母親たちの雑談の場となっている。
遊び相手もおらず、そして遊ぶ気もなかった深琴は、ただ地面に直接座るのもどうかと思ったので、木の影が差した砂場の縁に腰を下ろしたのだ。
そうして時間が経つのを、ただ砂場に目線を落としながら待っているところに、花音は現れた。
「一人で何しているの?」
『何もしてない』
「えっ! 何その声っ すご!」
大抵の子供は、深琴が声を発すれば、気味悪がって離れていく。でも彼女だけは違った。どういう意図なのかはわからないが、声をかけ、手を伸ばしてくれた。
それから自然と深琴と花音は一緒にいる機会が多くなった。花音は機嫌が良くなると、歌を口ずさむ。公園の砂場で、意味のない山を築いている時。昼間、大人の忠告を無視して、少し遠いところまで遊びに行こうと手を引っ張っている時。夕焼けに染まる日、少し疲れた身体で帰路についている時。
その歌に天性のものが宿っていることに気がつくのは、割とすぐだったような気がする。
何せ機械の声に感動していた自分が、花音の歌を聞いている時は、同様の感動と心地よさを感じていたのだから。
『どうしてこんなことを今更思い出すんだ…』
集中できていないのか。いや、音楽を生み出す前に、何か決着をつけなければならないような気がしているのだ。
それから深琴は、考えるよりも先にスマホを取り出し、電話をかけていた。
「おお…っ、深琴から電話なんて珍しいね。どうかした?」
夜もそろそろ深くなってきている時間なので、すぐ出なかったら切ろうと思っていたが、3回目のコールで花音の少し戸惑った声が電話口から聞こえてきた。
『すまん、こんな時間に。少し聞きたいことがあって』
「聞きたいこと? ちょうど今からお風呂に入ろうとしてたんだけど、時間かかりそう?」
『あぁ、いや。すぐ終わる…昔の話なんだけど、ほら…お前が俺に公園の砂場で声をかけてくれた時』
「公園…砂場? そんなことあったっけ…?」
どうやら花音は覚えていないようだった。孤立していた深琴とは違って、花音は当時から友達が多かったし、あのワンシーンだって彼女にとっては別段珍しいことではなかったのだ。
とはいえ、何とも言えない気持ちではあった。それに覚えていないのなら、この電話をした意味もなかったかもしれない。
『あったんだよ。何となく、あの時なんで声をかけてくれたのか、気になってさ』
「…もしかして、それでわざわざ電話?」
深琴が電話の向こう側の花音に頷きながら、肯定の返事をすると、たっぷり沈黙の間を開けた後、
「…これは、告白される流れっていうことでいいのかな?」
『それはない。飛躍しすぎだ』
「いやいやいや! 明らかに小さい頃からずっと一緒にいた女の子への好意をようやく自覚した男の子が告白する前にするシーンだよこれ!」
既に青春に脳が焼き溶かされている花音は、早口でそう言った後、興奮気味に息巻いた。
仮にそういうシーンだとしても、今の花音の対応は絶対に間違えている。
『僕がそんなことをすると思うのか』
「だよねー。でも、声かけた理由かぁ…」
冷ややかな深琴の声に、あっさりテンションが沈静化した花音が、今度は記憶を探り始める。
「あんまりその時のことは覚えてないけど、深琴に声をかけた理由は多分面白そうだったからだと思う。実際、そうだったしね」
『面白そう? 僕が?』
一人で地面を見つめているような子供の、どこが面白いのだろう。
「だっていつも一人で、何をするわけでもなく地面を見てるし、それに声だって他の子達とは違うから。小さい頃はそういう自分とは違うところに、面白味を感じてたんだよね」
『…孤立気味の僕のことを助けようとか、そういう感情ではなく?』
「えー、別にそういうのはなかったかなぁ」
…なかったのか。つまり単なる好奇心とか、変わり者に興味があっただけ。
孤立という薄暗闇が照らされたような、美化されていたイメージが瓦解していく。蓋を開ければ、単なる気まぐれという感動も何もない理由。
「何、不服だった?」
『いや、かえって良かった気がするよ。ありがとう。あと、すまん。こんな時間に電話をかけて。でも聞きたいことはもう聞けた』
「そ。じゃあ、もう切るね」
『あぁ…今度のライブ、頑張れよ』
「え? あぁ、えっ?」
電話の向こうで、花音が戸惑っているのが分かったが、深琴はそのまま電話を切った。そんなにも素直に応援する自分が珍しかったのだろうか。珍しいな。
深琴は椅子に深くもたれかかり、さっきまでずっとふわふわと宙に浮いていたような気持ちが着地したのを感じていた。
きっと自分は花音に感謝していた。彼女が隣にいてくれたおかげで、深琴はおよそ人らしい生活を送れていたのだから。
多分そういう気持ちがあったからこそ、ずっと後めたさを感じていた。彼女に感じていた恩を、仇で返すことになるのではないかと。
善意があるとか、花音のためとか、そんなことは考えなくてもいい。結果がどうなっても、自分が後悔しなければそれでいい。後悔しないと信じられる道を往けばいい。
これまでだって、ずっとそうだったのだから。
深琴は改めて、モニターに映し出されたカノンコードを用いて作られた曲のノーツを眺める。
これから自分は、自分の理想のため以外の理由で音楽を作ることになる。それが今、後悔しない選択だ。
自分の音楽制作に対する姿勢への否定かもしれない。ただ同時に、今の思考に至って、これも理想の音楽——音楽の解を導き出すことに必要なプロセスかもしれないとも思うようになった。
深琴にとって、創るということは手放すことだ。
それは今も変わらない、根底にある哲学。自分の中にあるものが形になることで、それは自分のものではなくなる。誰かに届き、誰かの感情になっていく。
理想は自分の中にある。でも結局創造して、形にすることでしかそれは答えにはならない。だからきっと手放して、手放して、全部手放した先にしか、そこへは辿り着けないのかもしれない。
これまでは感情を排することが手放すことだと思っていた。でもきっとそれだけでは足らない。自分の感情ですら記号に落とし込み、出力しなければ、最後の理想に至ることはできない。
深琴は感情を俯瞰して、冷徹に記号にしていく。重要なのは感情の共鳴を生み出すイメージだ。
氷上や花音であれば、それを本能的に出来てしまうのだろう。でも深琴には、そんな感情を伝播させる音楽はできない。
深琴にできるのはこれまでのように一つ一つ音を並べること。そしてそこに意味を宿らせ、適切に狙った感情を引き出すのだ。
『——ミコト』
全てのノーツを配置し終えた深琴は、完成というゴールの手前にある最後の扉を開く、その名前を呼んだ。
命は静かに頷き、音楽の再生と共に、詩と歌を刻んでいく。
せめぎ合う矛盾した感情と、後悔しないための選択が、音になる。音に、意味が宿る。それがたとえ、不協和音であっても。
深琴は完成した楽曲データを添付したメッセージを、三河に送信した。
それからしばらくして、三河からの返信があった。曲の簡単な感想と、花音たちが出演するライブイベント”V/R”の詳細についてだった。
どうやら彼女は、送信した音楽を聴いて、深琴の意思を察してくれたらしい。深琴はわずかに口の端を持ち上げた。
『ミコト、僕たちもV/Rに出演する。もちろん、ライブを乗っ取るつもりで』
「承ったのです。マスターの音楽をこのオレが完璧に再現して、ライブ会場を完全に支配してやるのです!」
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