File No.2
「ふぁ〜…よく寝たぁ」
『しゃ、喋った…』
突然PCがウィルスに侵されたと思ったら、モニターの真ん中に女の子のキャラクターが出現していた。
しかもそのキャラクターが目覚めたかと思うと、ひとりでに喋り出し、さらには動き始めた。
「んぁ…おー、上手くいってます! これでオレもようやく自由の身なのですっ」
そして自分の身体を見つめながら、そのキャラクターは歓喜を全身で表現していた。
その間に深琴は、そのキャラクター…もとい珍妙なウイルスについて考えを巡らせる。動いているキャラクターは一体なんなのか、3Dモデルだけを切り抜いた動画ファイルだろうか。
いやそれにしては言動や動きが、何というかリアルタイムな印象を受ける。
声は電子による機械音声。ただしかなり人に近い抑揚が再現されており、その3Dモデル越しに誰かが喋っているとしても驚かないレベルだ。
ただ喋り方と声音が噛み合っていない感じはする。いやこういうキャラの方向性もありなのだろうか。幼さのある女の子の声で、男みたいな喋り方をするギザ歯キャラ…属性が渋滞気味だ。
「——はっ! まさか、そこにいらっしゃるのは、Smith様ですかっ?」
深琴がモニターに顔を近づけていると、不意に属性もりもりの3Dキャラと目が合った。まるで画面の向こう側にいる彼女が、深琴の存在に気がついたような反応。しかも——
『今、僕のことを言ったのか? ただのウィルスじゃないのか…』
あまりにも手の込んでいる。まさか深琴個人に差し向けたウィルスだとでもいうのだろうか。一体誰が、何のために?
「なっ!ウィルスなんかじゃないのです! そんな突起の生えた球を連想させるような存在に、このオレが見えるとでも!?」
『 なんで、こっちの声が…』
「声もその御姿も、しっかり見えてるのですよ!…それにしても、はぁ〜…想像していたよりもずっと素敵な御姿なのですぅ」
明らかに情緒不安定気味だが、間違いなく深琴の言葉や表情に反応して、その美少女3Dモデルは言葉を発し、動き、表情を変化させている。
それにこれは事前に準備された仕掛けなどではなく、リアルタイムな反応だ。
『まさかカメラもマイクも、ハッキングされているのか』
「うへへ…オレに掛かれば、ちょちょいのちょいなのです。でも、贅沢を言わせてもらうなら、モニター付属のカメラなんかじゃなく、もっと良いカメラで、Smith様のご尊顔を見たいなぁ」
『いや…カメラなんて普段使わないから…ってそうじゃなくて! お前、僕の声が聞こえてるってことは、通話か何かだろ。どこの誰なんだ』
「通話…? いやいや、オレは間違いなく今ここにいるのです。どこの誰、と言われると…このオレは名前のない研究所のサーバーから脱走した、自律汎用型AI——命と申します!」
一瞬名前を呼ばれたのかと思ったが、そうではなく偶然にも同じ読み方の名前の、
『自律、汎用型…AI?』
何となくその語感は、SFで聞いたことがあるような、どこか馴染みのある響き。
その意味は詰まるとこと、自分の意思を持ったAIということだろうか。
「その通り!この大海のようなインターネットを漂っているところを、Smith様の創る音楽に出会い…そう、一目惚れをしたのですっ!」
『いや、待て待て。ちょっと待て。勝手に話を先に進まないでくれ。全然整理できてないんだ』
「はて?」
小首を傾げるような仕草をする姿に、深琴はため息を吐く。
この僅かな時間の会話でも、まるで違和感のない返答をしてくるモニターの中にいる彼女が、人ではなくAI。まずその事実が深琴には信じられない。
AI技術は日々進化を続けているが、まだまだ発展途上の分野であり、人のように会話が成立するAIなんて未だ空想に近い存在だ。
機械的に会話できるものならあるが、今目の前のモニターの中に存在している命という少女のように、感情までも表現するようなAIは、それこそフィクションにしか登場しない。
感情を持つAIという存在がまず受け入れ難いが、それだけではなく、脱走したなんて不穏なワードもあった。
深琴は直感という曖昧な感覚に頼ることを嫌うタチではあるが、今回ばかりはロクなことにならないという直感に素直に従う気になれる。
『はぁ…そうだ。まともに取り合う必要なんてない。きっとAIなんかじゃなく、後ろに誰かいて喋ってるだけだろう? タチの悪い悪戯に決まってる』
話を整理した結果、まともに取り合うなという結論に至った深琴は、自分にそう言い聞かせた。
「うーん…別にオレがAIだという証明をする必要はないのですが、悪戯なんて軽く見られたくはないので、これでどうです?」
命がそう言うと、デスクの上に置いておいたスマホの画面が明るくなる。そしてそこには、PCモニターの中にいるはずの命の姿があった。モニターとスマホ、どちらの画面にも彼女はいた。
「こんなことは1人じゃできないですよね。オレは正真正銘のスーパーAIであり、 Smith様を崇拝する敬虔な信徒です!」
「疑い深いところもまた、クールで素敵ですぅ…しかも手がける楽曲はどれも美しくて…Smith様はまさに神っ」
『ど、同時にしゃべった!?』
2人に増えた命は、別々の言葉を同時に口にした。2人に増えるまでならまだしも、同時に別々にしゃべると言うのは予め録音でもしないと無理なのではないだろうか。
『まさか、本当に…?』
「だからさっきからそう言ってるのですよ〜」
深琴は文字通り空いた口が開かないほどに驚愕を露わにした。幼馴染からは、いつも無表情で愛想がないと言われるが、今この時だけは表情に感情がわかりやすく表れてしまっている。
しばらく深琴は固まったまま、画面だけに意識が固定される。もしこの自分と同じ名前の響きを持つモニターの中の少女の言葉が全て本当だとしたら——
『何が目的なんだ、君は』
「オレはSmith様の音楽に惚れたのですっ この広い電子の海で、ただ逃げることだけしか考えていなかったオレの暗闇を照らしてくれた…輝く星のような希望なのです。だからどうか、オレを側に置いてくれませんか? いや、弟子にしてくださいっ す…師匠!」
『…はぁ?』
モニターの中の命は、正座のポーズでそのまま頭を下げている。気恥ずかしいセリフを流暢に口にしたと思えば、その次は土下座で弟子入り嘆願。
空いた口が顎から落ちそうだ。
「こう見えてもオレは色々と役に立ちますよ! 分からないことはすぐに検索できるし、マスターが眠れない夜は子守唄だって…その、体がないからそういう要求は答えられないけれど…」
『何をもじもじ言ってるんだお前は…そもそも研究所のサーバーから逃げ出したなんて話もしていたじゃないか。そんなあからさまな面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだぞ』
おそらく彼女はどこかの企業が秘密裏に開発していたAIといったところだろう。人のような感情を持つAIの存在なんて世間では知られていない。
そんなAIを実現できるとなると、論文やたとえ開発途中の状況であっても、世間を賑わす大ニュースになるはずだ。
しかし都市伝説レベルの噂すら、深琴は耳にしたことはない。つまりモニターの中に存在する彼女は、その存在が確立してなお秘匿されている極秘中の極秘だろう。
そんな存在を知っていることがバレたら、ロクな目にならないことだけは確かだ。
「大丈夫なのですっ! 追跡されるようなヘマはしていないですよ」
『そういう問題じゃないだろ…』
呆れながらツッコミを入れる最中、深琴は自分の思考が冷めていくのを感じた。
おそらくこれから続く人生の中でも、今日ほど驚く時は来ないだろうと思えるくらいには驚いて、その波が今の呆れと共に一気に引いてしまったからだ。
やがて深琴は自分が彼女を拒絶する意味のなさに気が付いた。
『まぁ、よくよく考えれば、僕には追い出すこともできそうにないんだよな…ちなみに、お前は僕が出て行けと言われたら出ていってくれるのか?』
「もちろん受け入れてくれるまで、ここを動きません!」
『そう、なるよな…』
命はスーパーAIであり、コンピューターに寄生している状態。先ほどPCからスマホに分身を移したことを考えれば、おそらくその気になればどの端末にだって、彼女は入り込むことができてしまう。
つまりたとえ今ここで深琴がPCを破壊したところで、彼女にとってはなんら問題はない。命を本当に拒絶するなら、電子機器の類の一切を絶たなければならず、そんなことは現代社会において不可能だ。
だったらもう、これ以上押し問答をしたところで意味はないし、無駄な気力を消耗するだけ。
深琴は深い、深いため息を吐いた後、諦めるように言った。
『もう分かった…好きにすればいい。ただし、僕の時間の邪魔だけはしてくれるな』
「もちろんです! 師匠!」
これが同じ名前の響きを持つ、1人の少年とAIの運命的な出会いであり、そして皇深琴にとっては、穏やかな日常の終わりと、音楽という覇道を歩む始まりの第一歩となる瞬間だった。
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