File No.16
「——久しぶり、いおりんっ」
翌日。渋谷にある大正ロマン風の喫茶店で、北原三奈子は伊織の顔を見つけるとぱっと笑顔を浮かべた。
「ミナ…本当に、随分と久しぶりな気がする」
「確かに、つい最近までずっと一緒だったせいかな。ほら、立ってないで座ってお話ししようよ」
三奈子に言われて、伊織は少しだけ気まずさを肌で感じながら、手前側の椅子を引いた。
三奈子は相変わらず、女の子っぽい服装をしていた。白いフリル付きのシャツに、ロング気味の黒いスカートのガーリー系のファッション。足には網タイツに、底の高い黒いブーツを履いていて、可愛さの中にも色気をどことなく感じる姿だ。
巷では地雷系ファッションとでも言うのだろうが、三奈子はこれを自然と着こなす可愛さがある。髪もリボンでショートツインテールでセットしていて、化粧も完全無欠。
彼女を見る度に、伊織は自分の女子力の低さを痛感する。化粧も下手だし、身なりだって今日もいつも来ているパーカーにダボっとしたデニムという適当な姿。
かろうじて髪の毛だけは綺麗にしてきてはいるが、それでも三奈子の可愛らしい髪型を見ると、ひどく自分が劣っているように思ってしまう。
「何食べる? 今、チーズケーキフェアで色々なチーズケーキがあるよ。いちごチーズケーキとか、可愛くない?」
「あぁ…うん、えっと、ならそれとカフェラテ注文しようかな」
「おっけー。じゃあ、注文しちゃうね」
美味しそうではなく、可愛いで判断するあたり三奈子は三奈子だなと思いつつ、スマホで注文を入力している姿を見て、伊織は少しほっとする。
正直ここに来るまではかなり足取りは重かった。バンドを抜ける時も後味が良いとはとてもいえない感じだったし、伊織的には開口一番で責められることも覚悟していた。
かといって、あの時の判断を後悔はしたりしないが。
「それで、急にどうしたの? わざわざ会って話したいなんて」
「うん…一応、報告しておきたいなって思ったからさ。私たち、デビューすることになったよ」
そう言って、三奈子はスマホで何かを入力した後、伊織の方へと差し出した。
そこには”ピクシークロック”という名称のVtuberバンドグループのアカウントページが表示されていた。
アイコンには、バンドロゴがあり、ヘッダー画面には3人のキャラクターがいた。
「そう、おめでとう…って、この絵柄どこかで見た気がする」
「わかるっ!? 私たちの絵のママさん、あの有名な押花メメさんなの」
伊織はあまりVtuberについて詳しくはないが、それでもノイズフレーバーとして主戦場を動画配信サイトにしていたから、代表的な活動者くらいは知っている。
その中で押花メメは、イラストレーター兼Vtuberという活動者として、伊織も知っているくらいのまさに代表といっていい存在である。
「私も知ってる。そんな人にデザインしてもらえるなんて、すごい…しかももうこんなにフォローも集まってるし」
心からの驚嘆と、それ以上の賞賛が伊織の言葉には含まれていた。
「うん、本当に驚きだよね…一応新曲のショートバージョンでPVだけ作らせてもらっただけで、本格的な始動はまだなんだけど」
「新曲のPVか…見てみてもいい?」
「もちろん、聴いてみて」
伊織は自分のスマホを出して、片耳に無線イヤフォンを付ける。動画サイトでピクシークロックを検索して最初に出てきた動画を再生した。
曲調はノイズフレーバーの時とはかなり違っていた。明るくて、とても前向きな曲。でも時折サウンドに懐かしさを感じる。
少し尖った、陰を感じるノイズフレーバーのサウンドが随所に散りばめられている。全体の明るさと、時折ほんの少しだけ顔を見せる陰が、曲に明暗を作り出していて、聞き馴染みがあるのに、特徴的と思ってしまう。
そしてすごいのは曲だけじゃない。動画の下に表示されているコメント欄も、期待と絶賛の嵐だった。
「本当、すごいね。コメントもこんなにたくさん…」
ノイズフレーバー時代の時も、それなりにファンの数はいたが、それでもここまで破格の人数ではなかった。
やはりVtuberというコンテンツのファン層の母数は圧倒的だ。
「あはは…私もびっくりしたよ。でも今は嬉しさよりも、怖い方が勝ってるんだ」
「怖い?」
「うん、まだ本格的に活動してないからかな…ここまで期待値が高いと、もしその期待に応えられなかったらって考えると怖いの」
数万、いや数十万人の期待。伊織にはまるで想像できない。だから三奈子の不安に寄り添うことはできない。
その歯痒さに、黙り込んでしまっていると、ふと三奈子と視線が合った。その瞳には何か決意のようなものが含まれているような気がした。
「それで今日はいおりんにお願いがあって」
「…え? お願い?」
唐突な切り出しに、伊織は少し戸惑う。
「いおりんさ、また私たちと一緒にやらない? も、戻ってきてよ」
言われて、伊織の息が止まる。押し寄せてきた感情に、一瞬出すべき言葉を見失ってしまったのだ。
そのタイミングで、注文していたケーキやカフェラテがテーブルに並んだ。伊織は店員が下がった後に、ゆっくりと息を吐いて、そして吸った。甘い香りが、ざわつく心を落ち着かせてくれる。
伊織は改めて一気に押し寄せてきた、たくさんの感情と向き合う。酷い別れ方をしたのに、歩み寄ってくれたことへの嬉しさ、ずっと棘のように刺さっていた罪悪感が溶けていくような感覚。
でも最後に残ったのは、決して譲ることのできない、自分の正直な気持ちだった。
「私は戻らないよ」
「どうして! こんなにも人気になれたんだよ? ここなら、ずっと一緒にみんなで音楽やっていけるじゃんっ」
三奈子は詰め寄りながら、声を上げた。
「そこだと、やっぱり私のやりたい音楽ができないと思うから。私が憧れた音楽は、ギター片手に、どこまでも行けるような…そんな音楽だから」
伊織は途中から恥ずかしくなって、言葉尻が萎んでいった。こんなこと、言葉にするつもりはなかった。
でもやっぱりそれが伊織の正直な気持ちだ。バンドから抜けた時と変わらない、譲れないもの。
ノイズフレーバーにVtuberのバンドグループにならないかと打診を受けたのは、ノイズフレーバーの活動が少し頭打ちになった頃だった。
一定数のファンはいるものの、どうしてリアルなガールズバンドというのに興味がある人の母数はそこまで多くなく、新曲やライブをしても新規ファンの獲得はどんどん出来なくなっていった。
Vtuberとしてデビューすれば、アプローリできる層が一気に増える。ただその代わりにこれまでのような自由はなくなることは確定的だった。
例えばライブでも生の音は届けられないし、ステージに直接立つこともできない。そしてずっと、自分にある種の嘘をつき続けることになる。
伊織はその選択を、どうしても選ぶことができなかった。甘い考えだということは分かるし、与えられたチャンスを自分の都合だけで台無しにすることもできない。
だからバンドを抜けたのだ。説得されて、喧嘩になっても、どうしても曲げられなかったから——
「…何それ。私のこと、馬鹿にしてるの?」
「え? 馬鹿にって…そんなこと、言ってないでしょ」
「言ってるようなもんよ。自分は美人で、才能も圧倒的で…だから自分は自分のままでありたいなんて、遠回しにVtuberになってせこせこ嘘ついてる私のこと…醜いって馬鹿にしてるんだ」
「そんなこと、一度も思ったことない!」
伊織は思わず立ち上がりそうになることを堪えながら、声をあげて否定した。
三奈子が醜い? そんなこと本当に一度も思ったこはない。むしろ逆だ。三奈子は誰よりも女の子らしくて、身なりにも気を遣っていて、誰かと話す時もいつも愛想良くて。
そんな彼女に憧れや尊敬を抱くことはあっても、その逆はありえない。
「だったらなんでバンド抜けたの? どうしてこうやって、ほら私たち人気になったよって見せて、おめでとうなんて言えるの?」
「だって…私が、抜けたのは私のわがままだし…それにみんながデビューできたのも、良かったって…私のせいで迷惑をかけたから」
言っていて、きっとなんの弁明にもなっていないだろうなということは、三奈子の失望に染まった表情を見れば明らかだった。
「…いおりん、またバンド始めたんでしょ?」
「どうして、そのことを…」
そして予測外のことを言われて、伊織は困惑した。言わなければいけない言葉が、形になる前に霧散していくのを感じる。
「昨日、”Spell Mono”に行ってたでしょ? たまたま見かけたの」
全く気が付かなかった。あの時は、花音たちのことばかりに目がいっていたから。
「…結局私たちは、誰もいおりんについていけなかった。最初は天才バンドなんて言われてたけどさ、やっぱりいおりんだけは別次元で、特別で、私たちはその付属品。きっとあの子達も、そうなるよ? 誰もいおりんについていけなくなる」
黒い感情を直接ぶつけられて、伊織は言葉も出せず小さく喘ぐことしかできない。喉の詰まるような感覚が苦しい。
違うと否定しないのにできない。何かを言ったら、今よりもずっと三奈子を傷つけてしまう気がして。
ふと昨日、”Spell Mono”の柊が言っていた——「あのバンド、伊織ちゃんのバンドって感じだったじゃん」という言葉が頭を過ぎる。
あれも、そういう意味だったのだろうか。
気がつくと、三奈子は立ち上がっていた。その表情には全てを諦めたような笑みが浮かんでいた。
「もうほんと、これ以上惨めにさせないでよ。私の見えるところで、音楽なんてやらないでよ…っ」
最後に絞り出すようなその言葉をぶつけて、三奈子は店を出ていってしまった。
残された伊織は、しばらくいなくなった三奈子の席をジッと見つめたまま動けなかった。
やがて視線を落とし、カフェラテに手を伸ばして、半分くらい飲んだ。苦味と甘味がドロドロといつまでも口に残っている気がした。
それから伊織は、カフェラテが冷たくなるまでその場を離れることができなかった。
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