File No.14
深琴は別に自分の音楽を多くの人に聴いてもらいたいとは思っていない。しかし一方で、誰にも聴かれない音楽は、音楽としての意義を果たしていないとも思っている。
だから深琴は自分の音楽を記録する手段として動画投稿サイトにアップロードすることを選んだ。
見つけた誰かが聴いてくれたらいい。たった数回の再生でも、深琴は十分だと思っている。もちろん目に留まれば気にるすこともあるが、別段期待しているわけでも多くの数値を求めているわけでもない。
Smithの動画を作りたいと提案してきた三河に、深琴はそんな自分の意思を訥々と語った。
創作を仕事にしているような人に聞かせるには、あまりに気まずい内容だった。でも実際深琴にはそこまでの向上心はないのだ。自分の理想を追い求めることだけにしか興味がない。
話し終えた後は、その気まずさでまともに三河の方に顔を向けることができなかった。深琴は紛らわすようにテーブルに届いていたチーズケーキを突きながら、熱々のコーヒーを無理やり喉に押し込んでいく。
舌がひりつく。スペシャルブレンドコーヒーの苦味が口の中に広がり、直後洗われたような爽快感が訪れる。
しかし胸の鼓動はやけにどくどくとしていた。少し話しすぎてしまったせいだろうか。
「…うーん、でもそれは、まだ多くの人に見られたことがないから、そう思うようにしているんじゃない?」
そう言って口角を上げる三河は、どこか挑発的で蠱惑的だった。
『別に本当にこだわりはないですよ。僕はただ、自分の音楽を追求したいだけですから。むしろ、三河さんの方こそ、こんな直接会ってまで、どうしてあの動画にこだわるんでしょうか?』
深琴は視線だけをあげて、訝しむように三河を見る。すると三河は一瞬きょとんとした顔をした後、わずかに顎を引いて、表情に影を作った。
「それはもちろん、君のあの音楽を、私は本物だと思ったからだよ」
『本物…?』
「深琴くんはさ、今の時代にコンテンツをバズらせるために重要なことって何だと思う?」
『それはもちろん、コンテンツのクオリティ…いや、話題性?』
深琴は即答した後、考え直す。深琴は自分の作った音楽で人気者になろうとしたことはなかったから、浮かんだのはありきたりな答えだったが、わざわざ聞いてきたということは、プロ視点ではもっと別の答えがあるということだろうか。
しかしそれ以上の答えが浮かんでこなかった深琴は、観念した様子で三河の方を見た。
「ふふ…それはね、誰のコンテンツか、なんだよ。歌を例にすると、どんな歌かじゃなくて、誰が歌ったかが一番重要ってことだね」
『誰が歌ったか…でも、それって』
深琴は言葉で途中で止める。その先を果たして自分が言う権利はあるのかと思ってしまったからだ。
どんな歌かではなく、誰が歌ったか——それが評価される上で重要なのだとしたら、それはクリエイターにとって、あまりに虚しいものなのではないだろうか。
「つまり、今は例外はあれど基本的に人気者に人が集まる仕組みなんだよ。私だって、もちろん自分の作品に自信はあるけど、ネットでの創作界隈がまだ未成熟なタイミングから活動していた積み重ねで今日までなんとか食い繋いでる感じだし」
謙遜という感じには聞こえなかった。人気者が人を集める。考えてみれば、当たり前のことで、そして同時に思い返せば深琴にも日常の中で、それを感じる場面はあった。
例えばなんとなく動画配信サイトを巡回している時、色々な動画配信者が、同じ歌を同じように投稿している状況がある。しかし決まってそこに原曲は表層に浮かんでおらず、大抵1枚捲った場所にいる。
『なんだか、やるせない気持ちになりますね』
自分にそんなこと言う資格はないと分りつつも、その歪んだ現状につい零してしまっていた。
「あはは、でもまだまだこんなものじゃないんだよ。じゃあ、もう一つ問題。人気になるために一番大切なのは”誰が発信してるか”だけど、じゃあその次に大切なのはなんだと思う?」
『次、ですか? えっと…』
またわざわざ問いかけるということは、やっぱりクオリティではないのだろう。ただ、すぐに深琴は1つの可能性を思い浮かべる。そう、さっき思い出した中に答えがある。つまり——
『サムネイルとか、ですか?』
「そうそう。あとはタイトルとか、広告だったりもするね。つまりコンテンツの入り口に関する部分。今じゃ、割と知られた話だよね」
確かに詳しくはないが、動画コンテンツを制作する上で、サムネイルやタイトルの重要性を説くWeb記事はネットに溢れていることは知っている。
『増えすぎたコンテンツの中では、内容よりも第一印象が重要ってことですよね』
「う〜ん、確かにそうなんだけど、実はちょっと違うの。サムネイルやタイトルが重要なのは、その二つがレコメンド機能のアルゴリズムに大きく作用するから」
話の内容に突然横文字が現れて、深琴は一瞬戸惑いつつ、首を傾げる。
「つまり動画のおすすめに出やすくなるってこと。まぁ、実際は動画の入り口以外にも要素はたくさんあるんだけどね。例えばコメントの数だったり、演出だったり…その時々でどこが高く評価されるのは変わるんだけど。とにかく今のクリエイターは、むしろそのためにコンテンツを作ってるといっていい。今って、検索よりもむしろおすすめ動画であったり関連動画という形での流入の方が圧倒的に大きいからね。だから今のクリエイターは極論、人のためじゃなくて、システムのためにコンテンツを作らされているんだよ」
『システムのための、コンテンツ…』
そのあまりに無機質で歪んだ言葉の響きに、深琴は息を呑む。それを第一線級のクリエイターが口にしていることに、生々しさを感じながら。
「もちろんそれが悪いことだとか、偽物だとか思ってるわけじゃないよ。現代における創作のカタチがそうだってだけ。ただ…だからこそ、本物は輝いて見えて、とても憧れてしまうんだよね」
三河は少し遠く、記憶の窓のその先にある宝物を眺めるように微笑んだ。思わず、手元のすっかり冷めた紅茶の方に意識を向けてしまう。
『僕の音楽なんて、まだまだ未熟ですよ』
理想をまるで体現できない、ずっと心の中にはあるのに、いつまでも辿り着かない。それを本物だと言われるのは複雑な心境だった。少なくとも、深琴の中で本物といえるものではないから。
「深琴くんはさ、誰かの作品に心打たれたことはある?」
『…作品ではないですけど、そうですね…はい、あります』
「私もね、絵を描こうと思ったのはとある絵に心を打たれたから。私の中であの絵は本物で、憧れと同時に感謝もしてるんだ。あの絵のおかげで今の私はいるって」
テーブルを挟んで、それぞれの記憶が回帰していく。憧れと感謝——その二つを同時に抱いた気持ちは深琴にも分かる。
「他の人はどうか分からないけど、少なくとも私は自分が本物だと思った作品を目の前にしたら、その作品で心打たれる誰かのところに届けたいって思うの…ま、要は布教したいってことよね!」
三河は両の手のひらを合わせて、小さな星が弾けるようなウィンクをした。それまでの複雑な感情と深い感動の末に辿り着いたガラス玉のような結論が、最後の一言でより明瞭に、しかしながら俗に収束してしまった。
「それに、きっと深琴くんにとっても悪い話じゃないと思うよ。さっきは多くの人に聴かれなくてもいいって言っていたけど、実際に多くの人に聴かれた経験はないんだよね? だったら、沢山の人のリアクションを得ることで、初めての発見とか新しい可能性が開くきっかけになるかもしれないよ」
『新しい、可能性…』
深琴にとってその言葉は魔性だ。つい最近も似たような状況で、いざ踏み出してみたら、それまで破れなかった壁がいとも簡単に崩れたのだ。
きっと変化とは劇薬だ。ずっと独りで音楽と向き合い続けてきた自分には、特に顕著にその影響が現れるかもしれない。でも理想を体現するには、あらゆる変化も呑み込んで昇華させなければならないはずだ。
もしかしたら今回もそうなのかもしれない。
考えてみれば、動画制作は三河が請け負うと言っているのだから、深琴の音楽制作には一切弊害はない。とはいえ一度断ってしまった手前、急に考えを変えるのはなんとなく格好がつかない。
深琴は少し悩んだ結果、スマホを取り出してメモ帳を開く。今の会話はスマホの中に潜んでいる命も聞いている。そしてこちらから何かを要求する時は、メモ帳に文字を打ち込むということで事前に打ち合わせていたのだ。
打ったテキストは短く"通話で"だけである。
『どのみち僕一人で決めることではないので、もう一人の方に確認してみます』
「えっ、もう一人って…あの動画で歌ってた子!? 通話繋げてくれるのっ」
『えぇ、まぁ…元々あの動画は、あいつが公開したいって話で投稿したものでもありますから』
三河は分かりやすく表情を明るくして、思わず立ち上がってしまうのではないかと思うほどにそわそわとしている。予定では直接会うのは深琴だけで、命の方は都合がつけば通話での参加ということにしてあった。
もしかしたら三河はこちらが警戒しての判断ではないかと思っていたのだろうか。だからこちらがひとつ歩み寄ったが故に、この反応なのかもしれない。
そうだとしたら少し申し訳いとも思いつつも、深琴は当初の打ち合わせ通りに、命に電話をかけるふりをした。
「——こんにちは!」
スマホのスピーカーから快活な命の声が聞こえてくる。何も知らない人が聞けば、まずこの声の先に人はいなくて、その存在がAIだとは思わないだろう。
その声を聞いて、三河は興奮気味に頬を紅潮させた。
「うわぁ! 思ったよりも可愛い声なんですね。えっと、なんとお呼びすればいいですか?」
「えっと、名前は決まってないので、ひとまずオレのことは、す…スミスと呼んでいただければ」
これも念の為予め決めていたことだ。名前は決まっていないことにするが、もし名乗ることになれば一旦はスミスを使うと。命は最後まで、Smithの名前を自称するのは差し出がましいと渋ってたが、それよりもAI命としての素性がわかる手がかりを表にするわけにはいかない。
「おぅふ、まさかのオレっ娘…あぁ、私は三河鳴。イラストレーターで七夢鳴海という名前でVtuberとしても活動しています」
一瞬興奮で我を失いそうになっていた三河は、ギリギリのところで踏みとどまっている様子だ。
「よろしくお願いしますのです」
「早速本題なんなだけど、最近投稿されたSmithチャンネルの動画を、私の手でリメイクさせて欲しいの。動画の内容もそうだけど、主にスミスちゃんの見た目を」
スマホに詰め寄る三河に、命は少し戸惑いながら、
「…えっと、マスターはどうしたいと思っているのですか?」
「…マスター?」
命がこちらに判断を委ねてきた。と、同時に瞳をまん丸にした三河の視線が刺さる。
「深琴くん、自分のことマスターと呼ばせてるの?」
『いや、それはその…そういう設定なんです』
「設定って、つまりVtuberとして、深琴君が彼女のご主人様ってこと?」
「元々はオレがマスターの音楽に惚れ込んだことが始まりだったのです。そしてマスターが目指す完璧な音楽を再現したい…オレはそのための道具でありたいのです!」
深琴が言葉に詰まっているところに、スマホから命のどこか恍惚な感情を含んだ声で続けられる。
「ほぉ…なるほど、そういう方向性なのか…うん、なるほど、なるほど」
『あくまで設定の話、ですからね?』
三河は興奮しながら、深く何か考え込んでいるようだった。深琴の声は届いていない。
「あぁ、ごめんなさい。えっと、それで動画の件についてなんだけど…」
「マスター、どうするのですか?」
三河の視線と、命の声が、深琴へと向けられる。
『…前にも言っただろ。あの曲については、お前に委ねてるって』
二人の期待から、深琴は逃れるように視線を逸らしてため息を吐く。そしてはっきりと決定権を手放した。
途端、喜びの感情の気配が、スマホから漏れ伝わってくる。
「だったら、オレは——お願いしたいですっ!」
命は力強く、即答した。そしてそれは同時に、Vtuberスミスの正式なデビューの未来が決定した瞬間でもあった。
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