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愛菜物語  作者: jima
1/6

その1 瓜の蔓に茄子の焼き浸し



台所の茄子(なす)がスッと立ち上がって俺に話しかける。

「お前なあ、美空(みく)はもう高校生だぞ。バイトくらいするだろうさ。おい、違う。焼き浸しだったら茄子は縦に切れ」


俺は包丁を握り直して、茄子に反論した。

「違うんだ。門限だよ、門限。約束は約束だろう。そうか、縦か」


茄子が短い手を振り回しながら言う。

「お前は頭が固いなあ。古い茄子のヘタでももう少し柔らかいぞ。世話になったバイトの先輩が辞める送別会にちょっと出るだけじゃん。そうだ、そう。縦に切ってから皮の方に切れ目を入れろ」


「こうか。こうして…しかし約束の帰宅時間よりも2時間も遅い。美空はまだ17歳だ」


渋い顔をする俺を見て茄子は苦笑した。茄子のくせに。

「お前が思うより美空は大人だ。包丁を斜めに入れるんだよ。前にやっただろう。もっと細かく…覚えが悪いなあ」


俺は何故この師走の忙しいときに茄子から説教をされているのか。料理と子育てと。





妻が亡くなって以来、何故か俺の周囲にこの類の妖怪だか妖精が出没するようになった。

最初にトマトが立ち上がって野菜を摂取することの大切さを滔々と話し始めた時、俺は自分がどうかしてしまったのだと思った。


いくら妻の死で落ちこんでいたとはいえ、こんな馬鹿なことはない。

俺はその『トマトの妖精』を無視して作りかけの野菜炒めに集中しようとした。


だがトマトはその短い手足を振り回しながら文句を言い続ける。

「野菜が少ないな。野菜炒めに豚肉はほんのちょっとでいいんだ。お前のは『豚肉の炒め物 with a(申し訳) little(程度の) Cabbage(野菜)』だ。ほら、だから醤油だ塩だ入れ過ぎなんだよ。塩分過多は高血圧の原因だ、わかってんのか」


俺もいい加減頭に来て言い返した。

「何だ、お前は。うるさいな。料理に集中できないだろう」


「ワハハ、やっと反応したな。だがこんな程度の作業、集中するほどか」

トマトが俺をせせら笑った。






あれから3年、あいかわらずキッチンに立つと野菜やら何やらが俺に話しかけてくる。

こんな話、誰にも相談できない…というか未だに俺の脳みそがどうかしているという可能性は否定できない。


しかし俺が異常だとは一概に言えない気もしていた。

何故かと言うと、奴らのアドバイスは正確で、言うとおりに作業すると大概上手くいくのだ。

一人娘の美空も「(ちち)はいつの間にこんなに料理が上手くなったのか」と可愛くて大きな目を丸くした。


そう…妻が病気で亡くなった時にまだ中学生だった美空、彼女は思春期で少しずつ俺に口を利かなくなっていた。二人っきりの生活をどう乗り越え育てていくのか…それが大問題すぎて俺は喪失感を感じる暇さえないほどだったのだ。


トマト自身が俺に教えた『鶏とトマトのさっぱり煮』を見て、娘は丸い目をさらに丸くした。

「何なの、父?これ本当に父が作ったの?」


手羽元の下ごしらえでの苦戦や隠し味のリンゴ酢について、久しぶりに俺と美空は会話のある夕食をしたのだった。


料理中、キッチンの作業台やガスコンロ付近に「手羽の水分はふきとっておけ」とか「横にブロッコリーを添えろ。言っただろ野菜不足だって」とか「娘に『学校はどうだ』とか馬鹿な質問はするな、アホウ」とか、口うるさいトマトがいたことはもちろん言わなかったが。






結婚した当初、妻は俺の茄子嫌い野菜嫌いに閉口した。

「食わず嫌いなんだから。美味しいのよ、ほら、一口食べたんさい、タロちゃん」


俺の前に差し出された茄子の焼き浸しに俺は顔を(しか)めた。

「いいって。その色は…うーん、食べ物の色じゃないよ、(すず)さん」

眼の前の茄子は醤油の焦げるいい匂いがしていたが、その黒光りする姿は俺の食欲をそそらなかった。


「お義父さまは『美味しい、美味しい』って二・三本はペロリだったのに」

妻は前に差し出した箸を口惜しそうにUターンさせて、茄子を自分の口に入れた。


「親爺は君の作るものだったら何でも『鈴ちゃん、美味いなあ』ってバクバク」

実家の父親の顔を思い浮かべる。親爺は妻を実の娘のように可愛がっている。


妻は面白そうに笑って、また一口茄子を頬張った。

「瓜のツタに茄子はならぬ…か」


「何だい、そりゃ」


「きっと貴方も好きになるわ、タロちゃん」


びっくりすることだけれど、俺はしばらくして本当に茄子が大好きになった。

正確に言うと鈴さん、妻のつくる料理は何でも好きになったのだ。


とはいえ、喋るやつは別だ。








高校生になった美空と俺はぶつかったり、俺が一方的に無視されたり色々あるけれど何とかやっている。

それもこれも野菜達が俺に料理と親としての振る舞いを何やかんやアドバイスをしてくれるからだ。

というかほとんど指示だな、あれは。



けどなあ、今夜はどうだ。美空にバイトを許した条件は門限を守ることだったはずだ。

「なあ、バイト先には若い男だっているわけだろう」

俺はこっちの茄子をフライパンに投入しながら、そっちの茄子に話しかける。ややこしい。


茄子が身軽に食器棚の上に飛び乗り、呆れたように笑った。

「当たり前だろう、だから社会勉強なんじゃないか。待て待て、皮目(かわめ)からだ。皮の方から焼くんだ。そんなに強火にすんなって」


俺は茄子を慌ててひっくり返した。

「ああ、そうだった。焼き目がつくまで…と。そういう若い男とかが狙ってたらどうすんだ。うちの美空は可愛い、これは親の皮目…いや、欲目じゃない」


「ちょっと油が多いな。茄子はいくらでも油を吸うからな。少しペーパーで拭き取れ」

茄子がキッチンペーパーを俺に差し出す。そんな茄子いるか。


俺は菜箸でそれを受け取りフライパンの油を拭き取りつつ、ため息をつく。

「今頃どうしてるかな…美空は」


茄子がため息をついて横の計量カップを指さす。

「しょうがねえな。見てみろ」

中には醤油と味醂と砂糖、それに和風の顆粒だしを水で溶いた合わせ調味料が入れてある。


「?」

俺がその容器を覗き込むと薄い茶色の液体がフワリと虹色に変わって、それからどこかの店内風景が映った。

「あっ、これはあのピザ屋じゃないか」

美空のバイト先である宅配ピザの店で十人ほどの若い店員が作業テーブルを囲んでいる。


「ライブ配信だ。ほらな、ささやかな送別会じゃねえか」


俺は調味料に鼻がつくくらいに目を近づける。

「見ろ!ビールも出ている。美空は未成年だ」


「成年も沢山いるよ。ビールくらい出るさ」


「いや待て。美空の横になれなれしい感じの若い男が。あっ、美空が話しかけた。許せん」


「あれが今夜で辞める先輩だ。そりゃ美空も話しかけるだろうよ」

何だ、こいつ。茄子のくせに先輩の肩を持ちやがって。


「何を話してるか聞けないのか。茄子」


「…お前なあ。まあいいや、ちょっと聞いてみるか」

茄子は食器棚から軽量カップの横にポンと飛び移り、カップの横のダイアルをいじる。

いつそんな機能が。




「ホント、お世話になりました。最初はやり方が全然わからなかったから」

美空が可愛く微笑んでいる。うちの娘は控えめにいって天使だ。


「ミク、ボクノ ホウコソ アリガト」

…あれ?どこの人?そういえば肌の色も浅黒いか。


「イグレシアス先輩が仕事のやり方、私が日本語、教え合って上達したよね」


「ミクノ オカゲ。ボク ミンナト ウマク ヤレルヨウニ ナッタ。ミクハ ボクノ エンジェル」

そうだ、天使だけどお前のじゃないぞ。





「やっぱり美空は俺の自慢の娘だなあ。誰にでも親切で優しくて思いやりがあって…」

俺はだいたい同じような形容をいくつか繰り返して茄子に娘自慢をする。


茄子が口に人差し指を当てて俺を黙らせた。

「しっ。よく聞いてろ」





「ねえ、美空。バイト代、目標まで貯まったでしょ」

向かいの女の子が美空に話しかけた。


「うん。何とか間に合った」

美空がガッツポーズを作る。


「偉いよなあ、親爺さんと温泉に行くんだろ、ゲフ」

その横にいる若い男がビールを仰いでゲップしながら話に割り込む。

下品だ。娘に近づくな…って、うん?何だって?


「ミク、オヤコウコ。ソウイウトコモ チャーミング」

イグレシアスは黙ってろ。…温泉?ええっ?


「まだ予約取れてないし、父さんが何て言うかわからないし…」

美空が口ごもる。

…何て言うかって、(なん)も言えねえ。









「ただいま。遅くなってごめんなさい」

美空の声が玄関で響いた。


俺はリビングからいそいそと迎えに行く。

うむむ。この後、娘から温泉旅行のお誘いがあるのか。

どうするか。やっぱり盗み見なんてするもんじゃないな。

飛び上がるほど喜んで見せたいけれど、もう知ってるからなあ。


玄関先に美空がいて、マフラーと手袋を外しているところだった。


「おかえり、寒かっただろう。早く家の中に…、うん?」

俺はニヤけるのを我慢して娘に声をかけるが、玄関の外に誰かいる。


美空が照れくさそうな顔で後ろを振り返り、手招きをした。

「早く、大丈夫だって。私のダッドだよ」


美空に腕を引っ張られて、これまた照れた顔を見せたのはあのイグレシアス先輩だ。

「ドモ。ハジメマシテ…エット、エット、ワタシハ」


「どうしてここにイグレシアスが」


俺の呟きに娘が目を瞬かせる。

「何で父がイギーのことを」


「コンバハ、オトサン。イグレシアス イイマス。 オアイデキテ」


イグレシアスの言葉を遮り、俺はあのテレビドラマでさえ最近は聞かない陳腐なセリフを口走る。

「き、君にオトサン、いやお父さんなどと呼ばれる筋合いは」


美空は半分笑って、半分呆れて間に入った。

「父、父、タロちゃん。きちんと話を聞いてね」


「な、な、な」


「彼はホセ・イグレシアス君、私の彼氏です」

美空は少しだけ声の音階をあげて『彼氏』と言った。


「グアムから日本語の勉強に来ていて、もうすぐ帰国するの」


「ハイ カエリマス。ミクト ハナレルノ カナシイ サビシイ ダイスキ」


何ドリカムっぽく言ってるんだ。こいつ。

「許さん。理由は…ちょっと何だか腹が立つからだ。中身は知らんが、見た目もその、軽薄そうで」


美空がいきなり俺の正面に立って、俺の頬を両手で挟む。

「モガ」


「父、見た目で誰かを判断するのは一番ダメって、父が教えてくれたことだよ」

顔は微笑んでいるが目は真剣そのものだ。

「食わず嫌いは父の悪い癖。一度ゆっくりイギーと話をしたんさい、タロちゃん」


俺は目を白黒させて、いよいよ妻に似てきた娘の顔とその後方で俺と同じくらい目を泳がせているイギーを交互に見た。

「むう」



美空がようやくいつもの優しい笑顔で俺に言う。

「ね、きっと貴方も好きになるわ、タロちゃん」




読んでいただきありがとうございました。

第2話も近日中に投稿の予定です。

よろしければ続けてどうぞ。

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