第05話「無名の旅人 」
―― 宮廷の入り口にて
どれくらいそこで立ち尽くしていただろうか。遠くの方で何人かがこちらをみて話をしていた。もうしばらくすると衛兵が3名やってきた。そのうちの一人が慎重にリリーに近づいた上で詰問をはじめた。
「おい、そこのお前だ。聞こえているのか?」
リリーは返事をしなかった。別の衛兵が迫力を込めて言った。
「何も用事がないのなら即刻立ち去れ。今、国がどのような状況か分かっているのか。」
衛兵は剣の柄に手をかけ、いつなんどきでも応戦できる体制をとっていた。
リリーは理解した、もうここに帰ることはできないのだ、と。
後ろを向いて歩いてきた道を戻り始めた。一歩一歩足の踏み場を探すようにして歩いた。進むごとに、胸の中の何かがこぼれて、次第に空になっていくようだった。
しばらく歩いた後に聞きなれた声がした。
「リリー?」
暗闇の中で聞いた声だ。最初に目覚めたときに語り掛けてくれた声だ。リリーが振り返ると彼女はすぐそこにいた。彼女はもうすでに泣き出しそうな表情でこちらをみていた。両手を握り締め、冷静に保とうと必死になっているようだった。
「…生きていたの?」
彼女の声にこたえようとしたとき、彼女はリリーに勢いよく抱きついた。
「みんな心配した。どこへ行っていたの・・」
アデリーナは涙を流しながら、リリーに抱きついていた。彼女の背中は小刻みに震えていた。少しカールしたブロンドの髪はとても懐かしかった。リリーは彼女のように泣きたくなった。しかし泣くことはできなかった。それがなぜかは分からなかった。胸の内は大きな戸惑いで渦巻いていており、恐怖に近い感情が支配していたのだ。
それから、ドーリーや見知った侍女たちも集まってきた。
「生きていてよかった」「もう帰ってこないと思っていたのよ」
―――
宿舎に帰るとリリーは手厚い歓迎を受けた。
侍女長であるドーリーの指示で急遽、暖かいバスとシャワーが用意された。それから素晴らしい食事の数々を口にした。とても美味しかった。だが素直に喜ぶことができず、おそらくは終始浮かない顔をしていた。そして時折頭を手で押さえて頭に巻いている布が落ちていないか心配した。
「それで、本当にどこにいっていたの?ずっと探していたんだよ。国はこんな状況で‥。」
アデリーナは暗い顔をした。その顔をみてただ申し訳なく思った。彼女を悲しませてしまったことに対してただ申し訳なかったのだ。リリーは実際に起きたことをかいつまんで話をした。記憶が一時的になくなったこと。起きたら森の中にいたこと、道端で倒れたときには優しい村の女性に助けてもらったこと、エドという者の料理店で寝床を借りたこと。肝心な話は避けた。きっと理解してもらえないと思ったからだ。アデリーナは一人きり聞いて安心したようだった。それからリリーの頭を見て不思議そうに尋ねた。
「それにしても、その頭に巻いている布はどうしたの?怪我しているの?」
リリーはどきりとした。「・・・うん」
「そう。お医者様に見ていただいた方がいいよ」
「大丈夫、もう治りかけているから、気にしないで」
アデリーナはまだ気にしていたようだったが、リリーは固く断った。
―――
宿舎に用意された部屋に入ろうとしたとき、ドーリーがやってきて言った。
「さぁ、今日は早く寝てくださいね。疲れたでしょう。」
リリーは答えていった。「ありがとう。」
それからドーリーは何かを言うとして迷っているようだった。少し間をおいて、リリーに打ち明けるようにして話し始めた。
「アデリーナ様はずっと心細い思いをしていたのです。彼女は一人になってしまった。そして、ようやくあなたが戻ってきた。魔物が現れて以来、あんな晴れやかな表情を見たのは久しぶりだった。」
リリーは言葉を詰まらせた。どう答えたらよいのか分からなかった。
「アデリーナ様も父が亡くなり、兄が行方不明になり、心細い思いをしていたのです。」
リリーはドーリーの語った言葉に固まった。「父がなくなった?」
「ええ。・・・アイザック・グレンヴィル王。彼女の父はあなたが行方不明になった日、獣によって傷を負い、亡くなったのよ。」
リリーにとってそれは驚くべき事実だった。アデリーナは王女だったのだ。どうしていままで気が付かなったのだろう。彼女の口からそのような話はきかなかったような気がする。しかし、そのように言われてみれば理解のできることばかりであった。
「私がいいたかったのは、ただ、あなたが王女様をささえてくれたら嬉しいということよ。それでは、おやすみなさい。」
リリーは与えられた部屋のベッドに横になっていた。以前用意してもらった部屋と同じだった。見覚えがあった、どこか慣れ親しんだ居心地の良さのようなものも感じられた。頭をさわった。やはり大きな角が髪の分け目から生えていた。
(どうして、こんなものが・・・)
急に抗えない事実を突きつけられたような気がした。手が震えた・。私は人間なのにどうしてこんなものが・・。魔物デプリヴンと同じ角。違う、こんなものが生えている私が人間であるはずがない。そして、ここにいていいはずがなかった。
私はずっと暗闇で閉じ込められていた。何を言ってもそこから出してもらうことはできなかった。そして、私は死ぬことがなかったら、一体どれほど長い間そのような状態であったのかはもはや分からない。その長い時間によって記憶も失われた。ただ一つ分かっていることがある。
私は確かに恨みを晴らすために生きてきた。
私の中で幾重にもわたり積み重ねられてきた怨恨の念は消えたりはしない。もしアデリーナがその王族の子であるというのならば、私の恨みを果たすべき対象は彼女になるだけ。
私に生きることから遠ざけてきたのが王族ならば、私も彼らに生きることから遠ざけることを教えてあげる。ベッドの傍らにおいてあった短剣を手にした。鋭く磨かれた短剣に自分の表情が映った。ひどく浮かない顔をしていた。
―――
翌日、リリーはアデリーナを探した。武道の訓練場にいると聞いて、やってきたのだった。そして叢の陰に隠れてアデリーナを確認した。いつものワンピースではなく、動きやすそうな恰好をしていた。そして、大柄な男と剣を持ち対峙していた。どうやら稽古をつけてもらっているようだった。なぜ、王女がそのようなことをしているのか、リリーには理解できなかった。
アデリーナは木剣を手に取り、何度も大男に向かっていた。なんども押し倒され、倒れては起き上がっていた。
「いいのですか?これ以上はもうやめられては」
「だめよ。自分で身一つも守れないようでは・・何も守れない。兄さまにやっていたのよりきつくやってよね。」
「わかりました。では厳しくいかせていただきます」
リリーはそれから身動き一つできなかった。そして、まるではじめて短剣というものを手にしたかのようにただ、じっとそれを眺めていた。そもそも、自分の帰りを泣きながら喜んでくれた、自分を暗闇からだしてくれたアデリーナを恨むことなんてできるはずもなかったのだった。
リリーは放心したように立ち尽くし、短剣を足元に落とした。そして、遠い記憶の女性の顔を思い出していた。
女性は私に対していつも凍えるような冷たい視線を向けていた。それはあきらめだったかもしれない、もしくは怒りだったかもしれない、私が生きていることへの批判だったかもしれない。何かを一言二言言ってはどこかへ行ってしまう。手を伸ばしてもその手は雲をつかむように手が届くことは一度たりともなかった。たとえ想像の中だったとしても。
私という存在は、その意味を失ったというのに消えることができない、矛盾した存在だった。
―――
翌日、リリーはドーリーに頼み込んで王立図書館で本を探した。図書館の管理人は思いのほかに歓迎してくれた。そして協力的に探してくれた。
「知識を得ようとする者が誰であろうと、その門が開かれている。具体的に探している本があるのならば私にいってくれればよい。私はあなたほど若い人が興味を持ってくれることにとても感激しています。アカデミーの生徒たちすらよりつかないのだから。悲しいことに彼らはテストで点数を取ること以外に興味はないようです。」
リリーは頭に巻いた布越しに角を確かめた。きっとこの角に関する文献があるに違いないとふんだのだ。それが一体どこに記述されているのかは分からない。ただ手あたり次第に古い文献を見つけては読むことを続けた。
角とエレクタの関連性の可能性を記述する文書が見つかった。なんらかのエレクタの影響を受け、それによって骨が変形するのではないかという記述だった。角事態にはそれほど大きな意味はない、むしろ、それを形成するなにか、人の体の秘密に目を向けなければその原理を解決することはできないという種類の研究内容だった。最後にこのように締めくくられていた。長年の研究はこれで最後になるだろう。私の寿命ももう尽きる。後世の人が引き継いで解決してくれることを切に願っている。
――― 宮廷の庁舎にて
ケイデン・ウィンスローは、父に貴族委員長を長年勤めたブレイク・ウィンスローを持つ貴族委員のうちの一人である。彼は庁舎で同僚の貴族委員の男と話し合っていた。
「もう来週に迫っている。やるかやらないかを決定しなくてはいけないのでは?」
「なにをですか?」ウィンスローは分からないといったように聞き返す。
「平和祈願宴会 (ピース プレイヤー バンケット)。例年の行事でしょう?」
「ああ、そんなことがあるのはすっかり忘れていた。ここ最近の魔物デプリヴンの対処で手一杯だったから。それも現在進行中だ。」
「ウィンスロー、毎年あなたの役目でしょう?」
「しかしこれは王族主催の行事。もはや王がなくなった今誰に意見を仰げばよいものか。」
「王子も行方不明の今、代理でアデリーナ王女に決定するようお願いするしかないでしょう。しかしまぁ、やらないでしょうな。こんな非常事態ですから。」
―――
アデリーナはなぜリリーが戻ってきてから表情がすぐれないのか気になっていた。明らかに様子がおかしい。彼女はその原因をつきとめようと考えていた。ドーリーからリリーが王立図書館に入り浸っているということを知ったのはついさきほどの事だ。ばれないように足を忍ばせて動き回っているとようやくリリーを発見した。
リリーは広い机の前に座っていた。自分の背丈以上の高さに分厚い本を積み重ねて、なにやら調べ物をしているようだった。無心で本のページを繰っていた。そして、読み終えた本を元の場所に戻しては、また別の本を読むことを繰り返している。声をかけようと思ったが暫くその様子を伺うことにした。そして、何の本を読んでいるのか確認した。
ほとんどがとても古い本だった。おそらく建国してから間もない時期に書かれた本だ。そのような古い本を調べて、いったい何をしようとしているのか。内容は建国をしてからの歴史が記述されているもの、都市設計にかかわるもの、様々な本だ。
図書館の職員が来て言った。「彼女はずっと無心に調べているのです。どうやら、デプリヴンに関する文献を特に調べているようです。どこにあるのかと尋ねられましたから。もしかしたら、彼女なりに昨今のデプリヴン発生にかかる解決策への糸口を探そうとしてるのかもしれない。ですが、我々も既に調査済みで、なかなか近日発生した事実について得られる情報はないのですが・・。そのように助言をしても彼女はききませんでした」
職員は続けて言った。
「しかし、それはとても素晴らしいことです。自らが調べてみないと納得できないという姿勢、あのような知的好奇心あふれる方がいることはこの国の未来により一層希望がもてる。だからこそこの国難の時においても私はこの図書館を一人であっても守るつもりでいるのです。」
「希望を持つ?」アデリーナが聞き返した。職員は彼女に向き直って言った。
「人は、未来の自分が想像できない場所に居続けることができないのです。」
「未来の・・自分・・・。」
リリーは彼女なりに国の事を考えて行動している。一生懸命生きている。晴れない顔をしていたのは彼女なりにこの国の未来を憂いていたということなのかもしれない。
それに対して自分は一体なにをやっているのだろうか・・・。私もやれることをやらなければならない。そうだよね、リリー。
――― 宮廷の庁舎にて
ウィンスロー「そんなわけで急遽準備をしているわけです。衛兵の力はもちろん借りられない、防衛にかかりきりです。そして準備期間があまりにも短い。だからこそ、急遽、王女様の力にも手伝ってもらってやっているところです。まずは宴会の進行やイベントのスケジュールの作成です。夕方にはスピーチもありますし…これがまた厄介だ。」
知り合いの貴族は不思議そうに尋ねる。「しかし、なぜやることにしたのですか?このような時に」
「最初は迷っておられました。国民の前でお話しすることも嫌がられておりましたし、開催することにも否定的でした。仕方がありません。まだ王女はお若いし、このような国の状況があります。しかし、昨日のことです。どういうわけか、急に考えを変えられたのです。」
「そうか。王女の気まぐれには困ったものだな。」
同僚の貴族委員の男はウィンスローを憐れむように言った。
―――
リリーは失意の中、宿舎でぼんやりと座っていた。一日中本を探して疲れていた。そして何の成果もなかったことでその疲れは増しているようだった。角がなぜ生えるのか、その原因は何なのか。
ふと周囲の慌ただしい空気に気が付く。侍女たちがなにやら話し合いながら忙しそうにしている。いつにも増して忙しそうだ。ドーリーに聞いてみると、明日開かれるピース・プレイヤー・バンケットの準備ということだった。
「急遽開催することが決まったものだから、大変よ。この国で年に一度行われるお祭り。みんな楽しみにしているからね。頑張らないとね。」
「どれくらい大変なの?」
「いつもの10倍くらいよ。いや、100倍くらいかも」
よくみてみると、侍女たちの他にもいつも立派な服を着て、優雅に歩いている人も、今日は作業をするための簡易な服で、侍女たちに交じって準備の手伝いをしているようだった。そこにアデリーナもいた。額に汗をかきながら、せっせと手を動かしている。
「私も・・やることはある?」
リリーが言うと、ドーリーは待っていましたとばかりに笑顔を作って言った。「もちろん。もう体は大丈夫なの?手伝えるならしっかり手伝ってもらうよ。あなたも侍女なのだから」
リリーはドーリーに指示されたことを手伝った。荷台一杯につまれたジャガイモやら、リンゴやら入った箱を一つずつ持って調理室に運んでほしいそうだ。「重いからね。一箱ずつでいいよ」
一体箱がどれくらい積まれているか分からない。荷台も後方にたくさん並んでいた。もう少し一度に運んだ方がいいかもしれないとリリーは思った。
しばらく作業をやっていると、アデリーナがやってきた。「リリー。私も手伝うよ!」「いいの?」「いいよ、なんでもやってるの。できることはね。」
アデリーナは箱をもちあげて歩き始めた。そして顔を真っ赤にして息を切らしながら一歩ずつ足を踏み込んだ。そしてリリーに言った。「リリー。あなた、見かけによらず力があるのね。どうして五箱も一度に持ち運べるの?」「軽いから。」「軽くないわよ。」
ひとしきり作業が終わった頃、リリーはアデリーナに言った。「どうしてアディ・・いや、アデリーナ様はこれほど頑張っているの?」
アデリーナは少し居心地の悪そうな顔をした。「やめて。いつも通り『アディ』でいいから、それに・・。このピース・プレイヤー・バンケットはみな楽しみにしているんだ。こんな国が混乱している時にどうしてやるのか?なんて声もある。でも、だからこそやらなければいけないと思った。みなが大切にしていた、それぞれが大切にしていることを思い出すきっかけになるから。それがきっと『明日も頑張ろう』という理由になるから。」
「アディは凄いね」
「すごくないよ。リリー。それよりも、どうして最近……」いいかけて言葉を飲み込んだ。
「?」
「いや、なんでもない。」
アデリーナは立ち上がっていった。「さぁ、続きやりましょう!」
準備は深夜遅くまで行われた。
ドーリーがいくつかの紙を整えて、リリーに手渡した。「さあ今日はこれで最後だよ。ウィンスローさんに今日の報告書と明日の予定表を渡してきてくれる?」
リリーは頷き、資料を手に取った。
それから、リリーは教えてもらった通りの道をたどり、ウィンスローが構える執務室にたどり着いた。扉をノックする。コンコン、コンコン。しかししばらく経っても誰も返事をしない。もう一度ノックをしようとしたところ、扉が開き、隙間から一人の男が顔をのぞかせた。
「なんだ。私はチェスタだが」
「こちらはウィンスローさんの執務室ではないですか?」
「違う。」チェスタはそう言って、リリーにジロジロと視線をやって、フンと口元の右端を持ち上げてから言った。
「作法もなっていなければ、品もない。君は下層からやってきたのだろう。すぐに分かる。あなたはこの場所にふさわしくはない。悪いことはいわない。いるべき場所にもどりなさい」
リリーがどう答えればよいものか考えているとチェスタ、ようやく合点がいったというように頷きながら続けて言った。
「あなた、噂になっていますから、王女様をそそのかす下賤の者がいると。それに、最近、近衛騎士団では使わない風変わりな短剣がおちていたそうです。おそらく下層のものです。まさかあなたのものじゃないでしょうね?」
「それは、違います」リリーは小さな声でとっさに答え、目を背けた。しかしおそらくリリーのものだった。落としてからそのままにしてしまったものかもしれないと思った。
「ふぅん。最近、下層では人が人を襲うという被害が散見されるようになった。新種のデプリヴンではないかとも噂されている。まさか、あなた、デプリヴンではないでしょうね?」
リリーは驚きと恐怖でのどが渇くのを感じた。この男のすべてを見透かすような物言いに委縮していた。
「冗談です。私がウィンスローではないことを理解してもらえればいいのです。それでは私は忙しいので。あなたと違って、私の時間はとても貴重ですから」
そう言って、チェスタは扉を閉め、鍵をかけた。
リリーはしばらくそこに立っていた。そしてようやく思い出したように顔を上げて歩き始めた。
それからリリーはドーリーにウィンスローの執務室を再度確認した。
「チェスタ議員の部屋を尋ねたの?それは災難だったわね。何か言われた?でも気にしなくていいわよ。嫌な奴なのよ。」
「気にしていないです。大丈夫ですから。」
リリーはその後、ウィンスローに書類を届けることができた。
――― 平和祈願宴会 (ピース・プレイヤー・バンケット) 当日
多くの者はピース・プレイヤー・バンケットを楽しみにしていた。それは毎年行われる恒例の行事であり、この国民に深く根ざした一つの文化となっていたからだ。
朝から人々でにぎわっていた。昼には多くの催しものが行われ、夜になると王室による平和祈願にむけた宣言が行われることになる。
アデリーナもリリーもこの日を存分に楽しんだ。歌手や踊り子たちの伝統的な舞踏を観て、一流の音楽家が奏でる音楽を聴き、美味しいものを食べた。
「ちょっと緊張してきたな。」アデリーナが言った。この後、国民に向けて王女によるスピーチが行われることになっているのだ。
「アディなら大丈夫だよ。」
「リリーも隣にいてくれる?」
「え?」
リリーは驚いて、困ったような顔をした。アデリーナは少し笑って言った。
「冗談だよ。」
「しっかり見ている。」
リリーは心の中で思った。(そうだ、しっかり見ておかなくてはいけない)
―――
アデリーナは静まり返った雰囲気の中、平和祈願に向けたスピーチを行った。集った人々は手を止め、足を止め、彼女の話に耳を傾けた。
「古くより繁栄し、誇り高くあった我が国が、今、獣たちの脅威にさらされています。我々は疲弊し、心は深く傷ついています。今こそ一致団結し、我々を脅かさんとする者達に立ち向かう時です。我が国サンクレムのために、力強く、誇り高く、勇敢に立ち上がり、力強い結束をもって獣たちを退け、平和の礎を築きましょう。」
リリーはその様子を傍でみていた。まるで自分の知っているアデリーナではなかった。彼女は王女として、この国を守る責任を負っているのだ。それはとても尊い事のように思えた。胸が熱くなった。まるで今の自分では届かない場所にいるように思えたのだった。
彼女は一人でも立派にやっていける人だ。リリーはそれがとても嬉しくもあり、寂しくもあった。その姿を目に焼き付けるようにじっと見つめていた。ずっと忘れないように。
リリーは誰にも気が付かれないよう、ひっそりと宿舎に戻った。宿舎は全員が平和祈願宴会の手伝いにいっていたため、人影はなかった。僅かな食事はドーリーから理由をつけて作ってもらっていた。しばらくはこれで大丈夫だろう。もともと、食べることもしてなかったのだから、きっとお腹が空いてもなんとかなるのだろう。
それからの侍女の宿舎を出て、宮廷の門に向かった。人々の目をできるだけ避けて、隠れるように歩いた。門をでたところで突然名前を呼ばれた。
「リリー」
アデリーナだった。彼女は息を切らし、それからしばらくしてからいった。彼女は笑顔を作ってから穏やかに言った。
「どこへ行くの?なにか用事があるの?」
リリーは黙り込んだ。何を言おうか迷っていた。次第にアデリーナの表情は陰った。
リリーは意を決したように告白した。
「私はここにいるわけにはいかない」
その言葉を聞いたアデリーナは息を飲み込み、冷静を保つようにして言った。「どうして?」
「もっと強くなりたい。アデリーナ王女のように。すごく立派な宣言だった。あなたのようになりたいから、私はここから去る」
ピース・プレイヤー・バンケットの最後を締めくくる花火が次々と打ち上げられた。ドンッ、ドンッという音とともに赤や青や黄色、色とりどりの美しい花が夜空に描かれた。人々の歓声が上がった。
その時、突風が吹いた。強い風が二人の間を駆け抜け、舞い上がった。その拍子にリリーの頭に巻かれた布がほどけ、宙に舞った。
リリーは驚き、取り乱した。風に飛ばされた布を掴もうと急いで手を伸ばすが既に届かない。布は一瞬のうちに空高く舞い上がり、夜空の暗闇に消えていった。そして手に持っていたバスケットを落とし、小さなパンがいくつか袋から零れ落ち地面に転がった。
リリーはとっさに頭を隠した。しかし既に角を隠すことができず、それはほとんどあらわになっていた。アデリーナはその様子に驚き、つぶやくように言った。「リリー。それは・・」
リリーは唇を震わせ、足元を凝視しながら言った。
「醜いでしょう。私はデプリヴンと同じなの。こんな体になってしまった。こんな私が宮廷にいていいと思う?いいわけがない。」
アデリーナはようやく合点がいったというように言った。「そういうことだったのね」
それからリリーの正面に立ち、頬を平手打ちにした。パチンと乾いた音が鳴った。
「だったらどこにでもいけばいいじゃない!」
アデリーナは声を震わせながら、目に大粒の涙を貯めていた。それから、静かに呟くように言った。
「誰がいてはいけないと決めたの?私はあなたとともにこの国の、サンクレアに暮らす人々の希望を作りたいと思った。だから…だから…」
リリーは顔を上げた。しばらく声はでなかった。アデリーナの表情をみて、ようやく自分がどのように思われているのかを知ったのだ。そして、聞き取れないような小さな声で答えた。「ごめんなさい。」
ドン、ドンと花火は上がり続けていた。明るい光が時折、二人の体を照らし出された。最後の花火が鳴り終わったとき、あたりは静まり返った。
リリーは言った。「いてもいいの?いや、決めるのは私・・だよね」
アデリーナは無言で頷いた。赤くなった目で笑って見せた。
「これからもよろしくね」アデリーナはリリーに手を差し出した。二人は手をとりあい、これから待ち受ける困難に立ち向かう契りをたてたのだった。