第02話「宿命の邂逅」
アデリーナの前に一人の青年が立っていた。美しい蒼い髪をした男だった。さきほどまでそこには誰もいないはずだった。男は王女の前で左足の膝を地につけ、深々とお辞儀をした。そして顔を上げ微笑んでから言った。
「こんばんは、王女様。僕はこの国を守るためにやってきました、ジョエル・ホワイトと申します。」
アデリーナはこの男の顔をまじまじと眺めた。少しの間自らの記憶を巡らせてみたが思い当たる節はなかった。
「アデリーナ・グレンヴィルです。あなたは衛兵かしら。それにしてはみたことのない服・・。」
ジョエルと名乗った男は小さく頷きながら答えた。
「私のことはゆくゆくご理解いただけるかと思います。それにしてもアデリーナ様。あなたは・・。」
そういいながらジョエルはあることに気が付いたように言葉を詰まらせた。余裕のある表情に一瞬陰りが生まれ、そして、二人の間を静寂が包んだ。なにかに躊躇している様子であったがしばらくしてから話を続けた。
「私は知人の女性を探しているのです。アデリーナ様。・・・驚きました、あなたにそっくりな女性なのです。彼女はなぜか私の前からいなくなってしまった。忽然と消えたのです。今もずっと探し続けているのです。」
彼はとても悲しそうな表情だった。おそらく彼にとって大事な女性なのだろう。
「そうですか。それは心配ですね。」
答えてから、アデリーナはふと思い出した。そうだ、はやく御車に戻らなくてはならない。
「申し訳ありません。私はもう行かなくてはならないのです。それに、あなたはどうやらご存じないようですが、ここは王族関係者以外の立ち入りは禁止されています。気を付けてくださいね。」
アデリーナの忠告にジョエルは少し驚いた様子だった。
「そうでしたか。大変失礼しました。ご忠告ありがとうございます。」
どうやら彼は悪い人ではないらしい、アデリーナは警戒を解き、それから言った。
「衛兵長が目を光らせていますよ。さあ、気が付かれないうちにここから立ち去ってください。」
アデリーナは言いながら、とあることに気が付いた。彼の腕に小さな痣があった。そしてそれは、リリーのものとひどく酷似していたのだ。
背を見せて立ち去ろうとするジョエルを呼び止め、そして腕を両手で掴み、その痣の様子をゆっくりと眺めた。ジョエルは拒否するわけでもなく、ただ驚いてなされるままに体を硬直させていた。
(やっぱりリーの痣と同じ場所、同じような形…。でも少し違うような…。偶然かしら。それともなにか意味のあるものなのかしら)
「この痣はどうしたの?怪我かしら?それとも…」
アデリーナが彼の表情を間近で確認した。彼の眼はわずかに泳いでいた。そして掴んだ手はアデリーナに掴まれたまま小刻みに震えていた。ようやく断わりもせずに腕をとったことに気が付き、手を放し、それから謝罪した。「私、なんてこと・・」
ジョエルは一呼吸置いてから、しわがれた小さな声で言った。「お気になさらず・・」
二人は沈黙した。ジョエルはただアデリーナの顔を凝視していた。早くなった鼓動をなんとか落ち着かせようとしている様子がうかがえた。
遠くから声が聞こえた。「アデリーナ様、どうなされました?」
ブラックス騎士団長の声だ。ジョエルはその声でようやく硬直から解けたように立ち直った。「それでは王女様、後ほどお会いしましょう」そう言ってジョエルは夕方の木々や低木で濃くなった闇に消えていった。
バラ園の入り口ではアイザック王が娘の帰りを待っていた。
「何をしていた、アデリーナ」
アデリーナは申し訳なさそうに言った。「ごめんなさい、お父様。18歳という節目の年になったことに感慨深くなりまして、しばらく一人でこの園全体を眺めておりました。それにとても不思議な記念碑だなと、なにも書かれていないですし…。」
口から出まかせだった。怒られそうな時にとっさにそれらしい受け答えができるように準備する術はいつのまにか身についていた。アイザック王は彼女の話を遮るようにして言った。
「お前ももう18才だ。もう少し周りの者のことも考えながら行動するように。祝賀会にも計画というものがある。夕食会に遅れるわけにはいかんのだ。それも王族として、貴族として必要な振る舞いの一つだ。」
「はい。気を付けます。」
アイザック王は頷き、そして付け加えて言った。「記念碑はもともとなにかしらの理由があり作られたが、初代王が結局そこに字を刻むことをしなかったようだ。その理由はいまだに明らかではない。我が国の歴史も長い。時が経ちすぎて分からないことも多いのだ。しかし、もし分からないことがあればなんでも私に聞くとよい。考えて分からないことは調べるか、誰かに聞くのが早い。」
アデリーナはそう言われて真っ先に思いついたのがリリーのことだった。なぜあのような場所で囚われていたのか。しかし彼女の事をここで尋ねるわけにはいかなかった。衛兵を騙してまでミスティック・オベリスクに忍び込んだこと、そこで鎖に囚われていたリリーを解放し、侍女にしていること。こんなことを父に言えるはずはなかった。
――― ロイヤル・グレンヴィル・フォートレスにあるエレノア宮殿にて
夕食会は慣例によりエレノア宮殿の大広間で行われる。多くの者がこの一大イベントのために前日から準備をしていた。イベント全体を進行するためのマスターオブセレモニーは担当議員のケイデン・ウィンスロー。料理長をはじめウェイターやサーバーは、料理や飲み物の提供、テーブルのセッティングを行う。そこには侍女たちも手伝いのために駆り出されている。夕食会の準備には様々な役職の人々が関与し、それぞれが協力して優雅なイベントを実現しようと努めているのだ。
また、宮殿の入り口には衛兵が部外者の立ち入りを完全にシャットアウトするために厳しい警護についている。招待状を持たない者は何人であっても中に立ち入ることはできないのだった。
「これ以上近づかないように、速やかにおかえりください。」「なんだと無礼な、俺は貴族だぞ。」
時折食い下がる者がいたとしても、これは厳格なルールと徹底されていた。時折発生する揉め事を解決するのもケイデンの役割であった。
「まぁまぁ落ち着いて。貴殿もご存じの通り王の命により取り仕切る重要な晩餐会、そのための規則も王の命によるものとお考え下さい。ですから~。」
――― 夕食会会場にて
「アデリーナ様。わたしは見た瞬間からそのシルクのイブニングドレスに目を奪われました。色合いやディテール、優雅なデザイン、本当にお似合いです。」
エリゼがアデリーナに声をかける。「ありがとう、エリゼ。」
いくつかの言葉を交わす中、エリゼは重要なことを思い出したように言った。「ああ、ごめんなさい。アデリーナ様。父と母に呼ばれていたの。また後でね。」そう言って彼女の両親の元に足早に向かっていった。アデリーナは一人座りながらその様子を眺めていた。彼女が父や他の貴族院のおじさんたちと笑顔を絶やさず挨拶をしているところを。
「また姫様がおひとりになられているよ。」
衛兵たちは警備に目を光らせながら、小声で囁いた。「一体どうしてしまわれたのだろう。あまり表情もすぐれないようだ。」「おい、よけいなことを考えるな。誤解を招くようなことはよせ。」
分かっているとばかりに小さく頷く。彼らはこのような夕食会のひと時でさえ気が抜けないのだった。いつやってくるかわからないグッバイ トトに怯え続けるのだった。
(はやく終わらないかしら、この夕食会……)
王女はテーブルの上のフォークを指でつつきながら周囲を見渡した。エリゼだけではない、多くの着飾った要人たちが一堂に会し、それぞれがそれぞれの目的のために親睦を深めているようだった。
(私の誕生日を口実にお仕事の話をしているのだわ…主役は私でしょ。別にどうだっていいけれど)
どうして今回ばかりはこれほど孤独に感じられるのだろう。しかしながら、考えてみれば1年前だって、2年前だって同じだった。気が付かなかっただけだ、みな私に興味なんてないということに。
兄フレデリックの様子が視線に入ってきた。別に確認したかったわけではない。できることなら視気が付かずにいたかった。兄はいつものように同年代の女性に囲まれていた。兄はモテる。当然だろう、みてくれも悪くない、次期王であることは確実であるし、武官としても才能もあるそうだ。そしていまだに厚意にしている女性はいない。そのような情報は不思議と噂話で広がっていく。そしてそこに群がる女子達。
きゃあどうしましょう、私なんかじゃ釣り合わない、勇気をもって話にいきましょう、そんな声が聞こえてくるような気がした。おそらく、想像した通りの会話をしているに違いない。
しかし私はアイツの本性を知っている。騙されたりはしない。父親に褒められることに執着し、媚びを売るタイプの男だ、そして妹を無下に扱う、これが一番許せない。
私の視線に気が付いたのか、兄が私のところにやってきた。きっと、18才になった心構え、とやらでも聞きに来たのだろう。
「どうだ。18歳になってお前も一人前だな。意識は変わったか?」
ほらきた。私が無言でお皿に盛られたお肉を一枚フォークで豪快に突き刺し、口に放り込んだのを見て兄はさらに続けて言った。
「もっと周りに目を向けた方がいいな。そうだ。近々、国主催の勉強会がある。手厳しい講師陣がじきじきに学問を体系立てておしえてくれるようだ。アディも参加したらどうだ?」
素晴らしいお兄様からの提案だ。素直に聞いておくことが王族の淑女としての務めだ。私は口の中のお肉をゆっくり咀嚼してから飲み込んだ。そして答えた。「とてもありがたい推薦をいただいて嬉しいわ。検討しておきます。」
私も大人になった。そつのない受け答えくらいできる。それに、いつまでも機嫌の悪い態度をしているわけにはいかない。私にだって王女という立場がある。
「でも、私はそんなことよりも考えていることがあるの。上層と下層の民の垣根を取っ払うことができないかと。」
以前から考えていたことをぶつけてみることにした。
「上層と下層?」兄が疑問の声をあげる。「どういうこと?」
「私は今日見てきたわ。上層オールドポートと下層ベルディアの貧富の差はさらに広がっているように感じられた。みなそこに注目するべきだわ。」
「よい着眼点だね。」
兄に言われて、私は鼻が高くなる思いだった。どう、私の問題意識は?私だって考えているのよ、この国を良くしようってね。
「でも、もっと考えた方がいい。」
兄は私をまっすぐに見据えて、まるで幼児に諭すようにゆっくりと話はじめた。
「貧富の差とはいうが、今だって平等さ。誰だってお金を儲け豊かになる道は開かれている。そうすれば下層ベルディアから上層オールド・ポートに住まいを変えることも可能だ。まぁ、そもそもどこに暮らしていようが特に大きな得はないのだから暮らす場所は問題ではない。かんじんなことは努力した者が上にいくことができるかどうか。この国にはその素晴らしい仕組みがある。他の国には無い仕組みだ。」
だいたいこの国の大人は同じだ、口だけは出して偉そうにダメ出しをしてくる。そして後は知らないふりをする。兄だって同じだ。兄のご高説を賜りながら、テーブルに肘をつき、フォークでお皿をつついていた。
「君は夢物語ばかりを言っているように思える。実際のところに目を向けなくちゃいけないんじゃないか。着ている服だって違って当たり前だよ。それぞれの収入に合った服をきているだけのことさ。そういう意味では君は最初からとても恵まれている。その立場を・・・」
ドン!私は思わず机を手で叩きつけた。お皿の上のフォークとナイフが宙に舞い、そして派手な金属音を立てて床に転がる。周囲の人々は一斉に二人に視線を向けた。シーンとあたりは静まり返った。父がこちらに視線をやるのが見えた。
私は立ち上がり、それから夕食会場を足早に後にした。制止しようとする兄の小さな声が後ろから聞こえた。
―――
アデリーナは自室に戻り、部屋に鍵をかけ、窓辺に一人座っていた。そして遠くの景色をじっと眺めていた。キラキラと光る街並みの向こう側はグランド・バリケードの外だ、そしてそこからずっと暗闇が広がっている。遠くに横たわる山脈の向こう側にほんのりと明るい光が見える。その向こうがアグルレイシア地方で、この大陸最大のレイシア国の首都エメラルドヘイブンがある。我が国サンクレアとは比べ物にならないほどの大都市であり、技術もずいぶんと進んでいるそうだ。一度行ってみたいと思っているあこがれの国だった。
同じアカデミーの子がエメラルドヘイブンについて話しているのをきいたことがある。すべてが新鮮で、そして、真の自由がある巨大都市だ、と。
・・・どうして私はこんなところにいるのだろう・・・
それからアデリーナは侍女の宿舎を訪ねた。しかしそこにリリーいなかった。リリーはドーリーに連れられて夕食会の給仕の手伝いをしているのだということを思い出した。さすがに何もせずに侍女としておいておくのは難しいから、とドーリーが言っていた。私は何か記憶を取り戻すヒントになればと思い了承したのだった。
彼女の部屋の前で座り込み、そして目を閉じた。大きくため息をついた。そして兄とのやりとりをふと思い出した。
またやってしまった。どうしてこんな待ちわびた日に、最低の気分を味わっているのだろうか。誰も私のことなど気にしていない。主役のはずの私がいなくても夕食会は進んでいく。どれだけ周囲の子が私を誉めてくれても、優しくされてなどいない。
気が付くと、一筋の涙が頬をつたっていた。
―――
どれほどそこに一人で座っていただろうか。
気が付くと近くに誰かが立っていた。自分の名を呼ぶ声がした。「アディ?」
アデリーナは顔を腕で拭ってから見上げて言った。「リリー、帰ってきたのね。」
リリーは無言で頷いた。
その様子をみてアデリーナは言った。「どうしたの?深刻そうな顔をして。お腹でも空いているんじゃない?」
リリーは少し考えて、お腹のあたりに手のひらを置いてから言った。「深刻ではないけれど、たしかにお腹がすいている・・。」
「じっとしていても解決しないよ。そうだ、キッチンに忍び込みましょう」
「それで?」
「残っている食べ物を根こそぎいただく。」
「それはそれでお腹が満たされるけれど、そうすると私の悩みはまた増えてしまう。」
「どうして?」
「あなたに感謝を伝えたいから。あそこから解き放ってくれたことも。そしていろんなことを教えてくれることも。」
アデリーナは驚いてリリーに向き直った。彼女はまっすぐな眼差しをしていた。月夜に照らされて、リリーはまるで月の女神のようだとアデリーナは思った。立ち上がってリリーの手を取った。「さぁいきましょう。」「でも本当にいいのかな。」「大丈夫。私はその筋ではプロなのよ。」
それから二人は夕食会の後片付けをしているコックや侍女たちの目を盗み、様々なものを食べて回った。思った通り作りすぎたせいでたくさんの料理が余っていた。「ねぇ、これは何?」リリーが興味を示し、手に持っているのはパイ包みだった。「パリーダン・アップルパイだよ。甘くてほんのり酸味もあって、サクサクしてるのよ」「本当だ、おいしい。」「気に入った?たくさんあるからね。」
リリーはパイを齧るうちにそれが遠い昔に食べたことのある、とても懐かしい味であることを思い出した。
「ねぇ、アディ。」「うん?」「本当に感謝している。」
アデリーナは首を振りながらリリーを見つめて言った。「私の方こそ感謝している。あなたがここにいる事を」
―――
…… 君はまだ未熟なんだ、しかるべき時まで待ちなさい。
しかるべき時?しかるべき時というのはいつのこと?そして私はいつまで未熟なんだろう?
…… 君が十分に成長したら、外にでてもいいんだ。
私は木々の間を抜け、木に登り、川を泳ぎ、野原をかけるのが大好きだった。でも今は身動き一つできない。
…… 君は今、正常な状態ではない。病気にかかっているんだ。完治したら国のためにまた励んでほしい。
病気。なんの病気?私はなにもおかしくなんてない。
…… 君が自由に動けるようになったら、何をしてもいいんだ。
美味しいものを食べ、暖かいベッドで寝て・・・、それから・・。何をしたかったっけ?
私をここから出してほしい。
…… 働いたものだけが水とパンを得ることができる。君はまず自分のすべきことを考えなさい。
そうかもしれない。でも、身動き一つできないから何もできないの。前を向いているのに、真っ暗な闇しかみえない。
リリーはふと目を開けた。周囲はひどく暗く静寂に包まれていた。驚いて起き上がった。心臓が急激に脈を打ち、鼓動が早くなった。ドクリ…ドクリ…という音が体中から聞こえてきた。
(もしかして、いままでのことは全て夢だったの?私はずっと暗い部屋に閉じ込められているのだろうか・・・)
周囲を見渡すと自分が品の良いベッドの上にいることに気が付いた。ゆっくり触ってみるとシンプルではあるがとても質の良い生地だと分かる。そして右側には大きな窓にサイドテーブル、その上には紙袋が置いてあった。昨日アデリーナからもらったたくさんのパイが入っているはずだ。その証拠にかすかに甘い香りが感じられる。そして、窓越しにうっすらとした青い空が見えた。美しい無数の星がまるで川のように流れてみえた。
リリーは自然と涙がこぼれてきた。そして、こぶしを強くにぎりしめた。
翌朝、リリーはドーリーに尋ねた。王様に二人きりで会うことは可能だろうか、とお願いをした。そんなことは無理にきまっていると二つ返事で返ってきた。
だが諦めるつもりはなかった。
ようやく確信したのだ。何をするために生きてきたのか。
長い間自分を苦しめた王族を殺すこと。それこそが唯一の望みだった。