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第01話「永遠の覚醒」

もうずいぶん近くにみえてきたサンクレム王国を一望しながら、男はしずかに立ち上がった。彼の蒼い髪は微かな月明かりに照らされて一層美しく輝いた。

金色の瞳には穏やかな、しかし確かな強い意志が宿っていた。

「言われた通りだ。ここには重大な問題が隠されている。この国の根幹を作り変える必要があるというのはどうやら本当のようだ。そして、そのために私の力が試されている」

彼は頷きながらつぶやき、サンクレム王国へと続く道を歩き始めた。


―――

「こんなところに勝手に入ってはなりませんよ、怒られてしまいます」

大柄な女性は眉にしわを寄せ、周囲をまるでおびえたネズミのような目でキョロキョロと見回しながら言った。

鬱蒼とした木々や所狭しと生えわたる低木が日光を遮り、あたりを薄暗くしていた。足元が十分に見えない中、先頭を悠々と歩く女の子がいた。彼女は枯れ枝や石を上手によけながら獣道を進んでいく。

「もう少しお待ちください。アデリーナ様!」

彼女の後を追いかける女性は、息を切らしながら、おそらくはあまり効果のない不満の声をあげた。アデリーナと呼ばれた女の子はつばの長い白い帽子をかぶり、口元を隠していた。肩ほどまで伸びた、少しカールしたブロンドの髪は彼女が歩を進めるたびにゆるりと揺れた。細かな刺繍のほどこされた赤いワンピースから覗かせる腕と足は華奢で白かったが、その見た目とは逆にその歩く様は力強さを感じさせた。彼女はその声に振り返って言った。

「もう、ドーリー。せっかく侵入できたというのに急いで。騙しておいた衛兵が戻ってくるうちに帰らなくちゃいけないんだから」

「しかしアデリーナ様。このミスティック・オベリスクは王家の人間でも立ち入り禁止とされている場所ですよ。知られたら叱られるだけではすまないかもしれません。やはり帰りましょう」

ドーリーと呼ばれた女性はおそらくは無駄な提案をした。

「もちろん帰るつもりよ。ここで秘密をみつけてからね!」


―――

いくぶんかの時を経て、彼女たちは巨大な塔の目の前に立っていた。周囲はゆるやかな弧を描いており、おそらく上空から見渡せば円を描いているのだろうことが推測できた。外壁は分厚い苔で覆われており、そこに植物の蔓や小さな草花が生えわたっていた。外壁がレンガでできているかどうかも伺うことができないほどそれが覆いつくしていた。

アデリーナは額の汗をぬぐってから、手を腰に当て見上げてみた。それが一体どこまで続いているのかはその場所からでは図りづらいほどに天に向かって伸びていた。その途方もない大きさに満足したように頷きながら、正面の門に手をかけた。その巨大な扉は思いのほかにゆるやかに開き二人の訪問者を歓迎した。その扉は音もたてずに開き、そしてゆっくりと閉じた。

「そろそろ帰りましょう。もう良いでしょう」

「何言っているの?これからじゃない」

おそらくどこからか、光を建造物内部に招くようになっているのだろう、周囲は少し薄暗かったがしばらくすると目も闇に慣れて、十分に歩を進めることができるようになった。そして室内は思いのほかに暖かく感じられた。午前中は雲一つない晴天だったから、熱を十分に蓄え、内部を温めたようだった。

塔の中央からは螺旋階段が上部に向かって伸びていた。そしてその階段の途中には一定間隔で扉があり、無数の部屋が塔を中心に備え付けられているようだった。アデリーナはゆっくりその様子を見渡した後、「これは大変ね」と小さくつぶやいた。しかし同時に彼女には何かに突き動かされるような奇妙な感覚が胸の内に宿っていた。半ばその「何か」に突き動かされるように階段を登り始めた。「そこ」に「それ」が待っていることをずっと昔から知っているようだった。しかし、彼女がここに始めてやってきたことを考えればそれはありえないことでもあった。

いくぶんか登った後、目的の扉の前までやってきた。後ろを黙ってついてきたドーリーはすでに息を切らし、階段に座り込んでいた。それなりに歳を重ねた彼女には足腰に非常に大きな負担を強いたようで、表情にも疲労の色が濃く表れていた。それに気が付いたのかどうかは定かではないものの、アデリーナは彼女に向かって命令した。「ドーリーはここで待っていて」

彼女はゆっくりと深呼吸をした後、扉に手を伸ばした。鍵がかかっているのかと危惧していたが、すんなりとその扉は開いた。その部屋は思のほかに広かった。10メートル四方ほどだろうか。室内は明るかった。壁面に取り付けられたいくつかの小さな採光口から光が漏れ、石でできた床をまばゆく照らしていた。

部屋の中央には小さなテーブルが用意され、いくつかの椅子が設置されていた。そしてその椅子のうちの一つに何か衣類を積んだようなものが高く積み上げられていた。

アデリーナはおそるおそる足を慎重に一歩一歩前に差し入れながら、周囲を見渡した。部屋にはいくつかの箱が用意されているようだった。しかし、どれも長年動かされた様子はない。しかしながら定期的に掃除がされている気配が感じられた。彼女がテーブルの近くまでやってきてそれを子細に調べ始めたとき、ふと椅子に積まれた衣類に目をやった。そしてそれを凝視し、息をのんだ。


それは衣類ではなかった。

深いフードをかぶった人間のようだった。

アデリーナは驚きのあまり、小さな悲鳴をあげてのけぞった。フードからは白くて長い、シルクの織物のような髪と、細い腕と足の皮膚が覗かせていた。足は何も履いておらず、その造形は人間であることを理解させるもっとも重要な証拠だった。

(死んでいるの?ミイラかしら?)そう思いながら彼女はおそるおそるフードに手をかけた。

フードからのぞかせたのはまるで、漆喰で作られたかのような、その造形上何一つ欠点のないような美しい肌だった。女の子だ。髪は光を受けて繊細な光を放ち、美しい顔立ちが深い影に包まれながらも際立っていた。瞳は固く閉じられ、ぴくりとも動く様子はない。右目の少し下には小さなほくろがあり、その一点だけが彼女を彼女足らしめているようにも思えた。同じくらいの歳だろうか。

それはほとんど生気がなく、まるで死者のようであった。おそるおそるアデリーナはその首筋に手を触れてみた。


(あたたかい・)


指先を通じてその生命の鼓動をかすかに感じることができた。

どうやら生きているらしかった。

「ねぇ、あなた誰?いつからここにいるの?」

おそるおそる呼びかけてみたが返事はない。そして表情も何一つ変化がなかった。本当に生きているのかしら?

「あなたはここで何をしているの?」

もう一度問いかけてみたが、やはり返事がなかった。

一通り声をかけたり、ゆすってみた後、「やっぱり死んでいるのかしら」とアデリーナが言ってため息をついた時。その女の子は僅かに顔を上げ、目を見開いた。その視線は彼女の足元を凝視しているように思えた。

「・・・」

アデリーナはすぐに彼女がなにかを呟いたことに気が付いた。「なあに?もう一度言って」

耳を彼女の口元に近づける。


「・・・死んでもいない、・・生きてもいない」


彼女の顔を見た。そしてアデリーナはあることに気が付いた。

「おかあ・・・さん?」

彼女の顔に遠い記憶の母の面影をみつけたのだった。しかし彼女が母であるはずはなかった。アデリーナの母は幼いころに亡くなっているのだ。無意識のうちに鼓動が早くなった。そのみだれた呼吸をおちつけるのに幾分かの時間を要した。

それから少女は少しずつ意識を取り戻し、その表情に生気がともり始めた。手足を動かし、それから自分がどうしてそこに座っているのか探るかのように椅子や机をゆっくりと手で触り、その感触を確かめはじめた。

アデリーナは尋ねた。「あなたは・・誰なの?」

彼女はゆっくりとアデリーナに顔を向けて言った。「わからない。」

「記憶がないの?」

「何も思い出すことができない」

「そう、そうなのね」

部屋の中での異変にようやく気が付いたのか、ドーリーがやってきた。彼女もまたその様子に驚き、まじまじと白いフードの少女を様々な角度から子細に確認していた。

「ドーリー。彼女はどうやらこの塔に迷い込んで出られなくなってしまったようね。助けられないかしら?」

ドーリーは一瞬躊躇したのちにゆっくりと頷いた。彼女を立たせ、歩いてつれていかせようとしたがその時、彼女の足元に錠がされ、鎖に繋がれていることに気が付いた。一体誰がこんなことをしたのだろうか。アデリーナとドーリーは錠の鍵を探し回った。あたりにおいてある箱には何も入っておらず途方に暮れた。しかしそののちに幸運にも部屋の外側にかけらえた小さな鍵に気が付き、錠を外すことができた。

彼女を塔の外部に連れていく道中、アデリーナはポケットに忍ばせておいたチョコレートを取り出した。お腹が減ったときに食べようと忍ばせておいたのだ。「食べる?」と問いかけると彼女は言った。「わたしは、食べなくても死んだりはしない」

アデリーナは首を傾げた。「チョコレート・・、嫌いなの?」


―――

サンクレム国の中心部には宮廷ロイヤル・グレンヴィル・フォートレスがある。王やその家族、高位の貴族、顧問者、役人、そして王の公式の生活や政府の中心となる場所であり、その一角には王女の住まいもあった。そして隣接するように侍女達の宿舎が設けられていた。

「ずいぶんと顔色が良くなったわね。」

アデリーナが満足したように女の子をみながら頷いた。

ドーリーが補足した彼女に報告した。「一応簡単なスープとパンを食べてもらいました。しばらくの間、食べないと拒んでいたのですが・・。どうやら食べられないわけではないようですね」

フードの女性は体を丁寧に洗われ、それからひとまず侍女が着る衣類を身に着けていた。彼女の美しいまっすぐな銀髪はさらにその輝きを増しているようにみえた。アデリーナは満足したように彼女に視線をやり、それから言った。「あなた、名前は?まだ記憶はないの?」

少女はアデリーナに視線を向け、それから無言で小さく頷いた。

「じゃあ、私が仮の名前をつけましょう。リリーはどうかしら?」

「リリー?」少女は自分につけられた名前を何度か小さくつぶやいた。

「リリ―という花は知っているでしょう?私の国では純潔、気品を意味する白いお花よ。そして、あなたはその花のようにかわいらしいからよ。」

リリーと名付けられた少女は不思議そうな顔をしていた。アデリーナの言うことが理解できないといったような顔をしたが、悪い気分ではないようだった。

「それからあなたは今日から私の侍女ということになっているから。いいわね?」

「侍女?」

傍で驚きの声が上がった。ドーリーの声だった。「きいていませんよ、アデリーナ様。そんな勝手なことを言って・・」

「いいでしょう。そうしないと、彼女かわいそうじゃない。大丈夫、ちゃんと私が面倒を見るから」

「いやいや、アデリーナ様がまだ面倒を見られる立場だと思いますが」

「・・・。ドーリー、案外失礼な事を言うのね」

「まだ一人で満足に服を着替えることもできないですし」

「それも失礼ね。あのね、ドーリー。あなたはもう共犯者なのよ?なにかあったらどうなるか・・フフフ」

ドーリーは大きなため息をついた。それから言った。「わかりました。うまいこと話をつけておきます。しかし面倒事はもうこれで終わりにしてくださいね。来月にはもう18才になられるのですから少しは落ち着いていただかないと」

「さすがドーリーありがとう。いつも助かるわ。念を押しておくけれど、ミスティック・オベリスクに言ったことも含めて内緒よ。そして彼女の様態を確認していたわること!」

「ついでに、私の寿命についてもこれ以上短くならないよういたわっていただけると嬉しいのだけれど」

ドーリーは胸の内で深いため息をついた。


―――

アデリーナは自室のベッドに寝転がってリリーの事を考えた。小さな頃からの夢がようやく叶ったのだ。王国の窓から見える不思議な塔、ミスティック・オベリスク。それにしてもとてもかわいらしい女の子。私と同じくらいの歳にみえる。どこから来たのだろう。そして何のためにあそこにいたのだろう。そして最も気になることがある。彼女がどうして鎖であそこに囚われていたのか。誰がそのようなひどいことを。

ミスティック・オベリスクには王族以外が立ち入ることができないように管理されているはずだ。そうすると王である父はなにかを知っているかもしれない。まさかあそこに拘束していたのは父?そんなことをするはずはない・・。はずはないけれど・・。そこに何かしらの秘密が内包されていることは明らかだった。


翌日、アデリーナは真っ先に侍女の宿舎に出向き、リリーに挨拶をした。「おはよう、リリー」

リリーの顔色はずいぶん良いようだった。昨日、まるで置物のように無人の塔で囚われていたとは思えないほどに、回復しているようだった。

「ずいぶんよくなりました。親切な人、ありがとう」

「いいのよ。私に頼ってもらっていいの。何でも言ってね」

「ようやく私は外にでることができる。外の空気を、息をすうことができる。とても懐かしい」「あなたどれだけあそこにいたの?」

アデリーナが尋ねるとリリーは彼女に視線をゆっくり移した後、少し考えてから首を横に振ってこたえた。まだ記憶が曖昧であるようだった。アデリーナは微笑んで言った。

「いいのよ。徐々に思い出していけばいいの。ゆっくり休んでいて。あなた、死んでるかと思うほど生気なかったし」


それからリリーは、与えられた部屋に戻り、言われるがままにベッドに寝転がりぼんやりと天井を眺めていた。何も思い出せないというのは嘘だった。

ただ一つ分かっていることがある。

私はこの時を待っていたのだ。恨みを果たすときを待っていたのだ。

しかし、誰に対する恨みであるのか、まだ思い出すことができずにいる。


いづれにしても私は、その誰かを殺すために生きてきたのだ・・・。



――― パリーダ・ノーブル・アカデミー

名の有る貴族や親族のみが通うことのできる学府であり、そこに通う生徒たちは礼儀正しく、誇り高い振る舞いを教えられ、また、友情と協力の精神が根付いている。

日中の授業も終わり、下校する時間であった。しかしアデリーナは一日中憂鬱であった。

「こんにちはアディ。今日の試験はいかがでした?」

アデリーナが振り返るとそこには友人のエミリーが立っていた。

「こんにちは、エミリー。可もなく不可もなく、といったところかな。エミリーこそどうなの?」

「私がアディより好調なわけないじゃない。羨ましいことだわ」

「そうでもないわ」

「ご謙遜。それでは私はこれから習い事がありますのでこれで。また明日」

エミリーは丁寧にお辞儀をして足早にお迎えの車に向かっていった。

アデリーナはため息をつき、それからまた一人で歩きだした。

「アディ様」また彼女に声をかける者がいた。

「エリゼ。ごきげんよう」

エリゼと呼ばれた友人はカールした肩くらいのブロンドの髪で、小柄な体躯で控えめ印象の女の子だった。

「いまのはエミリーだったかしら」

「そうよ。とても嫌味な人。いつも自分の試験の出来の方がいいにもかかわらず、ああやって私に聞いてくる。どういう神経しているのかな」

彼女は苦笑いをしながら言った。

「アディ様。きっと嫉妬しているのだと思いますよ。彼女なりにプライドというものをお持ちなのだと思います。お父様はなんといっても貴族院で議員をされているのですから。もしかしたらもっと誉めてほしいという気持ちの裏返しなのかもしれません。」

アデリーナはエリゼに振り返って言った。「あなたはいつも優しいのね。素晴らしい事ね。敬意を表するわ」

エリゼ「私に敬意だなんてもったいない・・」

「ちなみに父は私がアカデミーで勉強をしていることを誉めてくれているわよ」

アデリーナは言った後、しばらく口を暫く閉ざした。王である父アイザック・グレンヴィルは厳しい人であった。そして、決して父はアデリーナを褒めることがなかった。いつも険しい顔をして無言で頷く様子しか頭に浮かんではこなかった。

「素晴らしいですね、グレンヴィル王はあれだけの忙しいお立場なのに、しっかりアデリーナ様のことを気にかけてらっしゃるのね。暖かい家族ね」

エリゼが言うと、アデリーナは渋い顔をした。彼女はつい口から出まかせに言ったにすぎなかったのだ。

アデリーナ「それに、エリゼ。お勉強なんていうのは誰だってやればできるものなの。私の場合はやらないだけなのよ。他に興味があるからそこそこにすましているだけで、本当にやるべきことに時間を使いたいと思っているの」

「本当にやるべきことっていうのは何なのでしょうか?」

エリゼは疑問に思い、アデリーナに質問を投げかけた。その素直な質問に虚を突かれたようにアデリーナは無言となり、それからしばらく考え込んでから言った。

「たとえば、私はもっと平等な国を実現したいわ。人々が平等で、食事にも困らない、疫病にもかからない、豊かで平和な国を推進する・・・とか」

「アデリーナ様、素晴らしいお考えです。私はいつもあなたの味方です」

アデリーナは心の中で呟いた。

そうよ、簡単な事なのよ。そのように言い聞かせるだけでできることなのよ、なにを躊躇することがあるのかしら。もっと私は人々と話し合うべきだと思う。きっとえらい人達はふんぞり返っているだけで何もしていないのよ。

エリゼ「来月のアデリーナ様のお誕生日会、招待状受け取りました。私が招待いただけるなんてとても嬉しい」

「もちろんよ、親友じゃない」

エリゼはそれから少し迷ったような表情をしてから言った。

「ありがとう。そのことでお父様もお母さんもとても喜んでいるのよ。父も母も平民の出自だから・・」

「そう。良かったわ。絶対にきてよね」

エリゼはアデリーナの言葉に笑顔で頷いた。


――― サンクレム歴1729年 4月24日

アデリーナ王女の祝賀会が行われる日、宮廷ロイヤル・グレンヴィル・フォートレスにおいては慌ただしくその祭典の準備が行われていた。

多くの兵士たちはこのような特別な日には有事に備えて警備も厚くする。すべての祝賀会を取り仕切る責任者は任命されてはいたが、王がじきじきに口を出すことも多かった。それは建国以来の伝統行事であり、国が議員制を採用することになっても、部分的に昔の指示系統が残っているということだった。そのため、衛兵は気が気ではない日々を送ることになる。

「あの北側の警備、あいつは大丈夫なのか?あれは何も考えおらんぞ」と王が宰相に耳打ちをしただけで、武官の地位をはく奪されかねないというのだ。そのため、衛兵たちの間では祝賀会のことを「グッバイ ロト」といって恐れた。「サヨナラの宝くじ」という意味だ。なにを注意され、叱責されるか分からない、予測がつかないのだった。そのため、彼らはできるだけ目立たないように行動することを心がけていた。

ある衛兵は言った。「目立たない程度にしっかりやるくらいがちょうどいい」


―――

「おはようございます。王女様」

ドーリーが戸をノックする音がする。アデリーナはなぜか眠ることができず日が昇る前からぼんやりと外を眺めていた。暗い空にはいくつかの大きな星が瞬いていた。それからうっすらと山の向こう側が色づき始め、ゆっくりと空は明るみを増していった。今日は誕生日、中の良い友達が夕食会に集まって、みなで楽しい話をしたり、美味しい料理を食べたりするのだ。この上なく好きだった祝賀会だが今回はあまり乗り気でなかった。毎年のようにワクワクと心が躍ることもなかったのだ。そしてそれが一体なぜであるのか彼女自身わからなかった。

戸を開いて出るとドーリーが待っていた。

「お誕生日おめでとうございます、王女様。いつも、失礼ながら娘のように思っているのですよ。いつでもこの私を頼ってくださいね」

「ありがとう。とても嬉しいわ。これからもよろしくね」

抑揚のない王女の声に、ドーリーは気にすることもなく、今日のスケジュールを彼女に淡々と伝えて再度の確認を行った。朝食後に御召し物を変えて、午前中はクラシック・エポック・イヴェント(建国歴史劇の閲覧会)、午後はパレードの後にセレモニアル・ガーデン・フェスティバル(バラ園への訪問)。

アデリーナはどれもこれも面倒くさいといった様子で、ドーリーの説明を聞き流していた。

「そうだドーリー。今日はティアラはいりませんから。そしてネックレスなども。お気に入りの帽子だけで十分だわ」

「まぁ、どうして?長年の習わしですよ。急にそんな勝手な・・・」

「いやなの、とにかく」

ドーリーは言い出したら聞かないことを百も承知していた。そのためそれ以上彼女の行いに口を出すことはなかった。

そのような高価でキラキラしたものにはあまり意味はない。アデリーナはどういうわけか、そのようなものを身に着けていると自分が自分でなくなるような気がしたのだ。こんな気分になったのは生まれてはじめてだった。

そして、アデリーナはドーリーに念を押すように言った。「そんなことよりも分かっているわよね?」

ドーリーはそれを聞いて、大きなため息をついた。

「リリー様ですか?まだあの様子ですし部屋にずっといてもらったほうがトラブルがなくて良いかと・・」

「だめよそんなこと。可哀そうでしょ。今日はちゃんとリリーを連れて行くからね。侍女として。いいわね?」

それから、アデリーナはリリーの侍女としての姿を確認した。この日ばかりは侍女も専用の御召し物をすることになっているのだった。それはシンプルなドレスではあるが華やかで繊細な刺繍やレース、ビーズ、リボンなどの装飾が施されているものだった。

「いいじゃない、とても似合ってる、リリー」

アデリーナはそう言いながら、リリーの様子に異変を感じた。肘のあたりに小さな痣があることにきがついたのだ。「どうしたの、その痣。どこかにぶつけて怪我でもしたの?」

リリーは言われるがままに肘のあたりを見たが分からないといった様子だった。

「気を付けてね。まだ、本調子ではないのね」

アデリーナはまるで彼女の事を愛する妹のように思いやっていた。

だがリリーはあまり頓着していないようだった。それよりもアデリーナが身に着けている衣類に興味を持った。「それ、おかしな帽子ね」

アデリーナはきょとんとした。特にお気に入りの帽子だったのに、おかしいなどと言われたことははじめてだったのだ。アデリーナはおかしくなって笑い出した。「フフ、はじめて。おかしな帽子だなんて言われたことは。あなたにいわれるとその通りだと思えるから不思議」


―――

クラシック・エポック・イヴェント(建国歴史劇の閲覧会)にて上映されるのはこの国の建国にまつわる物語だった。

話の始まりは、人々の危機であった。ちょうど1700年ほど前、国土一体に突如、人の姿をした未知の魔物・デプリヴンが現れた。

それらが人と違う点は体のいたるところに角が生えていたことだった。悪魔になると人の骨格が変化して角が生えるのだ。そして、まもなくその魔物・デプリヴン達は人々を襲いはじめた。彼らは人間社会とは相いれない生物であり、すべての人類を否定するものであった。

人々がその種の窮地に陥ったとき、一人の勇者が現れた。彼は一人で数多の魔物を薙ぎ払った。あまりにも強いその者を、人々は神の使いと呼んだ。

彼の名前はオズワルド・グレンヴィル。サンクレア王国初代王である。彼はそれから人々を守るために国の周囲を囲む聖なる盾を建築した。グランド・バリケード。魔法の力を帯びた巨大な城壁である。それはデプリヴンの侵入を一切許さなかった。そしてもう一つはミスティック・オベリスクである。魔物を捉え、彼らに有効な手立てを研究する場所として有効的に活用されたのだ。残されたデプリヴンも全て王によって討伐された。

王はそれから国を豊かにすべく様々な取り組みを行った。もっとも重要視したのは人々を平等に扱うことだった。すべての人々はお互いに認め合い、助け合った。また、王は機械生産にも長けていた。魔法によって自動で動作する機械を生み出し、そして農作物の生産性も大幅に向上させたのだ、それは当時では考えられないほどの高度な技術の発明であった。

こうして人々は絶滅を逃れ、聖なる盾と剣に守られながら、高度な技術をもって末永く繁栄していくことになった。1700年以上前から現在に至るまで守り続けたこの国の名声は世界各国に広がり、いつしか神の国であると言い伝えられるようになったのだ。


上映が終わり、アデリーナは大きなため息をついた。「これ、一体死ぬまでに後何回みなくちゃいけないのかしら、もう通算で100回くらいは見ている気がする。どれだけ好きなお芝居でも10回は見ないわよ」

アデリーナの隣に座っていたのは兄のフレデリック・グレンヴィルであった。兄は少々呆れた様子で彼女に言った。「君はいつも寝ているだろう。今日だって話のほとんどを眠って聴いていなかった」

「失礼ね。ちゃんと聞く心構えはあるのよ。ただあまりにも眠気を誘う映像が悪いのであって」

「君の祝賀会だからあまりいいたくないけれど、心構えの問題だよ、それは」

アデリーナはそれには返事をせずにそっぽを向いた。「以前は映像じゃなくて劇だったんでしょ、そっちの方が良かったな」


―――祝賀会の午後3時

セレモニアル・ガーデン・フェスティバルのため、王室行列が我が国のメインストリートであるヴィクトリア・ストリートを通り、グランド・バリケードを超えて、バラヴィクトリア・ローズガーデンに移動することになっていた。その業者にアデリーナはリリーを同行させていた。

「リリー、どう。何か思い出せたことはある?」

アデリーナはリリーに目をやった。ストレートの長い銀髪は車が揺れるたびにゆっくりと滑らかな曲線を描いていた。

「思い出せない。ところで、どうして人々はこちらをみて手を振っているの?」

アデリーナは窓の外に目をやった。そして、小さく手を振ってから答えた。

「お祭りが好きな国民性なのよ。ちなみにこれから向かうバラ園・ヴィクトリアローズガーデンにおいても本来大きな催し物があったそうだけれど、今はとても簡素なものになっているの」

王室行列はグランド・バリケードの正面門で通過のために一時停車をした。およそこの場所を通過するために1時間ほど時間がかかるのだった。かなり厳しい検問があり、一つの車両が一つずつ通過する必要があるからであった。これは国ができた当時と同じであり、魔法による制御が行われているためであった。また、手続き上は通行許可証も必要であり、それは王室行列においても例外ではなかった。

リリーはその様子をみて不思議に思い、アデリーナに問いかけた。

「どうしてここでじっと待っているの?」

「グランド・バリケードを通行するときはこれくらい時間がかかるの。当たり前のことよ?まぁ少々不便だけれど、それでも国民はみな誇りに思っているの。この国の象徴のようなものよ」

「そうなの…」

リリーは返事をし、それからその間外をじっと眺めていた。巨大な壁、というよりも壁を持つ大きな大通りのような風貌であった。壁面には露店が並び、何階建てにもなっている建物も立ち並んでいる。人々が飲食店を開き、あるいは思い思いの商品を販売し、あるいは生活をしている空間となっている。その様子があまりにも新鮮で、リリーは飽きることなく眺めていた。それは初めて見る景色のはずだった。

リリーの様子を見ながら、アデリーナは付け加えるように解説した。「昔はもっと薄い壁だったようだけれど、時代とともにいろんなものが付け足されていったらしいわ。バリケードの上はリバーウォーク街といって、様々な店が立ち並んでいるの。教会だってあるのよ。そうだ、今度あなたをつれていってあげる。腕の良いシェフのいるお店があるの。そこのパリーダン・フィッシュ・クリームがとても美味なのよ」

1時間ほどしてグランド・バリケードをようやく抜け、外側の町に入った。内側の町はオールドポート、外側の街はニュー・オーシャン・ベルディアンである。王室行列はベルディアにある町を抜け、バラ園まで向かう。

外側の町ベルディアは内側の町オールドポートとは打って変わってとてものどかな風景が広がっている。露店が思い思いに店を開き、それから、工場と思わしき建物、それに農地や牧草地が混在して存在していた。

そこで暮らしている人々の様子は先ほどとは少し異なっている。身に着けている衣類はより質素なものであるように見えた。特に工場や農地で働くものが多いためだろう。サンクレア国の暮らしや産業を下支えしているのは間違いなくベルディアの住民なのだ。

その様子を王女はぼんやりと見つめていた。彼女はその光景に貧富の差を感じずにはいられなかった。よく見ると小さな子供たちも働いている様子が見受けられたからだ。オールドポートにおいては普通、小さな子供たちは学校に通う。それがここでは勉強をすることもなく働いているのだ。昔はそれほど違いを感じることもなかったが、もしかしたら水面下にはその違いが拡大していたのかもしれない。そして、それは隠すことができない状態となり、表面化しているのかもしれない。


―――バラヴィクトリア・ローズガーデンにて

ようやくバラ園にたどりついたころには日が傾き始め、それは空に浮かぶ雲を色付けはじめていた。周囲には木々が鬱蒼と広がり、円形状に設けられたバラ園は自然と溶け込んでいるようにおもえた。鳥たちは突如やってきた王室行列に興味津々でその様子について話し合うように鳴いた。

御車を降りたアデリーナは小さなため息をつき、あたりを見渡した。年に何度かは祝賀会のたびに訪れていた。しかし、彼女にとってあまりよい思い出はなかった。面白味のない、寂しい場所という印象が彼女の記憶に刻まれていた。素朴な庭園であり、特別な建物があるわけでもない。中央部には記念碑が建てられ、そして周辺にはいくつかのパビリオンが用意されているにすぎなかった。バラの花が周囲に植栽されており、赤や黄色や白の花が咲き誇っていた。それらを囲っている柵は鉄製で錆びついており、いまにも朽ち果てそうであった。ただ、その周辺にはまばゆいばかりの黄白色の照明が設けられ、美しくライトアップされていた。

アデリーナは後で降りてきたリリーに言った。

「さぁ、リリー。ここで待っていてくれるかしら。さすがにこの中には一緒に入ることができないから」

リリーは無言で頷いた。そしてゆっくりと周囲を見渡した。その光景に不思議な感覚をもっていた。そこはおそらく初めて来た場所ではないだろうことをリリーは肌で感じ取っていた。緩やかな風が運んでくる甘い草木の香りは彼女の記憶をゆっくりと紐解きはじめていたのだ。


・・・そっちに行ってはダメ・・・


誰かの声が耳の奥から聞こえる。それが本当に聞こえたのか、記憶の中にある声が脳内に再生されたのかは定かではなかった。リリーは驚いて周囲を確認した。しかしバラ園の手前で待機している人々は無言で、あるいは、思い思いに休憩を取っている様子しか見受けられなかった。誰かが特別に声を発したわけではないようだった。

王アイザックとフレデリック王子、それにアデリーナ王女は少数の護衛をつけてバラ園の中央で儀式を行った。それらはとても簡素なものだった。記念碑に花を手向けることだけだった。それはどうやら建国時から行われている儀式、ということはアデリーナも知っていた。記念碑には何も書かれてはいなかった。むしろ、それが本当に「記念碑」であるのかどうかも疑わしかった。少なくともアデリーナにはただの形のよい石のようにしかみえなかった。儀式を終え、王と王子が記念碑から退出し、御車に戻るために引き返していく。


アデリーナは足を止めた。何かが胸をざわつかせたからだ。

「王女様?」護衛の王室近衛騎士団長のブラックスが声をかける。

「いいの、すぐ行きます」アデリーナはそう答えてから足を止めた。

それから人の気配を感じ、後ろを振り返る。

そこには一人の青年が立っていた。美しい蒼い髪をした男だった。さきほどまでそこには誰もいないはずだった。この男は音もなく現れたのだろうか。

彼はひざまずき、深々とお辞儀をした。そして顔を上げ微笑んでから言った。


「こんばんは、王女様。僕はこの国を守るためにやってきました、ジョエル・ホワイトと申します」



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