1かの男について
この「貴族」はこの世で最も長い時を生きている。
そしてこの生が終わるのがいつなのかこの男すらも誰も知ることができない。
その男は今山奥でひっそりと暮らしている。彼によると少なくとも見たこともない場所は存在しないのだそうだ。彼の住居の近くにある木はうっそうと茂り、彼の家を覆い隠し、たとえ木の葉が落葉する冬でも枝が彼の意向にこたえるように家を隠し通す。
今どきの衛星写真をもってしても彼の家を見つけ出すのは困難なほどだ。実際、私は一度彼の住んでいる山を衛星写真で見てみたがどれだけ探しても見つからなかった。彼の家が必ずと言っていいほど見つからない原因としては彼の家が一本の木を支柱にして立っているので初めからわかりにくいし、彼が周辺の木を全く手入れをしないため枝が多く、長くなりすぎているためだ。そして、茶色のペンキで壁を装飾したため枝が保護色となっているのだ。
どこの山かは残念ながら教えることはできない。それがかの男との約束だ。私はは決して彼が不利益になる行動をとらない。それが友人としての情だ。
月に何度か私は「本物の歴史」というものを聞きに男を訪ねる。私は歴史好きなのだ。なぜなのか問われてもそれも答えることはできない。
ロマンだのそういうものでかたずけられるものでは到底ない言語化できない何かだ。それが私にあの男のもとへと足を運ばせる衝動を与える。
男は不老不死であるという。生まれは現代でいう平安時代であり、彼は貴族で、しかも結構いいとこのお坊ちゃんであると彼は主張している。
ちなみに、彼は私よりも背は低く、顔はなかなか童顔なのでかなり若々しく見えるし下手すれば少年のように見えるかもしれない。時々彼は
「わたしは平安貴族の中では背は高かったほうなんだだぞ。」
と威張ってくるが、ただでさえ大して身長の高くない私の背よりも10センチ以上低いため、残念ながら少年が幼稚に威張っているようにしか見えないのだ。
普段は洋服だが(元平安貴族なだけあって流行にはかなり敏感でチョイスが若々しいため余計子供にみられる原因になっている)、ある日の雑談で貴族文化への矜持を取り戻したらしく
牛若丸の思い出される服や貴族の正装である束帯などを夏以外の季節の時にたまに着ている。寒さをしのぐにはちょうどいいんだとか。
そもそも「不老不死だ」と書いたはいいものの彼の言動が嘘かほんとかはわからない。証明する手段が存在しないのである。もし彼の書いた書状が残っていればいいのだが彼は名前を変えながら生きていたため、なおさら証明は難しい。
嘘だと糾されても文句は言えない。実際、彼は自分の話が否定されることに特に抵抗を感じていない。まさに「信じるか信じないかはあなた次第」という感じだ。
ただ、彼は事細かにすべてを語ってくれるので私は信じることにしている。本人曰くどの時代でもそれなりのポストにいたためらしい。たとえそれが嘘だったとしても私は決してとがめない。それくらい彼の話は興味深いと思う。
彼は長く生き過ぎたため移動の自由の保障されてきた明治時代初期から1,2年に一度転居し始めたらしい。日本各地(近畿など今までいたことのある場所を除く)を最後に回っておきたかったのだそうだ。
ちなみに最後というのは決して臨終としての意味は含んでいない。ただ飽きた、日常に刺激が欲しい、その程度の理由であり、金銭との兼ね合いから旅を辞めざるを得ないという意味や、その刺激すらも、もはや丸っこくなってしまったという意味を内包している。
彼が転居の際や昔に撮影した当時の白黒写真が残っていればそれを証明できるのではと考えたが、生憎、彼は写真嫌いであった。今では少しずつ緩和はされているだろうが、少なくとも彼が撮った写真を見たことは一度もない。
ちなみに、あの明治天皇(敬称略)や西郷隆盛も大の写真嫌いであったそうだ。当時のそういう人は魂を吸われるのではないかという迷信に苛まれていたそうだ。ただ「不老不死」だと言っている彼がそのような理由で写真を嫌うとはいささか滑稽にも映る。
彼がこの地に行き着いたのは数年前だった。年々物価などが上がり、長年ためてきた金銀がいよいよ底を尽きようとしていたので、持ち金との兼ね合いで、私の家の近くにあるそこそこ有名な事故物件を買った。
(ちなみに彼はただの安い家だと思っていたらしい。のちに彼は騙されたと語っている。)
どうやら彼は私の生まれたこの町で旅を終わりにし、ここに骨をうずめていく覚悟だったようだ。
彼は生活費が電気代と水代だけでよかったので確実に数年は粘れると思っていたらしい。不老不死だと自分の未来のことはやや雑で大雑把になるのだそうだ。
ー当時の自分は家がないのだけはさすがにまずいと思って行動していたよ。何せ職質やら盗人やらのせいでひどい目にあうことは間違いないからな。
何せ、今までの記録をまとめたもの、家系図、金子やらと荷物だけは多いからな。そりゃ察だって盗人だって夜中にリヤカー引いてる人間なんて野放しにはできないだろ。
ともあれ、生きる意味より家を優先するとはね。だって自分に明日があるのはほぼ間違いないんだぞ。そりゃ未来なんてどうでもよくなるもんだよ。ー(本人談)
働け、と瞬間的に思ったが残念ながらかれは肉食によって、日本人の平均身長が爆謄したせいと戸籍がないため、働くことが難しい。
彼は明治時代から急に周りの身長が上がったことにやや恐怖心を抱いていたという。のちにそれが牛が主原因であったことを知った時には牛肉や牛製品を爆食いしていたと話していたので、どうやら努力は報われなかったようだ。
だが彼はそのあと様々な問題に直面した。結局しばらくしてから、住民票の問題やその他もろもろのことがばれて家を退去させられた。ひと悶着あったが話すと長くなるので、ともかく家を失ったのだと思えば結構だ。まあ、彼は平安貴族の習慣がある程度染みついていて迷信を信じやすくビビりなので、たとえ退去させられていなくても、長持ちはしなかっただろうが。
そして公園で寝泊まりしていたところを彼を少年と勘違いした私の父親が保護した。その時の様子を私の父親はこう言っている。
「たくさんの書物や服を乗せた巨大なリヤカーを引いてきたであろう水色の洋服をきた子供が野宿しているのを見て、ちょっと同情してしまった。
話を聞くと歴史についてよく知っていたので息子と話が合うと思って連れてきた。
「うちに来るか?」
と聞いたらものすごい勢いで首をブンブンと縦に振ったよ。」
この時、私たちが近くに住んでいたことをお互いまるきり知らなかった。そもそも
「あの家に人が入っていたなんて・・・」
とも思ったものだ。
彼が私の家のそばに来て初めて発覚した。
その後、彼は家の手伝いをする代わりにそれに見合った代金を受け取る(時給100円程度、食事込み、住みこみで働く)という不定期限契約を提案して了承され、ちびちびとお金を稼いでいった。
つまり私たちは数年間同居人だった関係だ。そして、私が家を出るタイミングでたまったお金で山の一部を購入し今に至る。
ちなみに今私は彼の山の入口の所にいる。彼の山へ行く途中では必ず何かが起きるもしくは起きている。例えば、クマに出くわす、車で来たときは撤去される、電車でくれば遅延する、地震が起きるなどなどだ。もうこの山は呪われているのだと思っている。「いつか私はここで死ぬのだろうな・・・。」とつい思ってしまう。
そもそも彼の家へと向かう道が独特で、公道が通っているトンネルからしばらく行ったところでガードレールを乗り越えていくとつける。ただし、木がおいしげっているため彼の置いた目印に気づかない限りはたどり着くことができない。
その目印についても…まあもうしつこいだろう。ちなみにとりあえず今回は雉に出会った。熊やイノシシでなくて少しほっとした気分だ。
今の季節は夏、あごのあたりまで落ちてきた汗を雑に腕でぬぐいながら落ち葉を踏みしめて歩いた。傾斜がすごいのでたまに落ち葉に足をとられ滑落しそうになったがギリギリのところで堪えた。
彼の家が見えてきた。私の協力のもとテント暮らしの中で、突貫工事で作り上げた小屋だ。見た目は広そうだが、中を見ればそんなことはない。狭い。
天井から壁まではすべて木材で地面と接するところはレンガを敷いてある。木材は家に余っていたものを贈呈し、足りない分とレンガは引っ越し祝いとして買い足してあげた。建設の流れは割愛するが、テントもそのまま贈呈し荷物置きとした。そうして実質5畳ほどというかなり狭い小屋が爆誕した。
突貫すぎて毎回彼の家が建っているのを見て
「よかった。まだ残っていた・・・。」
と安心している。彼はきちんと改修工事をしているのだろうか。何せ設計図を全く作らなかったのだから、急に倒壊しても不思議ではないし直すときは直す時で元には戻らないだろう。
上記では真ん中の木は支柱と書いたものの、実際は木の周りに建てたというほうが正しく、それによるスペースを除いての5畳となっている。あの小屋が広く見える現象の原因がこれである。なぜわざわざこんなことをしたのかというと、木が雨をある程度防ぐため、薄い木の板が腐ることを防ぐという利点があるからだ。
電力はというとディーゼル発電機を買い、天井に電気ランプをぶら下げ、Wi-Fiルータとスマホを使って情報収集もする。もしも重油が切れたらその時はガスコンロの光でカバーするらしいが、枝が湿って火がつかないこともあり、たまに苦労する。そして、明かりが漏れると虫が寄ってきたり、獣が来たり、ほかの人間に感づかれる原因となってしまうためブルシートで入り口を隠す。
水は二人で頑張って穴を掘り地下水を掘り当てたためタダ
だ。(一応煮沸消毒はしている。土管二つとと竹と活性炭や焼いて殺菌した岩や砂を使って浄水装置を作った。)
話を聞くときには必ず手土産を持っていくことにしているが、彼への手土産は大抵いつも重油だ。1週に二回訪れたときは金銭や木材を譲渡している。歴史の話などはそのせめてものお返しという点が大きい。
彼の話の素晴らしいところとしてはたまに何かしら突っ込みどころがある点である。いやちょっと待てよ、というところがあり、そうした乗りというやつも面白さにつながっている。
食料はもっていかないのかといわれるかもだが、別に食料は彼にとってあまり意味をなさない。もう食べ飽きたのだそうだ。
彼自身、本場の中華料理やら、日本でみられる料理の大本をたどったが、どれも日本のほうがおいしくまたは、日本で出されるものと代わり映えせず、結局はどこへ行っても日本以上に食べ物がおいしいところは見当たらないらしい。その日本に上陸している食という食を彼は食べつくしたと言っている。
だが、育ちがいいところで多くを過ごしたため最近の庶民的なご飯を食べたことはないらしく、興味津々で我が家の食卓にも加わっていた。「これがおふくろの味か」と真面目な顔で世間知らずのようなことを言っていた。
ちなみに今回の土産は重油だけだ。重油は友人がガソリンスタンドで働いているので少し安く譲ってもらっている。
ちょうど彼は剣をふるっていたところだった。彼は定期的に筋力の向上や昔の習慣から剣術の訓練をしている。
今日は珍しく袖の緩い和服を着ている。ちなみに彼の振るっている日本刀は真剣で基本的に誰の作ったものものかわからない刀を使用しているらしい。(というよりかは刀についてあまりにも無頓着であるかららしい。切れればよいというスタンスなのだそうだ。) 何度か持たせてもらったがずっしりと重い。あんな背でよくこれを振り回せるものだと感動した。
「おお、きたか。もうそろそろだと思っていたよ。毎回重油痛み入るぞ。ちょうど先ほどほしいところだった。昨日の夜に切れてしまったからグッドタイミングだったよ。」
「今月は初めてだったっけな。」
「そうだな、そうゆうことになろう。もう山暮らしが長すぎてすっかり日付を気にしなくなったな。」
まず最初に痴話話から入り、そしていろいろなことを教えてもらうのだ。
今日は何を聞かせてくれるのだろうか。