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日本で唯一の「冒険者」早田英志の冒険と恋と硝煙の日々のドキュメンタリー

第1話 日本 羽田空港 冒険前夜


 1970年の4月、暖かい春の陽光が空港のグランド(敷地)に降り注ぎ、ランウエイ(滑走路)の先端ではかげろうが燃え上がっていた。


  数分おきに飛び立つジェット旅客機、狭い海峡を挟んで前方に広がる対岸の工場コンビナート、羽田沖に揺らぐ小船のパノラマは緊張している僕の気持を次第に和ませていった。


 見るもの全てがはつらつと鮮やかに光り輝いていた。


 はっきりと僕は運命的なものを感じていた。


 顔がほころび危うく独り笑いが出そうになった時


 「オイ、早田」


 ふいに横合いから素っ頓狂な声が突き刺さった。


 「何をニヤニヤしてるんだ、俺たちの飛行機がもうすぐテイクオフだ!」


 「ロージャー(合点だ!)


  ハンドルを握る僕の手はやおら車をスピンさせると、アクセルを吹かせランプ(順路)を踏み越えて疾走した。だだっ広い空港グランドをそれまでのんびりと蛇行していたハイエースはたちまち岸壁の縁ぎわまでやってきて止まった。


 「ユーがディスパッチ(飛行準備)した飛行機だ。屋上の展望台から大勢の見物客がジャンボと真っ白いカバーオール姿のあんたを見ていたぜ」


 隣に座っている同僚の山田がふざけた口調で、


 「落っこちねーでくれよな」


と続けた。


 先ほどまで蒲田駅前通りの日活ロマンポルノ館で上映中の ”人妻〜” がどうのこうのと笑いこげていた助手席の山田と伊藤が真剣な眼差しをランウエイに向けた。


 我われ三人を加えた六人グループのラインメカニック班がこのジャンボ機の羽田空港における二時間にわたる滞在の面倒を見たのだ。そして僕が最後にコックピットの機長とグランドから交信して離陸のゴーサインを出したという訳である。


  と言ってもまだ若い僕は班長ではなく、経験も浅く、航空機整備の知識も豊富ではなかった。単に英会話が皆んなより上手いという理由でこのデイスパッチャー(航空機運航管理者)の役をよくお仰せつかっていた。


 今、受け持ったジャンボ機の離陸を見届けに空港の端っこへやって来て、待機しているのである。


 ジャンボ機が世界の空に就航してまだ間がなく、大勢の見物客が羽田空港三階の屋上展望台から彼らの眼下で、頭にヘッドフォンを着けてデイスパッチする僕の一挙一動を眺めていた。


  操縦室の機長との短い会話、


 「ハーイ キャプテン、調子はいかがですか?」


 「上々だ、いつでも出発できるよ」


 「じゃー行きましょうか、ブレーキをリリースしてください」


 「オーケイ、はずしたよ」


 その言葉を待って、僕は待機していた三菱トラクター運転席の同僚山田に親指を立てて、「押し出せ」のゴーサインを送った。


  三菱重工の特別仕様の四輪駆動トラクターがまるで蟹が四つん這いで動くようにジャンボ機を前面から押し出しにかかった。スポットアウト(ゲートを離れた)したジャンボは滑る様になめらかに後退していきランプウエイ(航空機専用路)の上で直角90度に蟹トラクターによって方向転換させられた。


 「キャプテン、トラクターを外しますのでブレーキをセットしてください」


 「ロージャー、ブレーキ セット」


 「サンキュー ハブ ア ナイス フライト」


 「ハブ ア ナイスデイ」


 と別れの挨拶を交わして、おもむろにジャンボ機の前輪の上部にプラグインされていたヘッドフォーンの端末を引き抜いた。ほとんど同時に同僚の伊藤が、ジャンボに接続されていたトラクターの太い円筒形のバーを外し、続いて山田がトラクターを移動させた。僕は急いで機体から離れ30~40メートルほど空けたジャンボの脇に直立不動の姿勢で立つた。機上のキャプテンを見上げながら左腕を斜め上に伸ばし、親指を突き上げゴーサインを示して、最敬礼を送った。ジャンボ機二階の高いコックピットの窓から眼下の僕やトラクターが離れるのを確認したアメリカ人のキャプテンは、微笑みながら同様に僕に最敬礼を返した。


 白亜の巨体に太い青線が横に長く入った華麗なジャンボ機が爆音を立てながら、のんびりとランプウエイを滑走路めがけて進んでいった。


 タラップの脇に駐車しておいたハイエースに僕は山田、伊藤と乗り込むと、ジャンボ機を尻目に広い羽田空港の南の端にある岸壁めがけて一目散に車を走らせた。と言っても空港グランドには速度制限があるのでゆっくりと制限以内の時速30キロである。しかも駐機している他の飛行機や貨物車などを迂回しながらの鈍行だ。


 航空機ラインメインテナンスの緊張に満ちたあわただしい激務からやっと解放されるひと時である。


 岸壁の手前に停車したハイエースの窓辺に、いきおい強烈な潮の香りの涼風が吹きつけた。


 そよ風に打たれて額と首筋の薄汗が心地よく昇華すると、緊張と疲れがほぐされ、僕は再び活力が全身にみなぎるのを感じた。


 他の三人の同僚もハイエースで遅れてやって来ると、同様にテイクオフを見届けようと待機している我われの側に車を止めた。


 皆んなの目がランウエイに釘ずけになった。


 滑走路を猛突進する巨体のジャンボ機が余裕を持ってランウエイの端からはるか手前で機首をもたげてテイクオフした。ふんわりと、まるで児童映画の映像で観た、”宙に浮く象のジャンボ” のイメージだ。


 一定の上昇角度を保ち一直線にかけのぼって行く白亜のジャンボジェット機、パンアメリカン航空、世界一周便FLT1の華麗なる雄姿であった。この瞬間こそパンナムで働く我われラインメカニックが誇りを感じる最高の時だった。


 遥かかなた数千メートル上昇したところで、緩い上昇角度に移った。そこまで見とどけると我われメカニックはホッと胸をなでおろすのである。あとは水平の巡航飛行にうつるだけだ。


 「あー、うまく飛んで行ってくれた。直ぐに折り返して戻ってくるんじゃないぞ。 オレの憧れのジャンボ、世界一周した後また戻ってきてね」


 ひょうきん者の山田がおどけて言った。


 「それにしても飛行機一機に500人もの人間が乗れるなんて、全く驚きだね」


 と伊藤が感慨深そうに漏らした。それまでの航空機一機の最大乗員数はボーイング707かロッキード8型のせいぜい120~130名であった。


 航空機が上昇途中、上空でUターンして戻ってくることは決して稀なことではなかった。エンジンが火を吹いたり、重要な計器の作動不良が原因で引き返してくることがときどきあった。僕が扱ったボーイング707型ジェット機では空港を飛び立った直後に、四つのエンジンの一基に大量の鳥が飛び込みエンジンが停止して、戻ってきたことがあった。


 長時間の使用で疲労したエンジンブレイド(風車状の幅狭い平板)が破損して高速回転中のタービンの中で次々に他のブレイドに打ち当たりエンジン爆発を起こすこともまれにあった。


 最悪のケースは墜落であるけど、離陸直後の墜落は推進力不足による失速が主な原因で、よほどくたびれたエンジンで重量超過でもしていなければまず滅多に起こらないことであった。もっとも台風などの強い横風で航空機が制御不能に陥り突発することもあった。いずれにしてもテイクオフ最初の三分間が勝負である。


 貨物専用機が荷を満載してテイクオフするのを見届けるのも一抹の不安がつのる。ランウエイを目一杯助走して、先端の手前でやっとこさ機首をもちあげ、ノロノロと舞い上がっていく様はそれを扱ったメカニックを実にハラハラとさせるものである。操縦しているパイロットにしても同じような気持ちであろう。


 自動車も飛行機も似たようなもので古くなるとエンジンパワーが弱まり思わぬ事故を引き起こすことがある。私が南米コロンビア在住のころ、50~60名のフランス人団体を乗せた古いジェット旅客機がボゴタ空港を飛び立ち、手前に立ちはだかるモンセラーテ山をわずかの差で飛び越えられず峰に激突して全員死亡という痛ましい事故があった。私はその事故の数日後に現場に行ってみたが、山頂500メートルの峰の下、僅か数メートルほどのところで大惨事は起きていた。ほんのもう少し上昇力があれば起こらずに済む事故だった。事前に予測できればパイロットはUターンして事故を避けられたが、昇り越えられると踏んだのだろう、アーメン。


 これに反し、実に滑稽な事故が我われのパンアメリカン整備課で起こった。離陸直後の航空機から羽田沖にバラバラとバッゲージ(手荷物)が落っこちてきたのである。航空機の腹の扉を閉め忘れた同僚は減俸と停職の大目玉をくらったが、機上の機関士も計器確認を怠った珍しいケースであった。


 飛行機を送り出すと、さーこれから少し休憩、厳密に言えばさぼり時間でもある。次のフライトまで一時間以上空いている。真面目な同僚は次の便への準備に工具を点検したりと余念がないが、なかにはタバコを取り出して車中で一服という不埒な仲間もいた。空港グランドでは喫煙は厳禁である。そういうのは三人揃って喫煙者だったりの場合であるが、空港の警備官に見つかりでもしたら大目玉を喰らうことになる。                              


 緊張感から解放され、気の休まった同僚二人は、さっそく釣り談義に話題を変えていた。ときどき仲の良い山田が僕の方にも声を掛けてくるが、僕はうつろに相槌をうつだけで、気持ちは眼差しの向いている方角、遙かかなたの中米コスタリカにあった。


 さわさわとそよぐヤシの葉の静かなざわめき、柔らかい陽光がふりそそぐ街を吹きぬける涼風のすがすがしさ、風光明媚な首都サンホセはこの世の楽園である。そこでのコスタリカ女性との運命的な出会いが僕の人生を変えようとしていた。


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