99.蠍と兎と…… その二
本日二話目
「おかしい……」
それに気付いたのは迷路を歩き始めて半日が経過した頃だった。
「あの石像は通ってきた通路にあるはずなのに……どうして?」
ときどき通路の両端に設置されている、形容しがたい生物を模した石像の一つを、ロザリーは訝しんでいる。
と言うのも、その石像はロザリーが魔物を斃した際の余波で一部が崩れているからだ。とうぜん、通っていない通路にそれがあるのはおかしい。
考えられる可能性が幾つかあるが、通路がループしているか石像が移動しているかの二択が最も高い。
「純潔の反対は……たしか」
疑問を覚える。
七つの大罪……厨二病じゃなくても聞いたことがあるだろう。
それは人間が持つ罪源、死に至る七つの罪。強大な悪魔と照応させることでより恐ろしい罪となった大罪の一つに、色欲がある。
一説では淫らな行為を意味する色欲に、純潔を象徴する天使が対応しているともされ、これらは相反するものである。
ならば、この試練の名称は色欲に関連するモノではないだろうか? 内部にいる魔物も淫魔が半数以上を占めているため、ロザリーはそう考え始めた。
「でも、それと迷路に何の関係が……?」
彼女が知る限り、色欲の悪魔と迷路に関係性は無い。石像に関しても同様で、ここが一体どのような試練なのか推測することを難しくさせている。
試しに石像を破壊してみても、不審物が出てくる様子も無い。
「(もしかして、迷路と試練は無関係だったりするのでしょうか? ……遺跡の中だし関係はありますか。でも、迷路がミスリードだとすると…………)」
単純に考えれば、純潔であることを証明すれば先に進めることになる。迷路を踏破する必要性は無い。
――そう、試練の内容と迷路は関係無かったのだ。
「私は独り身で、交際した経験も結婚する予定も無い。親密な異性もいない。それに、貞操を捧げるとしたらユキだけ。極めて健全な付き合いだと思うけど」
少し小さな声でそう言うと、また謎の声が囁いた。
『――次は、王と相対せよ』
ぐにゃり……と迷路が歪む。そこにあった石像も、襲い掛からんと行動する魔物も、ロザリー以外の何もかもが消えていった。
残されたのは地上に続く階段と、だだっ広い空間。そして――最奥に佇むネームドモンスター。
《――ネームドモンスター、【王蠍鎧装 アスモデウス】が戦闘行動に移ります》
《――特殊ネームドのため戦闘人数が制限されています》
《――悪魔が介入する……》
《――WARNING!》
《――貴女の実力を見せてちょうだい》
「えぇ……?」
試練、これだけでいいのでは? と思うほど強大な存在を前に、ロザリーは思わず声を漏らした。
【アスモデウス】は五メートルを優に超える巨大な機械鎧だ。蒸気のような白い気体を噴き出すパイプに、関節内部の電子的な光。デザインも、鎧と言うよりはSF物のロボットに酷似している。
――ゆっくりと、巨体が動く。
バイザー部分が蒼く発光し、床に突き刺さっていた武装を引き抜いた次の瞬間、
「はや……ッ!」
巨体が飛んだ。
戦闘機のようなエンジンがあるわけでも、魔法を使ったわけでもないのに、【アスモデウス】は当然の如く飛行し襲い掛かって来たのだ。
咄嗟に避けたロザリーを土埃と破片が襲う。
彼女は目を保護するように【呪骸纏帯】を動かし、急いで走り始めた。
「やはり、追撃してきますか……!」
『見えているもの!』
女性らしき機械音声がロザリーの耳に届く。
ネームドが喋ること自体には驚かない。システムが悪魔の介入を肯定しているのだから、それが【アスモデウス】にも及んでいると考えるのが自然だろう。
悪魔は非常に悪辣で、人の生死に頓着しない残酷な存在だ。それは『悪魔の左手』事件の際に思い知っている。
今ロザリーが相対している存在も悪魔ならば、最悪を想定して戦うべきだろう。
『そうね、こうしましょう。――呪怨の使用を禁ずる!』
「っ、面倒ですね」
『試練だもの。さあ、乗り越えて見せなさい!』
『呪装:骸の祈り』から発生する呪いを圧縮しようとした時、【アスモデウス】が放ったルールがこのフィールド全てに浸透した。
それによって圧縮を始めていた呪いが掻き消え、ハルバードから新たに発生することも無くなった。
これに若干の焦燥を覚えつつ、ロザリーは今ある手札で打開しようと隙を窺う。
「別に、斃してもいいんですよね?」
『斃せるものならね!』
「(つまり、斃される想定の試練ではないと言うことですか)」
僅かな会話からヒントを引き出し、試練の達成条件を考察する。
現状、どうすれば試練が達成になるのか、それが不明だ。
それに加え、生存するためには【アスモデウス】の能力も推察していかなければならない。
純潔の試練、色欲の悪魔、ネームド、座……材料はいくらでもあるのに関連性を見いだせない。
「(どうすれば……いいのでしょうね)せめて地に足を着けてくれませんかね!?」
ベレスがおらず、呪怨を封じられ、挙げ句の果てに高機動の超重量が相手だ。
出来て当然とでも言うように飛行している【アスモデウス】に対して、愚痴の一つでも言いたくなる。
せめて手札がもう一つあれば……ラストアーツを修得できていれば、また違った状況だったろうに。
『私が番人で貴女が挑戦者。手を緩めるとでも?』
「……思いませんけどね」
【アスモデウス】の攻撃全てが致命傷になり得るため、ロザリーはひたすら回避行動をとり続けている。
幸い、呪怨が封じられても装備としての性能は生きている。【自在帯】の効果で伸縮する【呪骸纏帯】は、塞がってさえいなければどこまででも伸びるし、どこへだって曲がる。
複雑な動きも可能とするのだ。
それでも、このままではいずれ負けるだろう。
勝つために彼女がするべき行動は、攻めること。相手の動きを観察し、癖を読み、隙を突く。
ロザリーの場合は言語化が難しい感覚に依るものだが、戦う才能に関して言えば彼女は人類で一位を取れる。
レベル100のステータスとこの才能があるからこそ、直撃を避けていられるのだ。
――では、手札がもう一つ封じられた場合は?
『装備スキルの使用を禁ずる!』
「っ、これはさすがに……」
途端に伸縮性が失われた【呪骸纏帯】が、ただ脚を覆うだけの装備となった。回避手段を封じられてしまったのだ。
無様に転びそうになるのを体幹と重心移動でカバーし、ロザリーはすんでの所で戦斧の振り下ろしを避ける。
転倒してしまってはいい的だ。当ててくれと言っているようなものだ。
それだけは避けなければならない。
『これにも対応できるのね』
「私の身体の扱い方は私が一番理解していますからね!」
望む動きを可能とするために必要な筋肉を動かし、身体が壊れない限界ギリギリまで活用する。
だが、『業物:脱兎フード』に備わっているスキルも禁止されてしまっているため、彼女の移動速度は戦闘開始時と比べると格段に落ちてしまった。
「(斃せるものなら斃したいですが……地力でも能力でも勝てそうにありませんね。それに――)」
それでも、回避技術は健在だ。
回避技を含め、ロザリーが戦闘に活用する技術は、全てのプレイヤーが一対全員を強制されるクソ……鬼畜ゲーであるロスト・ヘブンで培われたものである。
装備やスキルに依らない彼女自身の能力のため、この絶望的な状況でも生き残ることが出来ている。
「……?」
何度目かの回避の際、ロザリーは【アスモデウス】に違和感を感じた。
「(…………同じ動きばかりですね)」
振り下ろし、薙ぎ払い、蹴りなど、攻撃手段が物理のみなのだ。それも、従来のゲームに於けるパターン化されたAIのような……
再度観察してみると、【アスモデウス】はやはり似た動きばかり取っている。
『怖じ気づいたかしら?』
「いいえ全然」
『あら、そう』
饒舌に会話が出来る相手が、そんな単純な動きしか出来ないのだろうか? いいや有り得ない。会話できる知能があれば、こんな動きはしないはずだ。
そう考えたロザリーは、一発逆転の可能性を発見した。
『そろそろ貴女も手札を切るべきじゃない? 負けちゃうわよ?』
素早い動きだ。戦斧を振り上げ、空気が軋むほどの速度で叩きつける。床が陥没し、破片が飛び散る。
回避した様子は無い。【アスモデウス】はそう判断し――
「はああああッ!」
高速で突っ込んできたロザリーに不意を突かれた。
『……へぇ』
風圧でダメージを受けながらも、ロザリーは生きて反撃に移っている。
どんな手段を使って【アスモデウス】よりも高い位置まで跳んだのか、【アスモデウス】は理解できなかった。
戦斧を戻している時間は無い。ならば直接殴るしかないだろう。
【アスモデウス】はその武器から手を離し、迎撃しようと拳を放つ。
だが、ハルバードの構造を巧みに使い、その攻撃を自らの動きに利用したロザリーは、更に高さを稼いでいる。
【アスモデウス】の重量から繰り出されるパンチに込められた威力は、彼女の一撃に途轍もないブーストを与えてしまった。
接近し、弱点を狙った渾身の一撃。彼女のステータスに重力と遠心力、そしてブーストが加わった、文字通り渾身の一撃だ。
たとえ【アスモデウス】が超高レベルの物理耐性を有していたとしても、差し違える覚悟でぶつけられてはダメージとなる。
露出せざるを得ないカメラに当たりでもすれば無視できない大ダメージになるだろう。
あと一秒、コンマ数秒、刹那……この僅かな時間すらもどかしい。早く届け、早く当たれと念を込める。
当たりさえすればいい。一矢報いられるのだから。
……ソレは初めて柔らかい笑みを浮かべた。決死の覚悟で掛かって来た挑戦者の姿に、思うところがあったからだ。
その覚悟を理解したから、予想を超えてきたからこそ、賞賛を込めて――悪魔は手札を切ることにした。
『《ワタシが上で、アナタが下》』




