22.【ヴルヘイム】 その六
――瓦礫の後ろに飛び込んだ直後、腹の底まで響くような爆裂音が辺りに広がりました。そっと周囲を見渡すと、身体を吹き飛ばされた人達がポリゴンとなって消えていく光景が目に入りました。
あれだけの大人数が全滅したのです。
爆弾のように、圧縮された瘴気が辺り一帯を吹き飛ばし、瓦礫に隠れていてもかなりのダメージを負いました。
ベレスが影で私を覆ってくれなかったら、何が起きたか把握する前に私も倒れていたでしょう。
【ヴルヘイム】は追い込めば追い込むほど、こちらを壊滅させる一手が繰り出される最悪の敵です。
「……休んでて、ベレス」
身を呈して私を守ってくれたベレスのHPは全損し、装身具に戻って復活中です。聞こえるかどうかはわかりませんが、声を掛けるべきだと思いました。
【ヴルヘイム】は止まっています。全身から蒸気が立ち上っているので、どうやらノーリスクで大技を放てるわけではなさそうです。
ですが、大技でなくとも驚異なのは変わりません。私一人でどこまで戦えるか……
「……生きているのは私一人だけ。ポータルからここまで来るのに約一五分……」
アレを相手に一人で約一五分耐えるなんて、無茶を通り越して無謀です。
ここは隔離されたフィールドではなく、海で隔たれているとはいえ大陸と繋がっています。このまま好き勝手に動かれて無人島がアンデッドの巣窟となれば……その次は港町でしょう。
ネームドが街を蹂躙してしまうのです。イベント終了後も、この無人島はこのまま存在しているのですから。
ですが、セカンドワールドはあくまでゲーム。……ゲームなんですよ。
リアリティがあって、五感があって、痛覚もある。食事をすればお腹が満たされるし、住人に話しかければ返事が返ってくる。どこまでリアリティがあってもここはゲームで……
「――納得できるか」
無理なら諦めよう。そう頭に浮かんだ時、私は自然と立ち上がり声を出していました。
「ゲームでもなんでも、ここは私を肯定してくれる数少ない居場所だ。私を、名瀬遙香ではなくロザリーとして私に接してくれる人達がいる世界を、簡単に諦められるわけないでしょうが」
ロスト・ヘブンという世界を失って四年……新しい居場所を見つけても私自身が変わらなければ意味が無いというのに。
そりゃあ、嫌なこと出来事だってあります。関わりたくない人だって中にはいるでしょう。でも、それらをひっくるめて私は、この世界が気に入っているんです。
たった二週間……私は始まりの街と港町シュアデルセしか訪れたことがありません。けれど、そこに住む人々と出会って、関わって、それでゲームだから仕方ないと諦めるほど私は、真っ当な人間じゃないんですよ。
「やってやる。私一人でお前ぐらい、やってやるさ!」
たかがネームド、たかがアンデッド――それすら乗り越えられないのなら『戦場の悪夢』の名が廃る!
私は何千何万というプレイヤーを相手に生き残ってきた、ロスト・ヘブンのランク第四位だ。たった一体の敵を倒せないはずないでしょう!
「私はロザリー……ある時は悪夢と呼ばれ、ある時は死神と恐れられた――私を舐めるな!」
この名前だけは、裏切りたくない。
私は持てる限りの力を込めて武器を握り、ロザリーとして再度覚悟を決めました。
――――――
【渇望遺骸のヴルヘイム﹦ネオジェネシス】はアンデッドだ。
旧文明と呼ばれる大昔に造られた、真なる竜を滅ぼすための道具だ。
生物というカテゴリーから逸脱し、滅ぶことなく存在し続ける真なる竜。それらを打倒し、その尽きることの無い命を得ようともがき、狂った人間の欲望が造り上げた、生まれた瞬間から死んでいる魔物だ。
当時からネームドは存在していた。そして当時の人間は、ネームドを倒すにはネームドの力が必要だと考え、人工的にネームドを作れないかと画策したのだ。
そうして、試行錯誤を重ねて作成された【ヴルヘイム】は、未完のまま封印された。
なぜ未完なのか? それは、成長する余地を残すためだ。真なる竜の中には生まれながらのネームドではなく、他の魔物から進化した個体もいる。
例えば、高高度を飛翔するワイバーンが進化を繰り返し真なる竜に至った記録がある。
例えば、精神生命体が肉体を得た結果として真なる竜になった記録がある。
例えば――死したドラゴンの肉体に遺された憎悪が真なる竜へと進化するきっかけになった事件がある。
【ヴルヘイム】は三つ目の例を参考に、周囲の瘴気を動力源としつつ、自身も大量の呪詛を生み出すことで半永久機関となった、死にながら成長する魔物なのだ。
結果は失敗であり封印されてはいたが、【ヴルヘイム】に刻み込まれた命令は健在であった。
――真なる竜を滅せよ。障害となる敵を排除せよ。
人の手で作成されるアンデッドには命令が必要であり、その身に貯め込まれた大量の瘴気が殺戮本能を加速させた。
そして気が遠くなる年月が過ぎ、地上へ解き放たれた【ヴルヘイム】は、命令を遂行するためにまずは障害を排除せんと試みた。
しかし、地上の障害は倒しても倒しても次から次へと現れ、しかもコアに重大な損傷まで負わせてきた。
コアが傷付けられたことで、【ヴルヘイム】に備え付けられた機能の一つである思考回路は、命令を果たせず朽ちることを是とせず、障害を排除するために自分自身を変化させることを選んだ。
その答えが、自身のリソースを小型化した肉体に凝縮し、長時間の戦闘を可能とする形態――【渇望遺骸のヴルヘイム﹦ネオジェネシス】であり、未完の最高傑作が選んだ完成系である。
――なぜこれは倒れない?
戦いの中、異人と呼ばれる者を相手に【ヴルヘイム】は思考する。
――おかしい、ただの人間がなぜ生きている?
周囲を漂う瘴気は人間にとって劇毒だ。少量吸い込むだけで汚染され、適切な処置をしなければ死に至る。
瘴気に含まれる呪詛は精神を侵し、病毒は身体機能を阻害或いは破壊し、それらを耐えても吸い続ければ悪化する。
――さっきも潰したのに、これは五体満足で立っている
――ありえない
ハルバードと呼ばれる武器を振り回し、【ヴルヘイム】の攻撃をギリギリで躱しながら猛攻を仕掛けてくる人間の女。
瘴気を吸っているというのに衰える様子は無く、むしろ瘴気を吸えば吸うほど強くなっている。
芽吹いたばかりの知性で観察すると、女は呪詛を回復や強化のためのエネルギーに転換しているのが分かる。
瘴気に含まれる呪詛が女を強化している。そう認識した【ヴルヘイム】は自身も同じように瘴気を活用し始めた。
ただ集めて放つだけのブレスではなく、圧縮して解き放つ爆発でもなく、必要な量を適切にコントロールして、強化することを覚えた。
「――刺ィ!」
凄まじい突きが繰り出される。
ハルバードを振り切った体勢から身を翻し、二倍近い速度で放たれた突きは【ヴルヘイム】の肩を貫通した。
『――ォォゥ、グゥゥ……ッ!』
直感で左に避けたお陰でコアへの直撃は避けられたが、痛みを訴える右肩への損傷以上に恐ろしいものを【ヴルヘイム】は感じ取った。
――これは、危険だ
直感、もしくは本能。
【ヴルヘイム】は目の前の人間をただの人間ではなく、自分の全てを全力で稼働しなければならない相手――ネームド級だと再認識した。
瘴気の中で俊敏に動き、恐ろしい攻撃を放つ人間を、ただの人間だとは思えない。
恐ろしい。だからこそ排除する。
――炉心、一五〇%で稼働
瘴気を動力源とする肉体に負荷が掛かるほどのエネルギーが循環し始める。
自壊を防ぐために備えられたリミッターを解除して限界以上に稼働させた炉心は急速にエネルギーを生み出し、【ヴルヘイム】の性能をもう一段階上昇させた。
――危険を排除する
――真なる竜を打破するためにも、これは倒さなくてはならない……!
目の前の脅威を打ち倒すためなら自壊すら厭わない。
アンデッドでありながらどこか人間らしい思考を身に付け、【ヴルヘイム】は死力を尽くして敵を殺すと決めた。
それは覚悟だ。
格上を倒すための覚悟だ。
【ヴルヘイム】はこの瞬間、ネームドとしてまた成長したのだ。




