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*
あなたがわざとやったことではないにしろ、私の重要な質問はカセット・テープに録音された音楽に流されかけていた。
私はどうにかそれを見失う前に話題を戻そうとした。
「さっきの質問なんだけど」
「さっき?」
「あなたが『また突然だなあ』って言ったときの」
「ウォルトンの話じゃなくて?」
「もうちょっと前よ」
「その答えは風に吹かれている?」
「それだと行き過ぎ」
「となると、録音した順番を思い出せば分かるな」
ほんの数秒後、あなたは「ずうっと、いつまでも」とつぶやいた。
私は正解を認める代わりにもう一度自分の言葉で再現してみた。
「ねえ、どうして私はここにいるのかしら?」
「なるほど」
あなたは腑に落ちたようだった。
「確かに、また突然だ」
そう言ったあなたに私は念を押した。
「ちょっと考えてみてよ」
あなたはリモコンを使ってカセットデッキを停止させた。
小さな音で始まっていた曲は満足に流れ出す前に中断となった。
「モリコーネの曲はまた後にして、と」
あなたはそう言ったけれど、私にはその曲についての知識は何もなかった。
「キミはどう思うのさ?」
あなたは真面目そうな表情で言った。
私の名前をきちんと呼んでくれるようになったはずなのに、あなたはさっきからそのことを忘れていて、私のきつめの視線にたじろぐことになる。
「あの、幸美さん?」
「何かしら」
「ボクはなんかやらかしたのでしょうか?」
* * *
以前、私はあなたに「キミ」ではなく、ちゃんと私の名前を呼んでほしいと要望した。
私の名前は「ユキミ」なのだから、あとほんのひと文字足してくれたらそれでいいのにと思えたからだし、ちゃんと名前を呼んでもらえたら、あなたと私の距離はずっとずっと近くなる。
そう思ったからだ。
あなたは恥ずかしがり屋だから、私の名前を自然に呼べるようになるまでずいぶんたいへんそうだった。
一所懸命に頑張っているのだと、私は分かっていた。
しかし、そんなことは頑張ってするようなことではない。
させることでもない。
そうした意見もあると思う。
ただ、あの時の私には、直接あなたに「ユキミ」と呼んでもらうことが人生のすべてを賭けての大勝負と言えるくらい重要だった。
だから私は、あなたの苦労はよく分かっていたけれども、絶対に引かなかった。
例え恥ずかしいと思いながらでも呼んでくれたなら、あなたと私の間にある見えない壁はヒビが入って必ず崩れる。
あなたと私の距離は自然になくなると思った。
そして。
あなたはやり遂げてくれた。
壁も距離も跡形すらない。
私はそう思っている。
あなたは、どうだろうか?
*
今の私は、本当はあなたに名前で呼んでもらうことにこだわっていない。
あの大勝負に私は負けなかったから。
もともと私を「キミ」と呼ぶことが、あなたにはいちばん自然な呼び方なのも分かっていた。
あなたは誰にでも「キミ」を使っていたのではなく、あなたにとっての「キミ」は私だけだった。
このことが理解できたから、私はこだわるのをやめたのだ。
あなたの基準はどんなことなのか分からないけれど、「キミ」と呼んでくれたり、「ユキミ」と呼んでくれたり、「さん」とか「様」とか名前におまけがつくこともあるにしろ、このふたつは私のための呼び方なのだ。
*
私は通常「苗字で呼んでほしい」とお願いしてきた。
学校や劇団での後輩がいても、私は「先輩」と呼ばれるのは自分の性に合わないと感じていたから、後輩になる人に初めて会ったときなどは「佐野でいいよ」と言った。
そのまま呼び捨てにしてくるような人はいなかったが、私は「佐野さん」と呼ばれることが増えた。
ごく一般的な呼ばれ方だ。
それでも、大学に入ってからの私はふたりだけ例外を認めることになった。
そのふたりは私にとって最高に面白い人だから、私は呼んでもらえるだけでも嬉しくなる。
本来そんな気持ちにさせてくれる人に呼び方をお願いする必要はないのだ。
ひとりは私にとっていちばん大切な真の後輩、タマキちゃん。
タマキちゃんはとてもありふれた単なる「後輩」なんて枠を粉々にしてくれた、とっても素敵な女性だ。
私は今までも、これからも、タマキちゃんには勝てないまま終わるに違いない。
悲観的な意味ではなく、それだけ私はタマキちゃんを敬愛してやまない。
愛の告白だってしたくらいなのだ。
本気にしてもらえなかったのは残念だったが。
もうひとりの例外は、例外の例外でもある困った人のことだ。
それが誰なのか、あなたに「知らない」とは絶対に言わせない。
* * *
あなたは私からの質問についてまず私自身の意見を聞こうとした。
これは私にとって重要な疑問だと思えたので、私はすぐさま疑問を質問に変換した。
「どうして私の意見を確認したいの?」
質問をしたのは私が先なのに、何故あなたは私をいなそうとするのか。
「キミの質問にきちんと答えたいから」
あなたは至極当然であるかの如くそう言うと、続けてあなた自身の考え方を伝えてくれた。
「キミが何故疑問を感じているのか、まず先に確認しておかないとまともな答えは出てこないと思うんだ」
原点はどこにあるのか忘れてはいけない。
それを確認することはあなたにとって不可欠なのだ。
私はあなたの言葉にすぐ納得できた。
問いを重ねる必要はなかった。
あなたが私の意見を確かめるのは、疑問の原点や発端が常に私の中にあると分かっているからだ。
このとき私はもうひとつ気がついた。
かつてあなたから強く言われたことにつながっているのだと。
結局、私は納得したいのだ。
私が言葉にするすべての質問、イコール、私の中に渦巻くすべての疑問に、あらゆる不思議に。
あなたは私の扱い方をすべて心得ている。
私は言葉にするつもりはないが、今ではもう間違いないと思っている。
私はあなたの術中にはまってしまう。
だから私は、あなたを「ずるい」と思ってしまう。
あなたは基本的に自分の意見を言葉にする前に、私に自分の意見をなるべくうまく、冷静に整理させようとしているのだ。
それから、私が返す意見に少ない文字数でちょこちょこと手を加え、あなたは私に投げ返す。
そうした言葉のキャッチボールをしていくうちに、やがて私はどうしたことか納得してしまう。