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あなたはどこからこういう音楽を探してくるのだろう?
私は今回もヒゲさんの意見に強く同意したくなった。
間もなくもう一度静かにストリングスの音が流れ始めた。
「マリナーはこういう音楽を振ると、とってもうまいよなあ」
あなたは腕を組んでうなずいた。
マリナーという名前はさっきの説明には出てきていない。
「マリナーって、指揮者のこと?」
「正解。ネヴィル・マリナー、イギリス人で、この演奏をしているオーケストラを結成した人でもあるんだ」
組んだ腕から右手の人差し指を上に向けると、「アカデミー室内管弦楽団」、そうあなたは続けた。
「英語で正式に言うとややこしいから省略ということでお願いします」
それはかまわないけれど。
私がこう言う前にあなたの言葉が続いていた。
「LPから録音したんだけど、スクラッチ・ノイズなしで録音できてよかったよ。弱音の弦楽合奏にスクラッチが混ざっちゃうと悲しくなるから」
あなたはレコードからテープへの録音が首尾よくできたことにとても満足していると分かった。
そして、私の耳が弦楽合奏だと判断できていたことに私も満足できた。
その余韻に浸る間もなく、私の耳に今度は男女のスキャットが聞こえてきた。
また私の知らない曲だった。
甘いムードを感じさせる音楽だと私は感じた。
「これはキミでも知らないと思うから説明しておくと」
あなたが自分からこの曲について話し始めた。
「ミシェル・ルグラン作曲の」
ここで一旦、あなたは言葉を止めて私の目をちらっと見た。
ルグランなら知っている名前だったので、私は彼が音楽を担当した映画でいちばん有名だと思っている作品のタイトルを声にした。
「『シェルブールの雨傘』」
「正解」
そう言うと、あなたは苦笑いではなく、微笑んでくれた。
私は嬉しかった。
「そのルグランの埋もれた名作、『太陽が知っている』という映画のサントラだよ」
太陽が、という言葉で始まるタイトルの映画なら、「太陽がいっぱい」というとても有名な作品がある。
主演はアラン・ドロンだ。
私はこの映画を母に勧められ、ヴィデオをレンタルして実家で鑑賞したことがある。
当然、母と一緒にだ。
父によると、母は昔からアラン・ドロンのファンなのだった。
私は父に同情してしまったものだ。
それはともかく、「太陽がいっぱい」の音楽はルグランではない。
この作品はタイトル曲も有名で、母はオリジナル・サウンドトラックのシングル盤を所有していたから私も聴いたことがあった。
でもこのときはルグランではないと断言できたものの、誰が音楽を担当していたのかは思い出せなかった。
あなたの声が聞こえた。
「アラン・ドロンが主演してるらしい」
「そうなの?!」
私は自分の頭の中にあったアラン・ドロンの名前が突然あなたの声で聞こえてきたことにびっくりしてしまった。
あなたの表情は得意の苦笑いになっていた。
「……ストーリーはサスペンスらしいんだけど、二匹目のドジョウにはならなかった、と」
ちょっとだけ間をおいてから、あなたは「ボクも見たことはないんだ」と言った。
「一匹目のドジョウはもちろん、ボクでも知ってるほど有名な」
ここで私はすかさず口を挟んだ。
クイズ番組で早押しに成功したかのような気分になった。
「『太陽がいっぱい』」
「またも正解、お見事」
私は正解できた報酬のかわりに、あなたに訊いた。
「音楽は誰が」
「ニーノ・ロータ」
私が「担当していたの?」と言い終わるよりずっと早くあなたは即答すると、「エンニオ・モリコーネより前から活躍しているイタリアの巨匠」と付け加えた。
私はまた感心してしまった。
けれども、私は自分の立場を忘れていたわけではない。
そもそも私があなたに質問しているのは音楽のことではないのだ。
「ロータやモリコーネについても言いたいことはあるけど、今はルグランのこの曲に戻るよ」
あなたは私の機先を制するかのように言った。
音楽に関することなら、あなたはとても俊敏性を発揮するのだ。
「ルグランは作曲家が本業だと思うけど、他にもジャズ・ピアニストでありエンターテイナーでもあり、こんなふうに歌手でもある多彩な人なんだ」
私の知識はあなたの言葉で上書きされ、さらに追加される。
「それに、この曲はルグラン本人がお姉さんのクリスチャンヌ・ルグランとデュエットをしている上に、世界的フィドラーのステファン・グラッペリのソロが延々と聴けるものすごい傑作なのに、どういう訳かあんまり知られていない」
あなたは不満そうにひとこと付け加えた。
「ボクはどうも納得できないよ」
「じゃあ……」
あなたが言うようにとても素敵な曲だと私は思うけれど、マイナーな評価のまま知られていないのなら。
私は当然の疑問を言葉に出した。
「あなたはなんで知っているの?」
「実はこれ、親のレコードから録音したんだよ」
それでさっきから小さな音だけどもスクラッチ・ノイズが聞こえているんだね。
「ボクは物心付く前から、このレコードに影響されてきたようなんだ」
ああ、それはなんとなく分かる。
私はあなたを理解した。
「映画音楽名作集みたいな2枚組のLPで、フランシス・レイも入っていてね。ライナーノーツを読んでみたらどうもボクか弟が生まれた頃に買ったんだろうなと思える古いものなんだ。それでノイズが多めなんだけど、CDになってないみたいだから仕方ない」
いつか世界中のレコードが全部CDになって聴けるようになるのだろうか?
「でもさ、こうして聴けるだけでも幸せだよな」
なんだか夢のような話ね、と私は思う。
ミシェル・ルグランのような大家の曲でもまだたくさんアナログ・ディスクのままなのだろうから。
「……うん、何度聴いてもホントに素晴らしい。キミもそう思うよね?」
「え?」
私は再度あなたの声で、音楽の中から現実に連れ戻される。
「あまりキミの好みじゃなかった?」
違う。
聴き惚れてしまったのだ。
涙がこぼれそうになっている。
なんでこんなに素敵な音楽が有名じゃないのだろうか?
ルグラン姉弟のスキャットのバックには混声のコーラス、ジャズの4ビートをベースとしたリズムに、フィドルの、つまりヴァイオリンのアド・リブによるソロが絡んでいく。
私は強めにため息をついていた。
またひとつ、不思議を見つけてしまった。