4
*
あなたは今日も雑誌を手にしている。
私が知る限り、ここしばらくあなたが熱心に読んでいるのは「レコード・コレクターズ」ばかりだ。
あなたが「レココレ」と呼ぶこの雑誌は月刊誌なのだが、明らかにその発刊ペースの数倍の勢いでこの部屋に増えている。
── 近所に最近できた古本屋を覗いたときに、さ。
あなたはそう言った。
── 大量のバック・ナンバーを見つけたんだよ。
申し訳なさそうな、嬉しそうな、どちらとも言い難い様子でそう言ったけれど、あなたを見ていた私は眉を上げた表情になっていた。
嬉しいに決まっていると思ったからだった。
あなたが音楽好きなのはよく分かっているし、「レココレ」を真剣に読んでいるのも悪くないと思う。
ただ、なんとなく気がかりに感じることも時にはあるのだ。
私はちょっとだけ心配になったりする。
私がこの部屋にわざと置いている「現代民話考」のシリーズを、あなたは手に取ったことがあるのだろうか?
例えそれはないとしても、小説やその他の文学に関する本を手にすることはあるのだろうか?
あなたが専攻している内容と密接な関係があるはずなのに。
* * *
私にはあなたが読書らしい読書を全然しないかのように見えていたので、訊いたことがある。
音楽雑誌以外は読む気がないのか?
好きな作家はいないのか?
そうしたことを。
「ボクは田中みたいに白樺派がいいとかすぐに言えるほどじゃないからなあ」
「田中くん、白樺派が好きなんだ?!」
思わぬ返答に私は驚いた。
「へえ。なんか意外」
「それはボクも否定できない」
「で、あなたは?」
「そうだなあ、ボクは日本人の作家なら漱石だろうな」
あなたが夏目漱石を好きなのは至極当然だと私は思った。
理由はないがすんなりと腑に落ちた感じだった。
しかし、あなたがもうひとりの名前を挙げたことは嬉しい驚きとなった。
「……それに、宮澤賢治とか」
「『銀河鉄道の夜』!」
「まあ、それはもちろんだけど、他の作品も」
「私も大好き」
「実を言うと宮澤賢治の詩はそんなにピンとこないんだけど、童話作品には興味ありなんだ」
きっとあなたは瞬間を切り取ったかのような作品よりも、流れるような物語が好きなのかもしれない。
そう感じて、私は一層嬉しくなっていた。
「何よ、早く教えてくれたらよかったのに」
「隠してたわけじゃないよ。訊かれなかったから話題にしなかっただけで」
「童話に興味があるなら民話にだってあるんじゃない?」
「まあ、そうなるのかな」
あなたが自分からもっといろいろなことを話してくれたなら。
私はよくそう思う。
遠慮されているとは思わない。
なんだか私ばかり騒々しいような気になってしまうのだ。
これも贅沢なことなのだろうか。
「日本人の作家なら、ということは、海外の作家にも好きな人がいるのよね?」
「海外なら、例えばサリンジャーとか、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテとか」
「ゲーテ? ホントに?」
わざわざゲーテをフルネームで挙げたことに、私は疑いを持った。
「すみません、ゲーテはウソです」
ほらね、と私は思う。
あなたはさらに続けた。
「サリンジャーはけっこう読みました。これは嘘じゃないよ、荒地出版社から出てる選集を取り寄……」
「今の今までそんなの全然話してくれたことなかったじゃない」
「だからほら、訊かれなかったしさ」
私はつい「コノヤロウ」と思ってしまうのを抑えながらこう言った。
「目に付くところにあるのは音楽雑誌ばっかりだし」
「それは言い過ぎだと思うのですが」
「そう? さっきから初耳尽くしよ」
「それ以外の本だってあるさ。FM雑誌とか、つげ義春とか」
文学じゃないよね、それって。
つげマンガは文学的とも言われるようだけれど。
少し呆れた私は軽くスルーしておく。
「教科書とか辞書はノー・カウントだからね」
当然でしょ、というニュアンスを込めて私は言った。
あなたの口から「む」の音が3回聞こえた。
「で、どこにどんな本があるの?」
「どこかにあるんだよ、ちょっと忘れてるだけで」
「じゃあどこかっていったいどこなのよ?」
「ここではないどこか、だろうな」
あなたはいつもの苦笑いをする。
「この部屋にある雑誌以外の本はほとんど私のだよ。『現代民話考』とか『バガヴァッド・ギーター』とか。あなたのは本当に教科書や辞書程度じゃない?」
あなたは私の問いには答えず、話を逸らすことがある。
うっかりしていると、私にとって重要な話題でもいつの間にか逸らされたこともあるので、気をつけなくてはいけない。
今回はそれほどのことではないからかまわないが、あなたがその術を使うのは自分の都合がよくないときだと私は知っている。
「『バガヴァッド・ギーター』はちょっと読ませてもらったよ、文庫本。読みにくかったから中断してるけど」
「ふうん。じゃあ、『現代民話考』は?」
インドの思想についてはまだしばらく私に任せておいてほしいけれど、「現代民話考」のシリーズはあなたにも読んでほしかった。
「『現代民話考』……ああ、あの厚いハードカヴァーか」
「そうよ。あなたも読めばいいのに」
「確かに」
「とっても面白いんだから」
私はことあるごとにあなたに勧めている。
「一度読んだくらいですむような本ではないのよ」
「まあ、そうだろうなとは思うんだけど……内容をまったく知らないわけじゃないし」
「え!」
私は本気で驚いていた。
「そのことだって初耳なんだけど」
「キミが読んでるからさ、本屋で見かけてちょっとだけ、立ち読みを、ね」
「じゃあ、柳田國男も?」
「そりゃあ知ってるよ、『遠野物語』なら。文学史的にも有名だし」
「ちょっとびっくり。いつも音楽の話しかしないから」
「それも言いすぎだと思うのですが……」
そう言われても、私はあなたが「文学」を読んでいる場面に遭遇したことがない。