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「ディスク・ユニオンとレコファンは外せないけど、他にもあるんだよ。フラッシュ・ディスク・ランチとか、その他いろいろ。それにレンタルショップ、古道具屋や古本屋もあるからけっこう侮れないんだ」
「そ」
「そ、と言われましても」
古道具屋さんがあるのは私も知っていた。
演劇を見た帰りにお店に気づいて、覗いてみたことがある。
いい具合に使い込まれたまんまるの卓袱台が5千円で売られていて、買おうかどうしようか迷ってしまった。
残念なことにそのときはお財布に持ち合わせがなかったし、買えたとしても私ひとりで実家まで持ち帰るのは厳しい状況だった。
だから結局買えないままになってしまった。
まだあなたと仲良くなる前のことだったけど。
そんなことを思い出した私の脳裏で、名案が閃いた。
もしもまだ売れ残っているのなら……。
私は思った。
……今ならもちろん買うわね。
ちょっとおおごとかもしれないけれど、あなたと一緒に私の部屋まで運ぶことができる。
あなたが疲れたなら私ひとりでも喜んで運ぶだろう。
私の部屋へ運べたら、その卓袱台の上にあなたが買ってくれたコーヒー用品を一式出して、おやつにウォーカーズのショートブレッドを用意して、淹れたてのコーヒーをあなたと楽しむだろう。
実現したらすごく幸せな気持ちになるのは間違いない。
「あらかじめ言ってくれてたら、私も一緒に行ったのに」
私はつい言葉にしてしまった。
「私にナイショで行ってくるなんて」
あなたはお湯を沸かそうとしていたけれども、私の様子を見ると手を止めた。
「いや、でもさ、幸美さんは稽古だったし、レコハンに興味ないんだよね?」
私は以前、あなたが言う「レコハン」と「レコファン」を混同したことがあった。
けれども、レコハンとは「レコード・ハンティング」の省略形だと教わり、レコファンはレコード屋さんの名前だと知ってからの私はもう間違えなかった。
「あなたはレコード屋さんに行くと別の次元にワープしちゃうもんねえ」
* * *
以前、新宿の映画館で『恋人たちの予感』を見たあと、サウンドトラックCDが欲しくなったあなたは「タワーレコードで買ってから帰る」と言った。
その語気はかなり強かったし、私もサントラ盤を聴いてみたかったので、あなたの意見に素直に従った。
駅の南口にあるタワーレコードへ一緒に、と言ってもあなたはどんどん歩いていってしまうので後から追いかける感じで私はついていった。
あなたの体力はレコード屋さんだとフル活用できるらしい。
目的のサウンドトラックCDはジャズのコーナーでハリー・コニック・ジュニアを探すとすぐに見つかった。
映画の余韻に浸りながらサントラ盤を聴けるのも素敵だな、と私は思ったものだ。
ところが。
あなたの部屋に戻れたのはそれから6時間後だった。
あなたはジャズのコーナーをひととおりチェックしてからクラシックのコーナーへ無言で移動すると、ここでもひととおりチェックした。
たぶん、チェックする動きはかなりスピーディーだ。
あなたの能力はレコード屋さんだとフル活用されるらしい。
私があなたの横でちらほらとCDを手に取ってるうちに、あなたは4列から5列分ほど見終わって次へ進んでいた。
どう見ても私が一緒にいることを忘れているようだった。
水を得た魚のように、という表現とはいささか異なり、あなたは真剣勝負のように張り詰めた雰囲気を醸していた。
私はあなたの邪魔にならないようにおとなしくしていたのだけれども、閉店時間が迫ってくるとさすがにお腹が鳴ってしまった。
あなたはブラジル音楽をチェックし終えると日本のポップスの売り場へ移動するつもりだったらしい。
私の耳には「細野さん」とあなたがつぶやいた声が届いたから。
私はあなたの背後から静かに近寄って、右手であなたの右の肩甲骨の辺りをポンと軽く叩いた。
あなたはビクッとした。
スウィッチが切り替わったようだった。
── ゆ、幸美さんは、何か欲しいのあった?
私の存在に気がついたあなたは、私へ振り返ってそう言った。
私はあなたの質問への回答は省略した。
── それ、全部買うの?
あなたはサントラ盤の他に3枚のディスクを手にしていた。
私は自分では何も探していなかったから、あなたがどんなディスクをハンティングするのか観察できた。
それらはいずれもクラシックのコーナーで見つけたものだった。
ただし、どれも私が知らない作曲家の輸入盤だった。
そのうちの1枚はバーンスタインによる演奏だとは分かったけれど。
私はあなたが返事をしてくれる前に正直な気持ちを伝えた。
── 夕食の予算、あるかしら?
あなたはコンマ数秒のうちに早い瞬きを繰り返した。
── もうちょっとだけ待ってて。
あなたは言った。
私が口を開くより先にあなたはテキパキと動いた。
クラシックのコーナーに戻ると2枚のディスクをそれぞれの作曲家の列へ返し、あなたは無言でレジへ向かった。
あなたが選んだ1枚がバーンスタインのものかどうか私は確認しなかった。
そのときは他に気になることがあったからだ。
つばめグリルへ行っても大丈夫かな、とか。
* * *
「あのときはごめんなさい」
思わぬタイミングであなたからお詫びの言葉が出てきた。
そんなつもりで言ったのではなく、私はあなたのレコハンにかける情熱を思い出していただけだった。
ただ、せっかく私の方が優位になったので、このタイミングを利用させてもらうことにした。
「下北沢、私もお気に入りの街なのにな」
そう言って私がしょんぼりして見せたからか、あなたは少し慌てている。
「あなたがレコハンに熱心なのは知ってる。でもあなたが下北沢に行くと教えてくれたなら、この前みたいに、駅の改札で待ち合わせすることはできたのに」
あなたはハッとした表情になると初心者のようにぎこちなく苦笑いを浮かべた。
「確かに、そうすることはできたなあ」
両腕を組むと、申し訳なさそうにあなたは言った。
「ごめん、そこまで頭が回らなかった」
腕をほどいて両方の掌を合わせると、あなたは私に頭を下げた。
私は拝まれてしまった。
こんなに真正面から私の意見を受け取ってもらえるとは思っていなかったから、今度は私の方が申し訳なく思う番だった。




