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「やっぱり、ごまかそうとしてない?」
私は再び膝立ちになって、あなたの方へ身体を乗り出す。
「してないってば」
あなたは正座のまま上半身を後ろへそらし、両腕で身体を支える。
「怪しいなあ」
私の身体はあなたに倒れ込みそうになる。
私は両腕を前に伸ばし、正座しているあなたの両膝の直前に手をついた。
「そこは信じてほしいのですが」
「じゃあ、もう少し解説して」
私は面白がって先を促した。
のけぞってしまったあなたの表情をわずかに見上げていた。
「そうですか」
「そうですよ」
「そうだなあ……」
あなたの言葉をもっとたくさん聞いていたいと思った。
あなたは後ろに下がって姿勢を正した。
私はあなたにすり寄った形で姿勢を正した。
「えー、人の数だけ世界があって、どれもちょっとずつ重なっていて、重なった部分は共有してる。そんなふうに思っていてさ」
「共有? それはあなたの説なの?」
「まあ、ボクが知らないだけでどっかの誰かがとっくに同じことを言ってるかもしれないけど、いちおうは」
「まだ続きがあるんでしょ?」
私はあなたから出てくる言葉を、自発的なセリフを、最後のひとつまで聞きたくなった。
「その、共有されている部分ていうのは、誰もが同じ舞台にいるってことになるかな。誰もが主役で、誰もが脇役。でも舞台はひとつだけ」
「それだと、私の場合は私が主役で、あなたは脇役?」
「そして逆もまた真なり、なのですが。いかがでしょうか」
「そうすると、誰にも独自のシナリオがあって、世界を設定しているのかしら?」
「まあ、だいたいそんな感じで」
「ふうん」
まだ私が納得しかねているように感じたのか、あなたはさらに続けてくれた。
「例えるとね、キミの世界とボクの世界は、他の人たちよりも重なっている部分がすごく多いってことになる」
「だとすると?」
「それだけ世界観が……設定が共通していて、話が通じやすくなる」
「ふうん」
あなたがたくさん話してくれて私は満ち足りた気分になっていた。
私のいくつかの疑問は、あなたの言葉を聞きたいがために発生しているようだった。
「あの、幸美さん?」
「何かしら」
「いちおうボクなりに、ない知恵を絞り出してみたのですが、まだダメでしょうか?」
「違う違う。まだ話し終わっていない気がしたから、最後のひとことまで聞かせてもらおうと思っただけ」
「幸美さんはボクのことなら、世界でいちばんよく知っているのでは?」
「うん。そのつもりだよ。でもね、前にも言ってるけど、ド真ん中に剛速球を投げてほしいときがあるの、あなたにも。今みたいに」
「むむむ、うまいことを言われてしまった」
あなたは「やれやれ」という表情になった。
「キミとボクは、そんなわけで、他の誰よりもうまくコミュニケーションが取れるんだ」
「あら? 本当にそう思ってるの?」
「キミがよく言ってくれてるしね」
そう、あなたほど私と会話を続けられる人はいないんだよ。
今までも、きっとこれからも。
「コミュニケーションがしっかり取れるのは、人として最も重要なことかもしれない。だって、お互いを理解し合うことなんだから。コミュニケーションが取れなかったら、まるっきりお手上げだと思わない?」
「ふうん」
この「ふうん」は、今日の何回目になるのだろう?
あなたのお決まりの相槌に文句を言う資格が私にはなくなってしまったかもしれない。
「あの、幸美さん」
「何かしら」
「キミこそ文字数が少ないぞ」
ばれてしまった。
「あなたの真似をしてるから」
「そうですか」
「そうですよ」
はあ。
あなたがひとつ、短い溜息をついた。
「分かったよ。けど、そろそろネタが思いつかないのですが……」
そう言うと、あなたは腕を組んで目をつぶっている。
首を傾け「うーん」と唸る。
そんなあなたを見ているのも私は好きだ。
「なら、今はひとまず許してあげる」
あなたの立場が弱いわけではないのに、下手でいてくれるから、私はついつい上手であるかのように振舞ってしまう。
「それはよかった」
あなたはそう言って足を崩すと、言葉を続けた。
「複数登場人物共通世界設定同時進行案及第だ」
私は敢えて聞こえなかったフリのまま両脚を前に伸ばして、左右の爪先を左右の手でそれぞれつまんでみた。
両手を離して脱力すると心地よい疲れを感じた。
「休み時間が必要そうね」
ベッドの縁に凭れながら上半身を伸ばしているあなたを見て、私は言った。
「ボクは今年しゃべる文字数を全部使った気がするよ」
「あら、そんなはずないわよ」
この程度で、これから先はほとんど無口になろうというつもり?
そうは行かないぞと私は思う。
それでも、あなたは本当にくたびれた様子なので私は次の「どうして?」を言うのはやめた。
一度にたくさんの疑問を片付けようとすると燃え尽きやすくなってしまうものだ。
ゆっくりと時間をかけて、少しずつ進めた方がもっとたくさんの疑問が片付くに違いない。
あまりに遅すぎるのは考えものだけれども、きっと私はこの点において気にすることになるとは思わない。
あなたは「ヨッ」とひとこと漏らすと立ち上がった。
「まあ、そろそろこの辺でひと休みしよう」
部屋を横切って冷蔵庫に向かうと、あなたはフリーザー側の扉を開けて中から何かを取り出した。
それは一見して真空パックにされたコーヒー豆の袋だと私には分かった。
冷蔵庫の中がどうなっているのか、そう言えば今日の私はチェックしていなかった。
タイミング的にはおそらく買い出しに行く必要がある気がする。
雨の中に出かけるのは、動物園が目的地ではなくてもあなたは気乗りしない表情を見せるだろう。
夕食の材料があるなら出かけなくてもいいけれど、ないのなら覚悟してもらうからね。
私は思った。
あなたと一緒なら、雨が降っていても、雪が降っていても、台風が上陸していようとも、私は平然と外に出られるのよ。
もしも富士山が大噴火して火山灰が降っていようとも、酸性雨がひどくなって傘を溶かしてしまうくらいだとしても……。
それだとさすがに出かけられないか。
そんなにひどい天気はありえないけれど、あなたはライダーマンの右腕について話してくれるかもしれない。
── 結城丈二はデストロンの科学者だったけれど、ヨロイ元帥の機嫌を損ねて右腕を硫酸に……。
こんな想像ができるようになったのも、あなたとの時間が順調に増えているからだよね。
私はそんなことを脳裏に描きながら立ち上がると、あなたのそばに近寄った。
真空パックされていても、新鮮なコーヒー豆ならその香りが溢れてくる。
あなたと私の周りにはとても豊かな香りが満ちていた。




