スタバは甘いものに限る
「混んでるな……」
店に入るなり、思わず声が漏れる。MacBookを開いたスーツ姿の男や、教科書を広げる高校生たち。それここでやる必要なくない?喫茶店って飲食の場所じゃないの?
「そう? いつもこんな感じだよ? もしかしてあんま喫茶店とか来ない感じ?」
「そうだね……」
男友達と来たことなら何回かある。いずれも「スタバ行ってみようぜwww」っていうノリで行って、値段の高さに顔を顰め、「マックのコーヒーでよくね?」とか「コンビニのスイーツで良くね?」とか「ラーメン食いたい」ってなって終わる。
改めてメニューを見てみる。普段コーヒーを全く飲まないので何もわからん。どんくらいわかんないかっていうと東大英語の方がまだ分かるレベル。
なんだよラテとかモカとかカプチーノとか。サイズもSMLで表記してくれ。
「何にするか決めた?」
「ん、んーっと……俺はね……エスプレッソに……しようかな?」
だが内心の動揺は見せない。見せてないよね?
エスプレッソを選んだのは名前のかっこよさと、値段の安さ。
「おっ! 渋いところ行くね!」
「だ、だろ?」
帰ったらエスプレッソ調べよ……。
「でもどうせならうーんと甘いの行かない? テストで頭使ったし、糖分摂取した方が絶対いいよ!」
「甘いのって?」
「これこれ!」
ぴょんと飛び跳ねながら彼女が指差す先を見る。
「こ、これは……」
「春の新作!」
出ました、新作。名前だけやたら聞くけど、一回も頼んだことがないやつ。春にちなんで、今は桜をイメージしたフラペチーノを販売しているようだ。キラキラしたピンク。ハードル高え……。
「値段も高え……」
「気にしない気にしない! 私の奢りなんだから」
「い、いや……やっぱり奢りは良いよ。自分でちゃんと払うから」
明るい調子で佐々木さんは言ってくれるが、ここで彼女に甘えてしまってはいけない。普通奢るのは男の方。いくら筆記用具を貸したからといっても割に合わない。てか、男子校の奴らとか借りた筆記用具平気で失くすから、無事返ってきただけこっちがありがたい。
「えー遠慮しなくて良いんだよ? 貸してくれたお礼なんだから」
とはいっても、お礼にしては高すぎる。
いや、待てよ……。そもそもこれが罠だと言う説はないか?
例えば割りに合わないお礼をしてもらうことで、相手に負い目を感じさせて、そっから怪しい勧誘へと誘導しやすくする。冷静に考えて、こんなに綺麗な子が俺なんかと話すメリットはないだろ。
『知らない美人には着いていくな……。絶対に罠だからな』
大学入って早々、出会い系で宗教勧誘された兄の言葉が思い出される。
「いや! 自分で! 払う!」
そう宣言すると、そのままの勢いで千円札を出して新作を買ってやった。男子校生だからって、大人しくカモられるわけには行かねえ!
「あ……うん。なんかごめんね?」
ちょっと強く言いすぎたか、佐々木さんは申し訳なさそうにしょんぼりする。
胸が痛むが、これも自己防衛のためなんだ……。
「へー、桜川君はソフトテニス部だったんだ」
「といっても、ガチではないけど。週に3回しか練習しなかったし、高2の冬で引退しちゃったし」
駄弁り始めてから1時間。特に怪しい勧誘を受ける気配はない。というか……今の状況、めっっっちゃ良いんだが?
スタバの狭い丸テーブルに2人向かい合って座る。すると自然と距離が近くなって、ふわりとフラペチーノではない甘い匂いが香る。特に置いてあるフラペチーノを飲む時なんか顔が急接近して、前に目を向けられない。
佐々木さんは頬杖をついて俺の話を聞いてくれて、時折笑うと白く整った歯が見えてドキッとする。
内心の緊張を紛らわすように、話題を振る。
「佐々木さんはずっとバドだったんだね」
「そうそう! 小学生の時からやっているからねー。もうバドが大好きで、高3の時もずっとやっていて……だから浪人しちゃうんだけどね?」
てへっと舌を出しておどける佐々木さん、あざといが男子校生はみんなあざといの好き。きゅんときちゃう。
「だからまあ、今年はちゃんと勉強に向き合って……東大に入って思いっきりバドやってやる!」
「バドも強くて、それで東大なら本当に文武両道じゃん。凄いな……」
「えへへ、ありがと!」
彼女が浪人したのは、バドミントンに真剣に向き合っていたから。話を聞くところによると、彼女の腕は全国に手が届くほどのようで、俺の部活に対する姿勢とは格が全く違う。
「桜川君はどうなの?」
「どうなの……って?」
「大学行ったら、やりたいこととかないの?」
「あー……」
その質問は、前にも何人かにされたことがある。同級生や先生、親から聞かれるたびにこうして口籠る。
「今は特に無いかな……。大学入ってから探せば良いかなって」
「ふーん。そういうものかー」
「ま、まずは受からないとどうしようもないんだし、とりあえず勉強よ」
「それはその通りだよねー。出遅れた分、今年は頑張らないと!」
外に出ると、すでに日は傾きつつあり、帰路に着こうとする人で賑わっていた。凄い……1時間半も女子と2人で話してたよ……。
冷静に考えてみると、今までの生活じゃ考えられないイベントをしていて興奮を通り越して怖い。
「今日はごめんね、付き合ってもらって」
「いやいや! それはこっちのセリフ!」
マジで勧誘と疑ってすんませんでした……。めちゃめちゃ良い人だった……。
こうして出会えたのも何かの縁。こんなにお話ししたんだし、連絡先の交換でも……。って思ったけど、女子に連絡先ってどう聞けば良いんだ?LINEだよな。なんて切り出せば――
「それじゃ、ありがとね! また予備校で会ったらよろしくね!」
「あ……あ、ありがとう……」
そうこう考えているうちに、佐々木さんは持ち前の明るさでびゅんと駅に行ってしまう。彼女は御茶ノ水駅、地下鉄を使う俺は新御茶ノ水駅なので帰り道は別だ。
「行っちゃった……」
せっかく知り合った綺麗な女の子。スタバで1時間半も喋ったのに、連絡先を聞けなかった。男子校生、その経験の浅さ故に致命的な敗北をする。
「あぁぁぁあああああああ!」
夕方の御茶ノ水に俺の慟哭がこだまする。
「苦っ!」
「なんだ、お前がエスプレッソ飲みたいっつったんだろ?」
「こんな苦いなんて聞いてねえ……」
帰宅後、父親に頼んで淹れてもらったエスプレッソを飲んで、頼まなかったことを心底安堵するのだった。
クラス分けの結果、俺は東大理系の真ん中のコースに行くことになる。優秀なやつは演習コースの方に行くので、欲を言えば1番上に行きたかった。だが勉強量が足りていないのは自分のせいなので、仕方がない。
いよいよ本格的な浪人生活が始まる。