追憶 (前編)
2020年の8月になりました。
7月は長い梅雨で熱帯夜に苦しむ事も無く過ごせましたが、玄関に飾っていたドライフラワーにカビが生えて処分しました。気付くとあちこちにカビが発生。
大自然が強制的に断捨離を後押ししてくれたのでしょうか。少しばかりスッキリしました。
今回は始めての前編です。後編は多分、来週に公開出来ると思います。
読んで頂いて有難うございます(*^^*)ノシ
ラ-ジャの腕にしがみつくようにサラが寄り添って座る。ラ-ジャの視線の先には倒れているヒムロ、サラの視線の先には掌程に大きくなった七色の石があった。
「あの頃を思い出しますわね」
「うむ」
ラ-ジャはサラが言った『あの頃』が実は今でもつらい。
遡ること凡そ八十年。
透き通った氷柱の中で両腕を胸の前に合わせ目を閉じたサラが薄く透き通る。消えそうに透き通ったかと思えば、またしっかり現れる。
「あら、また眠っていたようですわね」
クスクスと笑う声がラ-ジャの心に響く。氷柱の中のサラは美しく人形のように目を閉じたままで、睫毛の一本も動く事はない。当然のように笑顔も見ることはできない。
消えそうに薄くなる度にサラは眠ったとラ-ジャに言うが、実は存在そのものが消えかけているのだ。
人々の信仰で生きるトレザの土地神であるサラは、人々の信仰が無くなれば消えていく。そして土地神だからラ-と違って天へ還る事も無い。本当に無に還るのだ。
ラ-はサラを失いたくない。
しかしサラは、もう充分に幸せに生きた。そう思っている。ラ-のお陰で長い間トレザを見守る事も出来た。豊かな実りと自然に囲まれ、平和なトレザを維持出来た事が充分に満足なのだ。人であった時の家族や友人が他界して随分と年月も過ぎた。
今後サラが消えてトレザを守る神が居なくなれば、トレザごと流れて消えるような地震や土砂崩れが起きても構わない。信仰の無くなった民を救える余力など、とっくに無いのだ。
それでもただ一つ、気掛かりなのはラーの事だ。自由に色々な土地を巡り、トレザ以外の事を沢山教えてくれたラー。常にサラの願うトレザの平和に尽力してくれたラーに、寂しい思いをさせてしまう。それだけがつらかった。
ヒムロがピクリと動く
「ラー、少しそっとしてあげて」
サラはラーにしがみついた腕に力を込める
「ラ-ジャ、まだ私は強くなるぞ」
両腕で上体をゆっくり起こし、傷だらけの顔でラ-ジャとサラを見上げる。
「ではヒムロ。一番の速さでシュラを連れて来るがいい。同時に鍛えてやろう」
「承知」
ヒムロは消えるような速さでシュラを迎えに行く。
「ラー、あの子はまだ傷だらけよ」
サラはラ-ジャの腕を離してヒムロの走り去った先を見つめて立ち上がり、ラ-ジャを攻めるように見下ろす。
「シュラも知っておいた方が良かろう」
ラ-ジャはサラを見る事なく、遠くを見つめている。
セトラナダは遠い昔、沢山の龍が生まれた土地だった。人々と共に龍が有り、活気に満ちた、豊かで栄えた土地だった。
初代の王は龍の妻で、代々龍の血を受け継ぐ者が王となる。ただ、サラのように神には成らず、人のままだからこその王制を築いていた。
近隣の街や村からの旅人も多く、豊かで交易も盛んな国となって行く。
ラーが生まれたのもセトラナダだった。
当時はまだ龍がとても多く、人々の活気を手助けする事を龍がお互いに競い合う土地になっていたため、セトラナダの外に行く龍も居て、ラーもふらりとセトラナダを出た一柱だ。
トレザが地震で隆起し始めた頃に、ラーはトレザ周辺を見て歩いた。ラーにとって、とても心地好い『気』が少女だった時のサラのもので、わずかの間に大人になった。驚く程の早さで人が老いて行くのを知り、サラと伴に生きたいと助言を乞いにセトラナダの龍を訪ねた事を思い出す。
サラが神と成れた報告だけはしたのだが、サラが氷柱に入ってからラ-はトレザを出ていない。
サラが氷柱に入ったばかりの頃は、まだ多くの人が訪れてトレザで起きた些細な事まで伝えに来ていたものだ。人形のように動かなくても、サラに普通に話し掛けていた。世代が代わり、特別な時にしか訪れる人が居なくなり、人が決めた儀式のような事を行っていた。そのうち儀式が簡素化されて行き、世代が代わり儀式は洞窟で行う事もなくなった。やがて忘れられて行ったのだろう。
「人は忘れる生き物だよ。」と、博識な龍が話して居たのを思い出す。
ラーは、分身体をセトラナダに向かわせる事にした。先達の知識から何か得られる事が有るかもしれない。
サラが消えて無くなる前に。
「シュラを連れて来た。私と一緒にラ-ジャをたおすぞ」
ヒムロの赤い目は真剣だ。
「ラ-ジャ様はセトラナダにお詳しいとヒムロ様から聞いた」
ヒムロに続いてシュラはセトラナダの詳しい状況を知りたいと言う。
ヒムロはサラの膝にスルリと座る。サラも自然な動きでヒムロの髪を優しく撫でる。
ラ-ジャは相変わらず遠く一点を見たままだ。多分、セトラナダの方向を見ている。
「アヤメを連れて向かうのであろう。危険なのは承知か?」
「生きて帰れるとは思っていません。多分、死ぬまで拘束されるでしょう」
多分ではなく確実に拘束出来る。セトラナダを守護する契約に縛られたラ-ジャの分身体が居るのだから。
独り言のようにラ-ジャが語り始める。
セトラナダに居る分身体ラーがアヤメが次の王だと民衆に伝えたのが五年前。そして誘拐されたのは四年前になる。
アヤメが誘拐された日にセトラナダの王が暗殺された。
当時のラ-は龍の血を引く者を守る契約だったので、その夫である王に契約の効力は無い。龍の血を引くアヤメの母親コアに注意を促したのだが、綿密な計画と側近の裏切りでアヤメの父親でもある王ウェルは命を落とした。
現在セトラナダの王に立つ者は、龍の血族ではない。四年前に王ウェルを暗殺しアヤメを誘拐した家臣を持つヘルラが王となっている。龍との契約に詳しい知識を持つ者が、王ヘルラに都合良く契約の陣を作り替えた。ラ-ジャは不本意だが、契約に逆らう事が出来ないのだ。
『王となった者を守り、命令に従う』
付け加えられた契約は大したこと無いと感じていたが、契約が成立した後でヘルラは龍を危険な動物だと宣った。そのような王に仕えるだけで心が沈む。同時にトレザの本体とはお互いに通信しないように決めた。
ヒムロを鍛えようとしたのは、その時だった。セトラナダの龍を倒せば云々といった内容を思い出したのだ。
不本意なままで生きるよりも、消す事の出来ない分身体を殺せば良い。ラ-ジャが自ら分身体に近付けば契約上、本体のラ-ジャが分身体に吸収されてしまう。それではトレザに居られなくなる上に不本意な契約で生きる事になる。
しかしヒムロは思った以上に弱く、鍛えようとして危うくヒムロを殺してしまう所だった。
「ラ-ジャ様を倒せと仰るのか?」
「人の作る厄介な契約で、セトラナダにおる分身の私には、尊厳も無いのだ。四年前からな。今の私よりは力が弱い。だが今のシュラよりよほど強いぞ」
ラ-ジャの言葉に反応したヒムロがサラの膝から立ち上がり
「母者はラ-ジャより強いぞ」
サラの裏拳がヒムロの顔面に飛ぶ。目に止まらぬ速さだった。黙れと悠然に微笑むサラは
「わたくし本気のラーと手合わせした事はございませんわ。それに、わたくしがトレザを離れる事は出来ません。例えラーに勝ったとして、役にたてないの」
ヒムロはサラの年齢の他に、ラ-ジャより強いのも言ってはならんと思い知る。赤くなった鼻を涙目で押さえて、
「いつか母者より強くなってみせるぞ」
「頼もしい限りだ。今、すぐに強くなれ」
口角を上げてヒムロに言うが、ラ-ジャは相変わらず遠くを見ている。
サラを救える知識を得ようとセトラナダに着けば、ラーの知るセトラナダとは違う景色になっていた。龍が見当たらないのだ。王が住まう豪華な城の周辺に、上空から見れば幾つもの城が隣接している。
王の住まう城には民衆の集まる所の上に建物が大きくせりだしたバルコニーがあり、低い手摺から見下ろせるようになっていて、民衆が集まるであろうバルコニーを見上げられそうな場所は広く、白い石をくり貫いて作った噴水があり、そこからは豊かに水が溢れている。
噴水から流れた水が地下に設けられた水路を通り、国全体に張り巡らされた地下水路によって、どの建物からも水を運び易いように設計されている。
「見事なものだな」
地下水路や整然と並ぶ建物に感心する。暫く龍の姿のままで上空から他の龍を探してみるが、整然とした街並みに感心するばかりで龍を見付ける事が出来なかった。
他の龍が見当たらないので、ラーは人の姿になりセトラナダに降り立つ。
近くに居た人々は、逃げるように遠巻きにラーの姿を見るだけで、誰も近付いて来る者が無い。人々の様子も随分と変わった。
「尋ねたい事があるのだが」
ラーが人々を見回して声を掛ければ、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。ラーの知る人々の態度と明らかな違いに唖然としていると、今度は馬に股がり鎧を着けた人が複数、逃げられないようにラーを取り囲む。何故か犯罪者にでもされたようで居心地が悪い。一番立派な鎧を着けた者が
「貴様は龍神か?」
見下ろすようにラーに問う。
「如何にも」
態度が横柄な者に少々ラーは不快になった。
「龍神に話し掛けた者は居るか」
「誰も居なかった。逃げるように散って行ったぞ。私に話し掛けたらどうなるのだ?」
「その場で処刑と決まっているだろうが!」
随分と物騒な決まりが出来たものだ。道理で皆が逃げ出した訳だ。この分では龍は居ないだろう。
「ここにいる理由を述べよ」
「私の他に龍が居ないか訪ねただけだ」
応えて早々にトレザへ帰ろうとすると、
「龍神に謁見するならば、先ずは王の許可を得よ」
馬上から話す者の態度が不快だったので、礼も言わずに即座に王宮へ飛んで行く。後ろから「待て」と聞こえたが、すぐに王宮の手摺があるバルコニーに到着した。
建物のせりだした所には、セトラナダの紋章を中央に大きな陣が描かれている。ラーは陣を踏まないように避けて建物に向かう。大きな硝子張りで中の様子は良くわかる。
「王に会いたいのだが」
硝子の向こうに向かって声を掛ければ、鎧の男が硝子の扉を小さく開ける。奥の重厚な椅子に深く腰掛けた者が
「龍神か?良くおいでなさった」
奥からの声に合わせるように扉が開く。
「馬に乗った者から、龍に逢いたければ王の許可が要ると聞いて来た」
「許可しよう。その前に、何処からいらしたのか尋ねても良いか?」
椅子に座った者が王なのだろう。あっさり許可が出た。
「山の向こうだ。数百年くらいその土地を離れる事は無かった」
「ふむ。では他の龍神は居るのか?」
「私が居た所には、私だけだ」
サラは龍では無い。土地神だ。
「そうか。他の龍神は居ないのか。急な事でこちらは何の準備も無いが、後で聞きたい事がある。龍神の城に案内せよ」
王の護衛らしい者に案内されて、隣の城まで迷路のような廊下を歩く。
大きな扉の閂を外して
「この先に龍神がいらっしゃいます。どうぞ」
ラーが扉に先に進めば他の者は扉の向こうで立ち止まる。ラーだけが進んだ所で静かに扉が閉まり、閂をかける音がする。まるで閉じ込められて居るようで、やはり少しばかり不快になる。
ラーが廊下を進めば、黒髪の女性がぼんやり外を見下ろしている広間に着いた。
「おお、久しく龍に会って無かったが、トレザのラーではないか」
外を見ていた龍神がゆっくり振り返り、眩しい程の笑顔でラーを見た。
「随分とセトラナダが変わったので驚いた」
望んでいた情景と違った事と、人々の態度が変わった行き場の無い苛立ちに、黒髪の龍の笑顔を直視出来なかった。
ラ-ジャは遠くを見たままで言う。
「元気になったようだな、ヒムロ。訓練を再開するか」
「承知。シュラと一緒に行くぞ」
外は月光だけだが、洞窟から草原まで向かう。
「先ずは、わたくしが相手をしましょう。シュラ、おいでなさい」
凛と立つサラには隙が無い。しかし丸腰の女性に剣を向けるのはどうかと鞘を左手で押さえ、右手で柄を握ったままシュラはサラから目を離さないが動けずにいる。
サラの姿が消えたと思った瞬間、シュラの持っていた剣が上空に高く浮かぶ。一瞬でシュラに近付いて剣を蹴り上げたのだ。落ちてきた剣はサラが取り、鞘から抜いてシュラに突き付ける。握っていた剣を蹴り上げられた衝撃で、後から両手の痺れに気付くと
「ボンヤリしないの。わたくしから取り返せるかしら?」
笑顔のままで再び鞘に納め、フワリと大きく後ろに飛び退けばサラの一歩をシュラは三歩で詰める。手を伸ばしてサラを捕まえようとすると、シュラの頭上を高く飛び越えて、そのまま木の枝に座って見下ろす。
「ラ-ジャ、私もああいう訓練が良い」
「シュラはあれでも人なのだぞ?加減を知らずに鍛えれば、うっかり息の根を止めてしまうではないか」
余興と言ってシュラの腕試しをしたが、危うくシュラの首を跳ねる所だった。サラはラ-ジャよりも手加減が上手いのだ。
シュラはサラが枝を飛び移る瞬間を狙い跳躍する。少し驚いたサラの手から剣を奪うと、落ちるように着地した。
「あら、思ったより簡単に取り返されてしまったわね」
サラは再びシュラの隙を突いて剣を取ろうとするが、さすがに二度はさせないと距離を保つ。
シャランと剣を抜いたサラが、低い姿勢で風のようにシュラに接近すればシュラは高く飛び退く。落下するシュラの鳩尾にサラは剣の柄を刺すように当てる。
「ぐっ」
小さく呻いて着地すれば、衝撃で吐瀉する。胃が少し軽くなり素早く走るが、行く手にはサラが先回りしてシュラの逃げ場を奪う。
シュラが剣を抜いてサラに斬りかかる。スッと避けてサラは剣を納め、鞘に入ったままの剣で次に振りかぶったシュラの右脇を斬るように当てる。
鞘に納めてはいるが、衝撃は強い。肋骨が折れたような痛みに絶え、逃げるように次の攻撃を出すが、やはり軽く避けられた。
「本気を出して良いのよ」
シュラは充分に本気だ。鳩尾と脇の痛みで息が上がる。
ふわふわした動きで確実にシュラを追い詰めるサラを見ながら、ラ-ジャは黒髪の龍を思い出す。
黒髪の龍は懐かしい再開に綻ぶ笑顔でスイっと近付き
「久しいのう、ラー。セトラナダも随分と変わったであろう。私の事は覚えて居るか?」
大勢いた龍の中でもこの黒龍はかなり老齢で、知識の多い龍だったはずだ。しかし、人の姿は若く美しい女性のまま代わる事が無かった。
「……クウ?」
キラキラと笑みを深めて
「ラーはちと有名だったから皆が知っておるが、私を覚えてくれて居るのは嬉しいぞ」
ラーが何故に有名だったかは、人の娘を娶りたいと珍しい事を相談しに来たからで、無事に人が土地神と成れた話しはセトラナダに居た龍ならば皆が知って居たのだと、眩しそうに教えてくれた。
ラーもクウの事は良く知っていた。セトラナダに王が立つ前から居たのだと聞いた事がある。知識が豊富で、何を尋ねても的確な助言をくれる、ラーが尊敬している龍なのだ。
「昔を知る者と会うのは何年振りか、私は長生きしているだけで、尊敬とは面映ゆいな」
少し照れた表情は少女のようだ。老齢を思わせない笑顔で黒髪をキラキラさせて喜んでいる。
世間話のように、クウはセトラナダで初めに誕生した龍だと語る。それから百年もしないうちに次々と龍が誕生した。
初代の王と添い遂げた龍は王政を見守り、初代の王が他界しても、暫くはセトラナダに留まって居た。だが、初代の王が居ないセトラナダに魅力を感じないとクウに相談し、天に還る事にしたのだという。
それでもセトラナダには新たに龍が誕生し続けた。
当時は人と龍の接点も多く、セトラナダを通過する旅人に着いて行く龍も居たようだ。
「この頃にラーも誕生したのだよな」
そう、ラーも良く覚えているセトラナダは、普通に人々と交流があった。
今見たばかりの整然とした街並みでは無かったが、王の城だけは当時と同じような場所にある。
「今は龍が居ないのか?」
クウはコロコロと笑いながら、ラーがトレザで人と添い遂げた影響もあるんだよと語る。
「若い龍は、殆どがセトラナダを出て行ったのだよ。そして、私と世代の近い龍は天へ還った」
次々と減って行く龍に危機を感じたのか、王はセトラナダを守る龍との契約を望んだ。
クウはセトラナダから離れるつもりは無いし、セトラナダを守る事も望んで居たので喜んで契約に応じた。それに、初代の王を想って天に還った龍との約束もある。
王の子孫を見守って欲しいと。
「望んで契約とやらに応じたが、他の龍が皆、居なくなってしまってね」
自由にセトラナダを出られなくなったのは、ちと失敗だったかとコロコロ笑う。
「ところで、ラーは青龍だから青いのか、顔色が悪くて青いのか?」
無邪気な笑みで尋ねられると話して良いか少し躊躇うが、
「実はサラが、トレザの土地神が消えそうなのだ」
クウの顔から笑みが消えた。真っ黒にも見える瞳で、じっとラーを見つめる。
サラが剣を鞘に納める度に急所を遠慮なく叩かれて、さすがにシュラもサラが鞘に剣を納めれば叩かれる前に剣で受けるようになって来た。しかしシュラは既にかなり色々な所を叩かれて、痛みで息も上がる。
それでもシュラ自身の速度は上がってきていた。
何度もサラに剣で叩かれて、かなり負荷のかかった体で徐々に速度を上げて来るシュラが、降参する事は無い。
「楽にしてあげるわ」
斬りかかるシュラの脇をすり抜けたサラの手刀がシュラの延髄に決まると、地面に叩き付けられるようにシュラが倒れた。
ふう、と大きく息をついたサラが
「少し休ませないと、鍛える前に壊れてしまうわよ」
休ませ方として気絶させるのもどうかと思うが、楽に呼吸出来る体制に寝かせ直して
「ではヒムロ、わたくしと遊びましょうか」
有無を言わせぬ笑顔でヒムロを誘う。
強くなると宣言したものの、心の準備がまだだと言いたげなヒムロとサラの訓練が始まる。
セトラナダに訪れた理由はサラを助う方法を知りたかったからだ。博識なクウが居てくれて良かったと思いながら、真剣にクウの言葉を聞く。
「信仰が戻りさえすれば復活は可能だよ。だが、信仰心を無くした人々に会った事が無いので、どのように問い掛ければ良いのか解らぬ」
すまなさそうにしたクウが続ける
「ラーの顔色は、そのせいか。トレザの土地神はサラと言ったか?サラの消失と同時にラーが心を亡くすのが心配だよ」
「いや、方法を知らぬならばよいのだ」
顔色が悪かった事はクウに言われて知ったが、早くトレザに戻りたくなった。ラー本体の居るトレザで崖崩れが起きたのだ。本体が見聞きしている事は、離れていても全て解る。また本体の方も分身体が体験している事は包み隠す事無く伝わる。
サラの眠る氷室に入り込む光が無くなった。崩れたのは山の上層部だ。洞窟は出入口を無くした状態になった
「ラー、君の本体は今もトレザに居るのだよね」
「うむ。クウに会えた事は嬉しかった。世話になったな」
すぐにトレザの本体に戻ろうとするラーに
「いや、サラを留めるだけならば、幾つか方法はあると思うぞ」
クウの言葉にラーは希望を見付ける。
「私の元に来てからは、サラが消える事は無かろう?」
そういえば、暗闇の中でもラー本体とサラの対話は続いている。
「辛うじてラーの『気』で永らえているサラに、セトラナダの民からの『気』で少しばかり満たされた分身である君の力も働いているのではないかな」
確実な話しでは無いが、実際にサラは消えてない。
もう少し続きを聞いてからトレザに戻ろうと、座り直した。
草原ではサラが次々に出す氷の剣をひたすらヒムロが避け続ける。ヒムロの身長よりも大きな氷の剣から全速力で逃げ回るが、ドスドスと逃場を塞がれ、隙間から身を捩って這い出せば、見下ろしているサラと目が会う。
「参りました」
ビシッと両手を上げてヒムロが言うと
「早いわよ」
サラはヒムロを足で掬い上げ、そのまま高く蹴りあげる。
落下の無防備な所を狙うのは、シュラとの手合せを見て学んでいる。飛び上がるサラ目掛けて両足に体重を乗せるようにサラの顔面を狙って落下すれば、サラは左腕で優雅にヒムロを払い飛ばす。
ヒムロは空中で向きを変え、サラの着地点を確認しながら着地した。
勢い良くヒムロが攻撃を仕掛ければ、すぐにサラから追い詰められ降参を伝える。クスッと笑ったサラに、次は低く横に蹴り飛ばされてゴロゴロと転がる。途中で足を踏ん張って止まり、駆け出した勢いを使ってサラに飛び蹴りを仕掛けた。
「ぐはぁ」
呻いたのはヒムロで、蹴り込んで来るヒムロの鳩尾にサラの拳がささった。
ヒムロが降参しても、サラは笑みを崩す事なくヒムロを追い立てる。ラ-ジャとやり合ったような、目立つ怪我はしていないのだ。サラなりに気遣いながら、ヒムロの攻撃を交わして追い詰めて行く。
「クウの助言を得られたのは望外であったな」
サラを留める技が垣間見えた嬉しさで、ラーはセトラナダに着いて始めて顔が綻んだ。
「私も話し相手が居るのが嬉しいよ。どうだね、ここでサラを留められる方法を一緒に考えるのは。」
「良いと思う。今はトレザの本体も安堵し、クウに感謝している」
眠る事の無い龍は、それから世間話を楽しむように語り合いながら、ヒントになりそうな事を探る。
「しかし、今のセトラナダにはどうにも好感が持てぬ。クウには悪いのだが」
トレザに今すぐ帰りたいというよりも、セトラナダに居たくないと感じるのでクウに申し訳なさそうに伝えてみる。
「契約の陣があるせいかもしれん。バルコニーに描かれている陣は、この城にも干渉しているのだよ。済まないな」
契約をしていない龍には、きっと居心地の良い空間では無いと思う、と逆に謝られる。
「いや、理由が解れば気にならぬ。しかし、契約の陣は人が作り出したのであろう?凄いとしか言い表せんな」
ラーの言葉に安心したいクウは、人々の発展が目覚ましい事を嬉しそうに話す。
王宮の周りには幾つか噴水があり、城や貴族の建物に向けた水路が先に造り出された。後から城の前に噴水が設置され、街中を張り巡らせる水路の水源になっている。
「龍の力を貸す事が無くても、人々は考えて造り出し、発展していくのだよ。そして忘れるのも人々の面白い所だね。」
以前もクウから人は忘れる生き物だと聞いた覚えがある。懐かしいセトラナダの情景を思い出して、頬を綻ばせながらクウの語る最近のセトラナダを聞く。最近とは言うものの、龍の感覚なので数百年前からの話しになる。
龍がセトラナダから減って行くと、政が王や貴族を中心に活発になり、次々と決まりごとが出来た。決まりごとが増える度に龍はセトラナダを出ていったようにも思う。生きたいように生きる龍を見送り続けて、気付けば契約していない龍が居なくなった。
それでも人々の決めごとは増えて行く。龍の力が無ければ、善悪を決め処罰も人が行わなければいけないのだそうだ。
「ついには地位の無い者が者が私に話し掛けるのを嫌うようになったのだよ」
「地位とは?同じ人ではないか」
「王や王を取り巻く貴族達だよ。彼等が政を取り仕切っている」
身分の話しを始めた時にちょうどクウの部屋で小さな鐘が鳴る。綺麗な音だ。
「取り次ぎの者が来るようだ。ラーは暫く黙って聞いていてくれないか?」
理由は後で説明すると言ってる間に三名の者がやって来た。上品に振る舞い、仕草が丁寧だ。中央の者が一歩前に出て話す。
「王が来客の龍神と対話する時間を御所望です。明日の晩餐に招いても宜しいか」
「構わぬよ。私も招いて貰えるならばね。時間は?」
「お二方を招く予定でいらっしゃいます。夕刻に鐘を鳴らしますので、扉までお出でくださいますように」
要件だけ伝えて静かに出ていった。
「私が口を出す事は無かったな」
ラーは要件だけ伝えて出ていった者を確認してから口を開いた。身分や地位の違いで龍に話し掛けただけで処刑と聞いたのをクウに聞く
「随分前だったが、地位を持たぬ者が権力を欲して、私が少々手を貸した事が有ってな。身分が低い者を優遇出来るようと大きな反乱が起きたのだよ」
久々に民衆の『気』が大きく集まったのは楽しかったとコロコロ笑う。
しかし、その反乱を期に龍神へ話し掛けたら即刻処刑と貴族が決めたのだ。人々は原因を忘れても、何故か決まりや常識を重んじる。世代が代わり時が流れて、決まりや常識だけが生き残るのは面白いと笑う。
ラーはトレザの人々が洞窟に足を運ばなくなった頃からトレザの民への興味は無かったので、クウが観察してきた人々の移ろいは興味深く聞いた。
「そしてラー、良く覚えておくと良い。人は偽り嘘を言う。私達は嘘が言えないよな」
何を当然な事を言ってるのか、キョトンとクウを見る。
「本当の事しか言わぬし、聞かれた事は伝えるものだ」
ラーが当然といった顔で返事をすると
「うむ。聞かれた事を全て伝える必要は無い」
「それでは騙す事にならぬか?」
クウは首を横に振る。
「今の王は、他国を攻めに行かないが、以前は龍の居る国を攻めよと言う王も居たのだよ。私達が王と対話をすれば、人は記録を残す。幾世代か先の王に血の気が多い者が出れば、トレザは私が攻めに行く事になるよ」
始めから伝えなければ、相手が勝手に解釈する。
「長く人と相対しとると、それくらいの処世術は身に付くのだよ。」
王に聞かれた事を全て答えず、先方が理解した所を見計らってある程度は隠すのも必要だ、特にサラを護りたいなら尚更だ。
ヒムロが肩で息をしながら、
「私も少し休まねば壊れる」
遠くを見ているラ-ジャに不意討ちの飛び蹴りを仕掛けるが、全く眼中に無かったようなヒムロの渾身の蹴りを、軽く避けてかわす。
ラ-ジャに避けられたヒムロは空振りで大きく体制を崩し、転がった。
「シュラの記憶を見せて貰おうか」
ヒムロには呼吸を整えておくようにと言い、勝手にシュラの記憶を見ようとする。ラ-ジャを止めようとヒムロがしがみつくが
「アヤメを誘拐した者と接点が有るならば、シュラも危険な相手になる。ヘルラか家臣との繋がりが有るなら、ここで始末する」
少し悲しそうにも見えるラ-ジャが、眠るシュラの額に掌を乗せた。
「ラー、この子は信用できるのではなくて?」
サラが記憶を覗くのを止めようと声をかける。ヒムロとの追い駆けっこで、良い運動をしたと言いながらラ-ジャの腕を引く。
「信用はしたい。だがな、シュラの口から誘拐されていたと聞いた時に、少しも記憶が垣間見え無かったのだ」
人の記憶は対話の合間に見られる事が多いのだが、当人が強く隠したい記憶は見られない。シュラが何を隠そうとしているか解らない。現在のセトラナダ王ヘルラかその家臣に通じている事も考えられる。
何故この時期にセトラナダに向かうのかも、言葉を濁していた。アヤメをセトラナダに返すだけが目的ならば、危険だと解っている場所に向かう意味も解らないのだ。
ラ-ジャはシュラの記憶が王ヘルラと繋がりの無い事を願いながらも、少し躊躇う。もしもの解きは始末すると決めたが、シュラを失う事になるのは惜しい。そして、洞窟が真っ暗になった時の事に想いを馳せた。
サラは消えて行く自分を受け入れ、最後にラーの為に願うのは、ラーと伴に生きる者。自由にトレザの外に行き、ラーと一緒に行動できる者を強く願う。
当時のサラにトレザを守る力は無い。山の中腹にあるトレザは、更に山頂からの土砂崩れで森の殆どを失う事になった。山頂には常に雪が残っているが、サラの存在が消えかけている事で普段以上に溶けた雪が、地盤を崩す事になったのだ。
民家に殆ど被害が無かったものの、森を失っては木の実を採取したり獣を狩るのに不便になるだろう。
サラの洞窟は問題無かったが、出入口にしていた所は土砂で塞がれ洞窟内は真っ暗になる。
セトラナダで洞窟の状況をクウに伝えると
「此を期に、朝の光が射し込む所を開けてみてはどうかな。セトラナダの儀式も朝陽の時間に行われるのだよ」
王宮のバルコニーは東にせりだしていて、龍の儀式は大抵が朝陽の時間に民衆を集めて陣の上で行われる。
クウの言葉を参考に、トレザ本体のラーはまだ暗いうちから洞窟の外を掘り始めた。まだこの時は理に干渉する方法を知らない。
サラは暗闇でも全く気にならないが、朝陽の出る時間に洞窟に穴が開通すると、奥まで射し込んだ光が反射して氷が七色に輝く。
「美しい光だな」
陽の光で輝く氷柱の中のサラは一段と美しい。透けて消えそうな不安がなければ、もっと幸せな気持ちで見られるだろうと思えた。
氷室全体に広がる七色の光は徐々に太陽が昇るとともに少しずつ色を変え、やがて色が薄くなっていく。一瞬一瞬が美しかった。
「ラー、素晴らしい時間でしたね。本当に嬉しいわ」
優しい声がラーの心に響く。
辺りから七色の光が消えても、丸く七色に光る石が残った。近くで見れば氷のように透き通り、大きさはラーの両手で包んで少し隠しきれない位だ。
「まるで鳥の卵のようね」
光る石を撫でるラーにサラが話し掛けると、キンッと硬い音を立ててキラキラ光ながら少し大きくなった。
セトラナダに向かう話しは、もっと早く書けると思っていたのに、随分と経ってしまいました。
なんか、水路を造るし踊るし。衣装の布はどうするのかと考えていたら、ヒムロが脳内で、脱皮した自分の脱け殻を鯉のぼりのように棚引かせて走り回るではありませんか。
随分と都合良い布が突然発生しました。
多分、これからも脱け殻が活躍してくれると思います。
最後までお付き合い頂き、有難うございます(*^人^*)