所出
優雅に、まるで踊るように歩いているサラの移動が早く、アヤメは小走りで着いて行く。シュラとの旅路では半日ぐらい走る事もあるので、苦痛では無いが
「少し早かったかしら?」
振り向いてアヤメを気遣う一つ一つの動作が美しく、見とれながら首を左右に振る。
そのままの速度で向かっているのは洞窟だ。
当然のように寒くて鳥肌を擦りながら七色の輝きが無くても充分に美しい氷の天井を見上げてサラに続いて行くと、クスッと笑うサラから
「足下に気を付けて」
声を掛けられて足下を見れば幾つも七色の丸い石が輝いているのに気付く。
所々に輝くそれは、奥に行くほど間隔が狭くなっている。踏まないように気を付けながらも、日の出とともに見た光景の感動を思い出して
「この石は、いつも光ってるの?」
嬉しそうに微笑むサラは
「いいえ、今朝気が付いたのよ。ほんのわずかな間に、少し大きくなったように見えるわ」
トレザに住む皆の『気』が集まり、形になったのだそうだ。アヤメの小指の先ぐらいの小さな石が、白い氷室の足下でキラキラしているのが幻想的だ。
先を行っていたサラが立ち止まった所は鏡のようにに広く平らになった所だ。アヤメは知らないが、数日前までサラが居た氷柱があった場所である。
振り返って静かに笑みを深めると
「これをあ貴女に授けましょう。ここは寒いでしょ?ねえ、着てみせて」
手渡されたのはヒムロの脱け殻で作られた豪華な衣装だ。橙色にも見える金の糸で細かい刺繍が一面に施されていて、トレザの皆が舞いで着ていた衣装よりずっと見栄えがする。
「寒いけど、こんな綺麗な服は貰っても困るよ。旅先では野宿する事も多いから汚れちゃう。それに、荷物が増えると食糧を減らすようにシュラに怒られる」
この位の少女なら、綺麗な衣装を見るだけで喜ぶと思っていたサラは本当に驚いた。こっそりアヤメの記憶を見れば、幼少期にきらびやかな服の重さでぐったりしている姿が垣間見えた。
「重くはないし、大きさもちょうど良いと思うのだけど。ねえ、此処に居る間に着るだけならどうかしら?」
どうしても着替えさせたいらしい。寒いよりは良いかと上から羽織ろうとすると、肌に直接の方が良いと言われて、断る事も出来ずに全身に鳥肌を立てて着替えてみれば、氷室の寒さを忘れるほど暖かい。
「素敵、良く似合っているわよアヤメ」
思っていた以上に軽いし動きやすい。アヤメは何となく、綺麗な服は苦しくて重く、周りの大人に叱られるような気がしていたので、サラが笑顔で似合うと言ってくれただけで嬉しくなった。少し動けばフワリと動く裾に見とれながらアヤメはクルリと回って
「サラ様、ありがとう」
満面の笑顔で礼を言うアヤメに
「セトラナダの言葉は今でも使えるのかしら」
「うん、シュラと二人の時はいつもそっちの言葉を使っていると思うよ。でも、その国の事はあんまり覚えてないや」
「いいの、わたくしアヤメと普通にお話しがしたいのよ」
女子会を楽しみにしている少女のようにサラが言う。
「有難うございます。サラ様のご厚意と賜りました衣装に、感慨深く感謝しております」
いつものように屈託の無い笑顔だが、アヤメの言葉遣いがガラリと代わり、サラは少女のような目から神の威厳ある表情になる
「本当にお姫様ですのね」
ほう、と嬉しそうなため息をつく。
サラ自身、「姫」はお伽噺でしか知らないのだ。どのようなお城に住んでいたとか、生活はどうだったとか、聞いてみたい事が山ほどある。
しかしアヤメの覚えている事は本当に少なく、重たい衣装や人前で声を出して笑うと後でとても叱られるような、あまり良い思い出は無い。楽器の練習や挨拶の作法はとても厳しく叱られて嫌いだった。広い部屋で身の回りを世話する者に囲まれて生活していたような気がするが、部屋の外に出る事も特別な時しか無かったと思う。ましてや城を外からゆっくり見た事が無い。それに同年代の人には会う機会も無かったとセトラナダの言葉で流暢に語る。
「お姫様は大変ですのね。楽しいお話しは無いのかしら?」
「沢山ございます。わたくし特に、旅芸人の催し物を好んでおります。小さな舞台があれば、始めから終わりまで何度も観るのです。より深く理解出来ますでしょ?更に理解を深めようとしていると、兄様に止められてしまいますが」
「兄様はどなた?」
「シュラに兄と呼ぶように、出会った頃に言われたかと記憶していますが」
そう言えば、セトラナダの言葉で話す時はシュラを自然に兄と呼んでいた。何故だろう。
ポカンとした表情になる。思い出せない事は放って置いて、別の話しを始めた。旅の移動にこっそり荷車の中に忍び込んでシュラと次の街まで移動した事が何度もあって、荷車の持ち主に見付かった時には叱られる前に二人で一目散に逃げた時の話しや、旅芸人と同行して旅をした事。旅芸人の一座にはアヤメと同年代の子供が複数居たので仲良くなった事、地方で言葉が違えばシュラに教えて貰う事も楽しそうに話す。
「アヤメはシュラが好きなのね」
「はい」元気に応える。
「愛しているの?」
眉間に縦の皺を作って嫌そうな顔になり
「あのように厳しい兄様を愛せる方が居れば、わたくし心より尊敬いたしますよ?」
即答するアヤメにサラはクスクス笑いながら、旅の話しを聞きたがる。
アヤメが話す旅の事は、必ずシュラが出てくる。旅先ではトレザのように安心して眠れる所は少ない。野宿をしても宿屋に泊まっても、突然の襲撃に出会す事がある。大抵はシュラがすぐに気付いて大したことにならないが、足に矢が刺さったアヤメを庇いながら相手を倒したシュラの事を興奮気味に話し出す。ふと、トトが気になった。
「そう言えば、トトの容態はどうなのかしら」
つい先程の事なのだ。アヤメの知らない襲撃者がシュラによって深傷を負うことは多かったが、仲良くなった者が深傷を負ったのは初めての経験で、途端に不安感に襲われた。
「名誉の負傷だと笑っていたぞ。今は休んでいるがな」
機嫌の良さそうなラ-ジャが戻って来て、ユタの家の様子を教えてくれる。ユタを元気付けようとしたら、不謹慎な冗談はいけないと叱られた事も自慢気に話す。ユタの『気』は人々を大切にする優しさなのだ。
話しながら衣装を着ているアヤメの姿を上から下まで何度も見て
「大きくなったな。セトラナダの姫」
ラ-ジャに「姫」と呼ばれて、当時の事を何となく思い出す。群衆を見下ろして、息苦しい衣装に重たい装飾品を着けた自分。周りに立つ大人達も似たような服装で、青い鱗に金の鬣をした龍神様が大人達の中央で人の姿に変わった。その後でアヤメが龍神様に抱き上げられて民衆に向かって大人達が何かを言えば、民衆は大きく歓声を上げた。
「ラ-ジャ様はセトラナダの龍神様に良く似てらっしゃいますが?」
「私だ。今も代わらずセトラナダに居る。彼処は少々居心地が悪いがな」
龍神様にも居心地は悪いのかとアヤメが思っていると、突然ラ-ジャの姿が消える。キョロキョロ探していると
「此処だ。アヤメにはこの姿でも会って居るな」
トレザの梺で捕獲し損ねた蜥蜴がアヤメを見上げて喋っている。
「ラ-ジャ様はあの時の蜥蜴だったのですか?」
ペタリと座り込んで片手を出せば、掌に乗って見せる。アヤメが可愛いと叫んで指先で頭を撫でた。気持ち良さそうに目を細めてから、すぐに人の姿に戻って
「可愛いか、セトラナダでアヤメに飼われるなら良いかもしれんな」
がっはっはと笑いながら言う
「ラ-ジャ様を飼うなど畏れ多い事ですわ」
アヤメは言いながらバッと立ち上がり大きな欠伸をする。言葉は丁寧でも、行動はがさつなままだ。所々綺麗な所作はあるが、がさつな動きが多くて気付けない。
「アヤメ、寒くはないかしら?」
「いいえ、とても心地好く温かい衣のお陰でふぁあ」
話しながら欠伸をしたかと思えばゴロリと横になり、大の字でスウスウ寝息をたて始めた。
クスクス笑いながらサラが
「ねえラー、アヤメからはお姫様らしいお話しが全く聞けなかったわ。ずっとシュラの話しばかりでしたのよ」
でもトレザ以外の話しはとても楽しかったようだ。サラはトレザを出た事が無い。トレザの神なので、これからもトレザを出る事は無いだろう。
「そうだな、城では決まりごとが多くて窮屈だったのだろう。セトラナダの国民には、程好い治安と交易の多さで、悪くない所のようだが」
大の字で豪快にすやすや眠るアヤメの寝顔は幸せそうで、姫と呼ぶには微妙だが
「隔世遺伝と言うのか、アヤメは龍の血を濃く受け継いだ、セトラナダの正当な次期の王だ」
ラ-ジャが眠るアヤメを見下ろして言った。
パウゾの倉庫では日の出前から兵士達が起き始め、携帯食糧を取りに湖へ向かいたいと、ヒムロに尋ねる。
「皆で向かうなら良いが、私は分裂できぬ。見張れる者が来るまで待て」
「これこれ、分裂では無い分身だ」
突然現れたラ-ジャは、分裂と分身の違いを説明しながら分身体を出す。
湖に向かうのは兵士三人、ヒムロに続いてラ-ジャも同行する。
「ラ-ジャ、私一人でもお仕事出来るぞ」
一晩中兵士を見張れたのだから、三人ぐらい問題無いと胸を張る。
「解っておる、ヒムロと話しがしたいのだ」
「ラ-ジャ、初めて私をヒムロと呼んだな?」
名前を呼ばれて赤い目を輝かせる。実は、名のってから今に至るまで名前で呼ばれる事が無かった。思っていた以上に嬉しさが込み上げた。
「これは、オサにも報告せねばな」
兵士達の先を歩くヒムロは、クルリと回転しながら兵士達が居るのを確認して踊るようにラ-ジャの隣を歩く。
兵士達が荷物を抱えてヒムロの布を丁寧に畳み、手渡しに来たのでパウゾの家に戻る。
跳ねるように回りながら歩くヒムロの頭に優しく手を乗せて
「私を倒せるか?」
「カハハハハ、本気の全力でも無理じゃな」
踊るような仕草で、如何に無理かを無邪気に話す。
「ふむ、後で鍛えてやろう」
ヒムロは凍りついた。悪夢が甦る。以前も同じように言われて対峙した事があったが、殺されるかと思うほどラ-ジャが本気だったのだ。
パウゾの家に着けばラ-ジャは分身体を消し、何処かへ行く。
ヒムロは嫌な予感しかない。ヒムロの険しくなった表情に、怯えた兵士達は静かに朝食を取っていた。
「うーん、お腹すいた」
大きく伸びをして目を覚ましたアヤメは辺りが徐々に七色に輝き出す空間に居た。ふわふわと輝きが増す光景は、まるで幸せな夢の続きを見ているようで、うっとりと起き上がる。
空間全体が七色に輝いているのだが、アヤメの衣も同じように輝いている。
「なんて綺麗……」
衣装の輝きを良く見ようと、ゆっくり立ち上がる。身体の動きに合わせるように裾が揺れて動き、色を変える。腕から手首までの刺繍は赤に紫に色を変え、伸ばした指先まで視線を伝わせる。肩越しに背中の刺繍も見えないか、ゆっくり上体を捻るが良く見えず、後ろに足を跳ね上げると、裾がフワリと上がり、ゆっくり色を変えながら落ちていく。
眩しい物を見るように、目を細めて輝く衣装を確認している姿はまるで踊っているように綺麗だ。ついさっきまで、大の字で眠っていたとは思えない。
「こうして見ると、誰も姫と言われて疑う者は居るまいな」
「全くですわね」
少しずつ辺りが白い輝きになって来た所でアヤメは二柱に気付きハッとする
「お腹すいた」
サラはクスクス笑い出し、ラ-ジャは大爆笑する。
「おはようございます、サラ様、ラ-ジャ様。あの、つい、何時ものように空腹を訴えてしまいました」
言いながらアヤメは衣装を脱ぎ始める
「待ちなさいアヤメ、男性の前で着替えるなんて、はしたないわよ」
アヤメは普段と同じように着替えようとした。シュラの前でも普通に着替える。近頃は、アヤメが着替えを始めるとシュラは何処かにいなくなるが、着替えが済めば近くに居るので気にした事が無かった。
「へ?」
はしたないと言われても全く解らない顔にラ-ジャは笑いが止まらない。
「いいから、上からこれを着なさい」
世話の焼ける子供に対する母のように、アヤメが着ていた服を上から着せる
「さすがに窮屈だと思います」
少し抵抗するが、袖を通しズボンを履けば、衣装を中に着ているのは全く解らない上に、重ね着の苦しさも無い。
「まるで、先程の衣装を着ていないような感覚に驚きました」
アヤメは身体を捻ったり、屈伸して違和感が無い事を確かめる。
「旅先では危険も多かろう、鎧の代わりに常に身に付けると良いぞ」
ヒムロの布は外敵からも身を守ってくれる優れものだ。
「有り難く賜ります」
普段と同じような笑顔でお礼を言った後は空腹をひたすら訴えるので、ユタの家へ向かう事にした。
静かになった氷室では、幾つもある小さな七色の石のうち一つが、掌程の大きさになっていた。
森を出てユタの家へ向かうには、広場の近くを通りかかる。何故か朝早くから賑やかだ。
「ラ-ジャ様、サラ様、アヤメちゃん」
呼び止められて広場に向かうと、早速準備していた食事を貰ってアヤメは元気にかぶり付く。
昨日のやり直しをしようと、パウゾの提案で多くの者が朝から集まっているのだそうだ。
ユタとその家族に全て背負わせてしまった事、思いがけず神々を身近にえも言われぬ体験をさせて貰えた感謝や、それぞれの思いで仕切り直したいのだ。
「サラ様、お衣装と剣は終わってから全てお返しします、もう暫くお借りしますね」
声を掛けて来たのはリリのすぐ後ろで舞いに出ていた娘で、剣舞にも参加していた。全体の舞いに関する事をまとめている。
サラとラ-ジャが広場の皆に声を掛けられている中で、転がって呻いているトーナを横目にアヤメはユタの家に向かう事にする。
ユタの家に着けば、トトが
「メーヨのフショーだ」
と、いきなり言い出すので気遣う言葉をすっぽり忘れて、安心した笑いが皆にこぼれる。
リリとイイスが朝食を運ぶので、アヤメも早速それを手伝い、当然のように皆と一緒に朝食を取る。
手早く食事を済ませようとするシュラに
「食事は良く噛んで、ゆっくり楽しむものだよ。全ての食材が皆、命を持って生きていたのだから」
普段からシュラに注意する人はいない。宿屋でも野宿をしても、食事に時間をかける事は無かった。たった今、生きていたものしか食べる事は出来ないと言われるまで、あまり気にせずに空腹を満たすだけの作業になっていた事に気付く。
食材の味を確かめるように咀嚼し、家族との対話をすれば、空腹も満たされるが心も満たされる。やはりユタの家は良い。旅をしているだけでは気付かない事に多く出合い、知識よりも心が豊かになるのを感じて心地好い。
食事が済んだシュラは、兵士達に指示を出しに行くと出掛ける。
「ラ-ジャ様とサラ様は広場だよ」
アヤメはイイスと食事の後片付けをしながら、リリの手伝いをしたいと言うので、シュラは一人でパウゾの倉庫に向かう。
シュラの姿を見た兵士達は次々に敬礼をしたままの姿勢でじっと動かなくなる。そんな兵士に構わずにシュラが
「ヒムロ様、食中りか?」
険しい表情のヒムロに尋ねる。アヤメが同じような顔の時は、大抵が食べ過ぎか食中りなので、つい自然に言ってしまった。
「うむ、そうやもしれぬな」
食べる事が無いヒムロに笑い飛ばされるかと思ったら、更に真剣な表情になり、兵士達は明らかにヒムロに怯えている。何か有ったのだろう。シュラが兵士達に視線を向けるとアギルが
「今朝、ラ-ジャ様と兵士三名で湖まで向かい、お帰りになった時からこのように厳しく我々を監視して居られます」
どうやらラ-ジャと何か有ったのだ。兵士は武器を隠し持っている様子も無く、シュラかヒムロが次に指示を出すのをじっと待っている。
そこにパウゾがやって来た
「今日は広場で昨日の仕切り直しをするんだが、来るか?兵隊さん達の分も飯が用意出来ると思うんだが」
ほんわかした知らせにアギルが返答する
「お気持ちはこの上無く有難い。しかし安全に宿泊をさせて頂けただけで、充分であります」
それに、もう朝食は済ませたと話しているうちに、少しばかり空気が和んで来たようだ。
「私は今から広場に行こう。シュラ、兵士の見張りは頼んだ」
ただ退屈していただけなのかもしれない、ヒムロはパウゾの言葉を聞いた途端、意気揚々と広場に向かってしまった。
パウゾの所から作業用に農具を幾つか借りて兵士達を連行して湖に着けば、水路予定地の近くには結界で使った家が建てられていた。
「今朝は無かったはずだ」
いつの間に、とざわつく兵士達にシュラが
「神々のご厚意だろう」
多分、ラ-ジャが持ってきたと思われるので嘘では無い。
水路にしたい所まで案内すると、橋も必要だろうと兵士から意見が出る。トレザの住民ならば、確かにいきなり通行止めでは不便になるだろう。
兵士達はそれぞれが直ぐに作業を始めた。
橋の設計図を書く者や水路予定の印を付ける者、いきなり土を掘るつもりだったシュラは、兵士達の仕事を興味深く見に行く。
まだ知らない知識の応酬は非常に面白いのだ。水路の工程を数人で話し合う中に自然に入り込み、手順を知れば成る程と納得しながら、無駄な動きの無い兵士達にも目を見張る。すっかり夢中になって橋を造る工程や湖に造る水門の作成工程を覗き込む。
「シュラよ、広場での準備が整った。ここは兵士どもに任せて行くとするか」
ラ-ジャがシュラを迎えに来た。工具を幾つか出した後、
「剣は返しても良いものか」
ヒムロが没収した兵士達の剣を返すか、シュラとアギルに尋ねる。
「良いのではないかな。様々な工程で木材は必要であろうし、枝払いには丁度良い」
シュラが返答したのでアギルが
「お返し頂ければ作業が捗る」
シュラに言って貰えて助かったと、武器として使う気はない事を兵士達にも伝えて受け取る。
「ならば作業は兵士どもに任せよう」
広場に向かおうとするラ-ジャに、シュラはまだ見ていたいと言ってみるが、普段はアヤメが旅芸人の催しを何度も見たがり、引き剥がすのに苦労しているのを思い出して苦笑いする。
「後で作業の報告を」
短い言葉でアギルを始め兵士達に伝えてラ-ジャに続く。トレザに危害を加える事はないと信用し、兵士達を置いて広場へ向かった。
広場ではユタの膝にトトが座っている。本来ならば安静にしておきたい所だが、トレザの者はほとんど集まりトトを気に掛けていたし、トトも参加したがった。
絶対に走り回らないように言い聞かせたのだが、トトは広場に着くなり走り出したので、ユタに捕まり現在は膝の上で逃げられないようにユタから押さえられている。
ヒムロが転がっているトーナを片手で担ぎ上げ、ユタから少し離れた所にドンと降ろす。
「新たな気持ちで民から信頼される者を見よ」
トーナはヒムロを見上げたまま、首だけで頷いた。そのまま黙ってトーナの横で胡座をかいて舞いが始まるのを待つ。
若者が五人とパウゾで仕切り直しの挨拶をする頃には、アヤメは広げられている料理を物色して次々と口に運ぶ。「美味しい」と満面の笑顔で言うアヤメには、近くに居る者達からあれもこれも差し出され、大喜びで食べている。
朝陽の眩しい広場の舞台には子供達が元気に飛び出してきて、同時に広場全体は歓声で埋まる。ムウとイイスはユタの目の前でトトを元気付けるつもりで舞った。
歌声が響けば舞台中央にイイスが向かう。女性達の舞いだが、リリはユタの隣だ。
「アヤメ、乱入じゃ」
食べ続けるアヤメにヒムロが声を掛けて、二人で舞台に近付けば、踊り始めていた女性達がイイスの両隣を開ける。
打ち合わせも無く、いきなり入り込んだ割にはアヤメも遜色ない舞いを見せ、ヒムロは幼い容姿からは想像出来ない妖艶な舞いを見せた。
客席ではトトがユタの左手を叩いて拍手を送っている。微笑ましいが、怪我した左手はリリがしっかり押さえていた。トトが普通に拍手をしようとしたので、すんでのところでリリが押さえ込んだのだ。
カカカッと音がした所で剣舞が始まる。
パウゾは若者と組み、イイスとムウが組んで舞う。アヤメはまだ何か食べたそうだが、シュラに呆れた目で見られて大人しく隣に座る。
広場全体が手拍子で埋まる。始めは不揃いだった手拍子がピッタリ揃い、舞いの迫力も今までで一番の見応えに思えた。
ユタもリリも、トトの左手を気遣いながら、満足そうに見ている。
剣舞が終わり拍手と歓声の上がる中、ラ-ジャが立ち上がり
「余興だ、来いシュラ」
舞台から演者が降り始めると、シュラを呼んでラ-ジャが構える。
「もう一度、頼むぞ」
拍子木を鳴らす子供達は、嬉しそうにバチを鳴らして了解の合図を送る。シュラが言われるまま舞台に上がれば、カカカと揃った音に合わせてラ-ジャがいきなり斬りかかる。慌てて剣で受けるとニッと笑って
「私を倒すつもりでかかって来い」
一旦お互いが後ろに飛び退き距離を取る。隙の無いラ-ジャを倒すつもりでジリと間合いを詰めながら目を細める。カカカッカッと拍子木の音は舞台の上の緊張を広場全体に届けるように響く。ラ-ジャが瞬きした瞬間に鋭く突きを出すが軽く去なされる。次々に斬りかかるが、落ちてくる木の葉を避けるように、全くかすりもしない。
「これで本気か?」
クッと笑って剣を去なす。
「充分に全力です」
まだまだ話していられる余裕があると、
「ならば全力で避けて見よ」
斬りかかる剣を剣で受ければ、腕が痺れるほど重い。しかも次々と来るのを避けるので精一杯だ。
広場に手拍子は無く、剣舞の迫力ある応酬に皆が揃って息を呑む。いつの間にか拍子木を鳴らす子供達も舞台の様子に音を出すのを忘れている。
今は剣のぶつかり合う音と剣が空を切る音が響く。
ラ-ジャがシュラの肩を目掛けて斬りかかればシュラは体を低くして避ける。体制の低くなったシュラに足払いで体制を崩し、そのまま斬りかかればシュラは転がるように何度も避ける。何とか起き上がろうとするシュラの首に剣を突き付ければ、実戦ならば首が落ちていただろう。どっと汗が吹き出した。
「参りました」
そのまま舞台でシュラが降参する。
ラ-ジャが剣を収め、右手を差し出すとシュラが手を取り、肩で息をしながら起き上がる。
「この程度でセトラナダに向かわせるのは不安しか無いぞ」
シュラだけに聞こえるように話して客席に向かって両手を上げる。そんなラ-ジャは汗ひとつかいてない。シュラは深々とお辞儀をした。
静まり返っていた広場は、途端に拍手と歓声が上がる。
頭を下げたまま首筋の汗を手の甲で拭うと、汗ではなくヌルリと血が着いた。最後にラ-ジャの剣がかすっていたようだ。そのままの姿勢で刺激臭の強い緑の薬を少し塗り、手に着いた血を布で拭い取り、何事も無かったように頭を上げる。
歓声の中で舞台を飛び降りてユタの所へ行けば
「シュラすげえな、かっこ良かったぞ」
トトを始め、皆がシュラとラ-ジャを絶賛する。しかしシュラは呼吸を整えるだけで、まともに喋る事も出来ない。
アヤメは普段のシュラからは想像も付かない疲弊具合にかなり驚いている。複数の相手をしても、汗ひとつかかない所しか見た事が無かったからだ。
まだ興奮の続く広場でユタが挨拶の為に舞台へ上がった。
「このような素晴らしい時間を設けてくれた事、本当に心より感謝する。皆のお陰で昨日の負傷者トトも、元気が出たようだ。皆の気持ちは神々も大変ご満足頂いた」
サラとヒムロはその場で立ち上がり、ヒムロはラ-ジャを真似て両手をビシッと上げる。サラは笑みを深めて再び静かに座る。
ユタが感謝の言葉を述べた後は、長く続いた雨で修理が必要になった家や、数日間の避難で提供された食糧の補充など、必要な話しを少しして、解散の合図を出す。
皆が片付けて帰宅の準備を始める中でユタがトーナに近付く。
トーナが昨日とは全く違う気持ちで見た催しは、民衆が自発的にユタとその家族、神々の為に開催したものだ。トーナの為に何か行う者は居ても、規模が違う。
そして純粋に、感動した。特に最後の神と旅人が行った剣舞は、身震いする程の迫力だった。
近付いたユタに何と言葉を出せば好いか解らない。
「トーナ、怪我をした兵士は家で治療している。様子を見るかい?」
平民のような服だが、トーナより遥かに威厳のあるユタに、深く頷いて黙って着いていく。
ユタに続けば城ではなく、平民の住むような家に案内される。トーナの思っていたような贅沢な品は見当たらず、治療室には顔色が良くなった兵士が座っていた。
「トーナ様」
兵士はトーナに敬礼する。ユタは治療室を出てトーナと兵士の二人になった。
「楽にせよ、傷の具合はどうだ?」
兵士は敬礼を解くが、別人のようになったトーナに唖然とした。叱責されると思っていたのだ。
それから兵士は、腕が無いので崖を降りられない事、今後はユタに仕えたい事をトーナに伝える。まだユタの承諾は無いが、残りの人生はトレザで過ごしたいと思っている。
「善き主を見つける事が出来たようだ。幸先を祝いたい」
きっとユタならば良い返事をするだろうと、兵士に伝える。
治療室を一人で出てきたトーナをサラは今も汚物を見るような目で見る。改心したとは言え、トーナにまともな判断力さえ有れば、昨日の惨事は無かったのだ。
トーナは、他の兵士の居場所を知り、出来れば其処に身を寄せたいたいと言うので、湖に連れて行く。寝食ぐらいは出来るだろうし、まだユタの衣装を着せてある。
ユタとパウゾがトーナを連れて湖に向かう。シュラも一応見張りと称して同行する。
水路予定の場所はすでに浅く掘られていて、橋をかける位置や支柱の場所に印の杭が打ち込まれている。水門の素材に木材を使うと、すぐに使えなくなるので度々付け替えの工事が必要になると言う。
すでに水路の形が解る程度に工事が進んでいる事に驚くが、トーナは作業の話しも全く解らない。
そんな中、アギルがシュラに口頭で作業の報告を始めると
「出来れば書面が良いのだが」
シュラが言うとアギルは少し困ったように
「同時進行している作業なので、書面に興すのは時間がかかります」
どうやらアギルは書類仕事が苦手なようだ。ほぼ同時にそれぞれに指示をだすだけでも手一杯なのも解る。
「書類の作成は、私に任せてはくれないか?」
トーナが自分に出来る仕事を見付け、作業は出来ないが書類を作るのは得意だと申し出た。早速、手頃な木箱を机の代わりに使い紙を広げる。地面にそのまま座り込み、態度の変わったトーナに狼狽えながらも作業工程を聞かれた兵士が答えれば、図面を交えて見やすい書類を作り始めた。
必要な木材や他の素材が有りそうな所にユタとパウゾが数人の兵士を案内すると言うので、見張る必要は無いと判断して、シュラも湖を後にした。
昼過ぎに、アヤメとシュラはトレザの子供達と狩りをして遊ぶ。食糧の補充で肉担当になった子供達は、皆が上手く狩れる方法を競い合う。後で広場に持ち込み、燻製を作る予定だ。
「シュラが捕まえるのは上手いって知ってたけど、アヤメも上手いよな」
すっかり子供達と打ち解けていたアヤメは、紐の先に重りを付けて上手く投げれば、獲物に絡まって生きたままで捕獲も出来ると自慢気に皆に教える。
森で獲物を追い立てていると、白い塊が降って来た。ドサリと音を立てて動かない塊に向かってシュラが駆ければ、ヒムロだと解る。遠くからでも虫の息で綺麗な顔には無数の傷が確認できるほど酷い。
「ヒムロ様!どうなされた?」
シュラが掛けた声に反応してヒムロは両腕に力を込めて上体を起こす。
シュラは駆け寄ってヒムロを抱き上げる
「なんと惨い……」
「ラ…ラ-ジャにやられた」
焦点の合わない目でヒムロがボソッと呟く
上空からラ-ジャが降りてきた。口の端を上げてシュラに抱えられたヒムロを見下ろして
「子供らに助けを求めるか?」
ハッとしたようにヒムロの焦点は定まり
「毛頭無いわ」
ヒムロはシュラの腕からスルリと抜けるように起きて森へ向かって飛び上がる。ラ-ジャはヒムロの後を追い、木々の上を飛び森へと消えた。
一体、何が起きているのか。シュラはラ-ジャ達が消えた一点を見つめて考える。
遅れて子供達がシュラの周りに集まって来た。どうやらヒムロとラ-ジャが追い駆けっこしているように見えたらしい。
捕らえたばかりの獲物を皆で運びながら、シュラは広場で突然ラ-ジャに誘われた剣舞を思い出した。セトラナダの事に詳しいようだ。上手く情報を引き出せないか、正直に聞けばある程度は教えてくれるのではないかと思う。
トレザの水路が完成したら、アヤメと二人でセトラナダに向かう事を夕食の時には家族に伝えようと決心した。
所出です。出所ではありません。
所出 → 出生、生まれ、出どころ
出所 → 物事の出どころ、出生地
刑を終えて刑務所を出ること
今回も閲覧いただき有難うございました。