水路
前回に引き続き、全消ししてしまいました。メールで大雑把な話をちょこちょこ書いていたのですが、迷惑メールを消す時に、何と一括消去してしまったのですよ。くそっ迷惑メールめ#
この先、毎週月曜日に公開する目標が達成出来る気がしません。6話分が消え、書き直したら少し違う話しになって来たのが今回です。
来週はお休みします。うん、無理だわ。白い原稿用紙が怖いわw
好き勝手に暴走するキャラクターやら、どんどん膨らんでいく世界に文章力が追い付きません。
そんなこんなですが、見に来て下さって本当にありがとうございます。
ユタの家には重たい空気が立ち込めていた。
外は日暮れが近い為に、沈黙の続く家の中は薄暗くなってくる。
「灯りを着けましょう」
誰に言うでもなく、リリが蝋燭に火を灯す。じっと動かずに頭を抱え込んだままのユタの前に一つ蝋燭を置き、一つを持ってトトを寝かせてある診察室に持っていく。
パウゾの家に向かう兵士達には三柱とシュラ、アヤメが同行している。怪我をした兵士の容態が思わしく無い様子をパウゾが気にかけて居るが、ユタの所に運ぶのは今は気が引ける。
「兵士ども、トトの手を奪った代償は高く付くぞ。更にユタやパウゾに向けた殺意。まあ、私を捕らえんと企んだ者だから、この場で片付けても構わないのだが」
シュラはあまり表情を変えずに兵士を見下ろして言う。
パウゾは小さかったシュラが五年で大きくなっていた事に驚いていたのだが、良く笑う優しい子供だったのに、何があってこんな育ちかたをしたのかが気になって目を見張る。
兵士達は揃って跪いたままの姿勢で、静かに指示される言葉を待つしか出来ずに居る。
敵地で捕らえられはしたが、特別に拘束される事も無く、安全な寝床まで用意されているのだ。
「明日から水路の着工に充たれ。なに、湖から崖までの短い距離だ。そう時間は掛かるまい」
兵士達は跪いたままでシュラを始め、皆に敬礼する。
兵士達の態度を全く気に掛けずに怪我をして横になる兵士の脈を取り、呼吸の確認をしたシュラは
「ユタの所に運ぶ、担架を」
すぐに兵士達が担架に怪我人を乗せると、二人の兵士で担架を持ち上げる。
パウゾは色々な意味で安心した。
「では私はここに残る兵士を見張ろう。パウゾ今夜は安心して寝るが良い」
ヒムロが兵士達を見張ると宣言して没収した毒物をシュラに手渡して見送ると、ラ-ジャもシュラに着いて行く。
サラがアヤメに
「わたくし達は、二人でお話ししましょう」
断れないような笑顔で話し掛ければ、アヤメは少したじろいで、ひきつった笑顔で着いて行く。
ユタの家に着くと兵士達は少し外で待たせて、シュラとラ-ジャが先に家へ入る。
いつになく神妙な顔付きのシュラの後ろでラ-ジャは何故か含み笑いをしている。
家の中はトトの事があり、とても空気が重い。扉から入って来たシュラに気付いたユタが、珍しく何も言わない。酷く気落ちした表情でぼんやりと見つめるだけだ。
「父さん、兵士が……」
シュラの表情を見てユタは力なく立ち上がり
「まさか?」
かすれた声で聞き返すとシュラは目を閉じて俯く。シュラの後ろでラ-ジャが俯いたまま肩をふるわせていた。
ガタリと音を立てて座り込むユタは、そのまま机に突っ伏して苦しそうに嗚咽を漏らす。
静かにユタに近付いたシュラがユタの肩に手を乗せて
「すまない、冗談だ」
同時にラ-ジャが「ぶわっはっは」と笑い出す。
みるみる真っ赤になったユタがシュラを叱り始める。不謹慎な冗談だと。相手が神でもお構い無しで、怒鳴るようなお説教が始まると
「父さん、元気になったね。おかえり、シュラ」
いつの間にか部屋には怒鳴り声に驚いた家族が皆揃っていた。勿論トトも居る。
重苦しかった空気はユタの怒鳴り声で書き消されたようだ。
まだ怒りが静まらないユタは、取り敢えず大きく深呼吸する。少し落ち着いて、トトの頭に手を乗せた。
トトの顔色に安心した所でシュラは兵士の容態を詳しく話しながら外で待つ兵士達を迎え入れる。
ユタの指示で診察室の診療台に怪我人を乗せると、広くない部屋なので他の兵士達は廊下に出された。普段はユタが一人で治療をするのだが、シュラも手伝う形で診察室に残った。
兵士達はユタの住む所を城のような豪邸だと思っていたので、診療の出来る設備が整っただけの平民の家に驚く。トレザの長は王のような贅沢な暮らしをしている訳ではないようだ。
不審に思われない程度に家の中を見回す。生活するのに困らない程度の質素な道具や家具があるだけで、とても贅沢な暮らしをしているようには見えなかった。
トーナ様はユタを殺し、ユタの住む城をトレザでの住居にすると言って居たが、先にこの家を知っていたら命令は違うものになっていたのだろうか。
兵士達は居たたまれない現実に肩を落としながらも、治療の様子に聞き耳を立てている。
診察室から出てきたユタが兵士達に
「失血が酷くてね、暫く預かりたい。心配ならば一緒に泊まれば良いし、帰るならまた明日も様子を見に来るといいよ」
兵士達は暫く怪我人の様子を見て、その日はパウゾに提供された寝床に戻る。
兵士達が勝手に動き回るのを警戒するシュラとラ-ジャが着いて行く。
「ラ-ジャ様、先程は気が動転していたとはいえ、大変失礼な事を……」
ユタが謝り始めると、ラ-ジャが笑い声で遮り、
「相変わらずユタの『気』は良いぞ。リリよ、ユタを支えてやってくれ」
機嫌の良さそうな顔で言うと兵士達に「待たせたな」と、散歩でもするように出掛けて行った。シュラが持つ荷物が大きかったので、ユタはこのままシュラが去ってしまうかもしれないと不安になったが、他の荷物はユタの家に残っていたので安心した。
トトの様子と兵士の容態を見に戻る。
兵士達をパウゾの家に送った後は、ラ-ジャとシュラは湖に向かう。
湖で兵士が置いて行ったままの荷物をまとめて、ヒムロの布を被せておく。獣に悪戯されないように、用心の為だ。
ラ-ジャが龍の姿になると、楕円形の湖を囲むように一周半、更に崖から垂らした尻尾が同じ位の長さだ。
「トレザの民から得た『気』で、こんなに大きくなるとは知らなかったぞ」
嬉しそうだが龍の顔では表情が良く解らない。青い鱗がキラキラ光るのが嬉しい表現のようだ。雨を降らせていた数日前の大きさより二倍位になっていると自慢気に言うと、更にキラキラ光る。
「シュラよ、乗れ」
砂漠の水路予定地を見に行くのだ。
ヒラリとラ-ジャの後頭部に飛び乗る。角の少し後ろに立つシュラの膝まで、橙色に近い金の鬣に埋まる。早速跨がると、大き過ぎてつかまえどころが無い。
「鬣を掴めば良い。抜けるのは気にするな」
ハゲたりしないと笑うので、鬣を手綱のように、しっかり握る。
ラ-ジャはスルリと動き出し、湖に近い崖から夕陽の沈みかけた大空に飛び立った。想像以上の向かい風にシュラは鬣を握りしめ、振り落とされないように太腿にも力を込める。
上空から初めて見下ろす砂漠は想像していた通りの地形だが、沈みかけた夕陽に照らされて橙色に輝く広大な砂漠を実際に目にすれば、景色の雄大さに気付かずに走り抜けた事が惜しまれるぐらいだ。
シュラは強風に煽られて目を細めながらも眼下の景色を目に焼き付けた。
大至急タタジク迄の水路に着工するために、今は先頭班と二番班が岩場に向かっている。昼過ぎに何処からともなく現れたラ-ジャからトーナ直々の指令書を渡されたからだ。
「龍神様だ」
空を見上げた一人の兵士が叫ぶと、皆が揃ってトレザから飛び立った龍神様を見上げる。
橙色の空に青く輝く龍は泳ぐように空を飛ぶ。
自然と飛ぶ龍を追い掛けるように兵士達は砂に足を取られながらも、思いっきり駆け出した。まるで、無邪気に羽虫を追い掛ける子供のような感情で、ただ楽しくなって走った。
龍はすぐに遠く小さくなるが、それでも兵士達は気持ち良くて、追い掛けるように走り続けた。
三番班の班長は夕食の支度を待ちながら、状況報告を受け、昼過ぎにタタジクへ向かわせた兵士達に伝言した事を思い出す。
一人の兵士がトーナ様直々の指令書を出したのも驚いたが、水の運搬を取り止め水路を造れと利に叶った事をいう指令にも驚いた。トーナ様は面倒なお坊ちゃんで、簡単に意見を変える方では無かったし、ご自分の意見に反する者は降格させる。お陰で三番班の班長は、トーナ直属兵の隊長から降格したばかりで現在の立場にいるのだ。
岩場では兵士達が食事の準備をしている。
慣れない夜営で特に疲弊しているのは、兵士として急遽駆り出された者ばかりだ。大工、土木業者、農地で働く者、商業地の見習い等、慣れない砂地を長時間歩いて足を傷めた者も多い。
今朝も強行により体調不良になった者をタタジクに戻したいと二人の兵士を送ったが、現在の隊長からは「進行」の一点張りで、現状を理解していない様子に苛立ちを覚えている。
トレザの山方面を見上げている者が青い糸のような物を指している。何かと目を凝らす間もなく龍神が飛ぶ姿だと確認出来る大きさになる。見違えで無ければ、凄い速さで近付いて来ていた。
このままぶつかれば、岩場に居る者は無事では済まないだろう。
皆が慌てて安全な所を探すが、蟻の巣をつついたように右往左往するうちに岩場の近くで龍神は止まった。
うろうろと逃げ惑っていた者達も含め、兵士達と班長はその場で平伏した。
兵士の中で一人だけ龍神に向かって歩く者がいる。同時に止まった龍神からは人が飛び降りた。
兵士がこちらに振り向けば、いつの間に着替えたのか立派な身形に変わっていた。トーナ様からの指令書を出した兵士だと班長はすぐに気付いた。
「我こそは龍神ラ-ジャ」
兵士がラ-ジャと名乗ると同時に大きな龍が幻のように消え、更に続ける。
「この者は旅の薬師だ、思わしくない者を集めよ」
淡い水色の髪に華奢な体躯、旅の薬師は捕獲対象だった筈だ。今回の出兵でかかる莫大な費用の財源にするため、何処かの王族に売るとトーナ様が言っていた事を班長は思い出す。
女みたいな顔立ちの男を酔狂な王族が慰み物にでもするんだろうと思うと、莫大な財源となる男に苛立ちの矛先を変えた班長は、数人の兵士に目配せで合図を送る。
大きな鞄から幾つもの薬を出す男に気付かれないようジリジリと包囲を固め、一斉に襲い掛かる。
班長は一瞬、何故兵士達が倒れたのか解らなかった。苦しそうに呻く四人の兵士が動いた時から思い返す。
同時に四人が動いた瞬間、薬師の男はフワリと立ち上がり右腕の拳で正面から襲う兵士の鳩尾に一撃、左腕が右からの兵士に、回し蹴りのように後ろの兵士、もう一度右腕で左から走り込む兵士を一撃で黙らせて、何事も無かったように薬の入った鞄を閉じる。まるで踊っているように見えた。
華奢な見た目で一瞬に兵士を倒した事を思い返し、これでも兵士を率いる猛者であると奮い立ち、一気に距離を詰めに行けば薬師は並べた薬を跨いで班長の動きを止める。
「折角の薬をばら蒔かれても困るのだ。ラ-ジャ様、この者がここの代表か?」
ラ-ジャは黙って頷く。
「ならば話しが早い。私は捕らえられる気など毛頭無い」
シュラは腕の中で抵抗する班長の肩関節を外す。班長はぐっと少し声を立てるが、だらりと力の入らない腕を気にせず、まだ抵抗を続ける。仕方ないので小刀を喉笛に突き立てれば、動きは止まるがギロリとシュラを睨み
「殺せ」
躊躇う事無く口に出す。
「やれやれ、指揮を取る者を失うのは面倒なんだ」
誰に言うでもなく呟いたシュラは班長の意識が無くなる程度に絞める。
がくりと脱力した班長を横たえて呼吸と脈を確認する。
兵士達は、距離を取って一部始終をただ見守っていた。
「私がラ-ジャ様に連れて来て頂いた理由は有るのだが、手荒な挨拶になってしまったな」
兵士達にシュラと名乗った薬師は、水路の着工を提案しに来たのだと言う。トレザにある水源から、砂漠を通してタタジク迄の水路を造るには、人手が欲しい。了承すれば持参した薬を必要なだけ置いていくが、そうで無ければ殲滅して行くと言うではないか。
ただの脅しだ。
班長はここに居る兵士の中で一番強いのだ。それが手も足も出なかったのを兵士達は見て知っている。
兵士達は薬も信用出来た物では無いとざわつくが、ラ-ジャが
「薬は信用して良いぞ。試すか?」
意識の無い班長を顎で指す。シュラは気付け薬を取り出すが、先に班長の足を拘束しておく。
ドロリとした赤茶色の液体を班長の口に流し入れ、口を塞いで鼻を摘まむ。ゴクリと呑み込んだら顔から手を離し、少し距離を取った。
「ぐぉっ」
班長は何かを吐き出そうともがいて目覚めた。しかし両手が動かない上に、両足も拘束されて動けない。
「毒では無い。気付け薬だ」
シュラに言われた通り、班長は意識を取り戻した。それどころか疲れも無くなったように感じている。
意識が戻った班長に、シュラは兵士達に話した事を繰り返す。
「良い話しだと思うぞ。トーナも水源は確認している。それに、兵士の実力では私に敵う者は居ない」
「トーナ様が?」
「今はトレザで痛い思いをしているだろう」
班長は悔しさで歯軋りをしたが、シュラの提案にそのまま乗る事にする。先頭班で捕らえる事が出来なかった者だ、素人ばかりの三番班では太刀打ち出来ない。
「シュラと言ったな。仕方ない、兵士達の命が優先だ。その代わり、薬は本当に効くのだろうな」
「無論」
短く応えたシュラが、苦しそうに呻く四人の兵士に濁った水のような液体を呑ませると、味が酷かったようで皆が噎せ込んだ。落ち着いて来ると、倒される前より調子が良いと口々に言う。
他の兵士達が恐る恐るシュラから薬を受け取れば、味の悪さに悶絶する以外は順調に回復する様子に班長は思う。王族の欲しているのは、知識かもしれない。戦闘能力も高い。一人の値段にしては破格だが納得の実力だろう。
飲み薬と塗り薬、それぞれの症状に使い方を説明しながら大きな鞄の中身を殆ど出し終えると、
「明日の朝より水路工事に充たれ。容態の思わしくない者は帰せ。邪魔だ」
水路工事の要員は確保出来たと軽くなった鞄をシュラが持ち上げると
「あのタタジクの近くにある岩山は、壊すだけで何ヵ月もかかるど」
岩山を崩す為の足場を組み立て、何度も組み直す必要があると工事関係の作業に詳しい者達が言う。
「一月だ。あまり待つつもりはない」
班長としては「無理だ」と言い返したいが、独裁者のような質の悪い相手を怒らせるのは得策ではない。
「出来る限りの事をしよう」
状況によっては、話し合いに持ち込んで工期の遅れも納得させられるかもしれない。
班長の指示もあり、明日は測量が出来る者を各所に向かわせ、他の者は工具の準備も兼ねて一度帰還する事に決まった。
シュラは去り際に班長の肩を治しておく。
「腕など動かなくても指揮は取れるぞ」
班長はシュラとは目を合わせずに両腕を擦りながら言う
「作業の出来る人数を減らしたくないだけだ」
再び龍神が幻のように姿を現せば、シュラが飛び乗って滑るように空に舞い上がる。
兵士達がどんどん小さくなる龍を見送る間、班長は明日の朝からの指示を的確に伝えて行った。残された時間が少ない。不可能を可能に出来る案が出ないか思考を総動員しながら夕食を済ませた頃に先頭班の半数と二番班が到着した。
ラ-ジャとシュラは粘土質で歩きにくい岩山地帯に降り立った。人よりも大きな岩が不安定な場所に幾つも有るために危険で、タタジクの者もあまり寄り付かない。しかしアヤメと通った場所でもある。
ほんの数日前の事なのに、随分前のような気がするとシュラが思って居ると、突然ラ-ジャの左腕に抱えられてフワッと浮かび上がる。
「なっ?」
いきなり抱えられた事で「何をする」と言いそうになったが堪えた。少々気恥ずかしい。アヤメをいきなり抱えると嫌がるが、こんな気分だったのかと少しだけ反省していると、ラ-ジャは右腕を岩に向けて何かを呟いた。
眼下の岩が形を崩して行く。
「理に干渉してみたのだ。思いの外上手く行ったな」
シュラには理が何なのか良く解らないが、手で持ち上げられる位の大きさに変わった岩に飛び降りた。
ゴロゴロとした小さくなった岩に足首まで埋まるが、
「これで作業も捗るだろう。感謝する」
トレザを出た時は夕方だったが、今は空に幾つかの星が出始めていた。
「陽が沈み切る迄に戻るぞ」
そう言ってラ-ジャは龍の姿になり、シュラの側まで降りて来た。
シュラは少し足下の岩を踏み固めてからラ-ジャに飛び乗る。
夕陽が落ちかけたトレザの山脈を赤い光が映し出す。ほんの少しの時間で眼下の景色が随分と変わり、薄く輝く月が砂漠を照らし始めた。
水路に予定している場所の上空をトレザに向かう龍の上から見下ろせば、青く光る広大な砂漠が広がっている。
「シュラよ、水路を造ってどうするつもりだ?」
面白そうな事をするシュラに手を貸したラ-ジャが聞けば
「トレザが平穏で有れば……」
トーナの暴走が無ければ、交渉次第で道を造り、交易も出来るようにしたかった。シュラが旅をしてきた中で、最も平和だと感じていたトレザがどうなるのか知りたかった。しかし、全く交易が無いから平和なのかもしれない。
「このままで良いのかもしれない。人の考え迄は、望んだようにならぬからな」
トレザに向かっていた時と現在のシュラでは『気』が違う。トレザの平穏を強く願い、交易は見送りたい様子だ。
湖の畔に近付くとシュラは飛び降り、ラ-ジャは人の姿になってシュラのように飛び降りる。
月光の道をユタの家に向かって歩きながらラ-ジャが尋ねた。
「何故、幾種類もの薬を作る?」
「ああ、旅費の足にな。所詮、全てが失敗作だ。必要な分を少し残せれば、金子の方が邪魔にならない」
何を基準に失敗作なのかラ-ジャが尋ねると、求める効果が全く無いと応える。シュラ自身に使いたい薬が出来ないのだ。
どこも悪く無さそうなシュラに、ラ-ジャが聞く。
「何をもって成功になる?」
遠くを見つめて大きく息を吐いたシュラは
「成長を止めたい。アヤメ達と同じ速度でいい。しかし、全く糸口が掴めぬのだ」
糸口が掴めぬと言いながら遠くを見つめる目は挑む期待に満ちている。良い『気』だと思いながら、ラ-ジャが
「生きたいのだな」
「……そうだな」
しかし生きたいかと問えば、諦めたように小さく肯定しただけだった。
ユタの家では早速シュラがお説教を食らう。さっきの続きだ。急患に対応するために中断しただけで、人の命を冗談に使うなんて何事かと理路整然と語り、ラ-ジャも一緒に真剣に聞き入る。
「だいたいシュラはその年で……」
ユタはハッとした。見た目も知識も充分に大人だから忘れていた。たった五年で大きくなっていたけど、まだまだ子供ではないか。両親にも会えず、様々な苦労もあっただろう。息苦しいほど思い詰めていたユタを元気付けようとした、トトよりも幼い子供なのだ。
「いや、言い過ぎたな。シュラ」
まだユタの話しが続くと思っていたシュラは、俯いていた顔を上げユタをじっと見る。
「家では子供らしくして良いよ」
すっかり重苦しい空気は無くなっていた。
リリに連れられてトトも居る。
「メーヨのフショーだぞ」
トトが左腕を上げて言う。強がっているのが良く解るが、微笑ましい。
何が起きたか良く解らないうちに左手に激痛があった事、シュラがカッコいいと思ったとたんに兵士が叫んで、オレは死んじゃうんだって諦めた事、でも絶対に死なないって決めた時に父さんが助けてくれたんだって思った事。
興奮気味に話して皆の気持ちを和らげようとしているのが良く解る。
まだ調子が良くないトトが皆を気遣う様子に、ムウが早く休もうと促す。トトは以前と同じ子供部屋にムウと向かった。イイスには別の部屋が出来たそうだ。
診察室にユタが向かうと、シュラとラ-ジャが着いて行く。
兵士は起きていて、呼吸も落ち着いている。
「トレザの王に直接治療されるとは思わなかった」
長の言い間違えかと思ってユタが尋ねると、どうやら衣装を見て兵士達が勘違いしていたらしい。
「民衆のまとまり具合だって、あんな見事な踊りだって、タタジクじゃ見られない。余程いい暮らしをしてるんだと思った」
診察室の奥にある薬棚に結界で作ったばかりの新しい薬を並べながらシュラが言う
「トトの頭を狙っただろう?」
兵士はビクッとするがユタには何の話しか解らない。
「最後に手を振ろうと上げた所にちょうど刺さったが、一瞬の違いで助かっただけだ」
この怪我をした兵士が放った矢がトトに命中したから、矢を投げ返したのだとシュラは言う。ユタは兵士達が構えたので咄嗟に剣を振り下ろしたが、誰の矢がどこに飛んだのか全く解らなかったし、偶然当たらずに済んだと思っていた。
「剣舞に使用した剣を奪い取り、一気にトレザの民衆を制圧せよと、トーナ様から指示を受けた」
ユタの診察を受けながら、言いにくそうにぼそぼそと兵士が話す。
シュラは兵士の声を聞きながら棚に新しい薬を並べ終わると、兵士達から没収した毒物を作業台に並べて幾つかの小皿に少量ずつ出し、それぞれに違う薬を混ぜてから、薬剤の塗られた紙にほんの少量ずつ出して色の変化を見る。
「くそっ」
紙の変色を見たシュラが突然大きく呟いた。ユタも兵士もビクッとシュラを見る。
既に手持ちの解毒薬で効果があったのだ。
「愚かな者の指示を待つだけの生き方ではろくな事が無いようだな」
ずっと見守っているだけだったラ-ジャが口を開いた。
「己の頭で思考し、生きる術を持て、と言うことだ」
始めから解っていれば、トトは手を失わずに済んだ。兵士も大きな怪我を負うことが無かっただろう。
シュラは手持ちの粉薬を幾つか取り出し、薬の棚からドロッとした液体を持ち出すと、分量を計りながら混ぜ始めた。粉薬に液体を混ぜていくとうどんの生地のようになる。細長く伸ばして同じ大きさに刻み、平らな枠の中に入れ、上から押さえるように平らな板を乗せて動かせば、刻んだ形は無くなり球体に変わる。生地が無くなるまで同じ事を繰り返す。
「ユタよ、以前から置かれていた薬剤は頂戴した。シュラと供に砂漠で疲弊した兵士に渡したぞ」
さっきのシュラが持っていた荷物は薬だった事に今さら気が付いた。新しく出来た薬の方が余程効果も高く、作り置きしていた在庫の薬をどう処分しようか考えていた所だ。
「お役にたてたのなら、これ以上の事はありませんよ」
奥では明らかに苛立ちを隠せないシュラがガタガタと音をたてながら作業を終わらせて
「これ以上ここに居たら、うっかり殺してしまいそうだ」
大股で歩きザラッと音をたてて粒の揃った丸薬が入った木箱をユタに渡す。
「兄さんに使ってくれ、余る分は父さんが自由にしてくれていい」
大股で診察室を出るシュラの後にラ-ジャも続いて出ていく。
「父さん?」
兵士がユタを見る目は驚きだけだ。
「シュラは我が家の末っ子なんだ。本当の両親をさがしに五年前に家を出た時は、トトより幼い子供だった」
実の親子では無いと知っても兵士の驚きは変わらない。
「ラ-ジャ様の話しでは、シュラは珍しい種族なのだそうだよ。ついさっきもラ-ジャ様達にからかわれてね、私は本気で叱りつけてしまった」
神にからかわれたり叱りつけるなど、ユタ様はただ者ではない。
許される事が無くても、兵士はユタ様に仕えようと決心した。贖罪を込めて、一生涯このユタ様に仕えると心に誓う。
一方シュラ達は、薬草を乾燥させて保存している部屋で、やはり何やら作業をしている。
「何かしらの暗示でもあったか?」
全く手伝う様子は無いが、興味津々でシュラを見ながらラ-ジャが言う。
「毒物は分量によっては効き目の高い薬にもなる。まずはそれを見極め、成分によっては成長を遅らせる物に繋がるかもしれないので、手順を考えている」
旅先では、こんなに材料豊富で研究出来る環境は無い。
薬は量を間違えれば毒と変わらない。例えば熱を下げるのに適した薬草は、過剰に取れば体温の低下で死に至る。鎮痛の効果がある物は痛覚を麻痺させているだけで治癒している訳でも無い。色々と試せばいずれ成長が遅くなる薬も出来るのではないかと思えば、試さずには居られないと言う。
夜がふけて、リリがもう休みなさいと、シュラに声を掛ける。素直に子供部屋まで案内され、大きく感じていた寝台が案外狭いと苦笑しつつ、トトの寝息に安心する。ラ-ジャはリリに声を掛けられた時にサラの元へ行った。
「おやすみ、シュラ」
「おやすみ母さん」
短い挨拶でもムウが目を覚ます。
「シュラ、トレザの外はどんな所なんだい?」
ここ数日は、結界で薬草を集めたりユタと薬や治療の仕方を話し込むか、神々とのやり取り、多くの皆と舞いの稽古や雑用で、ゆっくりムウと話しをする事が無かった。
「兄さんは、どんな場所を知りたい?」
どんな場所と言われても、タタジクしか知らない。砂漠も見たことがない。
「とりあえず、タタジクかな」
シュラはタタジクの街を話し始める。トレザと違って建物が隣接している事や、馬車が行き交う商業施設、必要な物は大抵この通りで買えるし、薬を売ったり他の地域で入手した物を売る事も出来る。
「お金って何?」
そういえば、トレザは物々交換が普通で金銭のやり取りは殆ど無い。
「品物や食品を交換するのに便利な物だな。人の命さえ金で売買する事もある」
交易を持つ前に金銭の知識が必要な事に気付く。
「便利なのか怖いのか解らないね」
「使い方次第だな」
どんな物がどのくらいの値段なのかとても興味があったようで、色々と質問してくるので、出来るだけ解りやすい例えで教えている間にムウは眠った。
アヤメもそろそろ眠った頃だろう。二人の小さな兄の寝息を聞きながら、シュラも眠りについた。
本編に全く関係ない小話を1つ。
まるで老人のようになったトーナに向かってラ-ジャが独り言のように話す。
「タタジクの領主に就かせるだけならば、容易い。地位と名誉を手にした後はどうなるか、今の働きではタタジクごと滅びて行くだろう」
それも良い、とラ-ジャは続ける。絶望の『気』が大量に発生するのだ。『気』が強ければ強い程、その方向に周りが巻き込まれて行くだろう。
器の足りぬ者が一時の栄華を堪能し、脆く崩れて行く様は、不安や恐怖をいっそう煽り、時に天災すら呼び寄せる。
「トーナが領主と成れば、トレザで味わえぬ『気』を堪能できるのだが」
ラ-ジャの言葉に一晩中続いた痛みを思いだし、背筋が凍りそうに恐怖する。つい先日まで神々を恐れ敬う事を全く考えていなかった。
「トーナは何がしたい?」
暫く考えた後に
「父上の仕事を手伝い、次の領主と成るのが私ではなくても仕え、タタジクの発展に貢献して行きたい」
兵士達が登って来た崖から下を見下ろしながら恐怖に震えた声で返答する。
震えるトーナを小脇に抱え、ラ-ジャは崖を飛び降りた。無事に着地したものの、声も上げられない恐怖で足腰は立たないが、ラ-ジャは梺まで行けば兵士達が水路の工事をしていると、トーナを置いて消えた。
呆然として、動けるようになった足を動かし、整備の途中のような山道を降りれば、水路の形が想像出来る程度に工事が進んでいた。
トーナは一人で歩きながら、作業を続ける者達に労いの言葉をかけていく。
暫く進めば、工事の指揮をとる者と会う。三番班の班長だった。トレザ制圧の前に、下調べや行軍の綿密な計画を頻りに言うので隊長を辞めさせた。しかし、工事の進み具合を考えても素晴らしい人材だった事に気付く。
「勝手な考えで悪いが、再び隊長を任せても良いだろうか」
班長は以前のように敬礼し、
「水路の工事が終わり次第、良い返事をさせて頂きたい」
今すぐでも良いのだがと思いながら、タタジクまで歩いて戻る事にした。
お付き合い頂き、ありがとうございました。
来週はお休みするので、再来週の月曜日に本編の続きを公開します。