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龍の居る世界     作者: 子萩丸
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バルコニーの他では


 謁見の間は別の城では大広間とも呼ばれる部屋だが、幼龍の姿ですら伸ばしてしまえば収まらぬ。


 白い幼龍ヒムロの体は大広間で一命を取り留めた。身体を曲げて、狭い室内に収まりきるように。しかし、意識は無い。呼吸は浅く、心臓の音はかすかに生きている程度の細いもの。

 幼いとはいえ 神。ヒムロとの激闘をしたばかりのシュラも荒い息遣いで視線をバルコニーのアヤメから離さず横になっている。

 癒しは与えたが、臓器迄及んだ幾つもの傷で血液もかなり失っているのだ。本体ラージャがシュラにぎょくを取り込ませた事が幸いしたようで、魂は身体に繋がれている。

 まだ、動かぬ方が望ましい。



「さて。この地の結界は極僅ごくわずかになったが、布地の下にある血塗ちぬられた悪意ある紋様もんようも消さねばな」

つい声に出して呟く声は誰に向けられたものでもない。

 ただ、長年これの書き換えに気付けずにいたおのれに対して悔やむ気持ちがにじんでくる。クウの見せた瘴気を我が身から感じる。

 魂の欠片かけらすら残さず セトラナダの地に消えた同朋どうほうおもえば、今ここに存在するだけでも苦しい程のいきどおりに耐えるだけでも消え入りたい。



 まだ本体ラージャ分身体わたしをセトラナダの龍として留まる事に決めたばかりの当時はクウが度々訪ねて来ていた。


 城に残した物は好きにして良いとクウに言われ、直ぐに置かれていた本は全て暗記した。

 やはり文字とは面白いもので、同じ内容をしるすにしてもしるす者が違うだけで内容が変わるのだ。

 身分、環境、感情の違いが、まるで別の事柄のように変化する。


 当然だが、これらの本の内容をクウに確認しながらセトラナダを學んで来たつもりでいた。


 この国の王は、龍の血を持つ。ただ 長年にわたり代々受け継がれた血は 当然 薄くなるもので現在では ほぼ人なのだ。

 しかし人のことわりにおける龍の血は、少々厄介な事が幾つも起きたらしい。その一つが寿命であろう。

 初代の王は女性で生粋なる人。体が朽ちる前に火葬を望んだそうだ。魂が身体から離れた後、人々の畏れと敬意を込めて荼毘に附された体はほのおと煙をまとい天にのぼったと記されている。


 クウの解説によれば初代の王は、我々が還る天に迎えられたのだそうだ。人で在りながら、天が迎え入れたのは望外の憘びであったと言う。

 ただ伴侶となったテンだけは、哀しみのあまり早く天に還るとクウにその後のセトラナダを任せて還ってしまったらしい。

『仕方なかったのだよ、テンがあまりにも寂しがるものだから』

『しかし王が天に迎えられたのなら、慌てずとも良かったのではないか?』

テンはね、王が居ないだけで氣を受け付けなくなってしまったのでね』

『何と』

『うん。どんどん、ちじんでしまったのだよ』

人の魂は体に留まれる時間は短いというのに、何故 人を愛してしまったのだろうとクウは残念そうに話していた。

 ただ当時のわたしも、伴侶サラが居ない世界は考えられなかったし、これからもそうであろう。テンの気持ちも理解出来る。


 そして次世代以降の王は龍の血を持つことで人より少し機敏に動き、人より少し長生きするようになった。数百年程度の僅かな時間だが、人としては長く王として民を導くには善き寿命だったという。


 幾世代いくせだいも、ずっとそうして続く王政とはいえ 多くない国民でも王ひとりの力ではまかなえなくなる。すると王の助力をする民が貴族という立場の民となる。豊かで活気に満ちたセトラナダは自然と栄えた。広大な敷地と民は更に豊かになっていく。

 その頃に本体ラージャも誕生した。多くの龍もこの時期に誕生していたのだ。

 人は誰もが自由に想い描く理想に向けて生きていた。

 得意な分野を活かし、不得手な分野を補い合い、互いに研鑽を積み、高め合う事を喜びとする。

 そう、今のトレザのように。

 

 本で読み知る知識に加えたクウの解説は、とても理解しやすく面白いものだった。




 しかし身分や立場を確立していくと、人は身分に執着していくものらしい。

 

 貴族の世代交代は王にならい血族がほとんどで、いずれ能力が不足していようとも民の代表である貴族となる。世代が代わるにつれ、ただ血族という立場だけで貴族と呼ばれる地位だけが浮き立ち始めた頃は、本体ラージャはセトラナダを離れていた。

 

 本体ラージャもセトラナダで、他の若き龍の誕生を知らない。近い時期に誕生した龍が多く居たにもかかわらず、人の身分が確立した頃から龍の誕生はなくなったに等しい。


 龍に変わる存在だろうか、精霊や魔物と呼ばれる存在が増え始めたのもこの頃になる。

 まだ直接の面識は無いが、気配は何度か感じた事がある。


 精霊や魔物は、人に対して警戒していた。

 人が人外を認めなくなりだした時期でもある。

 それでも龍の存在は崇拝される対象であった。


 だがほんの数百年セトラナダを離れた本体ラージャも、セトラナダに入った途端に異様な感覚がまとわりつくようで不愉快でならなかった。

 当時から図形による精霊や魔物への影響は研究されていた。

 その図形を応用した物が今のバルコニーにしるされた紋様もんようになる。

 

 更に図形をもちいて言語を文字という形に発展させた。

 実に面白い。

 セトラナダ以外の土地ではことなる言語があり、土地 ごとに言語のもととなる記号はことなる。

 他の言語が存在すると知った本体ラージャは各地を周り、言語が文字をつくり出す過程を好んだ。人の知識を対話以外の物で伝えんとする欲求に心を踊らせ、図形が意味を持ち始めるまでの工程をたのしんだものだ。


 トレザに留まると決める迄は、それこそ世界中の人の言語と文字を熟知していたと自負している。

 文字という文化を求める土地では言語のもとに添う文字の図形を知識として人に与えた事もある。


 人の言語を伝える為に発展した文字には執着とも言える程に興味を向けた本体ラージャだが、図形から発展した紋様もんようには全く興味を示さなかったのも今回の事に起因しているだろう。

 

 人のつくリ出した図形がやがて意味を持ち、崇拝する対象すら使役するようになるなど考えもしなかった。


 文字が意味を持ち、遠く離れた相手に言葉を伝える事が出来るように。

 時代すら超えて紡いだ言葉を伝える事が出来るように。

 人の知識や研究は、思わぬ方向へも発展するのだと知らされた。


 人の一生という限られた時間の中で、研究する対象は成果を出さんと目まぐるしく進歩して行く物なのだ。


『愚かなのはわたしだ』


すぐそばで行われていた紋様もんようの研究と改竄かいざんに気付かなかった事が悔やみきれない。

 ヒムロの脱け殻で覆い隠された紋様もんようを、跡形も残さず消す方法を考えなければ。



 一方バルコニーでは 堂々とした態度でアシンがアヤメと向かい合い、恭しい動きで跪く。

『アヤメ、アシンの行動が気味悪いのだね』

アヤメは黙ってクウを見上げ、視線だけクウから逸らさず 縦に首をブンブンと何度も振る。

 クスッと微笑んだクウが

『今のセトラナダをアヤメの望む形に整える為に使うには、この愚か者の知識や身分が丁度良いのだよ』


 跪いたままのアシンが怒りと屈辱に耐えているのは、小刻みに震える肩を見るだけでわかる程だ。

 アヤメとクウだけに見える表情は、正に怒り。

 

『そろそろ顔に出している怒りも、体内に収めてあげよう。愚物アシンの表情がアヤメを怖がらせているようだからね』


 アシンの表情が穏やかな笑顔に変化すると、その場で体が崩れるように倒れた。


『おや、驚いたよ。わたくしの制御に抗う程の気力があるのだね』


 周りの貴族がアシンを抱き起こそうと近付く前に アシンはよろけながら体を起こし、手の動きだけで貴族たちの動きを制した。アシンの目に生気は無い。

 クウに操られている状態にアシンの怒りの思いが勝り、意識を失ったのだ。


わたくしの望むのはね、アヤメが求める国造りの知識を人のことわりに添って伝えることなのだよ』

神々の基準では、人の目まぐるしく変化する常識に合わせられる立場や権力を持つ者が居るに越した事は無い。

『しかし、アヤメを意のままに使えないのが、どうやら この愚物アシンは死を選ぶよりも苦痛らしいよ』

クウの微笑みはアヤメに対してのみ輝く。

 クウの言う通り、今のセトラナダではアシンの命令で動く貴族は多い。

 しかし、アシン自身は。

 自分自身の立場を常に安泰であり続けるように、 緻密な思惑の中で確立したものだ。

 彼の生涯をかけて その地位を揺るぎ無いものにした時間と労力を、小娘に差し出すと理解したアシンの抵抗はすざまじい。

 王の座よりも確実なその地位を、ポッと出てきた小さな姫に奪われるいきどおりは死を選択するよりも苦しいのだ。

 クウの力で拘束されながら、思い通りにならない現実に抵抗し続けたアシンのかたくな な意思。しかしクウの力にかなうはずもない。


『アシンは、アシンの望む方向で このセトラナダを住みやすい土地にしようとしていたのですね』

アヤメが姿勢を正して、フラフラと立っているアシンを見上げる。

 アシンの都合で造り上げる国であれば、国民はただ納税する実験体になるだろう。勿論それを赦そうなどと思わない声の色でアヤメが言う。

『誰もが同じように尊い命を持ち、人として生命を与えられたのですよ。全ての民を大切にしなければいけません。貴族も王族も国民も同じだと、わかりますね?』

 黙って頷く動作をするアシンに、周りの貴族は少しの違和感を覚えながらも ただアシンの指示を待つだけだ。


 アヤメとクウ、アシンの周りに居る貴族は先ほどまで映し出されていた状況を始めから知っていた者が殆どだ。だからこそ、アシンのアヤメに対する異様な行動とクウの力の底知れない恐怖に動けずに、ただ見守る。



 アシンの命令を伝達された貴族が厨房で指示を出し、下人には長く延ばせる管を渡す。

 管を手渡された下人は、管から水漏れが起きないよう確認しながら地下牢まで繋ぎ合わせて行く。何度か予行として やらされた作業で慣れたものだが、熱湯を流し込むと言われたのは始めてだ。

『鍵を外した先に行くのは、最後で良いだべ?』

『さすがにっせえもんな』

階段の下まで届く管は、地下牢へ続く扉の前で ある程度済ませてから鍵を外した。

 管を繋ぎ合わせながらコアの居る地下牢 入口に届くのを確認した。さすがに何が起こるのか知っている為に、中の様子は確認せず息を出来るだけしないように長い階段を急いで上る。

『なんか、ちっさいお姫さんが通った後は臭いが減った気がするよな』

『気のせいだと思うけんど、そうだよな』

 厨房に配管が終わった事を伝えに戻ると、既に煮え立った大鍋が幾つも準備されている。

 早速熱湯を管に流し込む作業が始められた。

『お気の毒になぁ』

『偉い人の考える事に口出しちゃいけねぇ』

『そうだよな』

管が熱い湯を通し始めるのを眺めながら、水漏れを確認しつつ地下牢まで戻って行く下人たちが呟いた。


 コアを地下牢へ閉じ込めた頃から、水を流し込む計画は始まっていた。ヘルラの傀儡かいらいとなった前王に王権を戻し、龍の護りを失くしたコアを側近ごと地下牢で溺れさせるというものだ。

 しかし前王を上手く傀儡にしたものの、王権はコアのままだとかたくなにこばみ続けていた為に実行する機会がなかった。

 長い管はその時から準備されていた。

 それまでは、王権がコアの父親に戻り次第 水を流し込む計画だった。


 ところがだ。

 アヤメの鎮魂際最終日を前に、生きたアヤメが現れたのだ。

 アヤメの存在があり、コアは用済みと判断された。

 子供を傀儡にする方が王権を奪う為には早いと決めたのは、アヤメがコアと対面していた時だった。


 龍の血にアシンが薬を混ぜてコア呑ませてから数回は、アシンとヘルラが直接 様子を見に行っていた。

 龍の血がどのように作用するのか確認する為でもあった。

 いっそ龍の血が原因で死んでも病が悪化して視罷みまかられたと国民に報告する算段でもあったのだ。

 しかし食事を与えず、二日に一度きりの龍の血でコアは生きていた。

 ただ正気ではないだけで。

 心を病んで、人に会えない状態。

 まさに以前 国民にしらせていた、それである。


 当時、そんな地下牢の罪人コアたちにコッソリ食事を運び込もうとした下人が居た。たまたまアシンの配下に見付かり、ヘルラの手で処分された。

 処分されたのは汚物の回収もしていた下人だが、それきり汚物は そのままにされている。

 同僚でもある他の下人たちは、それ以来コアの所へアシンから与えられた湯呑み以外は運ばない。


 そんな下人の報告では、コアの側近は眠ったままだとされている。実際には下人が直接見て確認した訳ではなく、コアが湯呑みを受け取る時に言っていただけなのだが、詳細を知ろうとする貴族はいない。

 ただ側近が生きているなら手っ取り早く熱湯を流し込めとヘルラとアシンは言い笑ったのだ。

 たとえ龍のまもりがあろうと、天井まで熱湯を満たせば生き残れないだろうと。


 一階の厨房から長い廊下をつたい、階段の下まで届く管に熱い湯が流れ出した。

 大鍋の湯を管に流し込み始めると、別の大鍋がすぐ火にかけられる。

 距離がある為に温度はある程度下がるが、量があれば熱いうちに地下牢まで届くようになる。



 ロアルは兵舎の食堂で老兵と酒を酌み交わし、近況を聞きながら 静かに立ち上がった。

『少しの時間だが楽しかったよ。そろそろ行かないと』

前王妃コアとアヤメを地下牢に帰した後は、地下通路にある罠を幾つも起動できる状態にして来た。そして自宅にもしている酒蔵の地下から移動できるようにした。

 しかし今現在の外での状況が全く把握できていないのだ。


 アヤメの歌声は、普段なら届かない兵舎の食堂でも穏やかに響いた。

 現状でわかることは、それだけなのだ。


『そうか』

短く返事をした老兵に、ロアルは黙って酒をついでやる。

 老兵に笑顔を向けてから踵を反した。


 何か、まだ何かが解決していない不安。

 状況を掴む為に動かなければいけないと感じたのだ。

 地下通路に降りて迷わずに進む先は、コアの幽閉されている地下牢。

 走りながら通路の各所に設置した罠を目視で確認していく。目立たない位置に張った丈夫な糸や、床石の少し高くなった部分の仕掛けに触らないように注意して走る。

 地下牢の下にたどり着き、組合わせて天井てんじょうを形作っている石を1つずらし、引き抜く。そこからは組合わせた手順で外して行けば、人が通れるぐらいの穴が広がる。




 トレザでは。

 夜通し大人が広場で何かしていたと子供達が気にかけている。

 兵士が広場で光の花を見せた。

 本物の銅貨を使っていた。

 訓練は剣舞の練習みたいだった。

 それまでは悪い印象を話す大人が多かったにもかかわらず、悪い印象を話していた大人は無口になる。代わりに、面白い体験をしたと話す大人が目立つ。


「ねえ、光の花って洞窟のユタの花みたいな花なの?」

洞窟のユタの「氣」の花を見た事がある子供や、まだ洞窟の「氣」の花を見た事が無い子供が口々に質問すると

「光の花って言うより、炎の花って感じだ」

煙が少し臭いと笑いながら教える。


 始めに見た炎の花は、ムウの絵が音も無く前に倒れてシュシュッと音を立てながら華やかに燃え上がり、誰かが光の花だと言ったのだ。

 次に見た炎の花は兵士も広場に集めて、広場の中央に仕掛けた炎の花の箱を置き特等席で兵士が炎の花を眺めたこと。

 兵士も光の花が開く時に驚いて見えたこと。

 タタジクではこのトレザに無い色々な便利な物がある話など、兵士と直接 話をしたと聞くと子供達は詳しい話をせがむ。


 子供達もある程度は木札の銅貨は持っていて、収穫した野菜や果物を欲しいと言われれば、銅貨と交換する習慣がついてきた。

 逆もまたあり、自分たちの欲しい物の値段を知ると、銅貨と交換する。

 実物の銅貨は まだ近くで見た事が無く、昨日兵士から受け取ったと言う銅で作られた銅貨を物珍しそうに眺める子供達。

 金属なのに丸く平べったく形と大きさが揃っている上に、全く同じ模様が着いているのが不思議に思えて自分の持つ木札の銅貨と交換して欲しいとねだる子供も多い。


 実物の銅貨だけでもこの反応だ。


 他には、兵士も広場の料理を買って食べていたこと。

 タタジクの食事処でも高級な店でしか味わえない料理だと褒められたと話すのは、アヤメがきっかけで改良し始めた腸詰めやスープだ。

 トレザではどの家庭でも、ある程度の薬草を薬として使用出来るように保存してある。

 勿論もちろんユタがトレザの皆に教えたもので、その辺に生えている薬草を摘み取って何種類かの薬草の粉末は常備しているのだ。


 その薬の幾つかが香辛料になると、アヤメがユタの家で発見した。

 翌日には広場で香辛料としても使える薬草の情報を、料理を作るのが好きな人に伝えた。

 スープで試しに使う量等の加減は、ある程度の情報のみなので、それなりに試行錯誤されて行くうちに味に劇的な変化が現れた。

 次第に腸詰めや燻製作りにも応用されて行く。


「アヤメが良く言ってたよね、美味しいものは元気のみなもとってさ」

そのおかげか、今は皆が美味しいものを食べて、以前より元気だ。


 まだ軌道に乗っていないが、女神サラは遠い昔に人であった頃に酪農家の娘だったと言う。その経験を活かした酪農の施設も小規模ながら始められている。


「ねえ、アヤメってどこかの国のお姫様なんでしょ?またここに帰って来るのかな」

ふとした疑問を誰かが口に出す。

「もしかして、シュラはどこかの王様かな」 

陽気に別の誰かは、シュラが別の国の偉い人かもしれないと言う。

 実際にシュラの両親が何処に居るのか、皆で探した事もあったのだ。

 口々にアヤメとシュラ、ヒムロの帰りを楽しみに待つと話す。


 小さな身体で良く食べて良く笑うアヤメ。

 それに、ほんの数年で大人になっていたシュラ。

 トレザを守護する神々が現れて、タタジクの兵士がやって来た。


 一生かけても味わえないような体験が、大雨が上がってからずっと目白押しだったのだ。


 不思議と身体の疲労は少ないが、トレザは大きく変化した。その上で更に何かを新しく取り入れて行き続けていることに不安を感じる者も、決して少なくない。

 きっと そんな不安感があるから、タタジクや兵士を遠ざけたいのだ。


 それでも活気の出たトレザの土地は、何よりも大切な場所だから。

 兵士やタタジクの影響で揺らぐ事などせずに、安心してヒムロが、アヤメが、シュラがトレザへ戻って来た時に出迎えようと話す。



 

 セトラナダの地下通路。

 ロアルが地下牢の床を通り抜けようとした時だ。


『待っていたわぁ。この子をぉ出してあげて欲しいのよぉ』

穴から覗き込むコアが指すのは、まだ目覚めていない側仕えカンナ。

かしこまりました』

よっと声に出して素早く地下廊に上ると、カンナの脇の下から両腕を入れてしっかりと手を組み、上体だけ持ち上げて引き摺るように足の先から穴に下ろして行く。

 正直、ロアルはそれほど力持ちではなく、穴も人が一人やっと通れる程度の大きさだ。

『コア様、私だけでは この者に怪我を負わせてしまう』

コアの命令ではあるが、ロアル一人の力では足の届かない地下通路に そのまま落とすしかない。

『仕方ないわぁ。ちょっとの怪我ならぁ、構わないわよぉ』

その時だ。

 入口に置かれた不自然な管から熱い湯が流れ出した。

『急いでぇ』

コアはおっとりと話す。しかし状況が深刻なのは理解しているようで、まだ湯の届かない所に移動するが、徐々に流れ込む湯の量は増えている。

 ロアルはそのまま意識の無い側仕えを穴から落とした。

『ロアルがぁ、先に降りてぇ』

コアに言われるまま、側仕えの居ない所に飛び下りた。

 コアが穴から顔を出し、支えるように地下通路へ下ろす。

『これをぉ、ピッタリにぃ』

ふさぎます』

穴を見上げて話すコアの言葉の続きを遮るように、ロアルは順番通りに石を嵌め込んで行く。

 既に湯が穴から滴り始めた。

 コアと意識の無い側仕えを湯の落ちない所に連れて行き、急いで残りの石を嵌め込む。

『熱っつぅ、いや、大丈夫です』

まだ塞ぎきれていない穴から地下通路へ湯が落ち始めた。

 コアがロアルの様子を不安そうに見て、何かを探し始めている。

 石を全て嵌め込んでも取り外しが出来るように切り込みを多く入れてあるので隙間が多い。当然、湯を塞き止める事が出来ずに湯はパタパタと落ちて来る。

 ロアルはそのまま手で湯をき止めようとするが

『ロアルぅ退いてぇ』

コアの言葉に反応し、ロアルが半歩後ろに下がった途端、湯のしたたり落ちる場所に何かが張り付いた。

『これは?』

すぐに張り付いた物にそっと触ると粘着力の強さに驚き手を離す。

『アヤメにぃ借りたのよぉ』

フフッと笑うコアの手にあるのはアヤメの玩具オモチャと言われていた武器の一つだ。

『何と用意の良い……』

地下通路に落ちて来る湯は、ピタリと止まった。


 コアはアヤメの玩具をロアルに手渡し

『この辺ねぇ、いっぱいペタペタにしてぇ』

穴があった所を指して言う。


 この熱湯は、まだ流れ込んで来るらしく、切り込みを入れた石の辺りに何発も打ち出す。たいした反動は無いが、立ち上がるだけでもフラつくコアの力では、きっと反動に耐えられないのだ。


『ロアルのぉ、安心出来るぅ、所までぇ』

『お連れします。こちらの方は?』

『一緒にぃ』

粘着性があっても、他より脆い石は崩れる可能性が高い。ロアルはコアの言いたいであろう言葉の先をある程度察して、意識の無い側仕えを背負うい進む。コアはロアルの後を、ゆっくり追いかける。

 罠を仕掛けてあるのは地下通路でも明るい所だけだ。コアに仕掛けを注意するよう伝えながら進むが、次第に距離が離れて行く。

『コア様、この方をある程度先にお連れしてから戻ります。この辺りでじっとお待ちください』

仕掛けの多い所では、コアがよろけて作動しかねない。

 それに、人を一人背負ってコアの速度に合わせられる余裕がロアルには無い。

 出来る限り急いで進み、暗がりに入る通路の手前で意識の無い側仕えをそっと横たえた。

『フゥ、さすがにキツい』

一気に軽くなった身体を伸ばしてつぶやく。

 だが側仕えは以前より顔色も良く、いつ目覚めても不思議では無い寝顔に安心してコアの所ヘ急いで戻る。




 


閲覧ありがとうございます


生きてました(笑)


ゆっくり更新して行きますね


活字旅行を楽しんでいただければ、嬉しいです


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