黒龍の授ける"願い"
セトラナダ兵士の訓練所は寄宿舎内に食堂がある。貴族が多い騎士とは違い 平民出身者しかいない為、木造で質素な造りの食堂は 長年使い込まれた様子で黒光りする程 油が染み込んでいる。テーブル直接触れば、良く拭いた後でもペタペタした質感がある。
そんな食堂でロアルは大して年齢の変わらない老兵とテーブルを挟んで向い合せに座り、老兵の話に二、三相槌を打ちながら スッと深い眠りに入る感覚に身を任せる。
老兵の声を邪魔しない程度の音量でアヤメの歌う祝詞が心地好く響く。
不思議と老兵の声はハッキリ聞こえていて、話す内容が夢の情景と重なって現れる。夢と表現するには 老兵の声がきちんと聞こえている不自然さだが、夢特有の体の重さを感じない浮遊感と、現実にあり得ない視界の広さを堪能しながら 思うままに周りを見回す。
夢を視ているようでありながら、妙にハッキリした感覚を不思議とも感じずに 話を聞きながら思考を巡らせる。
老兵が話す黒龍は、砂漠の城で会ったクウだ。
だが、砂漠の城が まだ小さな宿屋だった頃からクウはルフトの宿屋に居た。長い黒髪を器用に編み込んで何重にも首に緩く巻き付けている姿は、まるで髪だけが別の生き物にも見えた。慣れない手付きで給仕しながら、接客中に酒の呑み比べを煽る態度は堂々たるものだったと苦笑する。
まるでその頃に戻ったような景色に自然と順応していた。
大男が泥酔する隣で優雅に酒を楽しんでいるクウ。支払いは泥酔した大男に任せると 日和見していた豪商が酒の勝負に挑む様子も、酒の席を賑わせる。
フラりと立ち上がり、クウがロアルに言う。
『我は占いも得意なのだよ』
あれだけ飲んだのに、甘い吐息に酒の匂いがしない。
ロアルの耳元で囁く声は続く。周りに聞こえない程度の小さな声で。
『大事な秘密の迷路が、物置に使われていては通れないよ』
ドクンとロアルの胸が苦しい音を立てる。
占いとは、何もかも見透かすものなのか?叫び出しそうな驚きを呑み込んだ。
クウは少し離れてコロコロと笑いながら
『驚かせてしまったね。しかし他人の敷地に勝手に入り込むのは、良くないのだよね』
貴族の敷地から繋がる明るい地下通路には、簡単に入り込んで良いものではない。だから全て平民街に繋がる通路は塞いだのだ。そして平民街にある地下通路は基本的に真っ暗だ。手探りで暗闇を進む物好きなど ロアルの他に居なかったから、今は敷地所有者の地下倉庫代わりに使われている通路も多い。
『勝手に他人の物を動かす訳に行かないからな』
ロアルは平静を装って周りに不信感を与えない言葉を選ぶ。しかし、クウが地下通路の存在を知っているとは想像しなかった。
『ルフト、占い師と個別の部屋を取れるだろうか?』
動悸が治まらず、ジットリした汗を拭いながらロアルが言う。
『銀貨五枚だ。案内させる』
良い笑顔でルフトが応じた。
『別料金かよ、ちゃっかりしてるな』
『しっかりしてる、の言い間違えと受け取っておく。他の客もクウと呑み比べしたそうだからな』
ルフトはクウが酒を呑み比べするのを止めない。
『酒は呑みすぎると体に悪いぞ』
さすがに量を過ぎれば病気になる。ロアルの見ているだけでも、クウは呑みすぎている。
案内人の後に続き、クウが微笑みながら言う。
『我の体を心配してくれるのだね。嬉しいよ』
香の焚かれた落ち着く薄暗い狭い部屋に通された。
低いテーブルの奥にある椅子にクウが上品な仕草で腰を下ろし、向かい合う椅子にロアルを手で招く。
王族案件の秘密を、どうやって知ったのか。場合によってはロアル自身が処分される。質問するべき内容がまとまらないまま、促された椅子にドカッと腰を下ろした。
『あんた、何者だ?』
隙を突いてみようと観察しながら歩いて来たが、優雅な歩き方は隙も無く 身のこなしは洗練されたものだ。
只者ではない。
『セトラナダで長い事 暮らして居たのだよ。我の故郷だからね。そう畏まらないでおくれ、ロアルに細やかな手助けがしたいだけだよ』
部屋で焚かれた香のせいか、それともクウの微笑みと声色のせいかロアルの抱いていた不信感が霧散していく。
ふぅと声に出し、
『信用して良いんだよな?』
それでも念を押すように目をじっと見て尋ねる。
『ロアルに任せるよ』
コロコロ笑いながら返事をするクウに対して、深いため息を吐いたロアルは 地下通路の件を詳細に聞くことにした。
全てを信用した訳ではない。しかし、敵にはならない安心感と場の雰囲気で、スラスラと地下通路の様子を伝える。
平民街にある地下通路の出入口が今は、全て他人の敷地にある。ルフトとの取引が順調に増えたことで 多少の貯えはあるものの、全ての土地を購入するほど余裕は無い現状。
『必要な金なら、必ず廻って来るものだよ。ひとつずつロアルの物にしていくと良い』
クウの助言は その場所を見ているように明確で、出入口の所有者と経営状況まで明確に割り出す。
先ずは今の予算で落とせる条件の敷地に、目星を付けた。
そこからトントン拍子に酒蔵の事業は拡大し、出入口に繋がる土地は 全てロアルの会社が所有することになった。
経営難だった敷地所有者からは、従業員まで確保できたのもクウの助言通りだった。
度々ルフトの宿屋に足を運んだ大きな理由はクウの助言を頼りにしていたからだ。
まだヘルラが王になってない時期のことである。
いつから今の青龍と黒龍が交代したのか、それこそ老兵の話では百年近く前だと言う。
儀式で光に包まれる龍神の姿は、老兵の祖父母に忘れられない記憶だったらしく、何度も聞かされたそうだ。
ロアルの意識が向かい合う老兵の前に戻る。
『黒龍様がセトラナダに戻られたような気がするんだよな』
いつの間にかロアルが持参した酒をチビチビ呑みながら、嬉しそうに話している。
『ああ、私も黒龍様がセトラナダに降り立ったように思うよ』
ロアルの返事に気を良くした老兵は、残りの酒を一気に飲み干して
『なんだ、聞いてたのか』
『聞けと言っただろう?うつらうつらしてたが、ちゃんと聞こえてた。私もその儀式とやらを、見てみたい』
肩に掛けられた汗臭い毛布を丁寧に畳んで、座ったままで眠っている間に硬くなった体を伸ばす。
いつの間にかアヤメの歌声は聞こえなくなる。
『やはり歌声は空耳だったか、でも良く眠れた気分だ』
ぐんと伸びをしながらロアルが言う。
『いや、歌声なら さっきまで聞こえていたぞ』
『ここまで聞こえるようになったのか』
『そうなのかもな、歌声が聞こえてたのは初めてだったが』
再びアヤメの歌声が聞こえると、今度は互いに耳を済ませて静かに聞き入った。
アヤメが歌う祝詞は、大通り商店街だけではなくセトラナダ全域に響き渡った。
『ラージャがタタジクで朝にやって見せてくれたのでね。我も真似をしてみたよ』
あどけない表情で笑うクウだが、やはり瘴気が漏れている。
それと王城を覆い隠す黒い霧にクウが映し出しているのはヘルラとアシンの血生臭い悪行だ。
直接アヤメの舞いを見るも、その先に映し出される残酷な事実に大通りの国民は息を飲む。
微笑を称える黒龍クウから零れる瘴気で大通りに集まった国民はアヤメの歌声と踊りに違う映像に、現実を知らされる。
アヤメが祝詞を歌い終わっても、国民の知らなかったヘルラの正体が全て映し出された訳ではない。まだまだ続く真相暴露映像に、異議を伝えようと踠くヘルラ。クウの髪が絡み付いて、ヘルラは自由に動くことも出来ずに映像を見て暴れようと蠢き続ける。
城の位置に映る映像を見上げてアヤメが
『わたくしの、拙い言葉を紡いでも、きっと真実を伝えるには足りませんね』
見たままの映像で国民が納得して行く様子とヘルラが何か言いたげに踠く姿を見て、国民に声が届く位置を確認して言う。
そう、大通りで映像を見た誰もがヘルラとアシンに嫌悪を持っているのは、一目瞭然なのだ。
言葉を尽くすより、神の手で見せられた真実。
『しかしね、ヘルラはこの映像すら我が造り出した虚像だと主張するつもりのようだよ。アシンと手を組めば、簡単に国民を騙せると思っている』
クウの言葉はアヤメも薄々勘づいていた。
ヘルラが王政を乗っ取ってから罪なき貴族が次々と断罪された。国民の意識などヘルラの一声で簡単に左右されていたのだ。
『映像だけでなく、事実を見せると良いのではないか?』
ラーが映像の事実を否定的に眺める国民の姿を幾つも確認してクウに告げる。
実際にヘルラとアシンを崇拝していた国民から見れば、クウの映し出した物は虚像と疑い ヘルラを陥れる画策と考える者もあるのだろう。
『なるほどね』
クウが手招きすると、バキエが現れた。
薄い茶色の複雑に結い上げられた髪には、宝石をあしらった髪飾りが幾つも輝いている。
豪華な衣装にも、宝石がちりばめられていて 朝陽に照されているせいか、一段と豪華な輝きを見せる。ただ、手や顔の肌は青い鱗に覆われているのだ。
バルコニーに現れたというのに、バキエは周りに気付いて無いのか歩きながら言う。
『忌々しい。この鎖と言い、監視の数と言い、私を元に戻せないなら、アシンなど死ねば良いのに。ああ、なんて醜い肌だろう』
首に繋がれた鎖を両手で引きちぎるように何度も引っ張るが、音を立てるだけでびくともしない。
『キミがアヤメの側仕えをしていたバキエかな?』
クウが声をかけると、バキエは初めて気付いたのか驚いて凝視する。
『何者?どうやってこの部屋まで入って来たのかしら。不審者を捕らえなさい』
どうやらバルコニーに居る状況がバキエには理解できていない。先程映し出した室内に居るかのように振る舞う。
『護衛などキミを逃がさない為に付いているだけで、役に立たないよ』
クウもバキエの部屋の中に居るように応じる。
そもそも護衛などバルコニーには いない。
『ああ、ええ そうね。こんなに醜い肌で人目に触れるなんて忌々しい。死ぬ程嫌だわ。そのせいで、もう何年も部屋から出てないの。まるで罪人にされた気分よ』
バルコニーで国民に声の届く位置から話すバキエの姿は、大通りから良く見えるし聞こえる。
まるで小芝居でもやっているかのようだ。
『キミの肌は美しいではないか、我は好きだよ。で、アヤメの側仕えをしていたのか聞いている』
クウは何も無い空間でありながら、長椅子に寛ぐように腰を下ろして話す。
ゆったりとした口調は冷ややかだ。
『ああ、アヤメが目の前で野犬に喰われるまでは 私が筆頭側仕えだったわ』
筆頭側仕えだったと主張すれば、誰もが跪いてきた。
だからクウも冷ややかな話し方を改めると思ったのだ
『この国では主に敬称を付けないのかな?』
しかしクウの声は更に温度を下げる。
『お前だって敬称を付けて無かったでしょ。ふん、誰が聞いている訳でもないし、どうせ死んだ子供よ』
バキエには見えていないのだ。
バルコニーで呆然とバキエとクウのやり取りを見るアヤメの姿が。
クウの髪に絡まって動けないヘルラが。
床に這いつくばり呻き声を上げるアシンが。
そしてバルコニーを見上げる国民の姿が、まるで見えていないのだ。
『アヤメは生きているよ』
スッとクウが右手を上げるとアヤメの姿だけがバキエにも認識できるようになる。
『アヤメ……どうせ偽物だろう』
若草色の衣装に首飾り。左手首にはセトラナダの紋章が刻印された飾りを着けている。
濃い茶色の髪はハーフアップに上げられ、腰辺りまでの長さで艶やか。旅人特有の浅黒い肌ではなく、色白ながら健康的に頬は色付いている。
じっとバキエを見上げ、睨む目を逸らさずに
『わたくし、バキエに連れ去られ、野犬の群れに投げ込まれた恐怖は今でも忘れられません』
アヤメの声は大通りにも届き、国民たちは状況から瞬きもせずに息を飲む。
『おやおや、随分な言い掛かりだこと。野犬に襲われて状況が わからなかったようね』
今までの偽物は、バキエの行動を言い当てなかった。
実際に野犬から逃げる為にアヤメを餌として投げ込んだのだ。バキエは少し狼狽える。
『バキエは少しでも、わたくしの振る舞いが気に食わなければ鞭で叩きました』
更に追い討ちをかけてアヤメが言う。
顔以外なら、アヤメが声を上げられないほど酷く鞭で叩いたのも事実。痛みで眠れない夜も、何度もあったのだ。
『まあ。どうやらアヤメ様ご本人なのかしら。では私の教育方針との齟齬でしょう。当時の幼いアヤメ様には、少々厳しい躾でしたかしら?』
クウはただアヤメとバキエの対話を眺めるだーけで、手や口を出そうとしない。
『大人はずるいと思います。言葉を巧みに使い分けて、わたくしの意見を違うものに変えてしまいます』
バキエを睨んで近付きながらアヤメが言う。
『まあ。まだまだ子供のアヤメ様に、正しい知識を教えただけです』
バキエもアヤメを見下ろして睨む。
『バキエは大人の暴力で、わたくしを黙らせるばかりでしたよね。大人の都合が正しいとは限りません』
『生意気な……』
睨むアヤメにバキエが手を上げるが、絡まったクウの髪にバキエの手は阻まれる。
『生意気な口をきくようになったのは、この妖怪のせいか』
クウを指してバキエが言う。
『妖怪に見えるのかい、我が?』
クウが冷たい声で言う。
取り巻く瘴気は、美しい妖怪にも見えるが。
『バキエは、元々平民だったと聞きました。それでも王妃に登り詰めた、憧れの存在だと国民たちから直接聞いています』
アヤメが単調な声で言うのが気に入らなかったのか
『バカにするな!王族ばかりが贅沢して、貴族たちには蔑まれて、それでも私は負けてない』
荒げた声で言うバキエ。
『誰と勝負していたんだい?』
クウが温度の無い声で聞くと
『王族も貴族も、身分や権力の全てだよ。私は全て手に入れて、常に新しい衣装で着飾るんだ。そういえば妖怪の容姿は美しいな。今の私はアシンの実験が失敗したせいで、肌がこんなに醜い』
支離滅裂だが、美しく着飾るのが望みだと言い放つ。
確かに、今のバキエが着ている衣装は部屋に引きこもるには勿体無いほどきらびやかだ。
『バキエは常に新しく、美しい衣装を我の容姿で身に付けられれば良いのかな?』
相変わらず冷たい声だが、バキエの望みに耳を傾けるクウ。
髪で拘束したままのヘルラがバキエの視界に入る。
『フフ、ハハハ。ヘルラは既に妖怪に捕まっていたのね。なら私は妖怪の側に付くわ。アヤメも居ることだし、ウェルを暗殺した計画から全て教えてあげる』
バキエの言葉にアヤメの表情が凍り付いた。
ヘルラはバキエを止めようと踠くが、声すら出せない。
『アヤメ様、ウェル王を暗殺したのはヘルラの側近アシンです。アシンがウェル王の側近である騎士の家族を捕らえて騎士の前で一人ずつ拷問の末に殺したのよ。騎士はせめて子供たちだけでも助けてってね、アシンに懇願したのですって。もう、それはそれは哀れな姿で 騎士は我が子の為にウェル王を殺したの。でもアシンは自害した騎士の子供なんて、すぐに殺したわ』
高笑いしながらバキエが一気に喋る。
国民に注目されているのを知らず、アヤメとクウの前で ヘルラとアシンだけの罪だと言い逃れるつもりなのだ。
バキエの肌が醜くなったのも、アシンの実験のせいで『コアが若返ったようだ』と聞いた途端にアシンから赤い液体を取り上げて自分から飲んだとは、言わない。あくまでもバキエは実験に巻き込まれた被害者なのだとアシンを罵る。
『綿密に暗殺計画をたてていたのはヘルラよ。王族を乗っ取る為に、龍の力を研究していたの。だから今の龍はヘルラの玩具にされてるわ。所詮、長生きするだけの醜いトカゲよ。それにね、アヤメ様が生まれる前から、セトラナダに入る龍の力を国の為に還元していたんですって。コアの婚約者候補の話が出ていた頃らしいわよ』
バキエはいかにも愉快と笑い続ける。
バキエが話す間にクウの瘴気でヘルラの顔はは苦痛に歪む。
幾多の龍の魂を、ヘルラがセトラナダの大地に葬ったのだと、言葉で知らされ改めて怒りの矛先に力がこもる。
『お母様もわたくしも、ヘルラは嫌いです』
ハッキリとアヤメが言う。
『そうよねぇ。私だってヘルラが王だから妻になっただけだもの』
バキエも身分が欲しかっただけだとヘルラに向けて言い放つ。
『バキエは、その美しい肌に不服なのか?』
クウの言葉に
『この鱗を美しいと言っているのなら、妖怪の美的感覚がおかしいのね。あんたの容姿も肌も、私に相応しいでしょ?』
図々しくバキエが笑う。
『そう。我の容姿がバキエに似合うかはわからんよ。だけど美しいと誉められるのは、良いね』
クウの温度が無い声すら気付かず
『そうね、あんたの容姿のまま ずっと綺麗な衣装を着たいわ。国民に称賛されるような、常に注目される所で、若く美しい姿でね』
バキエが好き放題に言うのをアヤメは小さく「嫌だ」と呟く。
『バキエの望みを叶えよう』
クウが優雅に立ち上がると、バキエの視界は部屋の中からバルコニーに変わった。
『いつの間にここまで来たの?』
混乱するバキエに
『ずっとバキエはここで国民たちに、ヘルラとアシンの悪行を伝えていたのだよ。その美しい肌のままでね』
クウに言われてバキエは両手で顔を隠し絶叫する。
元来派手好きで女性の社交性もたかかっなバキエが人前に出るのを厭う肌。アヤメとクウの存在は、側仕え以下の身分だと考えていたのだ。力で捩じ伏せれば傀儡にできるアヤメと、身元の知れない女は数のうちに入っていなかった。
バキエに羨望の眼差しを向ける筈の国民たちが、唖然とした表情で見上げる。
絶望したバキエの姿を国民たちは、ただ眺めるだけだ。
『さて、我の姿になれば良いのだよね。そして、バキエは国民たちに称賛される。着替えなど必要ない美しい衣装を、一瞬ごとに変えてやろう。そして、セトラナダの大地が在る限りその容姿は変わらない』
クウが淡々と語るうちにバキエの肌はクウと同じように白く、髪は黒く長く伸びる。「クウ様、嫌だ」アヤメの泣きそうな呟きも聞かず、バキエの容姿はクウと同じになった。
驚くバキエの体をクウの髪が絡めとり、バルコニー下にある噴水の中央に据える。
『バキエ、キミの姿を国民たちは近くから眺めるだろうね。宝石よりも美しい、水の衣を常に纏い続けると良いよ』
クウの姿になったバキエは、噴水の中央で彫像のように動かなくなる。きらびやかな衣装の代わりに流れる水が一瞬ごとに陽の光に煌めき、静かに流れる水の音と永遠に近い時間をその姿で過ごすバキエの鼓動が、微かに聞こえるだけだ。
その頃 謁見の広間では、ヒムロの姿がムクムクと巨大な蛇に変化していく。
「ヒムロ、意識は戻ったのか」
無駄と思いつつもシュラがヒムロに声をかける。
さすがに訓練中でも龍の姿のヒムロとは手合わせすらしていない。それでもラージャが龍の姿になることを想定した訓練はしていた。
やはりシュラの声に反応しないヒムロから、息を潜めて距離を取る。気配すら察する龍神が相手だ、シュラは冷静に気配を消して物陰からヒムロの様子を見る。
しばらく静かだった広間は、ヒムロが暴れ出してから扉の向こうに避難していた騎士たちの姿も今は無い。
我を失い暴れるだけの白い龍は広間すら狭く見せる大きさで、柱を砕き壁に体当りする。
目的が生き物でなくとも、動かなくとも叩き壊す。
「いつまで続くんだ……」
無意識に声に出したシュラ目掛けてヒムロが跳躍する。龍の大きさで跳べば、瞬時にシュラと接戦になるが大きさだけでも分が悪い。
瞬時に逃げたが、壁にヒムロの頭部がめり込んだ。
避けるのが遅れれば、シュラの体はヒムロの頭と壁の間でペシャンコだろう。
大雑把な動きは相変わらずなのと、まだ広間に残る柱や瓦礫でヒムロの行動は予測できそうだと判断し、シュラはヒムロの尻尾まで走る。
両腕でがっちり掴んだ尻尾を振り投げれば、数本の柱に強く打ち付けられてヒムロの動きが鈍る。
再び同じように尻尾の先を取りに走れば、尻尾を掴む前に勢い良く振り払われた。同じ攻撃は通じない。背中から壁に激突し、グッと呻き声を上げるが突進して来るヒムロを避けなければ潰される。痛む体を無理矢理動かして、辛うじてヒムロとの衝突をかわす。
扉から広間の戦闘を見ている者がいないのを確認して、シュラはラージャから賜ったと肌見離さず持っていた剣を手に瓦礫の上を駆け抜け ヒムロの背中に乗った。
白い龍の体は 傷と鮮血で汚れている。
動きを封じるなら、骨と筋肉を繋ぐ筋を切れば良い。そう判断して背中から剣を構えるも、強靭な鱗と巨大な体では骨格が解りずらい。
(デカすぎて骨格がわからない)
シュラは焦りながら、鱗ごしの骨格や筋肉を探る。
背中に張り付くシュラを振り落とそうと、いっそう暴れるヒムロ。シュラの乗った背中ごと柱や壁に体当たりする。
直前で避けるシュラも、柱や壁の瓦礫が飛び散り当たれば傷も増えて行く。足場の悪い瓦礫を走り抜け、ヒムロから逃げつつ攻撃の隙を探す。既に人形のヒムロとの戦闘で、体力の限界を感じているシュラ。
同時に体当たりを加減知らずに行うヒムロの体にも、深い傷が増えているようで 動きは少しずつ鈍り始める。
シュラは肩で息をしながら 早々に勝負を決めなければ、体当たりするヒムロに潰される未来が過り 冷静に対処するつもりで恐怖や不安を振り払う。
ヒムロの後頭部に飛び乗ったシュラが、剣を深く刺した。
「頼む、死なないでくれ」
脛椎と思われる辺りに突き刺したのだ。
大抵の生き物で共通の急所でもある。他の選択肢を考える余裕など無かった。疲弊しきった体で、一歩逃げ遅れれば死に直結するのだ。
それでも刺した剣が骨に触れた感触はなかった。動きを止めるだけで良いのだ。
しかし、巨大なヒムロの体がズンと音を立てて広間に横たわる。巻き込まれないようシュラは飛び退いて瓦礫に足場を取られつつヒムロから目を離さない。
ギラギラ光っていた赤い瞳からも、生気が失せていく。
「ヒムロ、ヒムロ?」
いくら己の命が危機とはいえ、急激に生命活動が失われて行くヒムロの様子に狼狽える。
巨大な体からは、力なく浅い呼吸が繰り返される。
シュラは持っていた止血薬をヒムロの傷口に塗るが、ただでさえ大きな体と 数えきれない程の傷では すぐに使いきってしまう。
途切れ途切れの浅い呼吸も、かなり苦しそうで間隔も開きだす。熱く感じていた鱗から体温が失われていく。
「ヒムロ、ヒムロしっかりしてくれ」
虚ろなヒムロの瞳に、シュラの姿は映らない。
クウと同じ姿の彫像に姿を変えたバキエ。
噴水付近に居た国民たちは バルコニーの現状も気になるが、間近に観られるクウの美しさに目を奪われる。
『周りに隠れてアヤメに酷いことをしていたバキエは、我の姿でずっと生きてくれるようだよ。バキエの望む、いつまでも美しい姿を叶えたのだ。きっと心行くまで満たされるだろうよ。さてヘルラの望みを聞こうか』
アヤメを安心させるようにクウが微笑みかけて話すが、アヤメの意見は聞くつもりなど無い。
既に瘴気で気絶寸前のヘルラが話せるように、口を覆っていた髪だけがほどかれる。
『バキエの話は殆ど嘘で出任せだ。そ……そうだ、アシンだ。アシンがウェル王の暗殺から、全て計画したのだぞ。それにゾーベが諸悪の根元だ。既に処刑したゾーベが企んだのだ』
とにかくヘルラは自分が悪くないと主張する。
アシンとゾーベの企みに乗せられただけだと。
バルコニーで呻き横たわるアシンにも 一部始終の声は聞こえているようで、上手く動かせない体をよじりヘルラを睨む。しかしヘルラはアシンの様子など気にもしていない。
『そう。ヘルラは龍の研究に詳しいのだよね』
大通りからでもゾッとする程の冷たい眼差しで、クウが言う。ラーはただ眺めるだけで、表情から怒りは読み取れない。
ヘルラはクウの視線がウェル暗殺の犯人に向けられていると判断したのだろう
『王族に対する不信感を募らせていたゾーベに、アシンが良く相談に乗っていたのだぞ。私は前王とも懇意にしているのだ、王になれたのは私の実力なのだ。ウェルが存命で在ろうとも、いずれ私の研究の成果は王に望まれて当然だったのだ』
人の目から見れば、ウェル王暗殺や残酷な人体実験に拷問の方が恐ろしいし罪に問われると思うのだ。
『王族と同等の価値がヘルラに在ると主張しているように聞こえるよ』
クウが小馬鹿にするように笑って見せれば、勘違いしたヘルラは
『そうだ、龍の力を国の繁栄に活かす研究は成果を出しているのだ』
それはセトラナダを覆う結界に、幾多の龍が魂を奪われた事実。
天に還ることも無く、産まれ故郷であったセトラナダに身体ごと魂を吸収された龍の存在に、ヘルラの罪悪感など無い。
『人の知識や研究にしては、前例の無いもののようだよね。これを偉大と、人は表現するものなのか?』
クウの声は冷たく大通りに響く。
成り行きを見るしか出来ないアヤメは、チヌの入った鞄を抱きしめて大通りの国民に視線を向ける。
『前例の無い偉大なる研究、その通りだ。龍の力さえ自在に操れれば、これからもセトラナダは繁栄する』
ヘルラが言う度にクウの瘴気が濃くなる。
『セトラナダの繁栄を望むだけなら素晴らしい研究だっただろうね』
明らかに蔑む表情で語るクウ。
『当然だろう。私の成果は王という地位も認められるものだ』
しかしヘルラはクウの表情に気付かず、研究の成果を誇らし気に喋り出す。
実際に子供の頃から龍と紋様の関係性に興味を持ち、あらゆる文献を調べて新しく図柄を構築して行った経緯を堂々と話す。
人よりも遥かに大きな力を持つ龍を、いかに制御して操るのか研究し始めたのは ずっと以前だと言う。
確かに研究者としては優れているようで、誰も考えなかった龍の存在を国に還元する方法を編み出したのは、クウがセトラナダに立ち入れなくなった頃だ。
『ヘルラは、何故龍の力を研究していたのだろう。知識は時として大きな武器ともなると知ったよ』
クウの言葉を称賛と捉えたのか
『貴族としては地位が低かった私でも、知識は前王すら認めるものだ。私はセトラナダの一番高い所へ君臨する為に知識を求めたのだ』
ヘルラは研究に対する知識ばかり先走り、言葉巧みに相手を動かすアシンやバキエとは違い、話し方だけで相手を説得する力に欠ける。
ラーは今までのヘルラに対して嫌悪感ばかりだが、やはり表情に出さず成り行きを見守る態度だ。
『今では王というセトラナダで一番高い位に着いているではないか。他に何を望んでいるのか、知りたいよ』
クウがヘルラの望む形を聞く。
『王位簒奪の不安はある。誰が私の命を脅かすか知れたものではない。余多の龍の力を我が物にしなければ、私の地位は危ういのだ』
ウェル王暗殺から計画していたのだ、ヘルラ自身も暗殺される不安と恐怖はあると言う。
セトラナダの守護龍を使役した所で、龍の契約はあと数年で切れる。それまでに他の龍を使役して、確固たる安全と一番高い位を手離すつもりなど無いのだ。
『なるほどね。龍との交流を可能として、セトラナダの一番高い所で国民たちの称賛を得ると良いよ』
クウの言葉にアヤメの表情は不安そうに揺れるが、バキエの前例もある。鞄を抱きしめたまま、ヘルラがどうなるのか見守ろうと小さく震えて佇む。
『だが、バキエの二の舞はごめんだぞ。私こそセトラナダの頂点に相応しいのだからな』
ヘルラはクウの瘴気にあてられ、思考力が落ちているのかと思えばバキエと同じ姿にはなるつもりが無いと言う。
『ああ、龍との交流。そしてセトラナダの頂点、更に王城が存在する限りヘルラの命も保証しよう。王に相応しい冠でも授けようか』
クウがヘルラの望んだことを反芻するうちに、朝陽がヘルラの頭上で輝いたように見えた。
冠がヘルラの頭を飾る。
『これはいい。権力の象徴でもあるな』
クウがヘルラを拘束していた髪をほどくと、ヘルラは冠を触りながら満足そうに言う。
『金で出来た冠だよ。金は龍の気を良く通すからね』
そう話しながらクウは左手で髪をかきあげる。
長い黒髪がサラサラと広がり、再びヘルラを捕縛した。ヘルラの姿が冠と同じ金色に変化していく。
クウの髪に包み込まれたヘルラは、どんどん高く掲げられて王城の屋根よりも高い所で止まる。
『ラーは、ヘルラに似合う姿を思い付くかい?』
クウが尋ねれば
『鶏』
表情を変えずにラーが答える。
同時に鶏のような悲鳴を上げていたヘルラの記憶をクウに送れば、クスリと笑い
『とてもヘルラに似合っているね。ラーの姿を模したいと言われたら、きっと我が困っただろうよ』
クウが話すうちにヘルラの姿は立派な鶏に変わった。
そのまま王城の屋根の一番高い位置に据え付ける。
『四方を自由に見渡せるようにしてあげたよ。あれでも一応は王だったからね、そこいらの鶏よりも立派に見えるだろう』
風見鶏のように、一番高い位置で落ち着いた。
ただ風見鶏と違うのは、龍の気がある方向に向きを変えるぐらいだろうか。『生きたまま、ほぼ永遠にその姿で頂点を堪能すれば良い』と、クウが侮蔑を含んだ声でヘルラだけに伝える。
『あの……クウ様?』
アヤメが見上げて言う。
突然の出来事に何から伝えれば良いかもわからず、ヘルラを見上げて
『ヘルラは他の龍神様と交流を持つのでしょうか?』
クウは『龍との交流』と言ったのだ。それを不安そうにアヤメが聞く。
『ああ、ヘルラ程度の胆力では交流どころではないだろうよ』
そもそも龍と人では常識が違う。
一瞬で数百年の情報をやり取りする対話、億を超える情報が行き交うのは当然だ。例えばこの大通りにひしめく全ての国民が、深層で思考する情報を手にして誰に何を伝えるべきか個々に対して正確に判断するような。
ヘルラでなくとも、通常の人の能力では龍と対等な交流を持つのは難しい。
『しかしヘルラが長年抱いていたことだ。我個神を使役するよりも遥かに有益な時間となろう』
ラーも言う。
『バキエもヘルラも、望む形を整えてやれたようだよ。ただ、そうだね。ヘルラが上手く龍との交流を持てるのか可視できると良いよね』
暗に失われた同胞の魂をクウが口に出す。
『あの光沢は、龍との対話が出来た時に戻してはどうだ?』
風見鶏の輝きは、分不相応だとラーが答える。
『では、後で我が直接 ヘルラと対話してやるよ。ちゃんと対話になれば、このまま輝き続けるので良いよね』
クウがラーには任せられないと言外に伝えれば、ラーが苦笑した。
バキエは噴水の彫像に、ヘルラは王城の屋根の上で風見鶏に姿を変えて、私利私欲に滅びる未来は消えたのだ。
『さて、国民の命を玩んだアシンだが』
クウの声にあわせてアシンの傷が癒えた。
少しふらつきながら、アシンがゆっくり立ち上がり、大きくため息をつく。右手で白髪交じりの前髪をかきあげて周りを見回し、腰に手をあて直して屋根の上に据えられたヘルラを見上げてクッと笑う。
黒い霧に映し出されたアシンの行為は、大通りに集まった全ての国民が目撃しているのだ。それにバキエとヘルラの暴露の後だ。言い逃れできる状況ではない。
それでもアシンの配下になれる栄誉を賜った友人知人を祝福して送り出した国民たちは、僅かな希望と映像の誤報を望んでいる。勿論ヘルラやバキエの言葉に心は不安で揺れるが、奇跡の治療を確立した天才に期待を込めているのだ。
『ヘルラは龍の研究に熱心だったが、貴族としては幼稚だったと言えよう。権力欲ばかり異常に強く、持てる知識を利用すれば王位簒奪ぐらい容易だと仄めかせば、面白い程 私の思い通りに動いた』
アシンは驚いたことに、いきなり正直に話し始めたようだ。
自信がありそうな姿勢で、王位簒奪までの計画をヘルラを傀儡に進めたのだと、順を追って話した。
アシンがまだ若かった頃から、セトラナダの王政は可もなく不可もない状態だった。程好く安定していたのだ。
アシンは騎士として鍛え、初の戦場は他愛ないと称される戦地に赴いた。しかし戦局は予想外。
五千を越えるセトラナダ騎士団は、僅か数人の敵に短い時間で殲滅されたのだ。敵の主力は青い髪が特徴の老人だった。
セトラナダに帰還したのは千人程度。
無慈悲に命を奪われる騎士の姿を脳裏に焼付け、怒りと恐怖に嘔吐しながら逃げ戻った。
帰還した騎士に王からの褒美は無く、次の戦地で良い報告を待つと労いの言葉をかけられただけ。
王から見れば騎士の命などその程度。
次の出兵では大勝しての帰還。
王から賜る褒美よりも、戦場での経験がよほど心を滾らせる。
血飛沫と悲鳴、命乞いをする敵に止めを刺す快感。それを手柄と認められる高揚感。
しかし安定したセトラナダに戦場は無くなり、戦地に赴くこともなくなる。
異様な喪失感は日を過ごして行くうちに、王に対する不満と共に大きくなっていく。
平穏なセトラナダで徒に死者を出す訳にも行かず、喪失感を埋める行為が配下への拷問に変わって行った。
『戦地で敵を殺せば王から褒美まで与えられ、英雄と持て囃されるのだ。しかし戦場が無ければ私の行為そのものが批判される。何故かわかるか?』
アシンは震えるアヤメを見下ろして言う。
『アシンは、人を殺す正当性を望んでいるのですか?』
アヤメが返事をすれば、大通りの国民たちも息を呑んでアシンの返事に注目する。
『さすがは次期王でいらっしゃる。異常に見える私の行動でも、王政の元で正当に扱える価値がございますよ』
胡散臭い笑顔でアヤメに話す。
ヘルラを上手く使えていたのだ、幼いアヤメを言いくるめるのは容易いと、疑わない表情で言う。
あれだけの映像を見せられた国民たちやアヤメの意識を、正当と思える内容に変える自信があるのだ。
『人の命は尊いのです。それをアシンが理解しているとは思えません』
キッと睨むアヤメの意見に
『人の体は脆いよ。アシンのように衝撃を与えては、すぐに魂が離れてしまう。只でさえ人の命は短いのだから』
クウも同意してみせる。
『全くです。私こそ戦地で命の尊さを知り、心が病む程の苦痛を乗り越えたのですから』
堂々と言うアシンに悪びれる様子は無い。
『失われた命は戻らないのですよ』
やはり睨むアヤメの態度は変わらない。
『勿論ですな。尊い命の犠牲を、彼らの尊く短い命の犠牲があったからこそ活かせるのですよ。その賢いお耳を私の為に貸してくださいませんか?』
アシンは今も黒い霧に映されている自分自身の所業を眺めて顎を撫でながら言う。
何を企んでいるのか、映像を見る表情は悲しそうだ。アヤメと国民たちから表情が見える角度を考えて眺めている。
ヘルラを傀儡にしたと話したアシンには、龍神に与えられる罰から逃れる策略があるようだ。
閲覧ありがとうございます。
ご無沙汰してます。
お元気でしたか?
私は元気です。
元気に読書に逃避してました。
「なろう」とか「pixiv」とか、勿論、紙の本とか。
紙の本は、完結したものを手にする事も多いのですが、「なろう」や「pixiv」だと途中だったり更新が待ち遠しかったり 楽しみだったり しますね。
あなたが、これを読んで同じように思ってくれてたら
嬉しいです。
お待たせしてごめんなさい。




