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龍の居る世界     作者: 子萩丸
52/59

 それぞれが行き交う


 龍神ラーが、両手で顔を覆い隠して踞ったまま震えている。その姿を満足気に見下ろすヘルラとアシンは、意識の戻ったシュラに白い布の入手経路や武器の所持理由を改めて聞き出す事にした。

「大蛇の脱け殻と言ったが、大蛇はどう言った存在だ?」

「小さな村落を守護する聖なる存在だろう」

龍神と知られるのはまずい。

「シュラにとっては、どんな存在なのだ」

「……敵では無いな」

言葉を選んで返事をする。強力な味方であると知られないように注意を払う。

 並べられたシュラの武器から、やはり「アヤメの玩具」だけは使用法が理解できないと、側近たちが話し合う。

「先程から強く蹴られた箇所が、幾つも折れている。拘束をほどいた所で、私は逃げられん」

ため息混じりで呟くシュラの様子を見下ろすアシンが『蹴れ』と側近たちに言う。

 側近たちの足が衣服に当たれば、多分 何らかの苦痛があるようで飛び退くが、シュラも少しばかり大袈裟に呻いて見せる。アヤメに見られれば「演技指導が必要だ」と言われそうで、苦笑する顔を隠す為に床に突っ伏す。

『良いだろう、シュラの手をほどけ』

恐る恐る近付いた側近が、衣に触れないように注意しながらシュラの手をほどく。

 右肘で少し上体を起こしたシュラが、思い出したように肋骨に手を当てて顔を歪めて見せる。完治した身体を知られていないように、それでも普段なら痛みがあっても無表情でやり過ごすのだ。少々不自然だが、アシンは あまり気に止めて無い。

 アヤメの玩具を手渡され、

『どう使うのか、見せてみろ』

「これの使い方を尋ねられていると、解釈して良いのだろうか?」

「そうだ」

フッと笑って打ち出す先をヘルラに向ける。

「龍に向けろ」

言われるまま、シュラは踞ったラーに向けて綿を打ち出した。一発、二発、三発目でラーは綿に包まれてシュラから完全に見えなくなる。

 アシンに言われた側近たちが、ラーを包む綿を手にして

『ただの綿に思われます』

と報告する。

「なんなのだ?」

「アヤメの玩具だと言っただろう。敢えて言うなら、脱出経路を確保する為の時間稼ぎに使う」

成る程と、感心してアシンがアヤメの玩具を取り上げた。シュラに向けて綿を打ち出す。

『怪我すらさせず、相手を足止めするだけなら充分に使えるだろう。しかし王に謁見をした者が所持していた武器の数々は、不問に出来ぬ』

「アヤメの玩具をお褒めいただいているのだろうか?」

「いや、他に所持していた武器についてだ。王の御前で武器を持っていたとは、極刑もあるのだぞ」

嬉しそうにアシンがシュラを見下ろす。

 衣類に触るだけで苦痛を味わう為に、近付く事はなくなった。

「旅先では無難な身嗜みだしなみなのだ。何時いつ襲撃に出会でくわしても、対応する為の必需品なのだが。盗賊だけでは無い、獣からも身を守る必要がある」

それにしては装備が多いと、難癖を付けて来る。

 実際に、王城での戦闘を前提に仕込んでいた武器なので、普段より多い。

「アヤメがセトラナダの王であれば、私は次なる目的地へ向かう準備を整えていた。王で無ければ、再びアヤメを保護しつつ旅路に向かう準備を怠らなかっただけの事だ」

アヤメの存在を認められなければ、いざ戦闘になっても対応できるように準備していた。

 ほぼ奪われた状態なのに、所持していた武器のせいで窮地だ。

「私の配下となれ。寛大な心で不問にしてやるぞ」

嫌でもアシンの配下になる方向で話を進めるようだ。

「考える時間が欲しい。私の旅路には、目的があるのだ」

トレザに戻り、同族がトレザを訪れるまで待つ。

 身の危険が無い環境で成長を遅らせる薬を研究したり、大勢で狩に出掛けてみたい。

「良かろう。アヤメの公開をした後で聞いてやる」

否の返事は無いと確信したアシンが、胡散臭い笑顔で答える。

 シュラにとって朝までの時間が、とてつもない長さに感じていたのに、突然 あまりにも短く思えた。

「私が配下になるならば、どのような仕事を与えられるのだろうか」

「ほう、やけに素直ではないか。先に話した通り、ずはタタジク制圧の任務を与える。勿論、シュラの先導で率いる兵士は考慮するぞ」

タタジク制圧に向かう兵力に関しては、あらゆる状況と照らし合わせて熟慮するつもりだと話す。

 勿論シュラはアシンの配下になるつもりなど無い。ただの時間稼ぎでも、引き延ばせる口実さえあれば良いのだ。

 戦略を立てて有るのなら、その条件に便乗する形を取って行くとシュラが伝えると、アシンとヘルラは急いで計画内容を知る文官を呼びに行かせる。

 詳細が届き、シュラは書類を見ながら

「大人数だからなのか、計画には無理な点が多く見られる。移動する人数の割に食糧の補填費用が少ないと思うが」

他にも移動日数がある為に、宿泊費や治療班が足りない。

「兵士たちが移動するならば、そこいらで野宿でもすれば良かろう?」

アシンは兵士たちの体力を見誤っている。いや、そもそも道具として考えているのだ。

「野宿が続けば、それだけで消耗するだろう。現地まで着いた所で疲労で動けない、戦力外だ」

旅に慣れたシュラの助言は、意外と素直に聞き入れられていく。予算に大きな変動がある為に、出兵の人数を減らす方向で話が進む。実際に人数が多くなるだけで、指揮に慣れないシュラには制御も難しいと言った意見も通る。

 扉を叩く音にヘルラが

『入るが良い』

ヘルラの声に 失礼しますと、文官が三人入って来て報告を始める。

 タタジクの使節団が、全員揃って城に到着したらしい。アヤメを旅芸人の中から見付け出した経緯を、国民の前で大々的に発表する流れらしい。

 謁見の間に湯浴みの支度をしたと報告されると、ヘルラがニヤニヤする。

『シュラはタタジクの使節団と交流があっただろう。今後は親交を深めた上で、絶望の中に沈めるが良い』

そう言って更に上機嫌じょうきげんだ。

 言葉を知らない振りをしていたことを思い出し、強張る顔を隠す。ついでに痛みがある振りも忘れない。

 アシンの配下が着る御仕着せも届き、シュラの前に置かれる。

『配下になる決意は、バルコニーで言わせるのが良いですかな、ヘルラ様』

『うむ。言語も無用で使役契約が可能だ。ただ、龍を対象とする物だからな、人が使って生きられるかは 実験していない』』

ヘルラの言葉に アシンはしばらく腕を組んだまま動かない。やがて、

『失う可能性を思えば惜しくも有りますが、シュラを使って試してみますか』

シュラがのそのそと、御仕着せを着る。怪我で苦しむ振りが上手く行かないだけなのだが、今の対話で紋様もんように手を加えたのがヘルラだとハッキリした。

 謁見の間に向かうと言われて、シュラは自力で立ち上がれない素振りを見せる。

『仕方ない、肩でも貸してやれ』

言われた側近たちは、恐る恐るシュラに触る。特に苦痛は無いと知り、二人の側近に片腕ずつ持ち上げられた。シュラはあえて側近たちに体重を乗せる。

 



 火薬の箱から溢れ出た炎の花は、トレザの民がタタジクの兵士たちを受け入れるには充分だった。サラの後押しと、リリが広場で待つ者に根回しした成果もある。

 兵士たちは大規模な爆発と、怯える民を容易く制圧下に治める計画だったものが、事前に班長アギルが全て気付いていたのだ。

 土地神は、アギルが望む兵士たちとトレザの平穏な交流を ただ見守っただけだと微笑んだ。

 班長アギルは神々に愛されている。トレザの民と同様に、望む方向へ導かれていると実感する。

 小さな木札を銅貨の代わりに使うのだと、リリが兵士たちに十枚ずつ手渡して行く。大きさと暑さを揃えた小さな木札に、兵士たちはいぶかしむ。

「他の土地では、この銅貨は使えないの。だけど、物価を決めると、必要になるでしょ?」

事前にアギルや兵士たちに手渡そうと準備されていた銅貨の木札だ。多く残った銅貨を副班長にドサッと渡した。

「我々の計画と失敗を知り、それでも歓迎するのか」

ずっしりと手渡された木札に、副班長が尋ねるでもなく呟いた。

「あなたたちが計画してた事は、サラ様と私たちしか知らないのよ。バムだって、タタジクと円滑に交流したいと言ってたわ」

「そうか」

副班長が兵士たちに振り返ると、統率された動きで整列する。

「後で言い訳でも何でも聞くから、余計な事を言わないでちょうだいね」

睨みを効かせてリリが言えば、副班長と後ろの兵士たちが揃って敬礼する。

「これはこれで凄いのよね。兵士の皆さんがここまで走って来る姿がカッコいいって。大勢で言ってるのよ」

正直な感想をリリが伝えると、兵士たちは明らかに照れる。

「ここに住むみんなはね、相手の良い所を正直に伝えるものなのよ。バムが驚いてたわね。だけど、伝えて良い気持ちになれるなら言っちゃった方が良いでしょ?」

その代わり 気に入らないことも正直に言うので、度々喧嘩や言い争いはある。それでも後腐れが少ないのだ。

「我々は、何をすれば良かろう?」

「そうね、買い物はわかる?」

「当然だ」

「私たち、お金の使い方が 良く解って無いのよ。だから、今渡した銅貨で食べたい物を買ってくれる?それで、もっと良い方法があったら助言してくださいね」

「金の使い方?」

「そう。タタジクだと、どんな物が売られているのか、とかね。外の文化との違いを少しずつ教えて欲しいのよ」

そもそも銅貨が足りない。間に合せで作った木札の銅貨が主流なぐらいだ。

「およそ理解した。タタジクで流通する銅貨を使うのは、良しとされるか?」

「あら、本物の銅貨が有るのね。多分、まだ見たことがない人も かなり居るから、説明してくれるなら本物の方が良いわよ」

リリが嬉しそうに応える。

「聞いた通りだ。買い物は、手持ちの銅貨を優先して使え。無くなり次第、木札の銅貨を使うように」

揃って兵士が敬礼する。

「炎の花は、アギルとユタが仕組んだ事だ。詳細を答えて良い訳では無い」

副班長の言葉に兵士たちは表情が引き締まる。

「そうね、ユタが戻ってからの お楽しみって言っといて」

リリが付け加えると、それぞれ驚きや安堵の表情になる。

「広場内でのトレザ住民との平和的交流と、貨幣のやり取りに置ける助言が、今からの任務だ。アギル班長に会った時には交流を自慢してやれ、泣いて羨ましがるぞ」

プッと笑いが漏れるが、特に咎める事もなく 自由行動になる。

 この時間になると、収穫物は殆ど残っていない。代わりに料理や酒を販売している。兵士たちには「お酒はほどほどに」と伝えてあるので、主に酒のツマミを見て歩く。

 本物の銅貨は珍しく、木札の銅貨の方が良いと言う声もあるが、同じ形に丸くくり貫かれ、美しい彫刻が施されているにもかかわらず、全く同じ模様だと感心して眺める。

「これは1つずつ彫刻している訳じゃないんだろう」

「でも、金属に細かい細工してあると綺麗だねえ」

銅貨は金属の銅で作られているから銅貨だと、タタジクでは子供でも知っている事に感心して聞く大人たち。

 経済の方向でなら、貨幣に無知なトレザの民よりも優位に立てるのは明らかだと、交流の中で兵士たちが気付く。

 見習いの職人が作った展示品も、細かい所まで丁寧に作られているし、技術的な援助をすれば 一流の職人になれそうだ。高い技術を安く使える上に、珍しい料理が安い。

「料理は高級料理店でも出せそうなぐらい旨い」

兵士たちの率直な意見に、料理を提供する皆が誇らし気で気前良く大盛にする。

 舞台では、歌や舞が披露される中で

「兵隊さんも、何か見せておくれよ」

炎の花について聞き出そうにも、今は不在の班長の許可が必要だとかユタに聞けと笑ってはぐらかされるので、いっそ隊列を組んで走る姿が見たいと誰かが口にする。

「迂闊な事を口走る前に、兵士たちで走って見せるか?」

制圧を目的として同行した兵士も居るのだ、副班長一人で全ての兵士を監視しきれない。トレザの民からも何か見せろと言われて、特に思い付かない為に

「集合」

副班長が声を上げた。

 談笑したり、何か食べていた兵士たちが副班長の前に整列した。食べ物を持ったままだったり、酒を飲んだ様子の兵士も居る。

 このまま崖に戻って夜営かと、食糧を多めに持った兵士も居る。

「今から走る。食べかけの食事は、残さず食べた後で列の後ろに付け」

 それだけ言って副班長が人混みをけて走りだす。良く解らずに、ただ言われた通りに兵士たちがザッザッと足並を揃えてついて行く。歩幅と速度が揃っているだけで、歓声が上がる。食事中だった兵士が急いで口に詰め込み、食器は近くで見ていたトレザの民に預けて急いで追い付く。

 そんな様子に感心する声や楽し気な笑い声が上がる。

「なんかこう、剣舞よりも迫力あるよな」

「ずっと見ていられる」

何の前触れもなく、突然 走り出した副班長に着いて走る兵士たちは、いつまで続けるのか気になる所だ。

 そのうちトレザの民も隊列に合わせて走り始める。兵士たちの足並に揃えて一緒になって走る表情は、楽しそうだ。

 ただ、少しばかり酒を飲んでいた兵士や、満腹以上の食事を取った兵士の顔色は良くない。頃合いを見た副班長が後ろ向きで走りながら

「体調が思わしくないと自覚したら、休息の形態で待て」

と言うと、サッと列から離れた兵士が敬礼してから跪く体制で座る。やはり指示に合わせた行動の流れが目を見張るのだ、拍手や歓声が起こり、足並に合わせて鳴り物が賑やかに広場を埋める。

 休息の形態になった兵士たちの息づかいが荒く、どうやら すっかり酔いが回ったらしい。水や茶を差し出して、介抱する民も居る。

 トレザの民は、列に加わったり離れたり、鳴り物が兵士たちの足並と同じリズムで調子良く響く為か、かなり長い時間 黙々と走り続ける。

 近くを走り抜ける兵士たちは、汗だくだ。

「ずっと走ってると疲れない?」

リリが走って行く兵士に追い付くように走りながら声をかける。副班長は 軽く笑って見せたが、後ろの兵士たちの目は助けを求める表情だ。

「他の特技も見せてくれるかしら?」

リリは兵士たちと足並を揃えてないが、ずっと見ていただけなので軽い足取りで走りながら話し掛ける。

「どの様な見せ物が出来るのか、見当がつかない」

「敬礼したり、みんなが揃って動く姿がカッコいいって思うのよ。舞台も空いてるんだから、どう?」

副班長が徐々に速度を落とし、隊列ごと止まる。

 ザッ音とを立てて揃って立ち止まる姿にも歓声が上がる。みんな汗でびっしょりだが「走っただけで」と照れる様子を見せる。

「走るだけでも剣舞より見応えがあったな」

「揃って動く動作がカッコいいんじゃないか?」

「そう思った。なんか剣舞は みんなの動きがバラバラっぽいもんな」

「揃えるのは大変だろう。さっき少し一緒に走ってみたけど、周りに合わせて走ると すぐに疲れちゃう」

兵士たちが舞台に向かう中で、色々と話す声がする。

 トレザの民が催し物で舞台に上がる時は、散歩の途中のように思い思いの速度で歩き、だいたいこの辺りといった所で立ち止まる。

 副班長が先頭で舞台に上がり、端からムウの絵に向かって敬礼した。迷わずに舞台中央まで真っ直ぐ歩き、姿勢を正してからサラに向けても敬礼した。

 続いて舞台に上がる兵士たちも、副班長の動きをなぞるように、複数で同じ歩幅で歩き 所定の位置に立ってサラに敬礼する。兵士が揃った所で 副班長が跪き、少し遅れて兵士が揃って跪く。

「統率の取れた動きは美しいものですね。日々の研鑽が うかがえます。トレザの民が習いたいそうですよ」

サラの言葉に兵士全員が深く頭を下げた後、

「見せられるような物が特に思い付かない。助言をいただけるだろうか」

副班長が声を上げれば、口々に「全員で」や「揃って」の声が上がる。

 敬礼や、号令に合わせた動きを披露する度に拍手が上がる。

 そのうち「剣舞は?」と声が出れば、

「剣舞ではなく、基礎の形だけだが」

と、前おいて揃って同じ形に素振りを始めた。

 剣は鞘に収めたままなので重い。それでも一糸乱れぬ動きに喝采が上がり、舞台の近くまで大勢が集まって見上げる。

「習いたいと聞かされたが、どれを覚えたい?」

副班長が尋ねれば、大勢が揃って「剣舞の基礎の形」と言う。

 舞台の上では狭いので、下りて広がり兵士たちの間にトレザの民が入る。基礎の形を行う兵士たちを手本に、似たように剣を構えれば(棒や長い物)近くの兵士が角度や構えの姿勢を助言する。

 基礎の形は意外と体力の消耗が激しい。それを長時間走った後で見せられ、実際に同じように動くトレザの民は 儘ならない。

 あちらこちらで笑い声や激励が上がり、深夜を過ぎても剣の基礎稽古で盛り上がる。

 程好い疲労感で思考が漠然としてくる中、剣を落とす程の疲労に笑い、微妙に呂律がおかしくなっていると笑い、感染するように皆が笑い合う。

 


 


 砂漠の砂粒を数えるよりも多くあった未来の形は、今ではてのひらに乗せた砂粒ぐらいの数になった。

 しかし、クウがラージャと再会する少し前から大きな変化と違和感があったのだ。

「ラージャは無自覚なようだよ。でも過去に干渉するとは、思いがけない力を持っているのだね」

不穏な形の未来が一気に減ったのだ。

 それはラージャがシュラの記憶を覗き、サラとヒムロに見せた頃に起きたのだと、クウは推測する。

 あくまでも推測で、実際にクウがその場に居合わせたならば、詳細も掴めただろう。

 最善とは思えない未来しか無かったはずだった。まるで時空をねじ曲げたように突如として現れた最善の未来は、シュラの心を過去に遡って変化させたからだ。幼いヌッタの子供が命令とはいえ 人の命を終らせたか、居合わせただけで済んだかは、大きな影響を与えた。

「過去を変化させたのは、ラージャなのか?覗き見たサラかヒムロとも考えられるね。ヒムロの持つ力は、まだ未知数だよ」

まだ外は暗い。


「クウ様、やっぱりムウの絵って凄いね。ワタシ洞窟で目が覚めたのかと思っちゃった」

イイスが壁をじっと見つめて呟く。

 あえてクウと目を合わせないのは、瘴気のような黒い霧がクウの周りに見え隠れした恐怖からだ。

「おや、目覚めたのだね。イイスも洞窟の空気を感じるかい?」

黒い霧は霧散し、イイスを正面に微笑むクウは別神べつじんのようにキラキラと輝く。

 クウの微笑みを正面から受けたイイスは、恐怖したことをすっかり忘れる。

「光の花の香りがした……みたいな気がして起きたの」

イイスの隣で大きく伸びをするトト、ボンヤリ目を開けて周りを確認するムウ。

「洞窟で寝たら凍えちゃうよ」

まだ寝惚けているトトが言う。

「トト、ここはクウ様のお部屋だよ」

のんびりとムウが言うと、トトは照れ笑いする。


「少しばかり早いが、君たちをトレザに送るよ。その前に、軽く食事しておくかい?」

クウが微笑んで話し掛けると、三人は喜んで返事をする。

 暗い時間でもクウは眠らないことを知る使用人たちは、いつでも指示に合わせられるように動いている。

 温かいスープが運ばれて来た。柔らかくなるまで煮込まれた肉と、形を残していない野菜が旨味を引き立てている。

「まだパンは焼き始めたばかりだと言っていた。スープしか出せなくてすまないね」

スープだけでも旨いのだ、三人は首を横に振りながら、起きぬけの御馳走で胃が温まる感覚を喜んで伝える。

「アヤメの国は、王様と上手く話し合えたかな?」

「きっとね。わたくしよりも、ラージャが良く知っているはずだよ」

微笑みを深めてクウが答える。

 この数日で 貴重な体験が沢山出来たと 口々に言い、クウも一人一人を抱き締めてから頭を撫でる。

「今朝の洞窟では、蜜の回収当番が来ないと思うのだよ。用意しておく物はあるかい?」

なぜ回収当番が来ないのか、クウが三人に伝える。

 ユタとバム、ルフトがタタジクに行って不在。そして広場では、夜通しタタジクの兵士による剣舞の指導で、大人たちは時間を忘れていると。

「良かった。誰か事故か病気になったかもって心配しちゃったよ」

「うん、なんか楽しそうな事をやってるみたいだね」

対話しているうちに、空のかめと焼き立てのパンが届けられた。

 篭に入れられたパンはイイスに手渡され、清潔な布巾を乗せられた。芳ばしい香りに思わずトトが一つ手に

「あちちち」

右手の上で弾ませる。

 クスクス笑われながらかぶり付いて「旨い」と言う。

 ムウが空の瓶を持ち、画材道具は三人で分けて抱えた。

「そろそろ良いかな?またおいで、いつでも歓迎するよ」

クウが言うと壁の絵から、光の花の残り香と冷たい風が吹き出す。

 スッと壁に伸ばしたクウの腕は、壁の先まで行く。

 ゴクリと喉が鳴る。絵の中から白い蝶が一頭はためいて出てきた。

「さあ、わたくしについておいで」

ムウは急いで下がって、洞窟の絵の中で振り返るクウの姿を上から下まで目に焼き付ける。そして言われた通り、クウの後に続いた。

 まだ暗い洞窟内は、空気も冷えて寒い。

 クウは、用事があると言ってすぐに消えてしまった。

 神々のいない洞窟に入るのは初めてだ。

 一旦洞窟の外に出て、朝陽が昇るのを その場で待つことにした。



 

 ルフトは軽くうなされて目を覚ます。まだ外は暗いが、もう眠っていられないぐらい頭が疲れている。

 光の速度は音よりもずっと早く、物質を構成する原子分子の存在を知らされた。

「まあ良い。ユタより先に起きられた。寝台破壊を事前に止めなきゃいけないからな」

気持ち良さそうに眠るユタを見ながら呟く。

 音の振動や光の説明は、ラージャから口頭で伝えられた時よりは漠然と理解した。しかし、あくまでも漠然と、だ。

 何より知識酔いとでも言うのだろうか、興味はあったものの 膨大な知識を活かせる気がしないと、朝から落ち込む。

「映像か……。平和な世の中になれば、武器よりも遥かに娯楽で消費するはずなんだ。いや、敵地の映像を見られれば戦略も広がるか。いずれにしろ、欲しい技術なんだが」

呑気に寝やがってと、ユタの寝台を軽く蹴飛ばす。

 少しの振動でもユタは気になったのか、何度か寝返りをうってから目を開ける。そして寝台の感触を楽しむように、寝たままビョンビョン跳ね始めた。

「ルフト、これは体が弾むね。藁の感触じゃ無いから、何が入れてあるのか気になるよね」

ユタはビョンと寝台から下りて、寝台に被せてある布団を剥がした。

「おい待て待て。次の布地は縫い付けられてるんだよ。藁じゃ無いから壊すな」

バネが飛び出さないように丈夫な布地を縫い付けてある。だが丈夫でも布地は簡単に切れるのだ。ユタは腰につけている小刀に手をかけている。

「いや、壊すつもりは無いよ。分解して仕組みを見ておきたいんだ」

「だから、切れば職人を呼ばなきゃ直せないんだって」

ユタの小刀を押えて、寝台の仕組みを解説するから待てと説得した。

 未分化とはいえトレザのおさが、悪戯する子供をあやすレベルだとは思わなかったとルフトは困惑気味だ。

「仕組みを知りたいだけなんだけど」

ユタはまだ諦めた訳では無さそうだ。

「これはタタジクの持ち物だ。戻せないのがわかっているのに、この布を切るな。俺が同じ物を持っているから、それだったら納得するまで分解して良いぞ」

本当は、診察室の寝台に取り入れたいから、今すぐに仕組みを知りたいらしい。

 普段から夜明け前には起きているので、互いに頭は冴えている。いやルフトはユタとのやり取りで、疲れた頭が回転し始めた所だ。

「昨夜の食事の前に、文官と打合せしただろう。ユタが腰を抜かしてた場所をトレザの交易所に決める」

「崖の途中だよね。どうして広い所まで迎え入れないんだい?」

「今回は火薬を見つけたが、何を企んでいるかわからない奴を野放しにするつもりか?」

今回は、たまたま兵士が火薬の入った箱を隠した現場にルフトとアギルが居合わせたから、爆破の計画を未然に防げたのだ。

「うん。言われれ見れば、まだまだ知らない事が多すぎるね」

馬車の椅子や寝台の弾力性だけではない。

 背の高い建物や、領主の城にも驚いた。

 トレザでは興味だけで分解しても、元々単純な作りの組合せが多いので、大抵の物なら復元する自信はあるのだ。

 ただ金銭のやり取りや、建築の技術は全くわからない状態なのも理解している。

「ルフトは色々な事を良く知っているし、周りも見えているからね。助言は有難いよ。私は崖の様子を殆ど覚えていないけど、交流する場所が取れるぐらい広かったかな?」

垂直落下の恐怖で全く記憶に無いユタは、それほど広い所と認識していなかったようだ。

 ルフトは考えていた計画の一部分を見せ、ユタが眠った後に書いて置いた木札も見せる。

 きっと先頭班の殆どが火薬の持込みで処罰を受ける。しかし崖に昇降機を設置する技術も先頭班のものだ。彼等が罰を受ける間は、崖付近の工事や改善は見込めないとルフトが言う。彼等の処罰を崖の工事にてられないかと話す。

「ユタが腰を抜かしてた場所は、案外広いぜ。この領主の城が幾つも建てられるぐらいだな。先頭班の連中に、交易所までの道を造らせるのは罰として有効じゃないか?」

「それは、多分このタタジクの領主様が決めることだよ」

「こっちは被害者って立場を利用するんだよ。意見ぐらい聞く耳は持ってるぜ」

先頭班の兵士なら、崖での工事も進められるだろう。

 交易所を設ければ、トレザに侵入させずに交流を始められる。

 色々な利点や交渉術をルフトに聞かされ、ユタも必死で覚えながら朝食後に控えた交渉にのぞむ覚悟を決める。

 空が白んで来た頃にラージャが現れる。



 酒蔵の食堂は、深夜だと言うのに従業員が全て集まっていた。ロアルの指示により、アヤメとコアの存在は厳重に口止めされている。

 大通りには、深夜のうちから夜明けを待つ人が出て来たらしい『次期王アヤメ様が生還なされた』と、王城の貴族から報せがあったのだ。

『そろそろ、元の場所に戻らなければいけませんね』

コアがアヤメを膝から下ろし、

『お母様、カンナや他の側近の方々のことをお聞きしても良いでしょうか?』

ざわついていた従業員たちの声がみ、視線が集中する。

『そうねぇ』

ここでハッとしてコアが茶を飲み干す。

 強く目を閉じて大きく息をついてから

『そうね、アヤメに伝えておきましょう』


 ヘルラが地下牢に来なくなっても、アシンが側近を伴って訪れていた。

 食事は一日で一回きり。しかも量まで減らされて、遂に水とパン一つしか支給されなくなった。

『コア様、どうぞ生き延びる為に私の分はめしあがってくださいますよう、お願いいたします』

後から地下牢に連れて来られた四人は餓死を選択したのだ。


『あの方々は……』

『そう』

アヤメとコアの短いやり取りの内容を全て理解したロアルとヒムロ。そして、アシンとヘルラの残忍性に部屋の空気が重くなる。

 

 どれだけ説得しても、黙って横になったまま四人は動かない。

『コア様にお仕えできた時間が、幸せでした。こんな私どもの為に 悲しんでいただけるなんて、勿体ない。どうぞ生きてくださいませ』

日を追う毎に衰弱が見える。すでに何をしても手遅れだろう。

 アシンが人数分の湯飲みを持たせて地下牢へやって来た。湯飲みに入っていたのが、龍の血だ。

『奥で眠っているなら、起して飲ませると良い』

『少しでも、安らかに眠れる時間をさまたげる訳にはいきません』

『飲めば元気になる妙薬なのだぞ。わざわざ用意したと言うのに』

誰も手に取る様子がなく、アシンは側近たちと出ていく。

 コアは、まだ息のある四人に話す。

『無理に返事しなくて良いです。わたくしは、皆で生きる事を選択します。アシンが持って来たのは、何かの血でした。わたくしは、それを飲みます』

『いけません、毒でも入っていたら……』

止められるのは知っていたので、四人分の湯飲みはコアが持っていた。一つの湯飲みを取り、生臭い血液を飲み下す。

『おいしくないわ。吐きそうなぐらいよ。お水をいただけるかしら』

肉でも生で食べた事は無い。傷口を舐める程度に血の味は知っていたとはいえ、口から喉を伝う感触だけで吐きそうなぐらいの味だったと周りに話す。

『だけど、吐けるぐらいに満腹かしら』

言いながら湯飲みを持って横になる体を支え起して口元に運ぶ

『あの……コア様、こんな時に贅沢を言っても良いでしょうか』

『何でも言って』

『お水を、いただきたいのです』

支えられたまま、ぐったりと微笑む。

『そうね、お水を』

コアが言うと同時に差し出される。

 そっと一口だけ含んで、静かになる。

 半分開いたままの瞳には、何も写さない。

 呼吸が止まったのだ。

 目の前の現実を受け止められないのか、コアが言う。

『そうね、お水よりも、温かいスープを出してあげましょう』

まるで匙を口元に運ぶ仕草だ。

『焼き立てのパンは、お口を火傷しないようにね、慌てなくて良いのですよ』

そもそも、相手は動いていない。

『お腹いっぱいになっても、まだ果物がありますわ。甘いのがお好き?それとも酸っぱい方が良いかしら』

何かを手に取る仕草で微笑む。

 当然ながら温かいスープなど無い。

 焼いたパンの匂いさえしない。

 コアが不可解な言動を始めたのは、目前で死を実感したせいかと思われた。しかしウェルの死も見ているのだ。

 この言動は、明らかに異常だ。

 四人とも息を引き取り、それでも『眠った』とコアは言う。アシンが来ても、以前の態度とは違う。

 毎日人数分のパンは届いたが、コアは食べずに アシンがたまに持ち込む湯飲みを楽しみだと言い出したのだ。

 コアの言動は、おかしい。

 しかし、アシンは良い成果だと火糞ほくそむ。

 その頃から執務書類は届かなくなった。コアの状態を知るアシンが止めさせたと他の側近たちに伝える。

 遺体から腐臭が あがりだすと、アシンも直接来る事はなくなった。そして、パンと水も届けられなくなる。

 既に呂律もおかしいコアが、アシンが持って来た血を飲んででも生きようと必死に伝える。

 血の味も慣れれば、何日でもお腹が空かないと訴える。お願いだから生きてと。

 支えているコアは、既におかしいのだ。

 食事も届かなくなった。このままなら、いずれ死ぬ。

 コアの指示が異常だからといって、今更 何かくつがえせるとは思えない。

 覚悟した側近たちが、同時に湯飲みの血を飲み下す。コアが安心した次の瞬間、皆が倒れた。

 息はしている。しかし、時間が経つ毎に皮膚が爬虫類のウロコに変化して行ったのだ。カンナを除いて。



『その後も度々、あの湯飲みが運び込まれていました。わたくしの考える事と言葉にできる内容が、どんどんちぐはぐになっていたのです。ヒムロ様の言う通り、龍神様の血でしょう。先祖に龍を持つ王族であるわたくし、そして特殊な民族ヤマビトのカンナに龍神様のウロコは出ませんでした。だけど、言葉も表情も、思うようにつむげなくなったのですよ』

外からは笛や太鼓の陽気な音が聞こえだす。

 まだ暗いが、アヤメの生存を知らされて喜ぶ国民の賑わう音だ。

 詳しく状況を確認している暇は無い。アヤメが戻らなければ、シュラの命も危険だ。

『タタジクの使節団も全員で王城に招かれたそうです』 

従業員の言葉に、コアが立ち上がる。少しふらつくコアをロアルが抱き上げ、ヒムロが訓練所に走り出した。アヤメも走る。

『怪しまれないように、大通りに向かってくれ。私もコア様たちを送り届けたら大通りの例の場所に行く』

ロアルはそれだけ言って、ヒムロとアヤメの後に続く。


 急いで地下通路を走り、明るくなった地下通路を走り抜ける。牢の床からヒムロが飛び込み、アヤメもよじ登る。コアはロアルが支えて下から持ち上げ、アヤメが引き上げようと頑張るが、ヒムロと代わりヒョイと持ち上げた。

「ロアルさん、ありがとう。また後で」

「ああ、また後で会えるのを、楽しみにしてイる」

床から地下通路に向かってアヤメが言うと、ロアルは床を塞ぎ始めた。

 すっかり腐臭の無くなった地下牢でも、やはり窓が無いのは落ち着かない。

 アヤメはカンナの眠る姿を見る。

 扉を開ける音が聞こえた。

 ヒムロは小さな龍の姿になり、アヤメの服に隠れる。

『お母様、わたくし行ってまいりますね』

まだまだたくさん話すことも、聞きたいこともある。何より、もっと一緒にいたい。

『気をつけて。さっきのお茶が、また飲みたいわ』

アヤメは手を振って、階段を駆け上がる。鉄格子の向こうには、昨夜と同じ貴族が揃って待っていた。




 酒蔵の従業員たちは、茶器を片付ける者を残して順々に大通りに向かう。今 知った事は口外してはいけない。皆で頷き合い、ロアルの言った「例の場所」に向かう。取引先の居酒屋だ。

 既に店は開いていて、店内では祝杯をあげる客も居る。店内に入るのは、次の酒蔵主人に決まったロアルの妹夫婦だけだ。他の従業員たちは、店に出入りする客を妨げない所に立つ。全員が入ると、他の客が入れない。

 セトラナダ大通りには、暗いうちから賑やかに国民が集まる。

 貴族アシンとヘルラ王の偉大さを語り合う姿に違和感を見て取ったロアルの従業員たち。コアの話を聞く前は、きっと同じようにヘルラやアシンを敬い、尊敬しただろう。

 今はただ、ロアルと合流できる事と儀式が無事に始まる事を祈る気持ちで待つ。


閲覧ありがとうございます。


うん、善と悪とか考えてたら、悪い奴が改心して良い人になりそうなので、悪い人を考えてたら、だんだん書くのが嫌になってきてしまいました。

いやいや、なんとかなりますかね。

続きもがんばります。

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